« 原発事故で苦しんだ福島人をまた苦しめる権利はマスコミにはない | トップページ

「美味しんぼ」 除染無意味論のニヒリズム

092

事故後被災地ではたしかに「美味しんぼ」が描くように鼻血が出ていました。

ただし原因は大量の瓦礫粉塵や塩を含んだ泥と砂が混じった土砂であって、放射能とはなんの関係もありません。

しかし、そうと分かったのは状況が落ち着いてからのことです。

枝野官房長官の「ただちに健康に影響はない」といったコメントでかえって不安をかきたてられる始末でした。

「え、ただちに?中長期にはあるのか?」と国民誰しも思ったはずです。完全な政府の情報の出し方の失敗です。

そして致命的なSPEEDI情報の隠匿が重なり、「公表された情報は信じられない。なにか重大な情報を隠しているはずだ」という長く「被曝」地を苦しめた風評被害につながっていきます。

鼻血症状が原発事故と重なった福島浜通地域では、「もしかしてこの鼻血は放射能のためではないか」と脅える人が大勢出ました。

松戸、柏、東葛などの地域では、折からの降雨を浴びた人たちに放射能パニックが走りました。

その時の浜通りの人々や、雨に濡れそぼった子供を持つ母親の気持ちは、私には痛いように分かります。

実は私自身も、放射能雲が頭上を通過した際に屋外で働いていたために、万が一を心配した時期があります。

当時、風評被害で経営が壊滅状態にまで追い込められたこともあって、荒木田氏よろしく「起きれないほどの疲労感」と、おまけに鼻血まで出る始末でした。

まぁ私の鼻血は、鼻くそのかきすぎで傷がついたんですがね(←いい歳して恥)。

なまじ私も若き日に反原発運動をしたことがあるもんで、「鼻血」が意味することが分かっていたために、すぐに知り合いの医者(←実は獣医です)に走りました。

「オレってひょっとして急性被曝?」

地震で倒れた機材を直しながら医者は笑いながら、「放射能ならすぐに止まんないよ」と脱脂綿詰められただけだったですけどね(笑)。

井戸川さんや作中の山岡も、医者にきっとそう言われていているはずですよ。

とまぁこのように、事故当初の生々しい恐怖は今でも鮮明に覚えています。

漫画を思想伝達の手段と考えているらしい雁屋氏に望むべくもありませんが、もし彼がその時の被災地の人々の不安の心の襞にまで踏み込んで描いたのなら、また違ったものになったことでしょう。

ところで、当時の情報や指示が政府から届かないような閉塞した状況で、もっともいい精神安定剤は計測と除染でした。

ひたすら測り、ひたすら除染する、この単調なくり返しの先になにか光明を見いだそうとした「被曝」地住民は大勢いたはずです。

今回の「美味しんぼ」騒ぎをみると、まだこんな3年前の私たちの時間で止まったきりの人がマスコミ界に多数のさばっていることに驚きを感じました。

まぁ、「美味しんぼ」の最終取材が2012年11月だそうですからね(苦笑)。

046

                   (写真 2011年。私たちの地域における測定作業の様子)

さて、「美味しんぼ」24号の中で山岡が、例によってオレはなんでも知ってるといったふうな顔で(←このエラソーそうな顔が大キライ)、「除染は汚染物質の移動でしかない」というようなバカなことを言っています。

なに言っているのか、山岡。除染のイロハも知らないのか。あたりまえじゃないか。

Photo_2

放射性物質は自然消滅するまで存在し続けます。だから、住宅地域や公共施設、道路から「移動」させて、人に対して無害化」させるのです。

そもそも放射性物質を移動して、人間活動から無害化させる作業を除染と呼ぶのです。

山岡が言うのは、「AはAだから意味がない」と言っている同義反復でしかなく、「山岡は山岡だから馬鹿だ」と言っているのと一緒です。

「だけだから」と言ってしまえば、もはや福島では何をしても無駄だから、何もしない方がいいのだということになります。

実際、荒木田氏は作中でそのような意味のことを発言しています。

2_2

                   (除染は無意味だと主張する荒木田氏) 

こんな短絡した理屈で「除染しても住めない」などと言ってほしくありません。

スピリッツ編集部は見解の中で、「事故直後に盛んになされた残留放射能や低線量被曝の議論が激減した」ことを、この「美味しんぼ」の掲載意義に挙げています。

そうではありません。放射線によって切断されたDNAが自己修復するように、「被曝」地住民の多くは、放射能と戦い、正しく理解したからです。

低線量被曝で障害があるかないかなどという神学論争にふけっている余裕はなく今後も長期に続く保健活動を地道に続けてひとつとつ不安の種を潰していく中で自信を取り戻していったのです。

政府が医療支援を打ち切るというなら本気で反対運動すればいいでしょうが、違うにかかわらず、徒に「鼻血が出たのは被曝したからだ」「除染は無駄だ」「福島には住めない」などと軽々しく騒ぐことはしないまでに放射能を知ってきたのです。

だから、未だ脳内ディストピアから抜け出せない一部自主避難者(特に避難地域と同額の補償を取る運動をする人達)に対して、「いいかげんに目覚めなさい。逃げる必要がないのに逃げて」という気持ちを抱いても当然のことです。

それをあたかもスピリッツ編集部のように、自主避難者や体調不良を訴える人たちに対する「差別」でもあるかのように描く神経がわかりません。

※関連記事http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-f2f9.html

Photo_4 

          (「ともかく福島には住むな」と主張する井戸川氏)

一方「美味んぼ」に出てくる人々に色濃く覆うのは精神的ニヒリズムです。彼らは後ろ向きなことしか話しません。

3年たった今でも、口を開けば「被害を受けた」「危ない」「住んではいけない」「逃げろ」などという負の感情だけを吐露し、その責任をすべて東電と政府にぶつけるだけで生きています。

これでは放射能とは戦えません。もし、放射能に勝ちたいのなら、自ら放射能の弱みを知り、どうやったら封じ込めるられるのかを問い、実践すべきなのです

福島県の農家は、除染をしつつ、自らのコメを一袋残らず計測したのです。もし彼らが井戸川氏や荒木田氏のようなネガティブな感情に支配されるだけの人達だったらとうに逃げ出していました。

Photo

上図は12年福島県産の全袋検査のものです。全量全袋検査は1000万検体以上に達していますが、その中で基準値(100Bq/kg)超えはわずか71袋、0.0007%でした。(図 福島県試より)

彼らは放射能禍に勝ったのです。

ここに二種類の人間のグループあります。恐怖に脅えたところまでは一緒でした。

それからが違いました。ひとつは自分の恐怖を他人で伝染させ声高にパニックを拡げることが「天命」たと思う人間たちであり、一方は黙々と目の前の脅威と正面から戦った人たちです。

どちらが人間としてまっとうな生き方なのかは言うまでもないでしょう。

|

« 原発事故で苦しんだ福島人をまた苦しめる権利はマスコミにはない | トップページ

原子力事故」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 原発事故で苦しんだ福島人をまた苦しめる権利はマスコミにはない | トップページ