濡れ衣(ぬれごろも)





     空を覆う、薄暗く厚い雲。湿気の充満した空気を仰いでいた赤丸の鼻の頭に、天井の雨雲から一滴の滴が、ぽつり、と落ちてきた。

    「ワンッ!」
    赤丸が吼える。
    「お、降ってきたか」
    赤丸の声を聞いたキバは、雨宿りに選んだ木陰から顔を出して、ぽつぽつと泣きだした雨空を見上げた。
    「ちょうどよかったな!」
    「……うむ」
    空に向けた頭を捻り、斜め後ろを振り向いて言えば、樹の幹に背を預けたシノも小さく頷く。
    今日は二人と一匹で修行場へやって来ていたのだが、空は朝から雨模様で、いつ降り出してもおかしくない天気だった。
    それでもギリギリまでは修行しようと曇天の下行っていたのだが、そろそろマズイなと誰ともなしに察し、
    修行場から少し森に入った場所にある木陰へと避難した矢先の、雨。
    さすがの感知タイプである。
    更に、この雨がそう長くは続かないことも皆知っていた。
    すぐに止むわけではないが、1時間後には青空が広がっているだろうという見解は全員一致している。
    だからこそ、帰宅せずに一時避難するという選択をしたのだった。
    「ま、暫く休憩ってこったな」
    キバが張り出した根に腰を下ろす。
    その足下に来て伏せた赤丸の首を撫でると、湿気に、ふわふわの白い毛が湿っているのが判った。
    「今日は湿度が高いな」
    まるでキバの頭を見透かしたように、シノが突然、ぽつりと言った。
    だが、見ればシノの意識はキバや赤丸の方ではなくて、自身の服にあるようだった。
    湿気のせいで厚手の服の中が蒸れるのか、高い襟を広げて中を覗いている。
    キバがちょっと鼻を利かせてみれば、シノの発汗が普段より多い事も判った。
    「厚着しすぎなんだよ、おめーは」
    そう言いながら根から下り、シノの前に立つキバ。
    幹にもたれているシノの服を掴むと、無遠慮に顔をくっつける。
    「……おい」
    「へへ……いつもよりお前の匂い強ぇからさ」
    キバの言葉に、シノが眉を寄せる。
    その顔にキバは微笑ったが、服は離さない。
    「蒸れてんなら、脱ぎゃいいじゃねーか」
    「こんなところで脱げるか」
    「誰も来ねーよ」
    「そんなことは判らん」
    「大丈夫だって。赤丸! 誰か来たら教えてくれよ!」
    そう言われた赤丸は、キバの頼みを一声で了解した。
    その応えを聞いたキバが、ほらな、とシノに向かって肩をすくめて見せる。
    「そういう問題ではない……」
    「じゃあ、どういう問題だよ」
    くっついた身体から腰回りに伸ばされてきた手を掴み、シノは益々眉間の皺を深めた。
    「やめろ」
    低い声で小さく拒絶の意を表したが、キバはにやりと口角を上げるとシノの抵抗を押し退けた。
    一歩踏み出し、シノの身体を樹の幹に押し付け、自身の身体をより密着させる。
    「おい、キバ、やめろ。こんなところで……無理だ」
    「………お前の匂い、堪んねぇ……。これで盛るなって方が無理だろ」
    「誰か来たら…」
    「だから、大丈夫だって。赤丸が教えてくれる」
    そう言われてシノが黒眼鏡の奥の視線を移すと、赤丸の視線とかち合った。
    「キバ……。赤丸が、見てる…」
    「問題ねぇよ。アイツは人には発情しねぇから」
    「そういう問題では…」
    「じゃあ、どういう問題だよ」
    シノの服をまさぐっていたキバが憮然とした顔を上げる。
    だが、すぐににやりと笑みを浮かべて、からかうようにシノに言ってきた。
    「赤丸に見られてっと、興奮するとか?」
    「―――――っ、」
    「はは、冗談。――――赤丸! ちょっと向こう向いてくれ!」
    睨み付けたシノに更に笑みを深めるキバ。だがすぐに赤丸を振り向き言うと、赤丸は何も言わず、明後日の方向へ視線を向けた。
    「これで問題ねぇだろ?」
    そう言って笑うキバに、シノは深く、溜め息を吐いた。




    「ちっ、それにしても脱がせ難ぃ服だな! ったく!」
    キバがシノの服の下に手を差し込み、行為を進めて暫し。
    最後の砦とばかりに厚手の服が侵入を阻み、どうもうまくいかず、キバの短気な性分は早くもピークに達していた。
    「おい、破くなよ」
    キバの乱暴な所作にシノが眉を寄せ、服を引き裂いてしまうのではないかと僅かに心配を見せる。
    そんなシノの様子に何か思いついたのか、キバはちょっと考えてから、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
    「あ〜……。お前次第だな」
    キバは無造作にシノの服をわし掴むと、グッと上に持ち上げて言った。
    「脱ぐか持つか。どっちがいい?」
    つまり、自分で脱ぐか、自分で押さえるか、という二択だ。
    シノは突き付けられた選択肢に、押し黙った。
    どちらも選択しなければ、おそらく力任せに破かれてしまう。それは困る。
    かといって、いくら赤丸という有能な見張りがいたとしても、こんな野外で裸にはなりたくない。
    と、なれば、選ぶべき道は唯一つ。
    シノは考えた末、キバが差し出している服の部分を持った。更に、余って垂れているところもたくし上げる。
    「…………」
    自ら行為を促すような格好になり、シノは僅かに羞恥した。
    だが、キバはそんなシノに気付くことなく、「よっしゃ」と気合いを入れると今度はズボンを下ろしにかかり、ついには下着も下ろしてしまう。
    露わになった脚と、性感の中心部が、じっとりとした空気に晒される。
    それだけで、シノの脈拍は上昇した。
    更に、撫ぜてくるキバの手や指に、性行為であると早々に認識したのか、身体がもぞもぞと落ち着かなくなっていくのを、シノは感じた。
    自然と呼吸の調子が変わり、緊張を伴いながらも力が抜けていき、羞恥と快楽が入り乱れながら相互に作用し合って、共に高まっていく。
    「…っ、………ぁ…!」
    キバの指に、中心部が熱を帯び始め、固くなっていく。
    更に巧みなキバの舌が犯し始めると、欲はあっという間に引き出された。
    「ぁ……ぁ…ぅ……、んんっ…っ……!」
    先走りが溢れ出し、それを絡めたキバの舌がクチュクチュと厭らしい音を立てる。
    その音が羞恥を煽り、益々欲望が溢れ出す。
    吐息が乱れ、全身が熱くなっていた。
    そして、波がやってくる。
    「ぁ…!」
    内側から唐突に押し寄せてきた波に戦く。
    「だ…ダメ、だっ!」
    押し寄せる波から逃れようと藻掻き、キバの手や舌を押さえようとするが、
    シノがイきそうなことを悟ったキバは止まるどころか、中心部への愛撫を更に速め、激しくしてくる。
    それに呼応するように波も加速し激しさを増し、シノは堪らず声を上げた。
    「やっ!キ…キバっ!!」
    「シノ、いいぜ」
    「んく…っ、あッ!」
    「ほら、もうちょい」
    「ぅ……あっ!あっ!あっっ――――!」
    迫り上がってきた急激な快楽の波に呑まれ、一気に達した。ドッと力が抜け、崩れ落ちそうになる。
    それを抱き止めたキバが、息も荒くビクビクと震えるシノをなだめるように、その頭や背中を撫でていった。
    キバに抱かれ、撫でられながら、乱れた呼吸と心拍を徐々に落ち着かせていくシノ。
    その耳に、「イクのだいぶ速かったなー。……やっぱ外だからか」などとぶつぶつ言っているキバの声がぼんやりと聞こえてきた。
    何か言い返そうかと思ったのだが、気怠さと、キバの腕の中の居心地の良さに負けて、黙っていた。
    しかし、暫くするとキバが再び動き出して、その心地良さからも離れなければならなくなった。
    キバはシノの吐き出した粘液を指に絡め取ると、シノの秘部へと擦りつけ、内部への侵入を試み始める。
    下部でもぞもぞと蠢くその指は、敏感になっているシノの性感を刺激し、折角落ち着いてきた呼吸を再び乱れさせていった。
    「ぁ……は…っ」
    幾度も粘液が擦り込まれ、徐々に解されていく入口。
    少しずつ侵食してくる侵入者に、抵抗力は萎えていき、もたらされる快感を待ち望むようになる。

    意識が――心が――蝕まれ――奪われていく――。

    「…キバ……」
    思わず、口から侵入者の名が零れ出た。
    自分を喰らう存在。
    自分を壊す存在。
    自分を犯し、陵辱し、滅茶苦茶にして、全てを奪っていく。
    そして、快感と悦楽を与え、安堵する場所となってくれる―――。

    愛しい 人

    「シノ…。後ろ、向け」
    キバの切羽詰まった声がする。
    言われるまま後ろを向き、幹に手をつこうとしたが、服を押さえていてできなかった。
    「キバ」
    どうすればいいと暗に問えば、キバはシノが左手に持っていた服を掴むとグイと更に上に上げて、シノの口元へと持ってきた。
    「銜えとけよ」
    「く、わ…」
    キバの提案にシノが絶句する。
    だが、他に良い方法も思いつかず、シノは耐えて、キバが差し出している自身の服の一部を口に銜えた。
    そして空いた左手を幹につけ、身体を支える。
    酷い恰好だと思った。
    まだ脱いだ方がマシだったかもしれないと、この期に及んで思う。
    しかし、もう、止めることはできなかった。
    自身も止まらなければ、何より、キバが止まらない。
    秘部をまさぐる指は数を増し、時に感じる彼の欲はあきらかに膨らんでいる。
    そろそろ抑制が利かなくなる頃だと、シノには判った。
    キバはいつもシノを大事に抱こうとしてくれるが、途中で抑えきれなくなるのもまたいつものこと。
    犬がだんだんと本能に目覚め、野性と化し、狼になるが如く、激しく乱暴になる。
    痛みが無いと言えば嘘になるし、強姦と言うならそうだろう。
    しかし。
    それでも――――。
    「――――ンッ!ンンッ…!!」
    絆され、抵抗力を失った入口から、侵入者が大胆に入り込んで来る。
    その衝撃に、シノは銜えた衣服を噛み締め、幹についた左手の爪を立てて倒れまいと必死に縋りついた。

    「―――っ、」
    一方、きつく締め上げられるキバの方も堪えるように歯を食いしばった。
    だがシノの腰を捕らえると、躊躇うことなく突き上げる。
    「んンンッ――――!!!」
    シノの悲痛な声が聞こえてくるが、止まれない。
    それどころかその声によって更に欲求は高められ、どうすることもできなくなる。
    「ンッ、ンッ、ンッ、ンンッ!」
    突き上げるたびに上がる声にならない喘ぎ。
    苦しいのかもしれない。痛いのかもしれない。けれどその音は、キバにとっては衝動を呼び起こすものでしかない。
    「ンふっ、ンッ!ンッ!ンンン―――――ッ!!」
    堪らない。
    もっと。
    もっと。

    もっと。

    「シノ――」
    思わず、口から零れ出た。
    自分の心も体も頭の中も全てを支配する、その人の名。
    「ンンッ!ンッ、ンッ!」
    「シノ…くっ、」
    「ンッ―――!ンッ―――!」
    「―――っ!」
    どんどんと高まっていく衝動に、キバは更に動きを激しくした。
    「ンンッ――!っ、あ…!」
    その拍子にシノの服を強く引っ張ってしまい、シノが銜えていた部分が口から外れてしまった。
    「キバ…!」
    落ちた服がだらりと垂れ下がる。
    けれど、もうそれを拾い上げる余裕はどちらにも無かった。
    波が押し寄せてくる。言いようのない衝動に理性が保てなくなり、ただただ互いを求めて快感に溺れていく。
    「あ…っ!あぅ……!」
    「―――は、」
    「あっ!アッ!キバ!やっ―――!!」
    「シノ―――!」
    「ダメ…!あッ!アァアア―――――!!!」
    「――――――っ、ぁ――!!」
    二人はほぼ同時に熱いものを放っていた。
    ドッ、と力が抜けていく。

    「…………ぁ……」
    はぁ…と、余韻に浸りながらシノは小さく息を吐いた。
    ドクドクと激しく打っていた心臓が、徐々に静まっていく。
    けれど、もう少し余韻を感じていたくて、シノは幹にしがみつきながらそっと目を閉じた。
    トクトクと鳴る心臓の音。火照った身体。キバが腰元を掴んでいる感触。背に触れるキバの胴。
    そして挿し込まれた、キバの一物。それが不意に引き抜かれて、シノは瞼を少し上げた。
    「シノ…?」
    キバが不安そうな、心配そうな表情で覗いていた。
    そっと伸ばした手でシノの頬を愛おしげに撫でる。
    「………大丈夫だ」
    シノはそう言うと、撫でてきたキバの手を振り払い、支えにしていた樹から身体を離した。
    撫でられるのが嫌なわけではない。寧ろ好きなのだが、どうも、キバの顔を見ると意地を張ってしまうのである。
    身体を起こすと同時に少し蹌踉めき、キバが支えようとしてくれたのだが、それも無碍に拒否してしまった。
    「かまうな。人の事より、お前も早くしまえ」
    下ろされたズボンを上げ、衣服を整え始めながら突っ慳貪に言う。
    するとキバは半分怒って半分情け無くなったような微妙な顔をして、しかし結局何も言わずにせっせとズボンのチャックを上げにかかった。
    シノは、大きく溜め息を吐いた。
    酷く疲れた。その上、途中で口から外してしまった上着に、自身の精液がべっとり付着しているのに気が付いて、疲労感が倍増した。
    多分唾液も付いてるんだろうなと考えると、もう溜め息を吐くしかなかった。
    もともと湿度のせいでじめじめとしていた衣服は、今では汗で肌に貼り付いている。
    気持ちが悪い。
    一刻も早く風呂に入ってさっぱりしたいと思った。
    「あ〜…あのさぁ…」
    キバがシノの機嫌を窺うような声で言った。
    振り返り見れば、シノに言われたようにしっかり身支度を整えたキバが、やはりシノの様子を窺うように見遣っていた。
    「何だ」
    「いや、あのな。その、なんだ…。これから、どうする?」
    「………俺は、帰って風呂に入りたい」
    「そ、そっか…」
    キバは心なしか安心したような顔をしたが、まだどこか不安げだ。
    「……何だ」
    「あ…いや…俺も、行っていいか…?」
    「俺の…家に…?」
    キバの言葉にシノは眉を寄せた。
    キバが頷く。
    そしてシノの側にやって来ると、すっと身体を密着させてシノの耳元で囁いた。
    「………まだし足りねぇんだ」
    密着した部分が再び息づき始めているのが、シノにも伝わってきて、一瞬、目眩に襲われた。
    キバは熱の籠もった眼差しでシノを見つめ、その下では絶対に逃すまいとシノの腕をぎっちりと掴んでいる。
    この勢いでは、断ればまたここで襲われかねない。
    
    それは―――。
    
    汚れてしまった衣を思い、それは嫌だなと、シノは思った。
    雨はもうほとんど上がっていて、遠くの空では雲が切れて陽が差し込み始めている。
    晴れ渡るのも時間の問題だ。
    その前には移動したいというシノの気持ちを汲んだかのように、お利口に伏せていた赤丸が、その体躯をのっそりと持ち上げ、
     尻尾をゆるりと振った。















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