「……で、とりあえず、後何人選べばいいんだ?」
「4人。ようやく折り返し地点よ」
「……えーと、こいつとかどうだ。ダルタスって。レベルは低いけど度胸はある気がするけど」
「却下。『適当な助言指導の上、重点的な演習を要する』。彼、人の名前とか戦術とか覚えるの苦手過ぎ。あれじゃ連携って話にもならないわ。っていうか、お姉さまのことすらほとんど知らなかったのよ? 高山三佐のことは『女史』とか呼んでる癖に!」
「まー、最近クシの姐御、オン率下がってるしなあ。確かあいつが演習参加してから姉さん、カード配ってなかったし、しょうがない気がするぞ。まあいいや。決めるのはそっちだしさ」
「むうー……」
〈エルダー・テイル〉日本サーバ最大の戦闘系ギルド、〈D.D.D〉。
教導部隊……新人育成担当の演習が終わったその後で、部隊長のリーゼと、補佐担当のユタがミーティングを行っていた。
内容は、「がんばりましたカード」の配布対象についてである。
このコミカルな名称のカードは、教導演習の成績優秀者に対して監督役が配布する〈メッセージカード〉である。
〈メッセージカード〉自体は、〈筆写師〉のサブクラスを持つキャラクターによる製作級アイテムで、任意のメッセージを書き込めるだけの廉価なアイテムだ。
だがこの「がんばりましたカード」には、発行者と発効日、シリアルナンバーが記載され、 〈D.D.D〉ギルドにおいて大規模戦闘によるアイテムオークションのポイントとして使用できるようになっている。また、カードには毎回特設ページへのリンクアドレスが書かれており、高山三佐によるご褒美イラストを見ることができるおまけがついている。
高山三佐が提案したこのご褒美は、結論から言うならば大いに参加者に受けた。
これにより教導演習の能率は上がり、大規模戦闘に耐えうる人員の確保はスムーズになった。
一方で、監督役であるリーゼ(そして高山三佐と、頻度は下がったが櫛八玉)にとっては、カードカードを配布する対象を公平に決定するという作業が付け加わったのも事実である。
櫛八玉は適当に直感で(そして妙に的確に)、高山三佐は淡々と、それぞれさらりと決定してしまうのだが、リーゼにとっては毎回この作業が頭痛の種だった。
そもそもが、ゲームの外でのリーゼのプレイヤーは、日常的には評価される側でしかない。
他人からの評価に文句を言うことこそあっても、自分が誰かを公平に評価、判断するなど、そもそも練習したこともない。
「ってか、三佐さんに無駄にライバル心燃やすのもどうよ?」
「……なんか悔しいじゃない」
「ンだよ、突然」
「だってさ。私たちが二人がかりで一晩かけて頭悩ませてるのを、高山三佐は数分でちょちょいだよ?」
「あのなあ。現役
保育士に張り合うなよ」
ユタの言葉はもっともだ。そんなこと、リーゼにもよくわかっている。
でも、「そういうものだ」と納得することは、嫌だった。少なくとも、目の前の腐れ縁の前では。
それに、今、リーゼが言ってほしいのはそんなもっともな正論ではないのだ。まあ、そんなことを期待できるような相手でもない。
そんなことを考える彼女の様子を知ってか知らずか、ユタは淡々と、候補となりそうなメンバーを挙げていく。
「アンタだって、リチョウさんに張り合おうとしてるクセに」
「……違ェよ」
言葉が返ってくるまでの間が、何より彼の本音を示していた。
まあ、いい。これ以上指摘しても意味がない。
この腐れ縁が意地っ張りだということは、長い付き合いで十分すぎるほど理解している。
リーゼは改めて、手元の研究ノートとユタの並べた候補を見比べながら、評価ポイントを割り振っていった。
と。
「お邪魔しますー。お疲れ様ですっ!」
ギルドルームに能天気な声が響いた。
教導部隊で訓練を受けている一人にして、戦域哨戒班の見習い。
〈D.D.D〉の中でもまだ新参の部類に入る〈召喚術師〉、ユズコだった。
「あら、ユズコさん。どうしたのですか?」
瞬間的に口調をいつものロールプレイに切り替えて、リーゼは来訪者に声をかけた。
少なくとも、〈D.D.D〉の「リーゼ」は瀟洒なレディであるべき。
これが、ロールプレイヤーとしての彼女の矜持なのであった。
「相変わらずの変わり身……」
「何か?」
「何でも」
「お二人とも、どうかされましたかー?」
「何でもありませんよ。彼のはいつもの妄言です。気にしないでください」
「はあ。あ、それより、これ。山ちゃん先輩からお預かりしてきましたよー」
ユズコがリーゼにアイテムの受け渡しを行う。
それは、まだ配布相手の名前が書かれていない〈メッセージカード〉だった。
これにリーゼが各種のメッセージを書き込むことで「がんばりましたカード」が出来上がるのだ。
既に記入されていたアドレスのページをブラウザで開くと、ディフォルメされたリーゼのアバターが描かれている。
高山三佐お手製のイラストは、普段の硬質なイメージと裏腹に可愛らしいタッチだった。
彼女が保育士だと聞いたとき、何かの間違いではないかとリーゼは驚いたものだ。
だが、このイラストは手馴れた子供受けのしそうな柔らかな絵で、確かにプロらしい印象だ。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえー。三羽烏のみなさんのお役に立てて光栄ですよー。私もリーゼさんみたいにできる女になりたいって思います」
「で、できる女っ!?」
思いがけないユズコの言葉に、一瞬だけリーゼの声が上ずった。
それはリーゼの目指すもので、喉から手が出るほど欲しい評価であったからだ。
だが、「リーゼ」は大人の女なのである。こんな程度で喜んで声色を変えるような安い女ではない。咳払いを一つして、リーゼは言葉を続けた。
「動揺し過ぎだろうが、できる女」
「う、ううううっさい! ……こほん。ま、まあ、当然ですわ。ある程度の社会経験も積めばそれなりのものは身につきますから」
「おおー」
「社会経験、ねえ……」
「何か?」
「何でも。……ともあれ、助かったよ、ユズコさん。んじゃ、後は任された」
ユタはどことなく他人行儀な口調で、さらりと話題を逸らす。
憎まれ口こそ叩くものの、ユタはリーゼが極端に
素性ばれを避けようとしていることを知っている。むしろ、普段のプレイの中では積極的に「〈エルダー・テイル〉の中のリーゼ」のイメージを守ろうとする側だ。
熱くなりそうなときにはブレーキをかけ、失言には必要以上に大声をあげて、彼自身に周囲の注意を引きつける。
それはリーゼを気遣ってというよりはむしろ、「教導部隊のリーダーが年端も行かぬ小娘だ」と気づかれないようにすることが、部隊の副官である彼自身の仕事を楽にするからなのだろうが。
ともあれ、なんだかんだと気は回るし、これでもう余計な一言がなければもう少し加点をしてあげてもいいのに、とリーゼはため息をついた。
まあ、それでも敬愛する
御主人様と比べれば、月とスッポン、ダイヤモンドとおはじき。
彼女が目指すは、理想の紳士であるギルドマスターに釣り合う淑女たること。
そのために、リーゼは現実世界での自分はさておき、〈エルダー・テイル〉の中においては完璧な大人の女性を目指さねばならないのだった。
「よし、休憩はおしまいにしましょう。カードに名前を書き込んで、今日のところは終了ですわ。さっさと切り上げてしまいましょう。夜更けまで殿方といて噂される趣味もありませんし」
「うわー、なんかとってつけたような大人っぽい発言ー!」
「ちょっと待ていっ! さんざ手伝ったあげくその言い草はひどくねーかっ……!?」
ユタが思わず大声をあげた、そのとき。
がたん、と扉が開く音がした。
ゲーム内の音ではない。誰かのマイクが、その近くで「実際に扉が開いた音」を拾ったのだ。
次いで、冗談のように荒い足音が響き、
「こーらー雄太郎! うるさーい! 隣の部屋でぶつぶつ言うなー! 私明日は早起きって言ってるでしょうがっ!」
ユタでも、リーゼでも、ユズコのものでもない声が、響いた。
「ほら、ゲームやめるっ! お姉ちゃんから友達には謝っといたげるから!」
「ちょい待て姉貴!? ふざけんなって! って酒臭っ!? 酔ってるな!? アンタ面接前日のクセにしこたま酒のみやがったな!?」
どうやらヘッドセットの近くでユタのプレイヤーが誰かと言い争いをしているらしい。
若い女の声。リーゼはその声に聞き覚えがあった。
「……その声、香子さん?」
「んー? ……あれ。なんか聞いたことあるかわいいおにゃのこの声がする。雄太郎っ、誰よこの子ーっ! 夜中まで若い娘さんとパソコンでおしゃべりとかお姉ちゃんアンタをそんなふしだらな子に育てた覚えはなーい! って、アレ? なんで私の名前知ってるの? ファン?」
反射的な呟きはユタのヘッドセットにしか届かないはずだったが、戻ってきた返事は若い女のものだった。
どうやらユタのプレイヤーは、謎の闖入者にヘッドセットを強奪されたらしい。
マイクが後ろで抗議しているユタの声を小さく拾っているが、女は意に介した様子もない。
その傍若無人な様子に、リーゼは確信する。
そこにいるのは、ユタの姉。そして、幼い頃のリーゼの天敵とでも言うべき存在であると。
「ゆ、ユズコさん。今日のところはユタにトラブルがあったらここで解散しましょうか。ね?」
「あっはい……でもユタさん大丈夫なのですか?」
「いいのいいのあのば……心配しなくても! ほら、だからエリアを出た出……」
慌ててユズコをルームの外に押し出そうとするリーゼ。
だが、その前に。
「……ぁ。あれ? もしかしてそのリーゼって、理瀬ちゃん? あーん、久しぶり! お姉ちゃんのこと覚えてくれてたんだ! なによう雄太郎。中学校入ったら全然家にも連れてこなくなっちゃって、音信不通になったと思ったらこういうことだったのかあ。いや、ごめんねー、雄太郎は諸用で今日は落ちるけどさあ。理瀬ちゃんもあんまし夜更かしとかしちゃだめよ? 明日も高校あるんだからさー」
ユタの
制御を乗っ取った酔っ払い魔人は、躊躇うことなく爆弾を投下した。
「……こうこう?」
ユズコが、ぽつりとその禁断のワードを繰り返す。
リーゼの頭が真っ白になる。多分今頭を染めたらプレイヤーの黒髪もリーゼのような綺麗な金色になるに違いないというくらい、驚きの白さであった。
「理瀬ちゃん昔から頑張り屋さんだからゲームとかでものめりこむと突っ走っちゃうんだろうけどさー。あんま無理とか背伸びとかしすぎると疲れるわよー? まだまだ高校生なんだから」
「……こうこうせい?」
リーゼの頭が完全に漂白される。
深夜の通販番組でわざとらしい笑顔を浮かべる外国人の男女が洗剤のCMの中で翻すシーツのように、絶望的なまでの真っ白さであった。
「ばっ、姉貴……っ。何すンだよっ」
「はいノーパソ没収ー。弟として姉の安眠と明日の面接成功に協力なさーい。それじゃあね、理瀬ちゃん、また頭ぐりぐりさせてねーっ。おっやすみなさーい!」
そんな言葉を残し、ユタは忽然とログオフした。
残されたのは、奇妙な沈黙に包まれた、リーゼとユズコ。
「…………」
「…………」
「あの、リーゼさんー」
「……ですとも」
「はい?」
「どうせ私は高校生です! お子様ですよっ! ハイエンドプレイヤーの振りして大学生の人とか社会人の人とかに色々偉そうなこといってるけどお子様ですよっ!」
「リーゼさん」
「笑うなら笑ってくださいっ。こんな小娘が誰かにがんばりました、とか言うなんておこがましいって。生意気だって。みんな、私の年を知るとそう言うんですから……ああもう……っ」
「リーゼさん」
繰り返し、自分を呼ぶユズコの声に、リーゼは言葉を止めた。
ユズコの口調はまったく普段通りの間延びしたもので、驚くでも、責めるでも、笑うでもない。
「リーゼさんは、すごいですよ。こんなにゲームに詳しくて。話してると、それ以外にも色々知ってて、きちんと勉強もしてるんだろうなって思いますし。大人にだって引かずに堂々話してますし。たまに慌てちゃうけど、頭の回転だって早いですし。別に高校生だからその価値が下がるとか、わたしは思わないです。正真正銘、〈D.D.D〉の誇る三羽烏さんです」
「……あ、ありがとう」
思わず、ロールプレイを忘れて、単純な礼を返してしまう。それほどに、ユズコの言葉は直球だった。
誰かからシンプルに自分を肯定される。リーゼにとって、しばらく忘れていた感覚だった。
公私ゲーム内を問わず優等生を貫くリーゼにとって、「優秀である」ということは日常であり、ことさらに褒められることではなくなっていたからだ。
だから、自分が〈D.D.D〉における名誉職ともいえる〈Drei-Klauen〉――通称『三羽烏』に選ばれたときも、誇らしくはあったが、どこかそれを当然のことのように思っていた。
故に、特別に褒めてもらおうと望むのなら、その先に行かなければならない。
例えば、先達の〈Drei-Klauen〉、高山三佐を超える功績をあげる――だとか。
だが。突然ぶつけられた予想外の肯定に、リーゼは混乱していた。
思わず、それを否定するような言葉が漏れる。
「で、ですが。今の私は、『三羽烏』とは言われますけど、私は補欠の繰り上がりですから」
「……ふえ?」
「『三羽烏』――〈Drei-Klauen〉は、私で通算7人目。先代の『三羽烏』の〈森呪遣い〉がギルドから抜けたから、今の立場にいるだけなのですわ」
「そうだったのですかー」
「……だから、私は早く高山三佐やお姉さまにも負けない結果を出して……そして、二人と……
御主人様にも認められる、正真正銘の〈Drei-Klauen〉になる。そのためには、自分の若さを言い訳にはできないのです」
「ふふ」
「な、なんでそこで笑いますかっ」
突然笑い出したユズコに、リーゼは憮然とした言葉を返す。
先ほどの取り乱した自分を笑われるならともかく、今の言葉には特におかしいところなどあるはずがないというのに。
だが、ユズコは笑いをこらえながら、一つのアイテムを差し出した。
「ごめんなさいー。でも、リーゼさん。その目標、もう三分の一はかなってますよ?」
手渡されたのは、一枚の〈メッセージカード〉。
「『私は少し嫌われているみたいなのですが、それでも、私はリーゼさんの努力と頑張りを尊敬しているので。余計なお節介でおこがましいかとは思いますが、折を見てあなたから渡してもらえないでしょうか』、だそうですー。センパイも、気を使いすぎだと思うのですけどねー」
リーゼに宛てられたそれには、ここしばらくですっかり見慣れたディフォルメされたイラスト。
ぐりぐりと勢いよく描かれた花丸。
そして、普段の言動と不似合いな、丸っこい文字。
「……ふん、べ、別にこれで背中を追いかける手を休める気とかは欠片もないですからね!」
「えへへ、その方が山ちゃんセンパイも喜ぶと思いますよー」
よく がんばりました。
その言葉に昔、近所に住む年上の子供からぐりぐりと頭を撫でられた感触を思い出す。
こそばゆくて、上から目線が少し悔しくて、けれど、どこか誇らしかった温もり。
忘れていた。
自分が配っていたものが、こんな気持ちを呼び起こすものであったということを。