トップページ文化・エンタメニュース一覧正造の直訴状 陛下の訪問を機に実物公開へ
ニュース詳細

正造の直訴状 陛下の訪問を機に実物公開へ
5月22日 15時33分

正造の直訴状 陛下の訪問を機に実物公開へ

天皇皇后両陛下は、21日、栃木県佐野市の佐野市郷土博物館を訪れ、足尾鉱毒問題の解決に取り組んだ田中正造の直訴状などをご覧になりました。
博物館では、両陛下の訪問を機に、24日から、通常は公開していない直訴状の実物を正造ゆかりの貴重な資料と共に一般展示することにしています。

4年ぶりに直訴状の実物を公開

4年ぶりに直訴状の実物を公開

天皇皇后両陛下は21日から22日にかけて、私的な旅行として、足尾鉱毒問題の解決に一生をささげた田中正造の遺品などを展示する佐野市郷土博物館などを訪問されました。
佐野市の郷土博物館には、田中正造ゆかりの資料を展示するコーナーがありますが、ふだんは防犯上の理由や劣化を防ぐため、直訴状は複製を展示しています。
今回は両陛下の訪問に合わせて4年ぶりに実物を展示しました。
田中正造が直訴に及んだのは明治34年(1901年)12月、帝国議会の開院式から皇居に戻る途中の明治天皇の馬車行列に鉱毒被害を訴える直訴状を手に駆け寄りました。
しかし、警備の警官に取り押さえられ、釈放されたあと直訴状も返されました。
その後、直訴状は正造の妹の嫁ぎ先で受け継がれ、現在は佐野市郷土博物館に寄託されています。

「113年たって天皇陛下がご覧に」

21日、両陛下の訪問に合わせて展示された直訴状は、複製に比べるとやや色がくすんで見えるものの、逆に時間の経過を感じさせます。
両陛下を案内した山口明良館長によりますと、天皇陛下は館長の説明に耳を傾けながら、時間をかけてじっくりと直訴状をご覧になったということです。
山口館長は「時代背景などは全く違いますが、明治天皇にはご覧いただけなかった直訴状が113年たって天皇陛下にご覧いただけたのは感慨深いです。仮に正造が生きていたらどんな感想を漏らすかなと思いました」と話しました。
館長と共に両陛下を案内した佐野市の岡部正英市長は「震災があったことなどで環境問題へのご関心から、佐野に来ていただけたと思います。直訴状の実物をご覧いただけたのはありがたいことと思います」と話しました。
去年は田中正造の没後100年に当たり、佐野市では市を挙げて正造を顕彰するさまざまな事業を行い、延べ1万5000人以上が参加しました。
実行委員の1人で、田中正造を伝える活動を続ける市民団体「田中正造大学」の坂原辰男さんは「正造がさらに注目されるきっかけになると思いますし、足尾鉱毒問題の教訓を伝える活動にさらに力を入れていきたいと思います」と話しました。

有名なことばつづった日記なども公開

有名なことばつづった日記なども公開

佐野市郷土博物館では、両陛下のご訪問を機に、直訴状に加えて、ふだん公開していない正造ゆかりの貴重な資料数点も24日から展示します。
展示資料の1つは、正造のことばとして有名な「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし・・」とつづった明治45年6月に書かれた田中正造日記の一部。
このことばは、音楽家の坂本龍一さんが、震災の起きた3年前の6月、自然エネルギーに関する「総理・有識者オープン懇談会」に寄せたビデオメッセージで「大好きなことば」として引用され、インターネットで大きな反響を呼びました。
また、正造が亡くなる直前に「同情と云ふ事にも二つある。皆さんのは正造への同情で、問題への同情でハ無い」などと漏らした最後のことばを書き取った書も展示されます。
この資料は個人が所蔵し、一般に公開されるのは、おそらく初めてと言います。
山口館長は「なかなか見ることができない貴重な資料をそろえたのでこの機会に足を運んでいただきたいと思います」と話しています。
正造の最後のことばの書は6月1日まで、直訴状と田中正造日記は6月15日まで展示されます。

[関連ニュース]
k10014641541000.html

[関連ニュース]

  自動検索

両陛下 渡良瀬遊水地をご視察 (5月21日 20時28分)

このページの先頭へ