『幻の大量破壊兵器』はいかに捏造されたか
イラクの脅威を誇張し続けたブッシュ政権の情報操作と戦争の大義を再検証する

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『幻の大量破壊兵器』はいかに捏造されたか
イラクの脅威を誇張し続けたブッシュ政権の情報操作と
戦争の大義を再検証する

『世界 2004年』5月号に掲載
ジャーナリスト 神保哲生

 2004年1月28日、イラクの大量破壊兵器の捜索活動を指揮していたCIAのデビッド・ケイ博士が、米上院軍事委員会の公聴会で「イラクに生物・化学兵器の大量備蓄は存在しない。私たちの見通しは誤っていた」と証言し、CIA特別顧問の職を辞した。
 時を同じくして、アメリカとともにイラクへの武力行使の中心的役割を果たしたイギリスでも、ブレア政権がイラクの大量破壊兵器の脅威を誇張したとするBBCの報道と、その報道の情報源となった国防総省の専門家の自殺をめぐり、国をひっくり返したような大騒動が起きていた。
今年に入って、アメリカやイギリスではイラクの大量破壊兵器問題が、俄然クローズアップされている。しかし、ブッシュ政権高官の言動や動向を観察してきたアメリカ・ウオッチャーたちの目には、この騒ぎは少々滑稽に映ったにちがいない。「今さら何を言ってるんだ、この人たちは。」そんな印象を禁じ得ないのだ。

 もし、戦争終結後のイラクで大量破壊兵器なるものが発見されたとすれば、それはアメリカの主張が正しかったからではなく、たまたまの偶然か、もしくは捏造されたものに違いない。アメリカ・ウオッチャーたちの支配的な味方だった。
 イラクが果たして本当に大量破壊兵器を保有していたかどうかという問いについては、まだ100%結論が出たわけではない。しかし、少なくとも一つはっきりしていることは、イラク攻撃の前にも、そして戦闘終結後にも、ブッシュ政権によって、イラクが大量破壊兵器を保有していることを裏付ける説得力のある証拠が一つとして提示されたことはなかった。そして、その代わりにブッシュ政権は、欺瞞に満ちた情報操作による「イラク脅威論」を喧伝し続け、残念ながらそれが世論に対して一定の成果をあげることとなった。


始めにイラク攻撃ありき
 2001年に1月に発足したブッシュ政権は、2001年9月11日の同時テロを、先代のブッシュ政権時から懸案だったイラクを叩く好機と捉え、素早く動いた。同時テロ発生の4日後の9月15日には既に、キャンプデービッドで開かれた緊急の安全保障会議で、ラムズフェルド国防長官やウォルフォウィッツ国務副長官が、イラク攻撃を大統領に進言している。まだアフガニスタン攻撃すら決っていない段階で、既に政権の中枢ではイラクへの軍事介入が話し合われていたのだ。
 しかし、とは言え、いくらなんでも、何の証拠もなくいきなり「おれは9・11で怒っているんだぞ」というだけの理由で、まったく関係のないイラクに攻撃を仕掛けるのは無理がある。そんなことは国際社会も容認しないだろうし、いざ軍事介入となればある程度の犠牲者を覚悟しなければならない以上、アメリカの世論もこれを許すはずはなかった。
 また、ブッシュ政権内でも、穏健派を代表するパウエル国務長官が、イラク攻撃には強く反対していた。パウエル長官は、アメリカが9・11の報復対象にイラクを含めれば、せっかくテロとの戦いで足並みを揃えている国際社会の支持をアメリカは失うことになると、繰り返しブッシュ大統領に自制を進言していたことが、ボブ・ウッドワードの著書「Bush at War」の中で克明に紹介されている。
 そこでブッシュ政権は、国際社会を納得させるためにも、そしてパウエルら政権内の慎重論を押さえるためにも、イラク攻撃を正当化するための2つの口実を考え出した。一つはイラクが化学兵器などの大量破壊兵器の密かに保有し、核兵器の開発にも食指を伸ばしているということ。これが、中東地域のみならず、アメリカ本土にとっても脅威となっているというもの。
 そしてもう一つが、イラクがアルカイダを含む、国際テロリストのネットワークを支援しているとするということだった。もしもイラクが、貿易センタービルに突っ込んだあの憎きテロリストたちとつながっているとすれば、アメリカ国民も、そしてきっと国際社会も、イラクへの軍事介入を容認するに違いないと考えたわけだ。
 そして、それが決まった時、その口実を最もらしいものに見せるためのブッシュ政権による徹底した情報操作が始まった。

先代ブッシュ大統領と保育器の赤ん坊
 ところで、イラク脅威論をめぐる情報操作はジョージ・W・ブッシュ現大統領の父君の先代ブッシュ政権の時代にまで遡る。
 1990年10月10日ワシントンの連邦議会でトム・ラントス(民主党・カリフォルニア州)、ヘンリー・ハイド(共和党・イリノイ州)らの人権派有力議員らが主催する『下院人権議員集会』が開かれていた。
この集会の主人公は15歳のクウェート人少女だった。少女は、身元を明らかにすればクウェートに住む家族がイラクからの報復を受ける恐れがあるとの理由から、「ナイラ」という名前のみが明らかにされていた。そして、「命からがらクウェートから逃げてきた」とされたナイラは、イラク占領下のクウェートで彼女がボランティアで働いていた首都クウェートシティのアルアダン病院に武装したイラク兵が押し入ってきて、保育器の中にいた未熟児の赤ん坊を保育器から冷たい床の上に放り出して皆殺しにした、と涙ながらに証言した。
 このナイラ発言以降、先代ブッシュ政権の高官たちはサダム・フセインの残虐性を、そしてイラクのクウェート侵攻の違法性を批判する際に、必ずといっていいほどこのエピソードを繰り返し引き合いに出した。ブッシュ大統領自身、サダム・フセインを呼ぶ時に「ベビーキラー(赤ん坊殺し)」という表現を好んで使った。
 この「赤ん坊殺し」のエピソードが、アメリカの世論にどの程度の影響を及ぼしたかを具体的に推し量ることは難しい。しかし、湾岸戦争直後のブッシュ政権の支持率が89パーセントまで急上昇したのを見ても、ナイラ発言から3ヵ月後には多くのアメリカ人が、この戦争を「大義ある戦争」と受け止めていたことは容易に推察することができる。
 ところが実はこのナイラという少女は、とんだ食わせ物だった。ナイラの正体は当時のクウェートの駐米大使サウド・ナシール・アル・サバの娘で、ナイラはアルアダン病院とは縁もゆかりもなかった。しかも、この日のナイラの証言は、クウェート政府が反イラク世論を盛り上げるためにコンサルティング契約を結んでいたアメリカのPR会社『ヒル・アンド・ノウルトン』のローリー・フィッツペガド副社長が、直々に指導した名演技だった。そして更に問題なのは、この証言の内容が恐らく、と言うよりもほぼ間違いなく、「真っ赤な嘘」だったのだ。
 湾岸戦争終結後、世界中のマスメディアがこの証言の真偽を確認するために、取材に走った。ところが、あらゆる病院関係者に取材を試みてみても、イラク軍が保育器を持ち去るところを目撃した者は誰一人として見つからなかった。また、取材の結果、当時のクウェートには全土でも数えるほどしか保育器というものは存在しなかったことも明らかになった。クウェートにはナイラの証言したような「何百もの保育器」など、最初から存在するはずがなかったのだ。
 湾岸戦争では、他にも、例えばあの戦争の象徴の一つとなった「油まみれの鳥」が、当時はフセインが自ら油田を破壊したために起きた悲劇だとして、フセインの凶暴性や悪徳性の証の一つとして広く報じられたが、後になって実はあの油は、アメリカ軍の爆撃で流出したものだった可能性が高いことも指摘されている。
 他にも、国防総省が得意気に映像を公表していた精密誘導弾によるピンポイント爆撃も、実際に使われた精密誘導弾は全体のせいぜい1割程度で、残りは相当の誤差を伴う通常爆撃だったことが、後に明らかになっている。
 これらのケースはいずれも、当事者たちにはそれなりの言い分があるのかもしれない。しかし、こうして全体を眺めてみたとき、世界中がアメリカの見事なまでに巧みな情報操作にまんまと乗せられていたことだけは、どう見ても否定できそうにない。
 これらのエピソードは、いずれももう10年以上前の話になるが、イラクの脅威を誇張することで戦争に対する国内外の世論の支持を取り付けるブッシュ政権のこの体質は、8年間のクリントン政権を経て登場した長男ジョージ・W・ブッシュの政権にも確実に引き継がれていた。

幻の大量破壊兵器
 湾岸戦争でアメリカが主導する「多国籍軍」の新型兵器の前に完膚無きまでに打ちのめされたサダム・フセインは、クウェートからも撤退し、その後IAEA(国際原子力機関)の武器査察チームも受け入れ始めていた。一旦はイラクの大量破壊兵器の脅威は収束しつつあるかに見えた。
 ところが1995年、イラクの大量破壊兵器開発プログラムの最高責任者でサダム・フセインの長女の婿フセイン・カメルが、一族の内紛を機にヨルダンに亡命し、イラクが湾岸戦争後も大量破壊兵器やミサイルを隠し持っていたことを明らかにするという一大事件が起きた。
 カメルは国連やアメリカの関係者に対し、イラクがいまだに兵器の設計図などは保管していて、国連の査察が終わったら開発を再開することを目論んでいたことを証言した。
 ブッシュ政権の高官たちは、この時のカメルの証言を、イラクが大量破壊兵器を保有している根拠として繰り返し引き合いに出し、その主張はイラク攻撃まで続いた。
 ところが、実はカメルはもう一つとびきり重要な情報も提供していた。それは、イラクが湾岸戦争後に、自らの指示でVXガスや炭疽菌を含むすべての化学兵器とそれを飛ばすためのミサイルを廃棄していたことだった。
 ブッシュ政権の高官たちはカメル証言のうち、過去に大量破壊兵器を開発していたという部分と、未だにその設計図などが残っているという部分だけは最大限に利用しておきながら、武器が既に全て廃棄されているという証言部分には、誰一人として触れようとしなかった。
 コリン・パウエル国務長官はイラク攻撃を目前に控えた2003年2月5日の国連安全保障理事会演説で、「イラクが4トンの神経ガスVXを製造していたことを認めるまで、4年かかっている。それも、フセイン・カメルの亡命によって、査察団の手にその証拠資料がもたらされたために、やむを得ず白状したものだった」と発言し、あたかもカメルの証言がその後に及んでもイラクが大量破壊兵器を保有している証拠として、今なお有効であるかのような主張を展開している。
 2003年に入って、ニューズウイークやワシントンポストに、ブッシュ政権が恣意的にカメル証言を利用している可能性を指摘する記事が掲載されると、ブッシュ政権の高官たちは、カメルの証言には不確かな部分も多く、そもそも亡命者の証言を丸ごと信じるわけにはいかないと釈明し始めた。しかし、自分たちに都合のいい点についてはカメルの証言を最大限に評価しておきながら、都合の悪いことになると突然カメル証言の信頼性が問題になるあたりは、どう考えても恣意的な情報操作の誹りは免れないだろう。
 イラクの大量破壊兵器については、ブッシュ政権はカメル証言の他にも、多くのあからさまな情報操作を行っている。
 例えば、2002年9月7日 ブッシュ大統領はブレア首相との会談後演説の中で、「1998年のIAEAの報告書には、イラクがあと6カ月で核兵器の開発に成功するところまできていたことが明らかにされている。これ以上どんな証拠が必要だというのだ」と語り、イラクを攻撃すべき証拠は既に揃っているとの考えを強調した。
 ところがブッシュ大統領が、この演説の中で言及したような報告書というものは、実際にはこの世には存在しない。これに最も近いものとして、1998年にIAEAが発表した報告書が一冊だけあるが、その報告書には「今日に至るまでに入手した信頼すべきすべての情報から判断して、IAEAではイラクが核兵器製造に成功したことも、あるいは兵器への転用が可能な核物質の製造に物理的に成功したことも、あるいはそのような物質を秘密裏に入手することに成功したことも、何一つとして裏付けられていない」と、むしろ大統領の主張とは正反対の結論が導き出されている。
 また、2002年9月12日にブッシュ大統領は国連演説の中で、イラクが何千本もの強化アルミニウムのチューブを購入したことを指摘しながら、このアルミチューブが「核兵器用のウランの濃縮に使われるもの」と断定的に語った上で、これをフセイン政権が依然として核兵器に食指を伸ばしている証拠であると主張している。
 しかし、このアルミチューブは幅が81ミリと細く、実際にはウラン濃縮には使えない代物だった。IAEAはかなり早い段階でこのチューブはウランの濃縮には不向きであるとの結論に達していた。IAEAはまた、そのチューブが、イラクが従来型ロケット砲を製造するために以前から使用していたものと、まったく同じ型のものであることも、報告していた。
 ところが、ブッシュ大統領の他、ディック・チェイニー副大統領やコンドリーザ・ライス国家安全保障担当大統領補佐官までが口を揃えて、そのチューブは核兵器のためのものだと主張し続けた。ライス補佐官にいたっては、「核開発以外に使い道のないチューブ」とまで言い切っている。
 このアルミチューブについては、イラク攻撃が始まる直前の2003年2月のパウエル国務長官の国連安保理演説でも、イラクの核兵器開発の証拠としてあげられ、一部の専門家たちの失笑を買っている。IAEAの対イラク査察団の代表を務めたこともある元アメリカ海兵隊の情報部員スコット・リッターは、「国際社会を納得させるためには、パウエルはあのスピーチでホームランが必要だった。ところがパウエルのスピーチはバントだった」と、パウエルのこのスピーチを一蹴した。
 更に付け加えれば、2002年10月7日、ブッシュ大統領はテレビ演説で、「1998年、亡命したイラクの核技術者からの情報で、サダム・フセインが約束に反して、イラクの核開発プログラムの継続を命令していたことが明らかになった」と述べている。ところがこの情報をもたらした亡命者ハディル・ハムザは、実は1991年にはすでに核開発プログラムからは離れ、しかも1995年にはイラクから亡命していた人物だった。つまり、核開発に関しても1991年以前の情報しか持たず、7年以上も前にイラクを後にしている亡命者の証言を引き合いに出しながら、2002年になっても、あたかもそれがイラクの大量破壊兵器保有を裏付ける有効な情報であるかのように、大統領は国民に訴えかけていたのだった。
 ブッシュ大統領については他にも、2003年の一般教書演説の中で、イラクがアフリカのニジェールから、500トンのウランの購入を試みたことを示す証拠書類を引用し、イラクが核開発の野望を捨てていないことの証左であると主張したが、後にCIAが既に2001年の時点で、その書類が明らかなニセモノであると思われることを大統領に報告していたことが明らかになっている。

イラクとアルカイダ
 国際的にテロ活動を展開するアルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンは、イスラム教の中でも原理主義的で信心深いワッハーブ派に属し、世俗的なサダム・フセインの体制を批判してきた経緯がある。そのため、9・11のテロのはるか以前から専門家の間では、アルカイダとイラクの間につながりはないというのが、定説であり常識でもあった。
 しかし、ブッシュ政権としてはイラク攻撃の2つの口実のうち、大量破壊兵器の方でなかなか説得力のある証拠が提示できない状態が続いていたため、イラクとアルカイダのつながりを裏付ける情報だけは、なんとしてでも欲しかった。
 そんな時、意外なところから意外な情報がもたらされた。9・11のテロの実行犯の一人だったモハメド・アタが、2001年4月8日から11日の間、チェコのプラハでイラクの情報機関の高官と接触したらしいという情報が、チェコの内務省から届けられたのだった。
 何とかイラク攻撃の口実を見つけたかったブッシュ政権の高官たちにとっては、これぞ渡りに船だったに違いない。その後、この「プラハのアタ」の物語は、いやというほど繰り返しブッシュ政権高官の口にのぼることになる。
 しかし実際には、この情報の信憑性は2001年12月の時点で、既に大きく揺らいでいた。そのイラク政府高官とされる人物は、実際にはアーメド・カリ・イブラヒム・サミル・アル・アニという名のプラハのイラク大使館の二等書記官だったが、実はアル・アニは大使館で働く片手間に自動車の小売業も営んでいて、ドイツ人の中古車販売業者と頻繁に会っていた。そして、そのドイツの中古車販売業者の中の一人が、テロ実行犯のモハメド・アタに瓜二つの顔をしていたのだ。
 アメリカ政府の調べで、アルアニ自身がアタとの接触を否定していることが、既に2002年の12月12日にはニューヨークタイムズによって報道されていた。また、そもそも、アタがこの時期にプラハでアルアニと会うことが不可能であることを、ブッシュ政権は知っていて当然だった。なぜならば、その時期のアタにはアリバイがあったからだ。FBIは2002年4月の時点で既に、アタがアル・アニと会っていたとされる 4月の上旬、実際にはアメリカのバージニア州のバージニアビーチにいたことを掴んでいた。
その後、チェコ当局も独自の調査を進めた結果、2002年10月21日に「当初の報告を裏付ける証拠はどこにもないとの結論に達した」ことを、ハベル大統領が直々にホワイトハウスに伝えている。
 ところが、ブッシュ政権の高官たちは、その情報が確認もされないうちから、その噂を方々でまき散らし始めた。
 例えば、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官は2002年2月のサンフランシスコ・クロニクル紙のインタビューの中で、このように語っている。

記者「イラクとアルカイダ、及びその国際的なテロのネットワークの関連を示す説得力のある証拠というものはあるのですか」
ウォルフォウィッツ「機密扱いの情報も多いので、多くを議論することはできないんです。」
記者「機密情報の開示を要求しているわけではありません。ただ、イラク政府とアルカイダの間に実際のつながりはあることを示す証拠があるのかを知りたいのです」
ウォルフォウィッツ「私はつながりがあるとは言っていませんよ。ただ、まだ明らかにしていない事実もいくつかあります。たとえば、モハメド・アタがプラハでイラク政府の高官と会っていたという話です。」
記者「その会談の存在は不確かなものということではないのですか。」
ウォルフォウィッツ「そこがまた機密の領域に入ってしまうんですよ。」

 イラク攻撃強硬論者の筆頭格だったウォルフォウィッツは、断定は避けつつも、機密をという盾を巧みに使いながら、アタがイラク政府と関わりがあったことを匂わせることに成功している。普通の人の感覚でここでのウォルフォウィッツの発言を聞けば、アメリカ政府は既にアタがイラクと関わりがあることの確たる証拠は掴んでいるが、たまたまそれが機密扱いとなっているために、明快には回答ができなくて残念でならない、と受け止めるに違いない。
 ウォルフォウィッツは、この情報が機密扱いとなっていることが、これを断定的に話せない唯一の理由であるかのように振舞うことで、実は非常に不確かな情報に、目に見えない説得力を持たせることに成功している。うまいと言えばうまい、せこいと言えばせこいやり方である。
 「プラハのアタ」については、その後もブッシュ政権の高官の発言は続いた。2002年の4月にFBIがアタのアリバイを確認した後になっても、例えば、2002年7月にラムズフェルド国防長官は記者会見で、「イラクはアルカイダと関係があった」と言い張り続けている。チェイニー副大統領が、テレビのインタビューの中で、「何年にもわたってイラクとアルカイダの間にさまざまな接触があったことは報告されていた。ハイジャックの実行犯だったモハメド・アタは何度かプラハを訪れているが、少なくともそのうちの一回は、世界貿易センタービルが攻撃される数カ月前に、アタがプラハでイラク政府の高官と会っていたことが報告されている」と語ったのは、2002年9月8日のことだった。
 イラクとアルカイダを無理矢理結びつけようとするブッシュ政権の情報操作はその後も続いた。
チェイニー副大統領は2004年1月にラジオのインタビューの中で、サダム・フセインとアルカイダの間には「明確な関係の証拠」があると断定した上で、イラクが1993年の世界貿易センタービル爆破事件の容疑者アブドゥル・ラハマン・ヤシンを匿っていることを、その証拠の一つとしてあげた。ヤシンがその時イラク国内にとどまっていたのは事実だが、ここでチェイニーが意図的に明らかにしなかった事実がもう一つある。それは、1998年にイラクがアメリカに対して、ヤシンの身柄引き渡しを打診していたという事実だった。イラク政府はヤシンの引き渡しと引き換えに、イラクが世界貿易センタービルの爆破事件とは無関係であることを公然と認めるよう求めたが、当時のクリントン政権がこれを拒否したために、ヤシンの身柄引き渡しは実現しなかったのだった。前政権下での話とは言え、半分はアメリカ側の都合で身柄の引き渡しが実現していなかったにもかかわらず、チェイニーはそれを知りながら世の中には堂々と、これをイラクとアルカイダのつながりを示す証拠として提示していたのだった。

誤植までコピペされていた英の剽窃リポート
 2003年2月、イギリス政府は『イラク―その隠蔽と欺瞞と威嚇の基盤』と題するイラクとアルカイダのリンクを指摘する調査報告を発表しているが、この報告書のインチキぶりもまた、ブッシュ政権の一連の対イラク情報操作を凌ぐほど欺瞞に満ちたものだった。
 この報告書はイギリス政府が作成したもので、ブッシュ政権は報告書の中身には直接関わっていないが、後にパウエル国務長官を始めとするブッシュ政権の高官たちが、繰り返しこの報告書をイラクとアルカイダを結びつける根拠の一つとして引用しているので、ことの顛末を簡単にご紹介したい。
 この報告書は当初イギリスの情報機関MI6の諜報員がまとめたものとして公表されたが、後になって、実際はブレア首相の側近として知られるアリステア・キャンベル報道官のスタッフが作成したものであることが明らかになった。そして、この報告書の「でたらめさ」のすごいところは、なんと報告書の中身の9割方が、他の論文からの丸写しだったことだった。
 この報告書は過去に学会誌などに掲載された複数の論文の中から、自分たちの主張の裏づけに使える部分だけを適当にコピペ(コピー&ペースト)し、最後の結論部分、つまりイラクが国際的テロを支援しているという結論だけを自ら書き足すという、何ともあきれた作業の産物だった。あきれついでに付け足しておくと、原文にあったスペルのミスまでが、そのまま報告書にも移植されていた。まさに文字通りのコピペ作業だった。
 この論文の大半は、カリフォルニアに住む研究者イブラヒム・アル・マラシ氏が博士論文として書いた『イラクの安全保障と情報のネットワーク―ガイドと分析』と題する論文から、無断でコピーされたものだった。
 分量的には9割方がコピペだったが、それでも中で使われている単語のいくつかは、興味深い別の単語と差し替えられていた。例えば、オリジナルの論文では「大使館を通じてモニターする」と表現されていた部分が、報告書では「諜報活動」に変えられていたり、「反対勢力」は「テロリスト」という単語に差し替えられていた。そこからは、この報告書の本来の意図が垣間見える。
 それにしても、いくら急いでいたにしても、また、いかに最終的に到達すべき結論が予め決められていたにしても、報告書の9割方を他人様の、それも既に公に発表された論文からそのまま拝借し、自分たち都合のいい結論だけをつけ変えてしまうスタッフの神経も見上げたものだが、そのような報告書を政府の公式文書として公表してしまうブレア政権にチェック体制も、相当なものである。ブッシュ同様ブレアも、かなり焦っていたのかもしれない。
 このように、この報告書そのものはまともに取り合うのも馬鹿馬鹿しいような代物だったわけだが、ブッシュ政権の高官達はその報告書の内容を、その後も繰り返し引用し続けているというから、更に驚きである。
 パウエル長官は、2003年3月の国連安保理の演説でこのコピペ報告書について「イギリス政府が、イラクの欺瞞行為を詳細にわたり検証している素晴らしい報告書を配布しています。皆さんぜひこれをご覧下さい」と語り、これに最上級の賛辞を送るとともに、イラクとアルカイダのリンクを示す有力な証拠の一つとして、全世界に向けて紹介している。

「説明責任」を逃れても「結果責任」は最後までついてくる
 こうしてブッシュ政権の情報操作を一連の流れとして見ていくと、何だか笑い話かドタバタ喜劇でも見せられているような気さえしてくるが、しかし笑ってばかりもいられない。くれぐれも忘れないで頂きたいのは、このように一見杜撰な情報操作でも、それが世論形成に対してはかなりの影響力を発揮しているという、冷徹な現実である。その結果、実際に武力行使が行われ、多くの血が流れ、そして一つの政権が倒され、今イラクがアメリカが主導する軍隊の占領下にある。
 また、そのようないい加減な情報操作になぜメディアはいとも簡単に踊らされ、結果的にそれに加担することになったかも、今後厳しい検証を必要とするだろう。
 更に、この戦争の大義が、遅ればせながら1年たった今になってようやくアメリカやイギリスでは問題となっているのに対し、日本では「戦争の大義」問題が一向に盛り上がらないのはなぜかも、考えてみる必要がありそうだ。
 今日本は、その戦争の延長にある米軍占領下のイラクに、自国の軍隊を派遣している。ブッシュ政権のレトリック政治に習って小泉政権はこの派兵を「非戦闘地域」への「人道復興支援」などという新しい造語を巧みに使って、つまり情報操作によって説明責任をうまく切り抜けようとしている。そして、その操作は少なくともここまでは、功を奏しているかに見える。
 しかし、ブッシュ政権の例を見てもわかるように、メディア操作の最大の問題点は、よしんば一時的にそれがうまくいったとしても、所詮はそれが嘘や欺瞞に過ぎないことだ。そして、嘘によって仮に「説明責任」をごまかすことができたとしても、後により重い「結果責任」がのしかかってくることは避けられない。
欺瞞で説明責任からは逃れられても、結果責任からは逃れられないことを指し示す一つの好例がある。パウエル長官は2003年2月の国連演説で、イラク北部にある建物の衛星写真を指し示しながら、この施設がイスラム教テロリスト集団「アンサール・アル・イスラム」の「化学兵器及び毒ガス工場」として使われていると主張した。しかし、その建物は後に国連の査察官や各国の報道機関が調査・検証した結果、単なる廃墟に過ぎなかった。
 世界はまたしてもまんまと騙された、だけのことだったのかもしれない。しかし、ただ騙されたでは済まない人たちがいた。
 その廃墟から5キロほど離れたクーマルという街の住民たちは、パウエルが国連演説でその施設の場所を化学兵器の製造場所として名指しにしたために、いったん戦争が始まると彼らの村がアメリカ軍に爆撃されることになるのではないかと恐れていた。そして、その恐れは現実のものとなった。
 恐らく化学兵器とは縁も所縁もなかったクーマルは、戦闘開始直後にアメリカ軍の巡航ミサイルの爆撃を受け、45人の村人が犠牲になった。「情報操作」という名の「嘘」が招いた重い結果だった。
(世界2004年5月号に掲載)

June 15, 2004



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