17冊目「俺会議さん謝罪に行く」
「……なんじゃこりゃあ」
〈エルダー・テイル〉日本サーバ最大の戦闘系ギルド、〈D.D.D〉。
その選抜パーティとも言えるメンバー、通称「ざ・らいとすたっふ」の〈武闘家〉、俺会議ことセバスは、思わず独り言を呟いた。
彼の視線の先には、追加アイテム欄である〈ダザネックの魔法の鞄〉の中に表示されている、とあるアイテムがあった。
〈宝玉の羽根〉。
女性プレイヤーしか入手できないという、風変わりなキャンペーンアイテムだった。
〈エルダー・テイル〉は比較的MMPRPGとしては女性人口が多いとされるゲームだ。
だが、それにしたところで、男女比率はせいぜい7:3といったところ。
〈宝玉の羽根〉が配布されたキャンペーンクエスト〈宝玉の大翼姫〉は、その数少ない女性プレイヤーの掘り起こしと定着を図るために企画されたものだったらしい。
クレジットカード等を利用した課金システムに入力したプレイヤーの性別情報が女性であることが、クエスト〈宝玉の大翼姫〉の参加条件。
つまり、そのクエスト報酬〈宝玉の羽根〉は女性プレイヤーの象徴であり、間違ってもプレイヤー男、アバター男の俺会議が所持しているはずのないアイテムなのだ。
フレーバーテキストの末尾には、「I.S」と、獲得者のものと思われるイニシャルが刻まれている。
(何があった? 俺は男だろうが。ンなもんもっているはずが……)
(――いつから、おまえは自分が男だと錯覚していた?)
(なん……だと?)
(貴様……っ、木星帰りの性転換!?)
(時の運はまだ動いていないということか……)
(俺内ボケツッコミ倒すべしイヤーッ!)
(グワーッ!? 脳内内ゲバグワーッ!?)
(安心しろ。手加減してあるパンチ!)
(もろグーパンで手加減とか……ちょっと待て。手加減? ……ああああああ!?)
しばし脳内漫談を繰り広げていた俺会議の思考が回答を導き出した。
所持アイテム欄をスクロールさせ、目当てのものを見つけ出し、その詳細を確認する。
〈盗賊の手袋〉。ウエノ盗賊城址で入手可能な低レベル〈格闘家〉向けの魔法級装備だ。
性能はレベル90の俺会議が使用するにはあまりに低いが、〈盗賊の手袋〉には追加効果が存在する。
それは「アイテム奪取」。
この武器を装備した攻撃でダメージを与えた対象がエネミーだった場合はそのドロップアイテムを、そして対象がプレイヤーキャラクターだった場合は装備していない譲渡可能アイテムを奪うことができるのである。
もっとも、低レベルアイテムにふさわしくその効果発動率は極めて低かったため、俺会議ですら忘れかけていた能力だったが。
「……まずいぞ、おい」
記憶を掘り起こすまでもなく、様々な要素がかみ合い、正解が明らかになる。
これは、間違いなく、先日やらかした〈西風の旅団〉とのいざこざで入手してしまったものだ。
悪友、ゴザルと元〈D.D.D〉のハイエンドダメプレイヤー、レッド=ジンガーに流されて参加してしまった、ハーレムギルド〈西風の旅団〉への襲撃。
その中で、俺会議は不本意とはいえ、〈西風の旅団〉の女性プレイヤーを相手に戦闘をする羽目になった。
〈武士〉イサミ=シマザキ。レベル89の手練で、おそらくは〈西風の旅団〉構成員の例に漏れず、ギルドマスター、ソウジロウ=セタのファンの一人。
俺会議は、彼女の足止めを行う際、うっかりクリティカルヒットで彼女を倒すことがないように普段使いの秘法級アイテム〈阿陽の手袋〉を〈盗賊の手袋〉に持ち替えていたのだ。
そのときに加えた攻撃によって〈盗賊の手袋〉の効果が発動し、どうやら俺会議は彼女から〈宝玉の羽根〉を奪ってしまったということらしい。
「ったく、全然、紳士じゃねぇじゃないかよ、おいィ……」
俺会議のプレイヤーはディスプレイの前で頭を抱えた。
普段の言動こそしようもない妄言連発の俺会議ではあるが、そのモットーは「紳士であること」だ。
性能よりも見た目にこだわったスーツを模した装備も、能力補正の高くない眼鏡も、紳士的な執事のイメージを求めてのことである。
誰も傷つけず、そして飄々と傷つけられない大人の男。
そんな彼の目標を考えれば、今回のアクシデントはひどく許しがたいものだった。
〈宝玉の羽根〉はそこそこにレアリティの高いアイテムだ。それに何より、その美しいビジュアルは単に装飾品としても人気がある。
わざわざ装備せずにアイテム欄に所持していたということは、おそらく。
「……好きな男とのデートに、隙を見て装備しようとかそういう腹積もりだったんだろうなあこれ」
戦いの最中に交わした言葉や、前後のやりとりからしても、彼女が不器用なりに〈西風の旅団〉のギルドマスターを敬愛していることは見て取れた。
質実剛健な装備に身を包んでいた彼女にとってこのアイテムは、勇気を出して用意したとっておきのおしゃれだったのだろう。
頭を抱えた指でぐりぐりとこめかみを揉み解す。
ならば、どうするか。
(放置に一票。放っとくのもアリじゃね? ってか今更どの面下げてあの真面目そうな娘さんに会いにいくのさー)
(返却に一票。放置はどうよ人として。だってデートの邪魔した上秘蔵のおしゃれアイテムパクリとかマジありえないだろ)
(放置に一票。だってさー、挑発会話であんだけ軽い言葉繰り返して、んで返却にかこつけてまたあの娘に会うとかただのナンパじゃねーか)
(返却に一票。ついでに謝っちまえよー。相手は〈西風〉だぜ? 先陣争いでしょっちゅう相手するだろうしさ、背後から殴られるのも面倒だろー)
(返却に一票。相手は今更ーって思うかもだけどさー。ゲームでくらいいい人やりたい甘ちゃんのテメェに、事故とはいえこの借りパク罪悪感が耐えられるのかよって話だぜい)
(返却に一票。あんな真面目カワイイ娘さんとお近づきになれるならなんでも口実にしちまえYO!)
(放置に一票。まあ、〈西風〉ってことはどうせソウ様一本だろうからなっ! ってか、今テメェが向こうの本拠行ったら下手したらフルボッコだぜ!)
(返却に一票。だってさあ、一応ダメ人間という名の紳士目指してるンだし、一応なあ)
「ま、しゃあねえかあ……」
……脳内議会の決議、返却の旨可決。
かくて、俺会議は〈西風の旅団〉のギルドハウスへと向かうのであった。
◇ ◇ ◇
〈西風の旅団〉。
アキバの五大戦闘ギルドとの一つとされる、有名ギルドである。
成長上限か、それに近いレベルの者のみで構成された質の〈黒剣騎士団〉。
千人を超える構成人数で、無数の大規模戦闘を潜り抜けてきた、量の〈D.D.D〉。
攻略サイトの整備や、データベースの公開により経験を効率よく積み重ねる、知識の〈ホネスティ〉。
被害や損得を気にしない即断即決主義と前のめりな戦術により戦果を得る、速さの〈シルバーソード〉。
これらの名門ギルドに、設立からもっとも日の浅い〈西風の旅団〉が対抗し得たのは、その極めて高い連携と情報、そして個々のモチベーションによるところが大きい。
〈西風の旅団〉のギルドマスター、ソウジロウ=セタは、日本サーバーでも有数の優秀な〈武士〉である。
かつてはとある〈暗殺者〉とペアを組んで「傭兵」として大手ギルドの大規模戦闘に助っ人として参加してまわり、また、最近では一世を風靡しつつも花火のように解散した大規模戦闘攻略ギルド〈ティンダロス〉や、伝説の集団と呼ばれることになる〈放蕩者の茶会〉で腕を振るった、まさにハイエンドプレイヤーだ。
その副官には、同じく〈放蕩者の茶会〉の名ヒーラーとして知られる女傑、ナズナがついている。
ならば、〈西風の旅団〉はその2人の熟達のプレイヤーが率いるせいで強力な、ツートップのギルドなのか? そう問われれば、答えは否である。
〈西風の旅団〉の強さは、ソウジロウのゲーム内における性能とは別の、とある特性に起因している。彼の周囲でプレイをしていた男性プレイヤーが彼を評して曰く、
「疾風と西風のモテる方」「〈ティンダロス〉のほねっこ」「俺らの茶会が修羅場祭りな件について」「フラグを立てすぎるな」――。
そう。有体に言えば、ソウジロウ=セタは女性に人気がある。それも、極めて異常なレベルで。
〈西風の旅団〉は、事実上、そんな彼を慕う女性が集うファンクラブなのである。
ハイエンドプレイヤーであるソウジロウと共に冒険をするには、一定以上の力量が必要だ。当然、「本気の」ファンたちは、その取得に余念がない。レベル上げはもちろん、ソウジロウのピーキーな戦いぶりに対応した特殊な連携など、プレイヤースキルの研鑚も十分になされている。その全てを、鬼気迫る執念で行っているのだから、成果が上がらないはずがない。
この、他ギルドにはない共通の目的とギルドメンバー同士が仲間でライバルであるという環境が、かのギルドの精強さに磨きをかけたのである。
そんなギルドのホームに、ソウジロウに対して殴りこみをかけた人間が近づけばどんな対応を受けるのか。
げんなりとした気持ちで、俺会議は〈西風の旅団〉の本拠地の前に立った。
深呼吸をして、ギルドの前に立つ相手に話かけようとして……
「あら、セバスちゃんじゃない。お久しぶりー」
「……全俺議会が予想せざる不意打ちに衝撃のファーストブリット!?」
「なにごとっ!?」
かくて、その覚悟は木端微塵に粉砕された。
そこにいたのは、間違いなく〈西風の旅団〉のギルドタグが表示された……
……筋骨隆々たる偉丈夫だった。
否。それだけならばおかしくはない。〈西風の旅団〉には男性も少ないながら所属はしている。
もし彼が、まるで舞台女優のような濃いアイシャドーに口紅といったメイクをしておらず、かつ、女性めいた口調と野太い声がコラボレーションをかましておらず、しかも旧知の仲でなかったら、俺会議も驚愕の声を上げることはなかっただろう。
つまり、そこにいるのは、そういう相手であった。
「ど、ドルチェの兄貴! 何でアンタが〈西風の旅団〉にいるんだよっ!」
「あぁン? アタシの聞き間違いかしら。あ・に・き?」
「……すみませんドルチェ姐さんマジすみません」
ディスプレイ越し、アバター越しにすら感じられる奇妙な凄みに、俺会議は前言を華麗に翻す。
俺会議脳内の俺議会は多数決で物事を決定するため、あからさまな利のない危険地帯に踏み込むような冒険は基本し得ない機構となっているのであった。
「よろしい。……で、セバスちゃん。久しぶりに会えたのは嬉しいけど、今ここはあなたにとって鬼門でしょう? わざわざやってくるなんてどうしたのよん」
ドルチェは数年前まで、とある中規模ギルドで名を馳せていたベテランだ。
ゲームの腕もさることながら、その独特のキャラクターから男女双方の悩みやトラブルを円滑に解消する調整役として知られていたのである。
かくいう俺会議も、幾度かドルチェの世話になったことがある一人だった。
最近は疎遠になり、ステータスチェックもしていなかったため、まさか、〈西風の旅団〉にいるとは思わなかったが。
「……あー。やっぱ、俺らのこと聞いてますかあ」
「当然でしょ。ソウちゃんに喧嘩売ったおバカさんは多いけど、あなたたちは随分善戦しちゃったみたいじゃない。あれだけ大事になれば、〈西風〉の誰もが知ってるわよ?」
「……だよなあ」
「まあ、ソウちゃんが追及しないって言ってるから、みんなも表立っては何も言ってないけど。でもさすがにあなたが直接ここに来たら、何もなしってわけにはいかないんじゃないかしら」
「まあ、そうだろうなと思ってました」
ドルチェの言うことは、どれ一つとっても正しい分析だ。
ここに来れば、自分は〈西風の旅団〉の女性陣から総攻撃を受けるだろう。恥知らずにも迷惑をかけて恥の上塗りに来た者として、陰口もたたかれるに違いない。陰口ならいい。直接何か罵声を受けることだって、考えられる。
「……まあ、あなたのことだから。それも織り込み済みできたんでしょうけど。うちにも一人いるわよ、あなたみたいな幸福の王子サマ気取りの意地っ張りさんが」
ドルチェの言葉に、俺会議はディスプレイの前で頬を掻いた。
まったく、やりにくい。
現実世界での俺会議は、それなりに齢を重ねたサラリーマンだ。
中年というには若いが、〈エルダー・テイル〉の平均プレイ年齢層よりは上。「年寄り」の部類に足を踏み込み始めている。
なまじ社会経験がある立場だ。トラブルに際しては舌先三寸で適当にごまかして、若者に隠れて事態を収拾する役目であり、俺会議自身も密やかにそれをすることが当然だと思っている。
だが、それを見透かされても平気でいられるほど、俺会議は大人になりきれてもいなかった。
「……うふふ、相変わらずのダメ紳士っぷりは健在みたいね、セバスちゃん」
「勘弁してつかあさいよ、姐さん」
「あなたの性格がこのままってことは、ソウちゃんとのアレも何か理由があったんでしょ。追及もしないであげる。オトコノコっていうのは秘密が好きだものねえ。困ったものだわ」
クラスティは別格として、俺会議がここまで手玉にとられるような知人は、〈D.D.D〉の古株、リチョウくらいのものだ。
いつもの軽口も彼(女?)相手には出てこない。
「で。そんなダメ紳士さんがなにごとよ? ただ罵られに来たにしては、ちょっと足取りが重かったように見えたけど?」
「その。イサミって子から、アイテム奪っちゃっててですね」
「……イサミちゃんって、どの?」
「どの? ……あー、〈武士〉の」
「ごめんなさいね、セバスちゃん。〈西風〉に、イサミっていう武士の女の子、3人いるの」
「マジですか!?」
考えられないことではなかった。
そもそもが、ギルドマスターの名前が〈武士〉の「ソウジロウ」である。
新撰組との繋がりを意識して、ソウジロウの気を引くためにかの組の局長の名をつけるプレイヤーがいてもおかしくないし、元々新撰組ファンのプレイヤーが彼を同好の士と思って入団することもあるだろう。だが。
「おにゃのこの層厚すぎだろう! どんだけだよ〈西風の旅団〉!?」
「まあねえ、ここのギルドはちょっと特別だから」
「ちょっと、ねえ……。そりゃあ嫉妬魔人が他にも出るわなあ。ぁー、でだ。俺が探してるのは、黒髪ロングストレートで一刀流の〈人間族〉。ギルマスを「セタ殿」って呼んでた生真面目っぽい長身の娘さんなんだが」
「ああ、シマちゃんね。OK、呼んだげる。ちょっと待ってなさい」
フレンドリストからプライベート通話をしているのだろう。
しばしの沈黙の後、ドルチェは再び俺会議へと向き直った。
表情のないアバターからも、どこか悪戯っ子めいた雰囲気が見てとれる気さえする。
それはそうだろう。基本的に俺会議は男性プレイヤー同士でつるんでばかりのゲーマーである。それが、たとえ理由があるからとはいえ女性のために敵地まで足を運んだのだ。何か色気のある話を期待するのも無理からぬことだろう。
「で、律儀なダメ紳士さんは、シマちゃんに何を返そうと思ったの? ただの消耗品だったら、わざわざ来ないでしょ? まあ、シマちゃんはいい娘だし、それにかこつけて、というのもわからなくもないけど。あなたはそんなキャラじゃないしね」
「からかわんでください。……〈宝玉の羽根〉ですよ。ンなもん、俺が持っててもしょうがない」
何気ない俺会議の言葉に、ドルチェの動きが止まる。
操作しなければ表情の動かないアバターにおいてそれは、最大限の驚きを示すジェスチャーに等しい。
たっぷり深呼吸1つ分の硬直を経て、ドルチェは肩をすくめる感情表現をとった。
「……そう、だったの。あの子がねえ……それを持ち歩いていたの?」
「〈盗賊の手袋〉で盗れちまったんだからそうなんでしょうね。イニシャルつきだから間違いないでしょう。……ってか、〈宝玉の羽根〉がどうかしましたかい、姐さん」
「いいえ、なんでもないわ。ちょっと、懐かしい名前だったから、びっくりしただけよ」
「き、貴様……っ!?」
そんなドルチェの言葉を遮るように、新たな人物の声が響く。
勢い込んでギルドハウスから出てきたのは、間違いなくあの日手合わせをした〈武士〉の女性だった。
(やばいなんかえらい勢い込んでるんだが娘さん!?)
(とりあえず謝っとけ謝っとけっ!)
(いやまあとりあえず話し聞いてそれから謝ってもいいんじゃね?)
(あのな、責める系の言葉ってのは口にさせちまったら本人も後から気に病んだりすンだろうが)
(ああもう、機先を制して謝りゃいいんだろうが!)
その口調にどことなく切迫した気配を感じ取った俺会議は、相手が何か言うより早く頭を下げた。
「すみませんでしたーっ!」
「その……ありが……ぁ、え?」
「いや本当に申し訳ない! 全面的に俺が悪い! 問答無用で襲い掛かっておいて大事なおしゃれアイテムぱくっちまうとか、正直プレイヤーとして最低だった! ごめんなさい! 〈宝玉の羽根〉はすぐお返しするんで!」
「……え、ええと。貴様は、私の落し物を拾ってくれたのではないのか? 私は別に貴様に倒されたわけでなし、アイテムを奪われるはずはないのだが」
ぽかんとしたように無反応な〈武士〉の女性の反応をフォローするように、ドルチェが口を挟む。
「ふふ、あのね、セバスちゃん。この子、どうしてあなたがここに来てるのか、わかってないのよ? 説明してあげないと」
「ああ……そいつはつまりだな……」
俺会議は〈武士〉のイサミ=シマザキ……ドルチェ曰く「シマ」に、かくかくしかじかと事態を説明する。
自分が戦闘のために、特殊な武器〈盗賊の手袋〉を使用していたこと。
その副次的な効果で、シマの所持していたアイテムを奪ってしまったこと。
そのことに気づいて、自分はアイテムを返しにきたこと。
シマは、それを黙って聞いていた。
「……というわけだ。すまなかった! 今回は俺議会がどうとかネタを仕込む気もないくらい一方的に俺が悪いっ! デート邪魔した上に、こんなレアアイテムとっちまって。侘びじゃ足りないってのはわかってるし、俺でできることなら割となんでもするンで!だから、〈D.D.D〉や、俺と悪乗りした馬鹿どもは責めんでやってほしい!」
しばしの沈黙。
腕を組んだまま、シマはしばらく口を閉じ、そして、
「なんでも……?」
「……う」
ぽつりと呟かれたシマの言葉の意図が読めず、俺会議は一瞬だけ逡巡する。
(おいおいいいのかよンな安請け合いしちゃってよ?)
(正直口がすべったに一票)
(吐いた唾飲めんしのう。言葉の責を取らんと紳士を騙るんかわれ?)
(まあ、悪い子じゃなさそうだしそんな無理は言ってこないだろうけどさあ)
(消極的賛成。以後反省するように。こりゃ舌禍だぜい?)
脳内議会、一瞬で閉会。俺会議はため息をついて頷いた。
「ああ。紳士に二言はねえ」
「……ならば」
不穏な言葉の溜めに、俺会議は思わず唾を飲む。
なぜかドルチェは俺会議とシマに背を向けて、怪しげな鼻息を鳴らしていた。
そんな中、おもむろにシマは俺会議に指をつきつけた。
「貴様にはしばらく、私の稽古に付き合ってもらう」
「……は?」
俺会議の脳内会議が一時的な休会状態に落ち込んだ。
その言葉は、全くもって彼の予想の斜め下を行く答えだったからだ。
もっと難易度の高い要求は覚悟していた。
もっと手間のかかる要求も予想していた。
けれど、この可能性だけは、俺会議の無数の脳内俺の誰も、導き出すことはできなかった。
「私は搦め手に弱い。セタ殿の遊撃的な戦術に対応するには、柔軟な動きが必要だ」
「いや……そりゃあ、まあ、おまえさん、そんな感じに見えたけど」
「毎日とは言わない。数日に一度で構わない。……貴様が引け目を感じているのなら、まさか断るまいな?」
「アッハイ」
俺会議の脳内議員は多数決で物事を判断する。
よって、その議決はもっとも無難な選択をとるのが通例であり、眼前の、どこか開き直ったようなシマの声に、彼が逆らわないのもまた当然のことなのであった。
「……よろしい。それじゃあ、明日から始めるぞ。覚悟しておけ」
(これはフラグか!? フラグかなんか、なのか?)
(違うな。この俺の人生にンな嬉しはずかしラッキーラブコメ展開などあるはずがねえ)
(だよなあ。……だとすると、何か裏があると見るのが無難か。ったく、また面倒事かよ)
(まあ、こっちに非があるこったし、様子を見て泳がせて観察ってトコかねえ。……はあ)
◇ ◇ ◇
――時間はしばし遡り、物語の視点を少しずらすことにする。
落し物を届けに来た男がいる。
そう聞いて、〈西風の旅団〉の〈武士〉、イサミ=シマザキこと、シマは矢も盾もたまらず飛び出した。
今の状況で「落し物」といえば、〈宝玉の羽根〉しかありえない。
あのアイテムは、シマにとって絶対に失くしてはいけないはずのもの。
常に装備して、PKを受けても、全滅してもドロップしないようにしておくべきものだった。
ステータスが高いからでも、希少なアイテムだからでも、美麗なビジュアルだからでもない。
〈宝玉の羽根〉は、彼女の大切なアイデンティティで、繋がりで、誇りだったのだ。
それを、落とした。
〈西風の旅団〉にいる理由、さらに言うなら、尊敬すべき隊長と自分を結ぶものが、失われた。
そうまで考えていたシマにとって、ドルチェからの通信は、望外の福音だった。
もしも自分の落とした〈宝玉の羽根〉を誰かが返してくれるのなら、生半可なことで、その借りは返しきれない。
まずは最大限の礼を言い、そして、できうる限りのことを提案しよう。
そんなことを考えつつ、勢い込んでギルドハウスから出たシマを出迎えたのは、
「き、貴様……っ!?」
間違いなくあの日手合わせをした〈武闘家〉の男だった。
(ちょっと待て! なぜこの男が今こんなところにいる!?)
自問するが、その隣に佇むドルチェを見れば、答えはすぐに導き出すことができた。
(よりによって、こいつが、拾い主……だとっ?)
シマの脳裏に、先日の戦いの記憶が蘇る。
軽薄な口調で油断させられ、まんまとおびき寄せられた上、足止めを受けて守るべき隊長を危険に晒したこと。
それだけならまだいい。シマが許せなかったのは、その軽薄な言葉の中に何一つ、シマを傷つける言葉がなかったこと。そして、目的を達する過程で、相手がシマに対してほとんどダメージを与えなかったことである。
つまり。「それだけ配慮する余裕が相手にはあった」ということなのだ。
勝負にすらならない。いいようにいなされた。それが、シマが眼前の男から受けた印象だった。
思い出すだに顔が赤くなる。
別に、聞きなれない「かわいい」を連呼された記憶が蘇ったからではない。屈辱故である。
それでも、礼は礼。
自分の大切なものを届けに来てくれたのならば、シマとて誇り高き武人のロールを貫かんとするロールプレイヤーの端くれ。過去は水に流して頭を下げるべきだろう。
そう考えた、矢先。
「すみませんでしたーっ!」
「その……ありが……ぁ、え?」
「いや本当に申し訳ない! 全面的に俺が悪い! 問答無用で襲い掛かっておいて大事なおしゃれアイテムぱくっちまうとか、正直プレイヤーとして最低だった! ごめんなさい! 〈宝玉の羽根〉はすぐお返しするんで!」
ほとんど土下座でもするのではないかという勢いで、眼前の男は勢いよく頭を下げた。
「……え、ええと。貴様は、私の落し物を拾ってくれたのではないのか? 私は別に貴様に倒されたわけでなし、アイテムを奪われるはずはないのだが」
呆然と聞き返すシマに、男……セバス=チャン、と言うらしい。ふざけた名前だ……は、事態を説明した。
自分が戦闘のために、特殊な武器〈盗賊の手袋〉を使用していたこと。
その副次的な効果で、シマの所持していたアイテムを奪ってしまったこと。
そのことに気づいて、自分はアイテムを返しにきたこと。
シマはそれを聞きながら、ブラウザを起動して攻略サイトをチェックする。
〈盗賊の手袋〉。極めて低レベル向けの装備だ。攻撃力防御力への補正は、レベル90のキャラクターの装備としてはほぼ飾りに近い。
ならば、その特殊能力を期待して、シマから何か奪おうという悪意をもって装備していたのかというと、それも否だとシマは判断した。〈盗賊の手袋〉のアイテム奪取発動率は極めて低く、ステータスを弱体化させてまで狙うようなものではない。
だとすれば、この男はなぜ、そんな装備を選んだのか。
決まっている。「ステータスの弱体化」そのものこそが、目的だったのだ。
さらなる屈辱で頬が熱くなるのがわかる。
女だから手加減されたのだ。そう、シマは思った。現に、ソウジロウに対しては、目の前の男は全力で戦っていたはずだ。
女だからという理由で、相手の本気を引き出せなかった。それだけの実力の差があった。
それは彼女にとって、看過できない事実だった。
「……というわけだ。すまなかった! 今回は俺議会がどうとかネタを仕込む気もないくらい一方的に俺が悪いっ! デート邪魔した上に、こんなレアアイテムとっちまって。侘びじゃ足りないってのはわかってるし、俺でできることなら割となんでもするンで!だから、〈D.D.D〉や、俺と悪乗りした馬鹿どもは責めんでやってほしい!」
続く相手の言葉には、悪意がなかった。さらに言えば、悪意がなさ過ぎた。
それが、さらにシマの苛立ちに火を注ぐ。
(なんだ貴様はナチュラルに上から目線はー! 強い子か! 強者の余裕ってヤツか!)
沸騰しそうになる思考を覚ましたのは、画面にポップしたメッセージ。
シマが敬愛する先達からの、プライベート通話着信を示すものだ。
『やあ、シマザキ。塞翁ヶ馬、随分と妙な縁になったようだね』
『隊長……』
『君の立腹はわからなくもないが、せっかく向こうがああ言ってくれているんだ。一朝之忿でせっかくの機会を捨てるのはもったいないよ。この前の戦いを見るに、目の前の彼は君に足りない柔軟さを持っているようだ。色々彼から学んで、いつか見返してやればいいのではないかな?』
『ですが……』
『隠忍自重。ボクが今、〈西風の旅団〉にしていることと同じさ。まあ、無理強いはしないけれど。それじゃあ、お話中、失礼したね』
いつも通りの眠たげな素っ気無い口調で、一方的に通話は切れた。
改めて、シマは目の前で頭を下げるセバスを見る。
「なんでも……?」
「あ、ああ。紳士に二言はねえ」
「……ならば、貴様にはしばらく、私の稽古に付き合ってもらう」
「……は?」
「私は搦め手に弱い。セタ殿の遊撃的な戦術に対応するには、柔軟な動きが必要だ」
「いや……そりゃあ、まあ、おまえさん、そんな感じに見えたけど」
「毎日とは言わない。数日に一度で構わない。……貴様が引け目を感じているのなら、まさか断るまいな?」
怒りを押し殺して、シマは言い切った。
彼女にとって、「隊長」の言葉は絶対だ。
こうなったら、目の前の腹立たしい男から技や知識、〈D.D.D〉の情報に至るまで、できうる限り奪い取らないと気がすまなかった。
「アッハイ」
「……よろしい。それじゃあ、明日から始めるぞ。覚悟しておけっ!」
◇ ◇ ◇
『順風満帆。シマザキは、〈D.D.D〉の〈武闘家〉と無事接触。これで彼の目は「彼女」からしばらく離れるというわけだ。君は君で、例の〈妖術師〉は押さえているんだよね? 道のりは長いが、まあ気長にいこう』
『……はい』
『不平不満が浮かんでいるよ。許せないかい? 悪い姫君をこそ敵とする僕ら〈翼〉が、その真似事をしているって』
『……いえ。私は馬鹿で、貴女の真意がわかっていないだけだと思いますから』
『鴻鵠之志とでも思ってくれているのかな? 有難いけれど、それは買いかぶりというものだよ。……ボクがそんな大物だったら、〈宝玉の翼〉は〈西風の旅団〉を隠れ蓑などにせずともすんだんだからね。今のボクのやっていることは、つまらない悪あがきさ』
そこまで言って、地味なローブに身を包んだ少女は、念話を切り、誰に言うとでもなく呟いた。
「……まあ、悪あがきだっていいさ。今度こそボクは〈翼〉を取り戻す。あのとき散り散りになった仲間たちが、再び自分の〈羽根〉で空を飛べるように。手段は選ばない。だから……」
そして、彼女はディスプレイのウィンドウの一つを開いた。
そこには、〈D.D.D〉に所属する〈翼〉の同志から送られた、〈がんばりましたカード〉の画像。
ディフォルメされた姿で描かれた、金髪巻き毛の少女〈軍師〉の姿が、そこにあった。
「……標的は、君だ。謝りはしないよ、後輩君」
【ユズコの〈D.D.D〉観察日誌】
○俺会議さん
・〈武闘家〉で、第零部隊の縁の下の力持ちさん。
・ジェントル。紳士っぽいのに無精ひげは照れ隠し?
・常時脳内会議開催中。自問自答? ちょっと優柔不断かも。
・気配りさん。照れるとアニメネタが増える。いい加減デレ!
・お気に入り装備の〈阿陽の手袋〉はリチョウさんからのプレゼントらしい。まさか、らぶですか?
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