調べるとどうも異型狭心症というのが似ている。医者にいけと書かれている。
この前の増田でも病院の「異常なし」が嫌だというエントリがあった。
それとはちょっと違うかもしれないが、医者にいけと書かれている記事の勧めに従って医者に行って、「異常なし、気にしすぎです」と返されるのは結構堪える。
自意識過剰だったかな?恥ずかしい。という気持ちと、じゃあこの症状はどうやって和らげたらいいんだ。実際苦しいんだぞ。という気持ちでいたたまれなくなる。
そして実際そういうことが多い。早めの診察を…とか医師の診断を…というアドバイスはインターネット上にあふれているが、それを真に受けるとバカを見る。
お互いの尿(未濾過)を飲み合う訓練ってのがあるはずなんだ
「俺の役目はお前らに糞尿を食わせて立派な蠅に仕立て上げることだ!
とか何とか強要しているはずなんだ
嫌いなことに対して、初めから周囲に「嫌い」と言っておけば、きっと物事は好転する気がする。少なくともこんな悪くはならなかっただろう。
自分はダメだ。自分の立場を考えてばかりいて、気が付くと今更「嫌い」と言い出せない雰囲気になってしまっている。
最初から「嫌い」を公言していた人は「○○が嫌いな○○さん」みたいな扱いで、自然と「嫌い」が遠ざかっていく。
なんだろう。臆面もなく嫌いなこと・嫌いなものを「嫌い」と言える人の強さは。羨ましさは。
彼らや彼女らは、嫌いなものを「嫌い」と言うのが最初から許されているように感じる。
一方、自分は、嫌いなものを「嫌い」と言うことが許されていないように感じる。
あれが嫌いだなんて、これが嫌だなんて。そんなのお前のわがままだ。そう言われているように感じる。
本当は嫌いなのに今さら「嫌い」と言い出せない。喉まで出かかる「嫌い」を必死で押さえ込んで生きてる。
この、仕事が、死ぬほど、嫌い、です。でも心理的に逃げ出せない。だってまだ任されて三ヶ月だから。
一日3ミスくらい失敗量産してるけど、これからもっと慣れてくるから。
同じこと何度も何度も何度も何度も聞くし、意味も無く従来のやり方を変えてしまうし、「分からない」と正直に言って嫌な顔をされるのが嫌で問い合わせや頼まれごとについ適当なことを言ってあとでクレームになりかねない状態になるし、絶対機嫌を損ねてはまずい相手の機嫌を損ねる(人違いするとか)ので、先輩が日々不機嫌になっているけど、仕方が無いから。
後釜が居ないし整う準備もないから。
辞めても他に職のアテもないから。カネだけは残業代とか含めてキッチリ出る職場だから。
嫌いなものを「嫌い」だということを知られないように、わざと何とか楽しんでるふりして生きてる。
すごく辛い。
"Come on"と言ったのが、両脇に強そうな家来たちを従えた旅人風のジジイだった場合
ベビーカーに冷たいから子供要らないし結婚もしないという考えもあるぞ低能
おまえみたいな低能が人様をバカ呼ばわりしちゃだめよ
お前低能なんだから
そういう作品の中に、ことごとく戦闘に特化した派手な能力ばかりが登場するとき
逆に、生活に則した能力とか、一見して役に立たなそうな能力、比較的地味な能力を考えたりする。
そして、そうやって考え出した地味な能力を物語の中に溶けこませて楽しむという妄想遊びをしている。
そんな自分が一番最初に考えた地味な能力は「筋肉痛を自分の意志で和らげる能力」というものだった。
そもそも、そういう地味な能力を考えて妄想遊びをするようになったのは中学生の時。
中学に入るまでは激しい運動をしたことがなかったのもあって、最初は本当にひどかった。
脚全体が激しい筋肉痛になってしまって”階段を降りる時”が一番痛かった記憶がある。
下の段に足を着く瞬間って、体重のほとんどすべてを片足にかけるわけだから、すごく痛い。
そっと足を着こうとしても、激しい痛みが脚全体を駆け巡るからタチが悪かった。
しかもその時期は足の皮もボロボロで、爪もほとんど剥げて無くなっていたので何重にも痛かった。
でも信じがたいことに、練習になるとアップ前後から徐々に痛みが引いていって
いざ本練が始まると嘘みたいに痛みを感じなくなくなるということがよく起こった。
めちゃくちゃ激しい運動をしているにもかかわらず、不思議とほとんど痛みを感じなくなった。
たまたまではなく、いつもそんな事が起こってたもんだから不思議でしょうがなかった。
そして、練習が終わってしばらくすると、ちゃんと痛みが戻っているのもまた不思議だった。
幸せの絶対条件?思い込みと幻想が幸せになれない理由かも - 能面ヅラ美
「あなたは自分が40歳になった時、結婚して子供がいるのと独身でいる事、どちらが幸せだと思う?」と問いかけていた。
その質問に対し女性タレントは、視聴者を意識しているのか少し遠慮がちに「うーん。でもやっぱり…結婚して子供がいる方が幸せかなぁと思いますね」と答えた。当時私もそう思い、ひとりでテレビに向かって頷いていた。
それに対し、茂木先生は「ほとんどの人がそう考えてしまうのだけど、本当は結婚していても独身でも、どちらも"幸せ"は同じなんですよ」と言った。「40歳の時に結婚して子供がいる方が幸せ」と思ってしまうのは脳の勝手な"思い込み"であり、本当はどちらも幸せに変わりはないのだと。
危ない!
これは、問いが誤っている。
正しい問いは、
「あなたは自分が40歳になった時、結婚して子供がいる幸せと、独身でいる幸せと、どちらの幸せを望む?」
だよ。
20代、30代は、独身のまま気ままに遊ぶのが楽しい。それが楽しければ楽しいほど、(結婚という)変化を先延ばしにしてしまう。
原液を飲んではダメなのですか?
なんか俺がゼンショーの経営者みたいな言い方されて不愉快なんだが。
というか、俺は主婦の小遣い稼ぎを否定なんてしてないんだが。
恐怖で逃げたけど、男女逆だったら逃げ出せなかったと思う。
かなりの年令になってまだ仲間同士でつるんでいる連中がいるが、
色々人には言えない秘密を共有しているのを知っているので、
牽制しあってるのか?
当時のお前らを知ってる俺達は、お前らの悪行は知っているわけだし、
たとえ生まれ変わっていたとしても信頼はしない。
「もしもし」
「あ、パパ、どう、イキそう?」
「うん。そろそろ限界かもしれない」
「まだ23時57分12秒よ。元日まではあと2分48秒あるわ」
「そんなに持たないよ。精子がここから出してくれってうめいているんだ」
「年に一度のチャンスなんだからもう少し頑張りなさい。ところで相手はどんな様子?」
「ものすごい感じてる。あえぎ声が聞こえるだろう?どんどんきつく締めてくるんだよ」
「だめだ、今は電話できる状態じゃない。こんなにデカいのは初めてだそうだ」
「そう。とにかく、粘るのよ。のこり2分を切ったわ。私が元日受精ベイビーになり損ねたことは覚えているわよね?あのとき、パパがあと1分遅く出していたら、私は晴れてメモリアルな女として生を受けたはずなのに。私の悔しさがわかる?」
「ああ。あの時の無念は今でも忘れないよ。でもあの悔しさをバネにして俺は日々トレーニングを積んできたんだ。お前の弟か妹は、かならず元日、それも0時ちょうどに種がまかれた特別な人間にしてやるから。あっ、ごめん、もう、だめだ」
「あと54秒よ。粘って。大切な問題について考えるの。パパは憲法についてどう考えているのかしら?」
「ううん、そそれはむずかしい問題だよお。はあはあすごいすごいむずかしい。あっ、だめだいくっ」
「っちぇ、仕方がないわね、外に出しなさい。私の弟妹はまた持ち越しになるのね。口惜しいわ。来年、いや、もう元日はいいわ、そうね、今からで言うと、4月1日のエイプリルフール受精ベイビーなんてどうかしら。それもある意味メモリアルよね。あら、パパ、聞いてるの?」
その些細な手間が企業の数だけ、応募するバカの数だけ存在するわけで、それをなくせば社会全体、企業全体としての利益は大きい。
たいした手間ではない