自殺がダメなら、じゃあどんな死に方ならいいのか? - 自殺サイト:自殺・臨床心理学 (和光大末木研ブログ)
死にたい人が安楽死できる仕組みがあれば良いと思う。
安楽死自体は既にオランダやスイスでは行われているので、荒唐無稽な話ではない。
自殺者がそれを望んでいる場合、それは自殺者自身が選択すべきことである。自殺者は、死ぬしかない確信に満ちている。
それは認知の偏りであるという人もいるが、果たして本当にそうなのか?人間には能力や環境、気質、様々な制約条件がある。
どんなものも、幸福だと受け止めよう!などと言う人もいる。しかし、その受け止めなければならない苦痛を、アドバイスする人は全く知り得ない。
その断絶は自殺者をますます確信に追いやる。つまり、根源的に止められない自殺者は常に存在する。
経済学者も、自殺を止めたい人も大賛成できる
以下で述べるのは自殺したほうが良い理由ではない。自殺した後に生まれた便益である。
公的施設である以上、便益と費用の観点が必要だ。まず、高齢者に関しては年金や医療費などのコストが安くなる。
若者は教育費でマイナスに思えるが、優秀な人が就職するまでの選抜システムと捉えればどちらにしろかかってしまう費用であるから追加の社会保障費用がかからなくて済む。
また、自殺により損害に苦しむ鉄道事業者、不動産所有者、賠償に苦しむ家族、警察等の負担を減らせる。
NHK生活情報ブログ:NHK
逆に言えば、これだけの負担より過小な金額を施設に投資するよう事業者に呼びかけるのは極めて合理的である。また、資産を持つ人からは額に応じて徴収する仕組みなど、自殺のまま放置するよりも社会的費用が少なくなる*1。
翻って、自殺を止めたい人にとってはどうだろう。一見、反対したいように思えるだろうが、事態は逆なのである。
自殺は、突発的なことが多いのはよく知られている。例えば、負債を持つ人が自殺に魅力を感じているとしよう。どこかに飛び込む直前、彼は破産したあとの人生と自殺を天秤にかけている。そして、自殺に魅力を感じてしまうのだ。
では安楽死施設があればどうだろう。その選択肢の中に、安楽死施設を挟み込むことができる。同じ死ぬでも、より痛みの少ない手段は魅力であるから、安楽死施設に来ざるをえない。
いのちのでんわや相談に乗るという手法は目の大きい網を投げているに過ぎない。自殺のすぐ直前ならば、目の細かい網で捕まえられるのだ。
蛇足 自殺論議で目立つべき人が目立たなかったのはなぜだろう
grshbやぐるりみち(id忘れた)ばかりが目立った例のシンポジウム、本来はこういう専門家に任せておいたほうが良かったんじゃないかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/sutare/
日本の自殺率の高さの国際間比較をググってたらたまたま行き合ったのだけど、例のシンポジウムのぽんこつっこの紹介してた自殺対策コンテストにも関わった人のようで。
就職活動の話とニートの話 - 誰かが言わねば
例えば、こういう記事に対して以下のような記事は理屈の整理には役立つだろう*2
自殺の対人関係理論から考える若者の自殺―自殺に追い込まれるプロセスとは - 自殺サイト:自殺・臨床心理学 (和光大末木研ブログ)
この辺の心理なども分かりやすい。
自殺者の心理:自殺の対人関係理論のその後の展開 - 自殺サイト:自殺・臨床心理学 (和光大末木研ブログ)