大震災、多くの犠牲者が出た。
教室も例外出なかった。
家族が巻き込まれた方が多かった。
何とも言い難い、辛さであった。
あれから3年が過ぎていく。
しばらくは教室にも非常食と寝具を用意した。
何かいつもと違う時の流れがあった。
生徒さんの個人的な相談と協力を仰ぐ要請も多かった。
できることは、なんでしたが健康を壊す生徒さんには、私は手助けできない。
妻に頼んだ。
あの時代、お免状のことなど考えられなかった。
これほど一生懸命、5年10年教えてきた人たちが、集団で止めた。
10人以上で親友の踊と剣道をやっている友は、すぐ叩き潰せと物騒なことをいう。
まとまって辞めたのは、違う引かれたという。
彼の世界ではしょっちゅうであるという。
私は、自分の病を盾にとり止めた生徒に、ショックのあまりいまだに記憶のシステムが回復していない。
こんなことを人ができるのか、割稽古から教えたのが、もう意欲もなくなりかけた。
目と鼻の先に住んでいて、お免状を送ってほしいと郵送料を添えてきた。
こんな失礼なことは茶道ではありえない。
いったい何を私は教えてきたのだろうと、また大きく胸が痛んだ。
家内はあの人たちは宇宙人という。
一時は教室も閉めるほど思いつめた。
彼れら彼女らは、神楽坂に来るから会うのだが、
一切、私は無視である。
メールも電話も着信拒否。
私は自分が重罪人になった錯覚に陥る。
着信拒否は迷惑メールが機械から滅茶苦茶にだされた時代のもの。
それを生の人間に使う現代は病んでいる。
いつかこの愚痴は言わないでは、おさまらないと思ってきた。
大震災は、いろいろな意味で我々人間に変動を与えた。
これからは、日本中に広がる放射能をどうするか。
他国とことを構えてる余裕はないはずだ。
そんなジェスチャーは、本来の使命をなおざりにしているとしか思えない。
50年、100年先を見据えた政治家の登場を期待する。
多くの心の傷を負った、人々を救うのが政治である。