5月22日 オンエア
横須賀線電車爆破事件★実行犯の驚くべき動機
 
 今から46年前の6月16日、東京駅と神奈川県の久里浜駅を結ぶ横須賀線、その上り電車が東京へ向け走行していた。 この日は父の日の日曜日、あいにくの雨だったが、休日を過ごす家族連れが多く、車内は和やかな空気に包まれていた。
 
photo 電車の6両目には、家族連れなど63名の乗客が乗り合わせていた。
 そして電車は、鎌倉にほど近い大船駅の手前 200mのところにさしかかろうとしていた。 しかし・・・突然の爆発!! 平和だった車内は、一瞬にして目を覆うような惨状と化した。 原因は網棚に置かれた時限式の爆弾だった。
 この爆発で乗客63名のうち、男性1人が病院に搬送後、死亡。 負傷者28名を出す、大惨事となった。
 
photo  横須賀線を襲った爆破事件は、すぐさま広域重要事件に指定され、延べ2万5000人の捜査員が動員された。 これだけ大規模な捜査となったのには理由があった。 実は数年前から『草加次郎』と名乗る犯人による爆破事件が相次いでいたのだ。 犯人は多額の金銭を要求する脅迫状を送り、地下鉄をはじめ、都内のあらゆる場所を爆破の標的とした。
 さらに、事件の前年には兵庫県で、もう1つの爆破事件が起こっていた。 山陽電鉄爆破事件である。 東京都と兵庫、場所が全く異なることから、2つの爆破は別の人物の犯行と考えられていたが、いずれの事件についても警察は犯人を検挙できずにいた。
 
photo  そのため警察は、今回の横須賀線爆破事件に並々ならぬ闘志を燃やし臨んだのだ。 そして、まず疑惑の目を向けたのは、兵庫で起きた山陽電鉄爆破事件の犯人だった。 なぜなら・・・山陽電鉄爆破事件は、ちょうど1年前の同じ父の日に起きていたからだ。 連続爆破事件との関連性をあたると共に、捜査員たちは徹底的な聞き込みを行った。
 網棚に爆弾が仕掛けられた以上、犯人は 横須賀線にある16個の駅、いずれかから乗車したことは間違いない。 そこでまず、同じ電車に乗り合わせていた乗客の洗い出しから始めた。 その中に、犯人、もしくは犯人を目撃した人物がいる可能性があったからだ。
 この日の乗客は、推定350人。 爆破物が置かれた6両目の乗客に関しては、そのほとんどが病院に搬送されていたため、警察による聞き込みと身辺調査が行われた。
 
 さらに、他の車両に乗っていた乗客については、当日使用された切符 48万枚、その全てを回収。 切符に付着していた指紋と、警察に登録されている指紋とを照合。 犯罪歴のある人物が乗車していなかったか、確認作業が進められた。
 
photo だが・・怪しい人物、またそれを見たという乗客はいなかった。
 壁や床に血痕が飛び散った車内では、徹底した現場検証が行われた。 仕掛けられた爆弾は、猟銃などに用いられる火薬に乾電池をつないで作った手製の時限式爆弾だと分かった。 それが、犯人 唯一の遺留品だった。
 しかし、爆弾は粉々に砕け、もはや原型を留めていない。
ここから犯人を特定するのは困難を極める。
 
photo  だが!実は事件が起こる10日ほど前、警察に1通の手紙が届いていた。 驚くべきはその内容だった。
「今月の十六日に東京駅のどこかに手製のダイナマイトを仕掛けるので注意されたし」
この頃、多発する爆破事件に便乗した、イタズラ目的の投書が数多く送られてきていた。
 はじめ警察は、この投書もただのイタズラと判断、無視していた。 しかし・・・犯行を予告したまさにその日、実際に事件が起こったのである。
 こうして警察官は、投書に記されていた消印から、捜査範囲を葛飾区内に絞り込んだ。 数日後、再び同一人物による物と思われる投書が警察に舞込んだ。 そこには次の犯行予告が記されていた。
 
photo  しかし、この犯行予告によって、犯人と思われる人物は墓穴を掘っていた。 実はその人物は2度目の投書に、犯行予告の他、自身の犯罪歴を記していたのだ! 自らを誇示しようとでも思ったのだろうか?
 だが、警察がこれらの犯罪について綿密に調査した結果、ある男の存在が明らかになったのである。 警察はこの男を緊急逮捕。 男の家の家宅捜査を行うと共に、嘘発見機による取り調べも行われた。 しかし・・・投書は確かに男が出したものだったが、イタズラに書いた日付と内容が、偶然 今回の爆破事件と一致したにすぎなかったのだ! 捜査は振り出しに戻ってしまった。
 
photo  捜査本部に現場から押収された遺留品、その全てが集められた。 パイプ、タイマー、乾電池、段ボール、そして新聞紙など。 どれも跡形もないほど粉々になっていたのだが・・・これを復元しようというのだ! バラバラになったピース・・・それらを全てつなぎ合わせることで、犯人の手がかりを見つけようとしていた。
 中でも捜査員たちが特に注目したのが、新聞紙だった。 新聞は地域によって記事の内容が違う場合がある。 また文字は、印刷する機械によってクセが出ることも分かっていた。 こうして、気の遠くなるような作業が始まった。
 
 新聞紙のほとんどは爆発の影響で、数ミリから数センチ四方の断片になっていた。 その数は数千にものぼり、中には文字が解読できないものさえあった。 しかし、捜査員たちが一つ一つ、根気強くつなぎ合わせていった結果・・・ 事件発生から1ヶ月以上が経過した7月末、新聞紙の一部が解読できるまでになった!!
 
photo  そして、復元された紙面から、昭和43年4月17日の毎日新聞、東京・多摩版であることが判明。 さらに文字のクセから、犯行に使われた新聞は東京都立川市、そして日野市市内に配られた朝刊だと分かった。 この地域で毎日新聞を購読していたのは1万5000件。
 こうして捜査員たちは、毎日新聞の購読者名簿を元に1万5000件をしらみつぶしにあたると共に、4月17日付けの朝刊の回収を行っていった。 この日の朝刊が自宅にある家は、容疑者リストから外されるというわけだ。 しかし、1万5000件から犯人を割り出すのは、根気と労力が必要だった。
 
photo  そんな中、警察はさらなる重要な証拠を手に入れる。 捜査員たちは新聞以外にも、爆破装置本体を入れていたと思われる箱の復元を行っていた。 そして、その箱の一部に『みすづ総本店』という印字を発見したのだ! それは名古屋にある、モナカを製造販売している店の名前だった。
 警察はすぐさま同じ菓子箱を入手。 さらに、復元した爆破装置と同じ大きさの模型を制作。 箱の中にセットしてみると・・・ピッタリ収まった!
 
photo  しかし、このモナカの詰め合わせは、1日6万箱以上が販売されており、購入した客から犯人んを割り出すのは不可能だった。 だが警察は、毎日新聞の購読者を回る際、モナカの箱についても聞いてみることにした。 すると・・・日野市で聞き込みを行っていた捜査員が重要な情報を入手した。
 それは、そのモナカの箱を旅行のお土産に買い、親戚に配ったという家があったのだ。 そのうちの1箱は隣の岡島という人物にも渡したという! 事件発生から138日目、ようやくたどり着いた最重要人物だった。
 
photo  横須賀線に爆弾を仕掛け、首都圏民を恐怖のどん底に陥れた犯人。 容疑者として浮上したのは、岡島信次(仮名)という25歳の男だった。 捜査本部は、この男が事件と深く関わっている可能性があるとして、早速 その身辺を調査することにした。
 岡島は事件の1年前、一人暮らしをしていたアパートから、新婚向けに建てられた 一戸建ての借家に引っ越していた。 そして、岡島は毎日新聞を3月から5月まで購読していた。 事件が起こったのは6月16日だったが、爆弾を包んでいた新聞の日付は4月17日。 5月末まで新聞を購読していた岡島であれば、その日付の新聞を爆弾にしようすることは可能だった。
 さらに・・・岡島の家の大家の証言によると、岡島の家には電気関係の書物がたくさんあったという! 爆弾につながる重要な証言だった。
 
photo  そして、犯行を裏付ける 更なる情報も飛び出す。 それは職場仲間の証言だった。 岡島は事件当時、川崎市にある工務店で大工として働いていた。 図面が読め、腕も一人前だった岡島は、職場でも一目置かれる存在だった。
 だが・・・事件が起こるおよそ3ヶ月前、突如 周囲が驚く奇行を見せ始めたという。 猟銃の火薬をつめた物をたき火の中に入れ、爆破の威力を確かめたというのだ!! そんな危険な行為を、岡島はこの後、2回も繰り返し行っていたという。
 
photo  警察は、岡島が隣人から爆弾を入れていたと思われる物と同じ菓子箱をもらっていたこと。 それを包んでいた毎日新聞の購読者名簿に入っていたこと。 そして、職場で爆破実験を繰り返し行っていたこと。 さらに、爆弾本体に使用されたパイプなど、大工をしていた岡島なら容易に入手できることから・・・。
 事件から147日目、ついに任意出頭を要請。 岡島信次の取り調べを行うことにした。 すると・・・岡島はあっさり罪を認めると共に、犯行に至ったすべてを語った。
 
 事件から9年前の3月、中学を卒業した岡島は、地元山形で大工の見習いとして働き始めた。 しかし、その職場は2年ともたず退職。 その後、上京を果たすと、東京都内の工務店に就職した。 元々、工作や機械を分解することが好きだった岡島は、わずか2年足らずで 一通りの図面が読めるようになった。
 
photo さらに、一流の職人になるため、2級建築士の資格を取ろうと勉学にも励んだ。
 そんな時、幼なじみの牧恵(仮名)と偶然 再会した。 2人は共に同じ山形県の出身。 家が近くということもあり、家族ぐるみの付き合いだった。 だが、牧恵の父が亡くなり、彼女は母親と横浜に引っ越していた。
 そんな牧恵とこの日、18年ぶりに再会したのだ。 岡島は勝ち気で少し我が侭な性格の牧恵に急速に惹かれていったという。
 
photo  数日後、職場の同僚の斉藤保(仮名)が岡島のアパートに訪ねてきた。 斉藤は1つ年上だったが、思いのほか気が合い、岡島も唯一の友人として慕っていたという。
 しかし その日、牧恵が岡島の部屋に訪ねて来ていた。 実は、再会して以来、牧恵は東京の岡島のアパートを度々訪れるようになっていた。 岡島は牧恵を斉藤に紹介した。
 そして、再会からちょうど20日目の夜のこと。 岡島は牧恵に結婚を前提にした交際を正式に申し込んだ。 しかし この時、岡島は知らなかった。 牧恵には、ある重大な秘密があることを。
 
 偶然の再会から1ヶ月後、2人は結婚へ向けて同棲を始めた。 結婚のために、物件を見に行こうという岡島へ、牧恵は・・・実は結婚していることを告白した。
 通信機器会社に勤務していた牧恵は、岡島と再会する5年前に、同じ会社の男性と結婚していた。
 
photo しかし 結婚後、夫はすぐに女性との交友関係が派手になり、家に帰らない日も増えていったという。 そのため、離婚話を何度も切り出したが、夫の承諾は得られなかった。 また、牧恵の母親も離婚には反対していた。 そんな時に出会ったのが岡島だった。
 牧恵の秘密を知った岡島・・・しかし 岡島は、すでに後に引けないくらい牧恵に惹かれていた。 そして、彼女もまた・・・岡島に惹かれていた。 結婚を誓い合う2人。 再会からちょうど1ヶ月後、3月16日のことだった。
 
photo  しかし、それから間もなく、岡島の母から手紙が届いていた。 何とはなしに封を開けた牧恵。 すると、そこには・・・
「牧恵ちゃんのお父さんは、刑務所で亡くなった人。絶対に一緒にすることはできない。」と書かれていた。
 牧恵の父は、彼女が物心つく前に亡くなっていた。 窃盗の罪で刑務所に入り、服役中に病死したのだ。 かつて家族ぐるみの付き合いをしていたからこそ、岡島の母は牧恵の父の過去を知っていたのだ。 だが・・・彼女はこの手紙を見るまで、その事実を知らなかった。
 それでも岡島は、牧恵の父がどんな人であろうと、自分たちの結婚には関係ないと思っていた。 だが、その後も再三、岡島の実家から結婚に反対する手紙が届いた。 中には、若い女性の見合い写真まで添えられた手紙もあったという。
 
photo  そして、結婚を誓い合ってから1ヶ月後の4月16日。
牧恵は岡島のアパートを出て行ったのだ。
 だが、岡島は諦めなかった。 東京日野市に、新婚向けに建てられた一戸建てを見つけると、すぐさまそこへ引っ越した。 そう、全てはこの家へ牧恵を向かい入れるためだった。 こうして一方的に結婚の準備を整えていった岡島。
 だが・・・職場の同僚が、斉藤のアパートに入っていく牧恵を見たと言うのだ!! 知らぬ間に牧恵には、新たな恋人が出来ていた。 しかも その相手は、信頼していた唯一の友人だった!!
 
photo  これ以上、斉藤と同じ職場で仕事をしていくことはできない。 岡島は、7年間勤めていた職場を去り、別の工務店に転職。 そこで、周囲が驚く奇行を繰り返した。
 そして、事件のおよそ半年前のこと。 隣の住民から、新婚旅行のお土産としてモナカをもらった。 『新婚旅行』という言葉に岡島の心はかき乱された。
 そして、どうにか牧恵を取り戻すべく、斉藤のアパートを訪れた。 そこで 牧恵と会うと、よりを戻そうと牧恵を説得した。 しかし 牧恵と口論になり、岡島は「愛と憎しみも紙一重だからな。覚えておけよ。」と言ったのだ。
 
photo  そして、1968年6月16日。
その日は朝から、激しく雨が降っていた。 この大雨では仕事は休みになるだろう。 岡島は何気なく、テレビをつけると、父の日のニュースが流れていた。
 岡島の父は、彼が2歳の時に亡くなっていた。 その命日が、奇しくも6月16日だったことをキャスターの声で思い出した。 そして・・・岡島はある奇妙な一致に気がついた。
 
photo  中学を卒業後、最初に勤めた勤務先を辞めたのは7月16日だった。 上京した岡島は、幼馴染の牧恵と18年ぶりの再会を果たす。 その日付もまた、2月の16日だった。 そして、結婚を誓い合った日が3月16日。 牧恵が岡島の元を去った日もまた、一月後の4月の16日だった。 さらに、唯一の友人だった同僚に牧恵を奪われ、彼と一緒にいることに耐えられず、勤務先を辞めた日も・・・また、10月の16日だった。
 それは、単なる偶然。 しかし この時、16日という日は、自分にとって特別な意味を持つように感じられた。 さらに、牧恵と斉藤のことを思い、絶望感に打ちひしがれた。
 
 斉藤もこの雨で仕事が休みかもしれない。 そうなれば、牧恵も喜んで横浜の自宅から斉藤の元へ訪れるに違いない。 その姿を想像すると、岡島の心は激しく動揺した。
 そして、『電車にイタズラをすれば牧恵が斉藤に会えない』と思ったという。
 
photo さらに、「愛と憎しみも紙一重だからな。覚えておけよ。」という岡島の言葉を牧恵が覚えているなら、『このイタズラも岡島の仕業だと気づいてくれるのではないか』と、思ったというのだ。 自分のことなど忘れているだろう牧恵に、自分の存在を思い浮かべて欲しかった。 ひょっとしたら・・・牧恵は戻ってきてくれるかもしれない。
 それは、実に短絡的な発想だった。
しかし 岡島の暴走は、もはや止まることはなかった。
 
photo  爆弾を抱えた岡島が東京駅に着いたのは、午後1時30分頃。 そして、網棚に爆弾を置いた。 タイマーは2時間後にセットしてあった。 なるべく、牧恵がいる横浜に近い駅で爆発させるためだった。
 だが、岡島の予測より早く、電車は終点に到着。
折り返し・・・午後3時28分、爆弾は大船駅の手前 200mで爆発!!
 
photo  岡島は、牧恵自身の命を狙うつもりはなかったという。 会いに行くことを少しでもためらうようになれば十分だった。 だからこそ、火薬も脅かす程度の量に調節したつもりだった。 だが、爆発の威力は想像をはるかに超えていたという。
 その後 行われた裁判で、弁護士は岡島に明確な殺意がなかったことを訴えた。 しかし、職場で何度も実験を行い、その殺傷能力を事前に知っていたと、裁判官は判断。 弁護士の訴えは一切認められず、事件からおよそ9ヶ月後、横浜地裁で死刑の判決が下された。
 
photo  当初、連続爆破事件との関連を疑われ、金銭や政治的な目的があると思われた『横須賀線爆破事件』。 しかしその真相は、愛する女性に対する男の異常なまでの嫉妬だった。
 それは決して許されることではなく、最高裁でも死刑が確定。 岡島は逮捕から7年後の2月、東京拘置所で死刑に処された。
 
photo  実は、爆弾に使われたタイマーは、2人が同棲していた時に使っていた炊飯器の物だった。 捜査員が牧恵にそのことを伝えると、彼女は涙ぐんだという。
 2人が幸せだった頃の思い出の品を、あえて凶器に使い、罪もない人の幸せを奪った岡島。
その行為は、決して許されない。