「芦原英幸正伝」の販促と「大山倍達外伝 添野義二編」のPRですが!!

★驚愕の真実①
○○○…これだけの金をやる!! おまえが主張する首都圏の支部の見直しも実行する。だからまず金は○○○、これで芦原をやってこい!! キミ~、失敗は許さないよ。正(中村正)のような不始末はしちゃためたよ!!


「芦原英幸正伝」のなかで描いた「芦原英幸殺害計画」…。本書の中では極めて正確にことの詳細に触れています。
元北海道支部長・高木薫は私の独立後、「空手百科事典(大全)」の制作において大山倍達の代理として親しく関わった人物です。
分裂時、いち早く「遺族派」を立ち上げた切れ者でもありました。私が「松井派」を立てていくという宣言をしましたが、高木は羽田空港からわざわざ私に電話をくれました。
「いまは物別れでも、いつかまた一緒に仕事をしよう」
高木は常に数人の後輩を引き連れて、極真会館にあっては大山の生前から特殊なグループと見られていました。だから彼は首都圏を中心に大多数の支部長から敬遠され、また疎んじられていました。
しかし個人的打算は別にして、大山倍達にとって如何なる「要請」も「命令」も、たとえそれが反道徳行為であれ、違法行為であっても極めて従順に従うところはある意味、立派だと思っていました。北海道を弟子に任せ、自分は大山の秘書ならぬ雑用まで率先してひきうけていたした。
高木以外で大山の代わりに泥を被るのをよしとし、自らが刑務所に入ることで大山の罪を被った人間は、1980年から1990年前後、横溝玄像(当時、壮年部師範代。自らは同和解放組織の長でもありました)。
さて、芦原英幸を「殺す」目的で鉄砲玉として大山が選んだのは高木でした。横溝は過去10年以上を「塀の中」で過ごしているので、シャバに出てきたばかりの横溝には依頼し難かったというのが本音だったと私は見ています。
明らかに高木より横溝の方が安心(確実)ではあるけれど、高木には北海道札幌を仕切る広域暴力団とのコネクションもあり、2-3人の助っ人をつければ目的は叶うと…いま思うと大山は芦原を舐めていたのかもしれません。

「芦原英幸正伝」では、唯一書いてない部分があります。私なりの良心が書くのを躊躇わせたのです。しかしもう時効だしいいか!?
「芦原英幸正伝」PART2ではしっかりと大山が私に言ったことと、高木が言ったことを対比させながら明らかにするつもりです。

問題は…大山倍達は高木にいくらで芦原の首を取れといったのか?
ヒント…大山倍達は梶原一騎と黒崎健時の暗殺を添野義二に依頼した時、500万円を提示しました。それは1人が500なのか2人で500なのかを添野は大山に迫りました…
詳しくは
「大山倍達外伝」を購入して下さい。
また「芦原英幸正伝」を購入してくれた読者に限り、電話を頂ければ教えちゃいますが…ちゃんと「芦原英幸正伝」を買った証拠を確認させてもらいますよ。


★何!? 東京護国寺にある大山倍達の墓には「御骨」が納められていない!?


大山倍達死語の大分裂騒動のなか、大山の墓地の建立が急がれていました。智弥子未亡人は既に軽いアルツハイマーを発祥し、何年もの間、大山の御骨は東京大泉の自宅の中にしまいこまれていました。これは私の「大山倍達の遺言」のなかで詳しく触れています。智弥子未亡人は毎日、押し入れのなかで大山の御骨を抱いて寝ていたという証言が最近でてきました。

最終的に資金の潤沢な松井派と緑派(後の新極真会)が墓石建立の名乗りを上げました。結局、松井を嫌い緑を信じた智弥子未亡人が、正式に緑に一任。
こうして護国寺に立派な墓が作られたのです。

しかし…
「護国寺の墓には大山倍達総裁の御骨はない! ただの空でしかない」
添野義二は断言します。
ならば大山倍達の御骨はいったいどこで眠っているのだろうか?

「大山倍達外伝」では関係者の声だけでなく、信頼に足る資料も幾つか分析しつつ真実に迫っています。
大山倍達から松井章圭、緑健児、盧山初雄…更に遺族が残した資料から智弥子未亡人は大山の御骨をどこに埋葬する決心をしたのか?
あと数か月で明らかになるのです。
でも~「大山倍達正伝」「大山倍達の遺言」「芦原英幸正伝」の3冊を購入してくれた方々には先に真相を教えちゃいます。勿論、「大山倍達外伝」も買うという条件ですが


みなさんの連絡をお待ちしています♪