大飯原発3・4号機の差し止めを命じた福井地裁の判決に感動した人もいるようですが、関西電力は控訴したので、この差し止め命令には意味がありません。だからどうでもいいのですが、これは反原発派の幼稚な理屈の典型でおもしろいので、こども向けに解説しておきましょう。判決にはこう書いてあります。
百歩ゆずって、土地が汚染されて減価することを「国富の喪失」だとしましょう。福島でそういう事故が起こったことはよい子のみなさんも知っていると思いますが、この樋口英明という裁判長は1度起こった事故は、すぐ100%の確率でまた起こると信じているようです。これは飛行機事故が起こった直後は、みんな飛行機がこわくなって乗らなくなるのと同じ錯覚です。
実際には逆で、福島で起こったような1000年に1度クラスの地震は、もうプレートが動いてエネルギーが放出されたので、向こう1000年は起こらないでしょう。それ以外の地域でも、地質学をもとにして震度と確率が地域ごとに予想されています。ところが判決は
こういう笑い話になるのは、樋口裁判官が確率という言葉を知らないからです。大飯原発で事故が起こる確率は100%ではありません。
リスク=被害×確率
なので、福島と同じ規模の災害を想定してはいけないのです。原子力委員会は苛酷事故の起こる確率を「500炉年に1度」(炉年=原子炉の数×年数)と想定しています。これは非常に高い想定確率ですが、これを採用すると、大飯3・4号機のどちらかで今後20年間に苛酷事故が起こる確率は、20年×2/500年=0.08つまり8%です。福島で利用不可能になった土地の価値が5兆円だとすると、これから発生する損害の期待値は、確率をかけて
5兆円×0.08=4000億円
です。これは原発停止で失われる国富(年2〜3兆円)の2ヶ月分ぐらいで、保険でカバーできます。つまり経済的被害のリスク評価をすると、原発の停止で失われる国富のほうがはるかに大きいのです。このように確率をかけないでゼロリスクを求めるのが、文系のおじさんの特徴です。
もちろん事後には事故は起こるか起こらないかで、8%だけ起こるということはありません。しかし事前には、この確率に対応した対策を考えるのです。たとえば「降水確率90%」のときは傘をもっていくが、「降水確率5%」だったら普通はもって出ない。樋口裁判官は、降水確率0%でも科学を信用しないで、1年中傘をもって歩くのでしょう。
ただ福井県の人々が、こういう恐怖を抱くのはわかります。マスコミがおもしろがって騒いでいるからです。その錯覚を科学的な知見と法的な論理でただすことが裁判所の役割なのに、この判決は「こわいから止めて!」と幼稚園児のように泣き叫んでいるだけ。よい子のみなさんは、樋口裁判官のようなだだっ子にはならないでください。
このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。裁判所が日本語をまちがえて使ってはいけません。国富とは、政府が国民経済計算で出している国民の資産の集計で、主な資産は金融資産です。非金融資産としては不動産や建物などの固定資産がメインで「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していること」という概念は含まれていません。
百歩ゆずって、土地が汚染されて減価することを「国富の喪失」だとしましょう。福島でそういう事故が起こったことはよい子のみなさんも知っていると思いますが、この樋口英明という裁判長は1度起こった事故は、すぐ100%の確率でまた起こると信じているようです。これは飛行機事故が起こった直後は、みんな飛行機がこわくなって乗らなくなるのと同じ錯覚です。
実際には逆で、福島で起こったような1000年に1度クラスの地震は、もうプレートが動いてエネルギーが放出されたので、向こう1000年は起こらないでしょう。それ以外の地域でも、地質学をもとにして震度と確率が地域ごとに予想されています。ところが判決は
地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。つまり「科学は信用できない。どんな原発も史上最大の地震には耐えられないからだめだ」というのです。こんな基準で差し止めたら、日本中の建物はすべて使用禁止です。樋口裁判官が道を歩いていたら交通事故で死ぬリスクはゼロではないから、自動車も禁止です。
こういう笑い話になるのは、樋口裁判官が確率という言葉を知らないからです。大飯原発で事故が起こる確率は100%ではありません。
リスク=被害×確率
なので、福島と同じ規模の災害を想定してはいけないのです。原子力委員会は苛酷事故の起こる確率を「500炉年に1度」(炉年=原子炉の数×年数)と想定しています。これは非常に高い想定確率ですが、これを採用すると、大飯3・4号機のどちらかで今後20年間に苛酷事故が起こる確率は、20年×2/500年=0.08つまり8%です。福島で利用不可能になった土地の価値が5兆円だとすると、これから発生する損害の期待値は、確率をかけて
5兆円×0.08=4000億円
です。これは原発停止で失われる国富(年2〜3兆円)の2ヶ月分ぐらいで、保険でカバーできます。つまり経済的被害のリスク評価をすると、原発の停止で失われる国富のほうがはるかに大きいのです。このように確率をかけないでゼロリスクを求めるのが、文系のおじさんの特徴です。
もちろん事後には事故は起こるか起こらないかで、8%だけ起こるということはありません。しかし事前には、この確率に対応した対策を考えるのです。たとえば「降水確率90%」のときは傘をもっていくが、「降水確率5%」だったら普通はもって出ない。樋口裁判官は、降水確率0%でも科学を信用しないで、1年中傘をもって歩くのでしょう。
ただ福井県の人々が、こういう恐怖を抱くのはわかります。マスコミがおもしろがって騒いでいるからです。その錯覚を科学的な知見と法的な論理でただすことが裁判所の役割なのに、この判決は「こわいから止めて!」と幼稚園児のように泣き叫んでいるだけ。よい子のみなさんは、樋口裁判官のようなだだっ子にはならないでください。