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使う事のなかったMMD杯のポスター
さて、良い機会なので健忘禄を兼ねてMMD杯の昔話でも記しておきます。
特に立ち上がりとなる第一回MMD杯については私個人でやっていたのもあり、あまり知られてない部分もあるかと思います。
ここでは主観的な見方での記述となる事を予めご了承ください。
■ MMD杯の成り立ち
話は2007年4月まで遡ります。
4月は丁度Ver2が出て、MMDでの動画表現の幅が広がった時期でもあります。アップされる動画数は日に日に増しており、『面白いんだけど他の人には見つけられてない動画』というのが増えてきました。
同時期、VOCALOIDも同じく、たくさんの楽曲が毎日のようにアップされ、いわゆる『埋もれ動画』が出てきていました。
VOCALOIDは、既に週刊・月刊・日刊のランキングがあり、網羅までいかずとも好みの作品を見つけるのに、それらの紹介動画を介してというのが多かったのではないでしょうか。
MMDでも母数が増えるとそうなってきます。
当時、SNS『にゃっぽん』にはMMDユーザーは数少なく、またSNSというのに慣れてない人も多かったのか、コミュニケーションはそう頻繁ではありませんでした。
MMDユーザーが多く見ていたのは、2ちゃんねるYouTube版にある『MikuMikuDance動画制作/鑑賞スレ』でした。
そこに一人のMMDユーザーが現れます。ハンドルは『Hanya』さん。
Hanyaさんは言いました。
『出来るだけ新作をメインに、より多くのMMD動画を紹介する為にランキングを作る』
と。
で、このHanyaさん。実際にどなただったのか、どういう方だったのかは今でも分かりません。
しかしこの方は律儀な人なのでしょう。スレに、どういった集計方法が良いのか等をスレ住人と共に創り上げたいというスタイルでした。
その時点でMMDユーザーが何人居たかは分かりません。ですが100人近くはROMを含めていたのではないか、と根拠もなく思っています。
それだけの人数になると意見もまばらで、全ての意見を取り込もうとすると無理が生じます。
それでも何とか、月刊MMDランキング4月号を仕上げ、アップします。
動画のコメ、スレを合わせて賛否両論でした。中にはランキング自体が必要ない、という方もいらっしゃいました。
そして5月などになると、当時はボカロ(初音ミク)しか使えなかったMMDとは別に、大きなジャンルとしてアイドルマスターがあります。
アイマスは結構初期の頃から動画イベントは盛況で、関連スレも賑やかなものでした。
「ああいう動画イベントみたいなの、MMDでもやれれば面白いかもね」
そんな声が上がります。
hanyaさんはMMD杯の企画をスレ内で立ち上げます。たたき台となる案をレスとして投下しました。
またしても意見は様々です。
それでも何とか枠を固めて開催告知動画をアップします。
初めてのMMDでの動画イベントという事で、「よーし、パパ作っちゃうぞ~」な人から、暖かく見守る人まで様々でした。
そこでまた、別な意見が出ます。
「そもそも、作品の優劣を決めていいものなの?」
的なものです。
(厳密なソースをご覧になりたい方は、確かvpvp wikiにログのリンクが残っていると思います)
「操作しやすい再生数やコメント数ではなく、比較的操作し難いマイリスト(※)で。外部サイトは信用担保ができない」
※当時はまだマイリスト操作はそう簡単に出来なかった…と思われ
という事で、マイリスト数に落ち着きつつあったものの、反対意見などもありました。
更に予選システムも当初からありましたが、予選の意味合いに疑問を持つ人もいました。
そんなこんなで意見のぶつかり合いがなされつつも、開催日時が迫ってきます。
スレが立ち上がった頃は、すげーすげー言いながら情報交換をしたりと2ちゃんねるにしては和気藹々な雰囲気でしたが、そんな流れもあり少々荒れました(カワイイもんでしたが)。
「なら、MMD”杯”をやめてMMD”祭”に変更します。純粋なタグロック祭りにします」
と変更になりました。
これがまた反対を食らいます。
最終的にはhanyaさんが根尽きました。
「ランキング制作も大変だし色々あるので、いっそMMD杯とランキングを引き継ぐ方を募集します」
私はハンドル・トリップを出して、引き継ぐ旨を伝えました。その後の引き継ぎ作業はメールを介して行います。
互いに信用を得る為にいくつかの雑談交じりの会話を行い、月刊ランキングとMMD杯を引き継ぎました。
とはいえ、具体的な引き継ぎは、MMD杯wikiのアカウントとロゴデータくらいです。
そんな中、スレに一つのアクセサリデータが投下されました。
お風呂で使う、介護用椅子。通称『スケベ椅子』
何故かスレで盛り上がり、そのアクセサリを使った動画イベント『第一回SKV杯』がなし崩し的に始まりました。
主催者無しのタグロックイベントです。
皆がこぞってSKV杯にネタ動画を投稿してきゃっきゃウフフしてる中、私は悔しい想いを抱きながらも引き継ぎと準備作業を行ったものです(笑)
(と言いながらも、リアルタイムで見つつゲラゲラ笑ってましたが)
栄えあるMMD動画イベントの第一弾目は『SKV杯』なのです。
ある意味、MMDらしいとも言えます。
MMD杯の方はhanyaさんの意図をくみ取りつつも、杯から祭への変更は取りやめました。これは既に参加を意識している人への配慮です。イベント参加をするに辺り、途中のレギュレーション変更は致命的です。
主催をするとなれば、少々強引でも「これでいく!」と示した方が分かりやすいからです。
もちろん、MMDユーザーの参加を強制させるような表現は可能な限り避けました。
また、ランキングの方も集計方法を変え、TOP1~3位と10万再生で除外にし、できるだけ新しめの動画、そして後からじんわり盛り上がってきた動画どちらも紹介できる方法へ変更、さらにピックアップなどで動画や技術、他イベントなどの紹介枠を設けました。
ランキングについては別な話なので、MMD杯の方へ戻しましょう。
既にその話になったのは6月も過ぎたあたり。既に時期も決まっていたので、当初の予定通りのスケジュールに合わせる為に準備を行います。
とはいえ、そう多くはありません。
・Wikiの整備
・マイリストの準備
・動画制作(予選開始告知・予選一覧・本選開始告知・本選一覧・閉会式)
・集計用データシート整備
くらいです。
動画制作も、当時のMMDはそう凝った事はできませんので、MMDの手軽さを活かしつつ編集でごまかしつつ、できるだけ負荷が掛からない範囲での動画制作です。
枠と準備さえできれば、後は時間が経つのを待つばかり。
とはいえ、初めてのイベント運営でもあり、また参加者も未知数でしたので、このまま投稿が無かったらどうしようかと思う日々でもありました。
当時はTwitterのような便利なツールもありませんでしたので、ニコニコや2ちゃんねる、ブログに記事を書くしか広報方法が思いつきません。
そして7月。
確かにランキング制作との平行作業は、結構なプライベート時間を使いました。それでもテンプレ化さえしてしまえば、編集データ等も使いまわしが効くので出来るだけ最初の段階で固めました。
MMD杯でも同様です。
丁度その頃、コテハンにはしてませんでしたが、Y.Hさん(ehehe.jp)もランキングや集計システムを構築していました。
私が引き継ぎ作業を行っている時と同時期です。
また、rankingloidさんがニコニコランキングメーカー(NRM)というソフトもリリースしてたので、これも利用させて貰う事に。
Y.Hさんにはデータの利用とMMD杯への協力を要請し、rankingloidさんには、当時やっていた日刊VOCALOIDランキングに広告を挿入して貰いつつ、NRMについてもサポートして頂けました。
有難い事に、お二人ともメールアドレスを当時は公開してたので、メールでのやりとりとなります。
またブログ『初音ミクみく』さんにも記事を書いて頂けるようにお願いしたりなど、まぁ出来得る限りの事はしたつもりです。
なので、第一回MMD杯は一人で行ったというのは、厳密には誤りで、Y.Hさんやrankingloidさんなどの協力を得て行えたというのが正確に近いです。
また、せっかくなので、という事で樋口さんやあにまささんを巻き込みました。
(その頃、ようやくSNSにも人が増え、樋口さんやあにまささんを拿捕するのに成功したので、メールだけでなくSNSのメッセージ機能も活用できました)
8月。本選です。
あっという間でした。ネットで盆を費やしたのは初めてだったかもしれない夏の出来事です。
そんな訳で、何とか無事にMMD杯も終わり、スレでもかねがね楽しんだっぽいレスが見受けられ、第2回へのモチベへと繋がります。
第一回閉会式で既に2回目告知のようなものを行ってますが、具体的な事は何も決めてませんでした。
ただ、一周年記念に合わせてお祭りやるのもいいかな、という軽い気持ちでしたし、2回目でコケたら、それはそれでいいかなという感じです。
とはいえさすがにY.Hさんの助けがあるとはいえ、その他部分を一人でやりつつランキングも平行で、という状況、更にはご飯を食べる為の仕事もやらなくてはならない……
個人的な理由だけでなくリスクヘッジの部分、私が体を壊した場合のバックアップ、さらに様々な意見の汲み取りと平均化、つまりは独善的にならないようなシステムの必要を感じたのです。
そこで複数人運営制、本来の意味での『委員会』制を構築する為の準備を、終わってからすぐさま取り掛かったものの、MMD Ver3の発表などでこれまた慌ただしいまま時間が過ぎ去っていく訳です。
■ MMD杯運営委員会
現在がどうなってるかはさておき、です。私はまったく知りませんし、恐らく現在の運営は大分様変わりしているかと思います。とにかく、当時のお話です。
複数人運営のメリットはいくつか挙げられます。
・作業分担並びに相互チェック
・情報取得の範囲拡大
・責任分担とリスクヘッジ
・独善性を薄める
という感じでしょうか。
ただ、実作業自体はそう凝った事さえしなければ大した事はありません。PCとツールがあれば一人でも何とかなります。
一番大きく頭を悩ませるのは、投稿参加者かつ視聴参加者となるMMDユーザーへの配慮の部分です。
お祭りなので楽しんで貰わないと意味はありません。
動画参加ではなく視聴のみの参加する方への配慮は、プライオリティが少し下げていたのは正直な所あります。
何より投稿者が楽しみながら動画を作れなければ見る方も楽しくないだろう、という持論がある為です。
また第一回の時、TOP3だけの表彰と部門賞だけでは物足りないと思い、私個人が勝手に表彰する枠を設けましたが、これを少しだけでも独善性を薄めてみようと考えました。
運営委員の協議による表彰枠と、そしてMMDユーザーではない第三者の選考による表彰枠です。
これが結果的にいいものかわるいものかは今でも分かりません。とにかく第二回は第一回の焼き直しではなく(もしその後も続くのであれば)、ほんの些細な部分でもいいから常に変化をするようなシステムもしくはイベント演出にしようとは考えてました。
結果、一番運営で時間が掛かったのは合議です。
第2回当時はIRCチャットを使って行っていました。
実作業をやりながらの平行ではありますが、ネットは便利だなぁと思います。
合議は以下の通りです。
・報告、連絡、各種相談、確認
・選考委員とのやりとりの報告
・テーマの選出
・イベントコンセプトと周囲(ネット)の反応、レギュレーション合議
・運営選考動画の選出
特に第2回の時はイベントコンセプトとレギュレーションにはかなり時間を掛けました。
一人の意見がそのまま通る訳ではなく、かならず多数決を取り、合議としてました。
合議するに辺り、「参加者だったどう考える?」というベースはかならず敷いていたつもりではあります。
また、Ver3以降はユーザーモデルが増え続けており、またジャンルの幅も広がりつつあったので、グレーゾーンの中、どうやってリスクヘッジを取っていくかなども話し合いました。
とにかく準備期間中、秋から冬にかけて延々とチャットで話合い、時間を掛けましたね。
イベントコンセプトは以前にもブログに書いた記憶がありますが……簡素に並べると
第1回:戦国
第2回:乱戦(マルチモデル化)
第3回:肉弾戦(多ジャンルへの侵攻)
第4回:異世界バトル(もうカオス)
だったような気がします。
ちなみにですが、MMD杯の大百科には英語のサブタイトルが第3回から付けられるように、との記述がありますが、あれは誤りです。厳密には最初からあります。
また一般企業の参加ですが、第3回にITMediaが会社所属の個人ではありますが、ITMediaさんの許可を得ての企業参加となりますので、こちらも厳密には第三回からとなります。
(第4回には企業参加ありませんが)
…ええと、何を書こうと思ったかすっぽ抜けましたw
まぁ過去の思い出話の一つとして。
第12回も継続中ですので、引き続き一視聴者として楽しんでおります。
ではまた何れ。
ああそうそう、1ぱんちらは、3f以内に収まるといい感じですよ。
さて、良い機会なので健忘禄を兼ねてMMD杯の昔話でも記しておきます。
特に立ち上がりとなる第一回MMD杯については私個人でやっていたのもあり、あまり知られてない部分もあるかと思います。
ここでは主観的な見方での記述となる事を予めご了承ください。
■ MMD杯の成り立ち
話は2007年4月まで遡ります。
4月は丁度Ver2が出て、MMDでの動画表現の幅が広がった時期でもあります。アップされる動画数は日に日に増しており、『面白いんだけど他の人には見つけられてない動画』というのが増えてきました。
同時期、VOCALOIDも同じく、たくさんの楽曲が毎日のようにアップされ、いわゆる『埋もれ動画』が出てきていました。
VOCALOIDは、既に週刊・月刊・日刊のランキングがあり、網羅までいかずとも好みの作品を見つけるのに、それらの紹介動画を介してというのが多かったのではないでしょうか。
MMDでも母数が増えるとそうなってきます。
当時、SNS『にゃっぽん』にはMMDユーザーは数少なく、またSNSというのに慣れてない人も多かったのか、コミュニケーションはそう頻繁ではありませんでした。
MMDユーザーが多く見ていたのは、2ちゃんねるYouTube版にある『MikuMikuDance動画制作/鑑賞スレ』でした。
そこに一人のMMDユーザーが現れます。ハンドルは『Hanya』さん。
Hanyaさんは言いました。
『出来るだけ新作をメインに、より多くのMMD動画を紹介する為にランキングを作る』
と。
で、このHanyaさん。実際にどなただったのか、どういう方だったのかは今でも分かりません。
しかしこの方は律儀な人なのでしょう。スレに、どういった集計方法が良いのか等をスレ住人と共に創り上げたいというスタイルでした。
その時点でMMDユーザーが何人居たかは分かりません。ですが100人近くはROMを含めていたのではないか、と根拠もなく思っています。
それだけの人数になると意見もまばらで、全ての意見を取り込もうとすると無理が生じます。
それでも何とか、月刊MMDランキング4月号を仕上げ、アップします。
動画のコメ、スレを合わせて賛否両論でした。中にはランキング自体が必要ない、という方もいらっしゃいました。
そして5月などになると、当時はボカロ(初音ミク)しか使えなかったMMDとは別に、大きなジャンルとしてアイドルマスターがあります。
アイマスは結構初期の頃から動画イベントは盛況で、関連スレも賑やかなものでした。
「ああいう動画イベントみたいなの、MMDでもやれれば面白いかもね」
そんな声が上がります。
hanyaさんはMMD杯の企画をスレ内で立ち上げます。たたき台となる案をレスとして投下しました。
またしても意見は様々です。
それでも何とか枠を固めて開催告知動画をアップします。
初めてのMMDでの動画イベントという事で、「よーし、パパ作っちゃうぞ~」な人から、暖かく見守る人まで様々でした。
そこでまた、別な意見が出ます。
「そもそも、作品の優劣を決めていいものなの?」
的なものです。
(厳密なソースをご覧になりたい方は、確かvpvp wikiにログのリンクが残っていると思います)
「操作しやすい再生数やコメント数ではなく、比較的操作し難いマイリスト(※)で。外部サイトは信用担保ができない」
※当時はまだマイリスト操作はそう簡単に出来なかった…と思われ
という事で、マイリスト数に落ち着きつつあったものの、反対意見などもありました。
更に予選システムも当初からありましたが、予選の意味合いに疑問を持つ人もいました。
そんなこんなで意見のぶつかり合いがなされつつも、開催日時が迫ってきます。
スレが立ち上がった頃は、すげーすげー言いながら情報交換をしたりと2ちゃんねるにしては和気藹々な雰囲気でしたが、そんな流れもあり少々荒れました(カワイイもんでしたが)。
「なら、MMD”杯”をやめてMMD”祭”に変更します。純粋なタグロック祭りにします」
と変更になりました。
これがまた反対を食らいます。
最終的にはhanyaさんが根尽きました。
「ランキング制作も大変だし色々あるので、いっそMMD杯とランキングを引き継ぐ方を募集します」
私はハンドル・トリップを出して、引き継ぐ旨を伝えました。その後の引き継ぎ作業はメールを介して行います。
互いに信用を得る為にいくつかの雑談交じりの会話を行い、月刊ランキングとMMD杯を引き継ぎました。
とはいえ、具体的な引き継ぎは、MMD杯wikiのアカウントとロゴデータくらいです。
そんな中、スレに一つのアクセサリデータが投下されました。
お風呂で使う、介護用椅子。通称『スケベ椅子』
何故かスレで盛り上がり、そのアクセサリを使った動画イベント『第一回SKV杯』がなし崩し的に始まりました。
主催者無しのタグロックイベントです。
皆がこぞってSKV杯にネタ動画を投稿してきゃっきゃウフフしてる中、私は悔しい想いを抱きながらも引き継ぎと準備作業を行ったものです(笑)
(と言いながらも、リアルタイムで見つつゲラゲラ笑ってましたが)
栄えあるMMD動画イベントの第一弾目は『SKV杯』なのです。
ある意味、MMDらしいとも言えます。
MMD杯の方はhanyaさんの意図をくみ取りつつも、杯から祭への変更は取りやめました。これは既に参加を意識している人への配慮です。イベント参加をするに辺り、途中のレギュレーション変更は致命的です。
主催をするとなれば、少々強引でも「これでいく!」と示した方が分かりやすいからです。
もちろん、MMDユーザーの参加を強制させるような表現は可能な限り避けました。
また、ランキングの方も集計方法を変え、TOP1~3位と10万再生で除外にし、できるだけ新しめの動画、そして後からじんわり盛り上がってきた動画どちらも紹介できる方法へ変更、さらにピックアップなどで動画や技術、他イベントなどの紹介枠を設けました。
ランキングについては別な話なので、MMD杯の方へ戻しましょう。
既にその話になったのは6月も過ぎたあたり。既に時期も決まっていたので、当初の予定通りのスケジュールに合わせる為に準備を行います。
とはいえ、そう多くはありません。
・Wikiの整備
・マイリストの準備
・動画制作(予選開始告知・予選一覧・本選開始告知・本選一覧・閉会式)
・集計用データシート整備
くらいです。
動画制作も、当時のMMDはそう凝った事はできませんので、MMDの手軽さを活かしつつ編集でごまかしつつ、できるだけ負荷が掛からない範囲での動画制作です。
枠と準備さえできれば、後は時間が経つのを待つばかり。
とはいえ、初めてのイベント運営でもあり、また参加者も未知数でしたので、このまま投稿が無かったらどうしようかと思う日々でもありました。
当時はTwitterのような便利なツールもありませんでしたので、ニコニコや2ちゃんねる、ブログに記事を書くしか広報方法が思いつきません。
そして7月。
確かにランキング制作との平行作業は、結構なプライベート時間を使いました。それでもテンプレ化さえしてしまえば、編集データ等も使いまわしが効くので出来るだけ最初の段階で固めました。
MMD杯でも同様です。
丁度その頃、コテハンにはしてませんでしたが、Y.Hさん(ehehe.jp)もランキングや集計システムを構築していました。
私が引き継ぎ作業を行っている時と同時期です。
また、rankingloidさんがニコニコランキングメーカー(NRM)というソフトもリリースしてたので、これも利用させて貰う事に。
Y.Hさんにはデータの利用とMMD杯への協力を要請し、rankingloidさんには、当時やっていた日刊VOCALOIDランキングに広告を挿入して貰いつつ、NRMについてもサポートして頂けました。
有難い事に、お二人ともメールアドレスを当時は公開してたので、メールでのやりとりとなります。
またブログ『初音ミクみく』さんにも記事を書いて頂けるようにお願いしたりなど、まぁ出来得る限りの事はしたつもりです。
なので、第一回MMD杯は一人で行ったというのは、厳密には誤りで、Y.Hさんやrankingloidさんなどの協力を得て行えたというのが正確に近いです。
また、せっかくなので、という事で樋口さんやあにまささんを巻き込みました。
(その頃、ようやくSNSにも人が増え、樋口さんやあにまささんを拿捕するのに成功したので、メールだけでなくSNSのメッセージ機能も活用できました)
8月。本選です。
あっという間でした。ネットで盆を費やしたのは初めてだったかもしれない夏の出来事です。
そんな訳で、何とか無事にMMD杯も終わり、スレでもかねがね楽しんだっぽいレスが見受けられ、第2回へのモチベへと繋がります。
第一回閉会式で既に2回目告知のようなものを行ってますが、具体的な事は何も決めてませんでした。
ただ、一周年記念に合わせてお祭りやるのもいいかな、という軽い気持ちでしたし、2回目でコケたら、それはそれでいいかなという感じです。
とはいえさすがにY.Hさんの助けがあるとはいえ、その他部分を一人でやりつつランキングも平行で、という状況、更にはご飯を食べる為の仕事もやらなくてはならない……
個人的な理由だけでなくリスクヘッジの部分、私が体を壊した場合のバックアップ、さらに様々な意見の汲み取りと平均化、つまりは独善的にならないようなシステムの必要を感じたのです。
そこで複数人運営制、本来の意味での『委員会』制を構築する為の準備を、終わってからすぐさま取り掛かったものの、MMD Ver3の発表などでこれまた慌ただしいまま時間が過ぎ去っていく訳です。
■ MMD杯運営委員会
現在がどうなってるかはさておき、です。私はまったく知りませんし、恐らく現在の運営は大分様変わりしているかと思います。とにかく、当時のお話です。
複数人運営のメリットはいくつか挙げられます。
・作業分担並びに相互チェック
・情報取得の範囲拡大
・責任分担とリスクヘッジ
・独善性を薄める
という感じでしょうか。
ただ、実作業自体はそう凝った事さえしなければ大した事はありません。PCとツールがあれば一人でも何とかなります。
一番大きく頭を悩ませるのは、投稿参加者かつ視聴参加者となるMMDユーザーへの配慮の部分です。
お祭りなので楽しんで貰わないと意味はありません。
動画参加ではなく視聴のみの参加する方への配慮は、プライオリティが少し下げていたのは正直な所あります。
何より投稿者が楽しみながら動画を作れなければ見る方も楽しくないだろう、という持論がある為です。
また第一回の時、TOP3だけの表彰と部門賞だけでは物足りないと思い、私個人が勝手に表彰する枠を設けましたが、これを少しだけでも独善性を薄めてみようと考えました。
運営委員の協議による表彰枠と、そしてMMDユーザーではない第三者の選考による表彰枠です。
これが結果的にいいものかわるいものかは今でも分かりません。とにかく第二回は第一回の焼き直しではなく(もしその後も続くのであれば)、ほんの些細な部分でもいいから常に変化をするようなシステムもしくはイベント演出にしようとは考えてました。
結果、一番運営で時間が掛かったのは合議です。
第2回当時はIRCチャットを使って行っていました。
実作業をやりながらの平行ではありますが、ネットは便利だなぁと思います。
合議は以下の通りです。
・報告、連絡、各種相談、確認
・選考委員とのやりとりの報告
・テーマの選出
・イベントコンセプトと周囲(ネット)の反応、レギュレーション合議
・運営選考動画の選出
特に第2回の時はイベントコンセプトとレギュレーションにはかなり時間を掛けました。
一人の意見がそのまま通る訳ではなく、かならず多数決を取り、合議としてました。
合議するに辺り、「参加者だったどう考える?」というベースはかならず敷いていたつもりではあります。
また、Ver3以降はユーザーモデルが増え続けており、またジャンルの幅も広がりつつあったので、グレーゾーンの中、どうやってリスクヘッジを取っていくかなども話し合いました。
とにかく準備期間中、秋から冬にかけて延々とチャットで話合い、時間を掛けましたね。
イベントコンセプトは以前にもブログに書いた記憶がありますが……簡素に並べると
第1回:戦国
第2回:乱戦(マルチモデル化)
第3回:肉弾戦(多ジャンルへの侵攻)
第4回:異世界バトル(もうカオス)
だったような気がします。
ちなみにですが、MMD杯の大百科には英語のサブタイトルが第3回から付けられるように、との記述がありますが、あれは誤りです。厳密には最初からあります。
また一般企業の参加ですが、第3回にITMediaが会社所属の個人ではありますが、ITMediaさんの許可を得ての企業参加となりますので、こちらも厳密には第三回からとなります。
(第4回には企業参加ありませんが)
…ええと、何を書こうと思ったかすっぽ抜けましたw
まぁ過去の思い出話の一つとして。
第12回も継続中ですので、引き続き一視聴者として楽しんでおります。
ではまた何れ。
ああそうそう、1ぱんちらは、3f以内に収まるといい感じですよ。
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