課題である読書感想文の続き。
前半はこちら。
そんな後々に響く巧みな布石たっぷりの序盤で事件が起こる。文四郎の父が反逆の罪で死罪になる。これが話の鍵であり、メインだ。文四郎、ふくやその他はこの権力争いに否応なしに人生を振り回されることになり、その苦悩やはかなさなどが話のメイン、だと思っている。そこから人間の小ささや強さ、はかなさや偉大さ、醜さとか色々感じた気がした。
真相はいかにも人間らしい権力争いなのだけども、このときは世継ぎ問題に巻き込まれたらしいと言うだけで、真相は闇の中と言う感じになっている。まあ、わかってしまえば構図自体は単純明快で、藩の為と私欲を尽くす勢力とそれじゃいかんと言う勢力の2大争いだ。
そこに殿の求愛を受けたふくが入ってくるので、ちょっとだけ状況が厄介になる。これがなければ文四郎がその後戦力闘争に自ら挑むこともなかっただろう。巻き込まれるのは運命のようなものだったが。
父が罪となり、反逆者の汚名をかけられた文四郎は、そこから押し寄せるものから身を守るために剣の道をひた走る。もしかしたら逃避ともいえるものかもしれない。でも、人はそういうものが必ず必要だと思う。
至極比べれるようなものでもないが、大学生も同じようなものを感じている。押し寄せてくるものの正体は”自由”だ。
大学生になると自由な時間が大幅に増える。今までは学校にクラブに塾と言った具合にある種決められていた道がなくなるのだ。親元を離れる人も多い。自分が何かするのをとがめるものもいない。何でもできる。けど、それがこう思わせる。何かしなくてはならない。
大学生なのだから、将来、仕事につくに当たって優位になると思われる勉強なんかに勤しむのがベストだが、そんな悠長なことは言ってられない。受験で勉強に嫌悪感を覚えてしまった人間は、なかなかそれをぬぐえない。やれることなら何でもいいのだ。勉強でもバイトでもクラブでも、遊びでも。社会に出ると暇がなくなると教え込まれている僕らが、必死に遊ぼうとするのはその為じゃないかとも思う。
この時代、この立場、文四郎に遊ぶなんて道は1ミクロンもなく、元々剣の筋がいい彼が剣に没頭するのは必然のように感じる。
しかし、たまたまそれがあったわけではない。反逆の汚名は道場内でも付きまとう。彼がその居場所を確立できたのは、彼が努力を重ねて腕を上げ、誰もが納得しかできない腕前を手にしたからだ。道を開いたのは彼自身である。
何をするにも自分で居場所を作る必要がある。先ほどの大学生の例を持っても、勉強してるつもりでも成績が伸びなければその気も失せるだろうし、クラブにしても毎日の練習は必死。遊ぶにしてもそういう友達を確保しなければならないし、お金もつくらなきゃならない。そこには必ずすべき事が存在する。それをしなければ、居場所は自分のものにならない。結局、全てのものから逃げる事はできないのだ。
文四郎の剣の才にも恵まれていた事もあり、その実力は誰もが認めるものとなる。そして、恒例の道場同士の奉納試合があった。そこで、文四郎は自身の石栗道場のライバルである松川道場の天才、興津新之丞と対戦することとなる。
僕は何と言ってもこの対決のシーンが一番好きだ。そのパートだけ、3回、4回読み返した。息の詰まるような緊迫の中、剣が交わるたびに身の毛が逆立った。
子供心といえばそうかもしれないが、やはり剣の達人というのは憧れの姿だ。武力的な強さに憧れる。日常生活でそれを必要とする時代ではなくなったが、その傾向は男性誰にでもあるもんじゃないかと思う。これは僕だけかと思っていたのだが、思春期を迎える頃に男の子が「クラスに侵入してきた拳銃をもった不審者を自分が取り押さえる(浸入してくる人物は何でもいい)」という妄想を抱くのはこの傾向を受け継いでのことではないかと。ふむ、女の子は意味がわからないかもしれない。バカみたいだろ?でも、そうなんだ。
この試合。その様子はまるでこの目で見ているかのように感じられるほどだった。たまんない。この蝉しぐれは映画化もされたようだが、映像にしてしまうのはおしいと思うほどだ。
僅かな差でこの試合を制した文四郎は、道場主から不敗の秘剣、村雨を伝授される。この秘剣を手中にした文四郎は、少なくともこの物語最強の剣士となる。この強さにますます魅かれた。
前後色々あるもののやはり、ここに匹敵するほど興奮したのは最後のクライマックスのとこだ。一度は敗れた横山派の勢力(文四郎の父が加担した勢力)が盛り返し、危機感を感じた里村派が、再度つぶすべく打って出たのである。世を継ぐのに邪魔なふくの子をふくと共に葬ろうとたくらんだ。その時に利用しようとしたのが、文四郎である。
ふくの旧友であり、反逆者の息子で藩命に断れる立場でない事をバックに、文四郎に子を奪ってくるように命じた。文四郎もむろん、信用してはいないが、この場は引き受ける。
文四郎は親友、逸平、与之助と相談した結果、ふくの子を連れて横山氏の元に駆け寄ることにした。ここで一つ僕は、それが罠だなっと思っていたのだけど、筋違いになった。里村はそのことを読んでいて、横山派が子を奪ったように見せかけるつもりではないかと思っていたのだ。そうする事で、権力の大きさと振り払う事のむつかしさを示すのだろうなどと考えていたが、僕が考えるより文四郎は切れ者設定だった。と言うよりは里村が予想以上に安直だった。里村は文四郎の行動を確認することなく、屋敷の者とも全員を皆殺しにしようとした。むろん、文四郎をこの事件の首謀者とし、横山派の差し金と匂わせる用意があったようだが、ちとあまりにも強引じゃないか。まあ、秘剣村雨を受け継いだ文四郎の剣がなければ、十中八九上手く行く作戦だったのだろうが。
しかし、気になるのが文四郎が命を受けたときの里村の側近である稲垣の微笑だ。この微笑が僕にそれ以上の思惑がある事を確信させていたのだが、結局、この微笑が何を意味するのか僕にははっきりしない。この襲撃の事を指していたのだろうか。里村派の黒幕はコイツだろう、里村までも捨て駒に使うに違いないとまで考えていたのだけどな。
ろくな文を書かない僕が文章技法が云々は言うつもりはなかったのだけども、やはり目に付くのが、
――ふくは・・・・。
こういった表現である。縦書きでないのが残念だ。こういった形がときにくどいと思えるほどよく出てくる。もしかしたらよく見かける表現なのかもしれないが、入るのが出だしだけで、述語はすぐ後についてくるのが、意外というか。むろん、時には述語を出すこともあるのだが。
例えば、
――里村家老の話は・・・・・・。
でたらめだ、と文四郎は思っていた。
と言うフレーズがある。僕なら
――でたらめだ。
と文四郎は思った。
にしたと思う。安直に。前者の方が話しに引き込ませる感じがあるかなっと今しがた思ったが、どうだろう。独自の表現なのかはわからないが、僕には知らなければ思いつかない表現である。
さて、まとめに入ろうと思うが、これと言ってまとめるような事が思い浮かばない。色々云々書いたが僕は単純に物語として楽しんだ。そこに潜む社会的なことやテーゼやサブメッセージなんてものを受け取りながら読んでなんかいないし、読み取ろうとしたって読み取れない。あるのかさえわからない。だから、単純なところでまとめとしたいと思う。
非常に丁寧だと思う。読みやすいのだ。読者の力量を選らばず楽しめる。時代背景などの前提知識もそういらないし、しばらくぶりに出てきた登場人物なども軽く解説を入れてくれるので、こいつ誰だっけなんて読み替えずに済む。呆れないでいただきたい。僕はよく忘れるのです。
ちなみに、試験週間前後はうっとうしいほどの蝉しぐれが僕を包みます。それして今も耳鳴りのようにその声が響いています。
さてと、これをベースにどこまで変えようか・・・。僕はこんな文しか書けないので、好きな先生には面白がられるが、堅い先生にはふざけてると思われる。
今回はどちらかと言うと後者のほうだ。さてはて。いや、でも、かえるのメンドイかも。