「ハンセン病患者 旧海軍虐殺 日本占領下ナウル」という記事に関連して
12月7日付、西日本新聞記事で知ったのだが、「太平洋戦争中に日本が占領した南太平洋の環礁ナウルで1943年7月、旧日本海軍の警備隊が現地のハンセン病患者三十九人をボートで海上に連れ出し、砲撃や銃撃を加え虐殺していた事件の詳細な実態が六日、オーストラリア国立文書館に所蔵されているBC級戦犯法廷の裁判記録などから明らかになった」ということだ。
その頃、このナウルの隣の島(オーシャン島)でも、旧海軍により島民の虐殺が行われていた事実がある。現地はリン鉱石の宝庫で資源獲得とも関係があったのだ。
この辺の事情は、私が現職時代に論文として発表している。徳島達朗「アボリショニズム研究:太平洋戦争とオーシャン島のリン鉱石」 (A Study of Abolitionism: Phosphate in Ocean Island during World War 2)(2002年11月発行 九州産業大学「エコノミクス」第7巻第2号)。
「日本海軍の島民虐殺に関して、最近視野に入ったWebがある。ナウル、オーシャン島のリン鉱石採掘、第二次世界大戦と島民の虐殺の情報が展開されている(http://www.janeresture.com)。/*しかもこのWebを展開している人(Dame Jane Resture, Ph.D.)の伯父は、(中略)島民虐殺の唯一の生存者カブナレと並んで後ろ手に縛られ崖の上で撃ち殺された人である。死の直前、二人は言葉を交わしているのである。Jane Resture の了解を得たので以下翻訳紹介する。これはカブナレのパプア・ニューギニア・ラバウルでの戦争犯罪裁判での証言である(以下略)。」(上記論文75ページ)。
新聞によると「関東学院大の林博史教授(現代史)が、公文書館や戦争記念館で先月発見」したとのことである。この記事を読みながら、12月8日の開戦を思い起こしながら旧稿をここに持ち出した次第。
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