日本人キリシタン「イエズス会で働いているんだが俺はもう限界かもしれない」

公開日: : カテゴリー:歴史・宗教 タグ:, ,

戦国時代の日本でイエズス会が財政難に直面していたことは、前回の記事『「イエズス会の世界戦略」高橋 裕史 著』で書いた通りだが、同じく「イエズス会の世界戦略 (講談社選書メチエ)」より、そのような財政難と日本人に対する偏見によって、徐々に日本人聖職者の登用を制限するようになっていたというプロセスが非常に興味深かったので簡単に紹介しておきたい。

当時のイエズス会では、同宿と呼ばれる将来のイルマン(助修士:司祭の助手)候補として神学校(セミナリオ)や教会(カーサ)で勉強しながら共同生活を送り、教会の様々な雑務を担当する日本人たちが多数いた。しかし、宣教師たちから同宿に対する視線は徐々に低い評価となっていき、日本人聖職者の養成を否定するようになったという。当時の日本イエズス会のトップ、ヴァリニャーノは以下のように書いている。

『第一の理由。一般に同宿たちDoujuqusは霊性も神の招命も持ち合わせず、幼い頃から両親や親戚によってセミナリオ、あるいは我々のカーサに入れられている。同宿たちは、幼い頃はカーサ[での生活]に満足して命じられたことをおこない、貞潔で清浄に暮らすための美徳と誇りを一般に有しているが、大多数の者たちは成人になるにつれて、霊性も修道生活の招命も何一つなく、情欲と俗界がそれらに勝る。それゆえ、もし彼らをイエズス会に受け入れなければ、彼らは何らかの救済手段を手にすると、[教会を]去って外部での生活を探し求めにゆく。

第二の理由。同宿たちの多くには[修道士に]相応しい才能がなく、ラテン語も習得するに至らないので、イルマンとして受け入れられるはずもなく、結局のところ聖職者にはなれない、と信じている。そのため彼らは絶望してこう語る――教会で生活をすべきではなく、独身の間に生活の救済手段を探しにゆくべきであり、武士になるか商人になるか、さもなければ領主に仕えることに専念すべきである。救済手段を持たずに歳を取り、そのままでいるのを待ち受けるべきではない、と。

第三の理由。日本全体は、位階によって徐々に名望を高め、安心して暮らしてゆけるための然るべき便宜を手に入れるという状態にある。もしこの便宜を欠くと、日本人は平静さも安堵も見出せられない。我々のカーサで生活している同宿たちは、イルマンの位階に到達できなければ、それ以外に昇進すべき位階も便宜もないことを知っているので、頼りにすべきものを持たぬまま、昇進して確実な生活手段が残る期待のできる手段をすぐに探し求めねばならない。

以上の理由から、もし同宿たちがイルマンとして受け入れられるようにならないと、同宿たちのごくわずかの者しか、あるいは一人として教会で優れた者としては長続きしないことを、我々は経験から知っている。』(P135-136)

つまり同宿たちが世俗社会への未練を持ち、信仰生活への忍耐力が不足しているように宣教師たちには見えて、それが日本人聖職者の育成そのものへの否定的見解に至ったようだ。「パードレが世話をしないと同宿は容易に堕落しはじめる」「パードレ一人一人が自分の同宿の世話をしなければ同宿は学びもせず立派にもならない」(※パードレ=司祭)といった不満が述べられているとされる。

しかし、客観的に見れば同宿たちの不満や態度は至極尤もなもので、教える立場の宣教師たちこそ、そこから同宿たちの立場に立って教えていくことこそ重要ではないかとも見える。欧州と違い、キリスト教会で学んだ、ということの重みは比べ物にならないほど軽いはずなのだから、キリスト教徒であり続けることへの迷いは一層生じやすかっただろう。しかし、宣教師たちにしてみればおそらく若いころからまっすぐに信仰生活に励んできたのだろうし、そのギャップはそのまま資質の違いというように映っていたのだろう。この摩擦もまた、日本イエズス会が布教の過程で抱えた問題であった。宣教師たちは同宿たちに低い評価を下して将来の同宿たちの昇進の可能性を狭めながら、一方で、『日本イエズス会は宣教・改宗生活はもとより、教会などの日常生活にかかわる、さまざまな業務の遂行や維持において、すでに同宿の存在なくしては何事も為しえない状況にあったことも否めない事実であった。』(P136-137)

イエズス会の宣教師たちが、異文化を尊重して日本人の流儀を学び積極的に布教活動をおこないながら、一方で改宗した日本人信者たちの育成には消極的な姿勢へと陥っていたというところが見えてくる。このあたりは、文化の違いなどというよりはもっと一般的な、現代社会でもよく見られるミスマッチのようにも見えて面白い。

同宿たちの『教会で生活をすべきではなく、独身の間に生活の救済手段を探しにゆくべきであり、武士になるか商人になるか、さもなければ領主に仕えることに専念すべきである。救済手段を持たずに歳を取り、そのままでいるのを待ち受けるべきではない』という意見とか、せやな、って感じだ。

あ、イエズス会=大学、カーサ=研究室、同宿=院生、イルマン=ポスドク、パードレ=指導教官とかに置き換えて黒い笑いを浮かべたりはくれぐれもしないように。

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