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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:100」を破折する 連載150回

妄説:100 「此れを以て考えますと将来の歴史家に立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通(るつう)広布の時代と定義するであろうと思われます(中略)七百年の歴史は一に広宣流布を待望しつつ堅く護持してきた時代と申すべきでありましょう。しかし末法に入って千年のうち、はやくも九百年は過ぎました。もとより末法は千年に区切ることはありませんがともかく千年の終りに近づいて開宗七百年を転期として一大流布に入ったということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によって、もって起った仏縁に唯ならないものがあると思います」(淳全 1620頁)

 〔創価学会の解釈〕
「法体の折伏」「化儀の折伏」からいえば、宗門僧侶の使命は「法体の折伏」という「折伏の上の摂受(しょうじゅ)」にあったといえる。事実、宗門七百年の歴史を振り返ると、広布の時に備え、どうにか大御本尊を護持してきた「折伏の上の摂受の時代」であったと言わざるを得ない。しかしながら、「賢王(けんのう)」の団体・創価学会の出現によって情勢は一転し待望の「化儀の折伏」「折伏の上の折伏」の時代に突入した。ここに、一人、絶対者たる法主が御本尊の大権を所有し、教団を統率していた草創の「護持の時代」は終わりを告げ、いよいよ「一閻浮提総与」との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流通していく「時」を迎えた。(聖教新聞 H五・九・二〇 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 この第六十五世日淳上人のお言葉は、昭和三十一年のものです。
 このころの創価学会は、時の御法主上人の御指南のもと、戸田会長を中心に、正しく日蓮大聖人の仏法を弘教(ぐきょう)していました。
 ですから、前のような日淳上人の賛辞があったのです。
 まして、第二次大戦以前の我が国の宗教政策にあっては、布教の自由はないに等しい状況であったのです。
 その後、新憲法によって信教の自由が許され、戦後の荒廃(こうはい)した時代にあって、学会は、日蓮正宗の信徒の団体として、めざましい発展を遂(と)げました。
 しかしながら、今日の学会は、その本来の使命を忘れた邪悪な教団となっており、日蓮大聖人の仏法を広宣流布する資格はなくなっています。
 かつて、池田大作氏は学会の本来の使命について、次のように述べています。
「この日蓮正宗の信徒として、御法主日顕上人猊下の御説法を拝しつつ、永遠にわたる人類平和のために、正法を基調として、個人の幸福と世界の平和を結ぶ文化、平和の基盤を営々と築いていくところに創価学会の使命がある」(広布と人生を語る 一-一四六頁)、
「日蓮正宗の、根本中の根本は、ご存じのとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を代々受け継がれる御法主上人がおいでになり、七百年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。みずからの信心の濁りや驕慢(きょうまん)から、その根本軌道を失ってはならない」(広布と人生を語る 六-四一頁)
 このように池田氏は、真の広宣流布は本門戒壇の大御本尊と血脈付法の御法主上人を抜きにしてはありえないといっていたのですが、我が身の慢心を指摘されるや、今日のように学会を大謗法集団にしてしまったのです。
 したがって今日の学会には、大聖人の仏法を弘める資格もなくなり、いかに「いよいよ『一閻浮提総与』との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流布していく『時』を迎えた」と力んでみても、所詮(しょせん)、彼らの思い込み、一人よがりの戯言(たわごと)でしかありません。
「一閻浮提総与の御本尊」とは、「世界中の一切衆生の即身成仏のために、建立された根本の御本尊」との意味であり、この大御本尊は法体相承として歴代の御法主上人に相伝されているのです。それを「われわれに与えられた御本尊」と曲解するのは、憍慢謗法以外の何ものでもありません。

破折:
1.流通広布の時代
(1)僧侶中心の「護持の時代」の終焉

 聖教新聞紙上に掲載された論説を熟読すれば、宗門は大聖人の御正意に違背していることが如実に知れるのである。
               ◇
 一、学会の御本尊流布は、必然的な「時」の流れである。      

『佐渡御書』に云く、「仏法は摂受(しょうじゅ)・折伏時によるべし」(御書九五七ページ)と。諸御書にお示しのごとく、末法の今日は「折伏の時」である。
 しかし、この折伏においては、さらに「法体の折伏」と「化儀の折伏」という二様がある。
 すなわち、先に拝した『観心本尊抄』の「当(まさ)に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責(かいしゃく)し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(御書二五四ページ)との御教示は、第一の項目で論じたように、未来出現の「賢王」すなわち創価学会の「化儀の折伏」に望んで、「僧」であられる大聖人の「法体の折伏」を「摂受」とされたのである。
 総じていえば、大聖人御一人にとどまらず、宗門僧侶の使命はこの「法体の折伏」という「折伏の上の摂受」にあったといえる。事実、宗門七百年の歴史を振り返ると、広布の時に備え、どうにか大御本尊を護持してきた「折伏の上の摂受」の時代であったと言わざるを得ない。日淳上人はそれゆえ、「七百年の歴史は一に広宣流布を待望しつつ堅く護持してきた時代と申すべきでありましよう」(『日淳上人全集』一六二二ページ)と述べておられる。
(『創価学会の御本尊授与に関する法門上の見解』日蓮正宗・青年僧侶改革同盟 『聖教新聞』1993年9月20日)

(2)民衆中心の「流通広布の時代」

 しかしながら、「賢王」の団体・創価学会の出現によって情勢は一転し、待望の「化儀の折伏」「折伏の上の折伏」の時代に突入したのである。日淳上人は続けて、「開宗七百年を転期として一大流布に入つたということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によつて、もつて起つた仏縁(ぶつえん)に唯(ただ)ならないものがあると思います」(同ページ)と示されている。
 すなわち、日淳上人は、創価学会こそ仏意仏勅の広宣流布の団体であり、学会の出現によって、仏教史を画する劇的変化が起こったことを、鋭く看破(かんぱ)されたのである。それは、「将来の歴史家に立宗七百年以前は宗門の護持(ごじ)の時代とし、以後を流通(るつう)広布の時代と定義するであろう」(同一六二〇ページ)と予見されているように、僧侶中心の「護持の時代」から民衆中心の「流通広布の時代」への歴史的移行であった。
 してみれば、「流通広布の時代」においては、あらゆる化儀(けぎ)は僧侶主体から民衆主体へ、閉鎖から解放へ、差別から平等へ、と変化するのが必然である。にもかかわらず、いまだに僧分の法主が化儀裁定権を独占し、なかんずく御本尊の権能を専有している現実は、学会出現以前の「護持の時代」の残滓(ざんし)というべきである。譬(たと)えていうなら、仏法上の「時代錯誤(さくご)」である。
「護持の時代」にあっては、大御本尊を正しく伝持しゆくことに最大の主眼があったがゆえに、教団の分裂を防ぎ、とりわけ「本尊雑乱」を防ぐためには、御本尊に関する権能を「唯授一人」の形式で集中させておく必要があったのである。室町期の日有上人が
「門徒の首長計り伝へて本尊を書くべし余(よ)は書くべからず二仏並出(へいしゅつ)と云云」(『雑々聞書』『富士宗学要集』二-一六三ページ)
と仰せられ、「二仏並出」という法義的混乱を防ごうとされたことは、「護持の時代」にあっては、おそらく最善の選択だったであろう。
 その意味から、私どもは、これまでの宗門の御本尊護持のあり方を全面否定するものではない。だが、「流通広布の時代」の今日、「唯授一人」の法主が御本尊に関する権能を独占する形態の功罪を問えば、むしろ「罪」の方が大きいと言わざるを得ない。その「罪」の最たるものは、今回、日顕が自己の低次元な感情に囚(とら)われ、学会員に対する御本尊下付を高圧的、一方的に停止したことである。いわば、御本尊に関する権能の「乱用」であり、あろうことか仏法利用の「食法餓鬼(じきほうがき)」の法主が宗門に出現してしまったのである。
 一方、学会員各位にあっては、「御本尊根本」の信心の浸透と、本尊義の眼目たる三大秘法の教義研鑽が、徹底して行われている。このことは、まことに前代未聞の出来事である。換言すれば、法主の指南を待つまでもなく、民衆一人一人が主体的に自らの信心と道理に基づいて、御本尊の意義を認識できるようになったのである。
(同)

(3)創価学会による「護持」及び「流通」の時

 ここに、一人の絶対者たる法主が御本尊の大権を所有し、教団を統率していた草創の「護持の時代」は終わりを告げ、いよいよ「一閻浮提総与」との大御本尊の意義にふさわしく、広宣流布の和合僧団・創価学会が御本尊を護持し、流通していく「時」を迎えたと、私どもは確信して止まない。  
『報恩抄』に云く「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書三二九ページ)と。日亨上人がいみじくも「学会の出現がなければ、今ごろ宗門は潰(つぶ)れていた」と述懐されたように、創価学会の出現がなければ、日蓮正宗は信仰面でも物理的にもとっくに滅んでいたであろう。学会があればこそ、日蓮大聖人の仏法の偉大さが世界に広く証明され、御書の御金言が現実のものとなり、正宗は曲がりなりにも一教団の体面を保ってこれたのである。まことに学会の存在自体、御仏意の賜物(たまもの)といえよう。
 結するに、私ども日蓮正宗改革同盟、青年僧侶改革同盟の僧侶一同は、今般の学会による御本尊授与を「日蓮が慈悲曠大」なるがゆえの御計らいと信じ、これよりは宗祖大聖人の末弟として、学会の御本尊授与の聖業に心から賛同し、ともに世界広布へ責任をもって邁進(まいしん)しゆくことを、仏祖三宝尊に対し奉り、謹んで宣誓(せんせい)するものである。
(同)

2.時を感じての日寛上人御書写の御形木御本尊の出現

「学会の出現がなければ、今ごろ宗門は潰(つぶ)れていた」(堀日亨師)との言葉通り、我ら学会員は七百年の歳月を超え出現したのである。それは国家が次第に宗教弾圧に傾斜し、大聖人の仏法が危機に瀕する頃であった。
 太平洋戦争時の軍部政府による大弾圧の下、宗門は謗法充満のただ中にあった。このときまさに消えんとしていた大聖人の法灯は、牧口会長と戸田理事長(当時)の死身弘法の法戦をもって守られたのである。
 戦後一人立った戸田会長は、時の宗門の抑圧に耐えながら、七十五万の地涌の菩薩を呼び出し今世の使命を終えた。その遺訓通り、池田会長は「二百万の御本尊流布」を達成し、「事の本門戒壇・正本堂」を建立したのである。
 ところが学会の進展に伴い、宗門は自らの権威維持に躍起になった。宗門には、戸田会長が始めた登山会で本山がようやく潤った苦難の時代を忘れ、在家が僧侶に尽くすのは当たり前との風潮が広がっていった。
 これにより日達法主のとき第一次宗門事件、また日顕による第二次宗門事件が起こった。僧俗和合を願う学会に対し、宗門は徹底して僧俗差別で報いた。僧侶は常に在家より上の立場にあるべきとの、坊主の優越感を満足させたかったわけである。
 だが宗門は、差別にも限界があることに気が付いた。素養・人格のどれを取っても、日顕は池田名誉会長に届かないことが分かったからである。それと知るや「憍慢謗法」との日顕の罵声とともに、一方的な破門通告に続き御本尊下付停止が強行された。
 果ては、先師日達法主が建立した正本堂・大客殿を始めすべての伽藍を破壊し尽くすに至った。日顕は、学会に謗法の罪を着せて破壊の理由とするが、実は先師が日顕に相承をしなかった怨みを晴らしたものである。
 だが学会を敵に回したとたん、宗門は今まで学会に守られていたため自らのボロも隠されていたことを思い知ることとなる。学会が去った後の宗門はいかに謗法が充満しているかが、白日の下にさらされたのである。

● 宗門が学会を誹謗する理由付けとして、真実を曲げて法門を捏造するしかない。
● 相承を詐称した日顕の疑惑は、包み隠さなければならない。
● 日顕の大御本尊誹謗の事実は、否定しなければならない。
● シアトルで日顕が売春婦と行為に及んだ件の訴訟では、日顕自ら手帳に細工までしなければならなかった。

 なまじ学会を破門したために、宗門は次から次へと臭いものにフタをしなければならなくなったのである。いちいち御苦労なことである。
 宗門が右往左往しようと、学会は手を止める暇はない。広宣流布は大聖人の御遺命であり、御本尊流布は日興上人の勧められるところである。
 学会が謗法充満の宗門と決別したことで、いよいよ「本門の時代」に入った。学会が広宣流布の陣列を再び整えたとき、正師・日寛上人の御本尊が御形木御本尊として会員に授与された。まさに時を感じての御本尊の御出現であった。

3.日顕の嫉妬で宗門が滅亡

 宗門が〝百の妄説〟シリーズの最後に六十五世日淳法主の言葉を持ち出したのは、日顕の嫉妬深さゆえである。学会幹部及び改革同盟僧侶が断言する。
               ◇
 辻 日淳上人は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の広宣流布の団体である学会の出現によって、仏教史に劇的な変化が起こったことを見抜かれ、将来の歴史家は「立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通(るつう)広布の時代と定義するであろう」(日淳上人全集一六二〇ページ)という有名な言葉を残されている。これからの広宣流布は、あくまで民衆が主役の時代だということです。先生の戦いは、まさにそれを証明している。
 細谷 ここで日顕のことをいうのは、まるで別世界の化石を相手にするようなものですが(笑い)、彼は、日淳上人のいわれた「流通広布の時代」の深い意義が、結局わからなかったんでしょう。だから、現実に世界に広宣流布をしている先生に嫉妬(しっと)し、狂ってしまった。
 高橋 その結果は、民主主義を否定し、文化を否定し、僧俗和合を破壊し、ただ〝衣の幻想〟に執着し宗門を滅亡させています。全く、哀れと言うしかありません。
(発言者:辻参議会議長、細谷副会長、高橋婦人部書記長 『聖教新聞』1993年9月30日)

 工藤 日顕が自分で白状していますよ。宗門の機関誌で「私の罪障と云はうか、(戸田)先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年頃の私は、自らの心にある垣根を作り、それが円融闊達にして師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない事があった」と書いている通りです。
 原田 この「昭和二十四年頃」というのは、どういう時期なんでしょう。
 工藤 そのころといえば、ちょうど昭和25年秋ごろに日淳上人が向島の常泉寺住職に赴任され、日顕は、道を挟んで向かいにあった本行寺の住職でした。日淳上人は、戸田先生との親交も厚く、人格も見識も素晴らしい方でした。学会員は、みな自然と常泉寺に足が向いた。ところが日顕の本行寺には、誰も寄りつかなかったんです(笑い)。
 大場 なるほど。それでひがんでいたんだな。自分で言うぐらいの醜い「坊主根性」だったわけだ(大笑い)。
(座談会『21世紀の「創価の時代」』【42】『聖教新聞』2001年10月5日)

 日顕は、学会が日淳法主から讃嘆されたことが妬ましくてたまらないのである。
 だが邪師からの誹謗中傷は、正義の証明である。邪師のいずれ堕ち行く先は、経典に記し置かれた処である。

「増上慢(ぞうじょうまん)の比丘(びく)は、将(まさ)に大坑(だいきょう)に墜(お)つべし」(法華経方便品第二)

 宗門には厳しい果報が待ち受けるのみであり、それは我らの関わり合うところではない。
 我らは法滅の日顕宗を低く見て、至高の広宣流布の凱歌を揚げていく。
                           (了)

――あとがき――
1.擱筆できたのは信仰と同志のおかげ

「日顕宗『ニセ宗門』の妄説を破折する」百問百答シリーズを、ようやくにして記し終えた。本年4月1日より開始してほぼ半年、連載回数は図らずも百五十回を数えるに至った。
 連載開始には相応の下準備があったにかかわらず、執筆中に意外な発見もあり、また未見の資料を知ることもできた。執筆することによって自身が成長できたと自負している。
 また多くの御書・御文を拝し、学会員の先輩諸兄による論考や感想に触れることができたことは、望外の喜びである。その意味からも、これらに記される真実を掲載できたことは、御本尊・大聖人への信仰はもとより、学会の人々の篤い信心に接してこそと信ずるものである。

 立正安国論(二六㌻)にいわく、
「蒼蝿(そうよう)驥尾(きび)に附して万里を渡り碧蘿(へきら)松頭(しょうとう)に懸りて千尋(せんじん)を延(の)ぶ」

(青バエも駿馬の尾につかまっていれば万里を行くことができ、葛(かずら)も大きな松の先にかかって千尋の高さにまで延びることができます)

2.学会への非難は〝後ろめたい日顕宗〟の焦り

 ここまで書き進めるに至った動機は、何と言っても邪宗門の捏造体質と、学会への言われなき誹謗にある。
 彼等はよく「頭破作七分になり、悪道に堕(お)ちる」(「妄説:38」)とか、「必ず現罰をこうむるのです」(「妄説:19」)などと誹謗中傷する。これまで「地獄に堕ちる」等の脅迫で檀信徒を隷属させてきた、古くからの宗門の体質である。
 だが御書に照らせば、誰が堕地獄となるのか一目で分かることである。

 御講聞書(八四二㌻)にいわく、
「謗法不信の失を見ながら聞きながら云わずして置かんは必ず無間地獄へ堕在す可し」

 軍部政府の圧力に屈し、大聖人の正義をことごとく貶めたのは誰であったか、時の宗門ではないか。僧侶が保身に汲々としていた時、消えかけた法灯を最後まで守ったのは在家の牧口会長であった。
 堀日亨師は、戦後次の通り牧口会長を讃えていた。

「今まであった法難のなかでも一番大きな法難ではないか! 縦にも横にも、内外にも、格段の相違がある。牧口君が殉教したということは、本当に大きな意味があるんだ。僧侶も及ばないことなんだよ」
(『日蓮正宗〝落日の真因〟』渡辺慈済著 発行所:第三文明社)

 戦時中の大謗法を未だに認めない宗門は、御書にある通りの後生が待ち受ける。それに加うるに、日顕には大御本尊誹謗という大謗法がある。現在の日顕宗の輩はすべて与同罪となり、奈落に墜ちることは言うまでもない。

3.自らの悪を学会に転嫁する宗門

 学会への誹謗中傷は、すべて日顕宗に当てはまる事項を学会に置き換えたものばかりである。すねに傷をもつ後ろめたい人間ほど、他者を貶めようとするものか。

① (「妄説:94」)
 ×「現在の創価学会は、草創期以来の日蓮正宗の信徒団体ではなく、ただ単なる新興宗教になり下がっています」
 〇「現在の日顕宗は、草創期以来の日蓮正宗ではなく、ただ単なる新興宗教になり下がっています」

② (「妄説:90」)
 ×「何ゆえに、勝手に本尊を模刻した大謗法の者に、宗門が願い出て納めてもらわなければならないのか、盗っ人たけだけしいとはこのことです」
 〇「何ゆえに、相承を盗んで大御本尊を誹謗した大謗法の者に、学会が信伏随従しなければならないのか、盗っ人たけだけしいとはこのことです」

③ (「妄説:69」)
 ×「『あるものをない』といい、『ないものまである』といって、檀信徒を誑(たぶ)らかす離脱僧は、まさに僧形の天魔といえましょう」
 〇「(学会の御本尊謹刻にかかる法主の許可が)『あるものをない』といい、(先師日達法主の相承が)「『ないものまである』といって、檀信徒を誑らかす日顕は、まさに僧形の天魔といえましょう」

④ (「妄説:60」)
 ×「相伝なき凡夫が御本尊の権能にまで立ち入ることは絶対に許されないことです」
 〇「相伝なき法主が御本尊の権能にまで立ち入ることは絶対に許されないことです」

⑤ (「妄説:35」)
 ×「富士大石寺から離れた創価学会には、もはや宗祖大聖人の法体はもちろん、唯授一人の相伝もないのです」
 〇「創価学会が離れた富士大石寺には、もはや宗祖大聖人の法体はもちろん、唯授一人の相伝もないのです」

4.大御本尊はすべての学会施設に御座(おわ)される

 大御本尊は秘仏として「本門事の戒壇堂」を待たれること七百年、遂に地涌の菩薩として出現した学会により、正本堂に御登座された。
 そのわずか四半世紀後のある夕刻、日顕が宗会も開かず、僧侶数人を集め人目を気にしながら大御本尊を拉致し去った。大御本尊は再び秘仏に戻されたのである。
 この暴挙により、宗門のすべての御本尊に大聖人の御精神は在(ましま)さず、功徳も消えたのである。
 ゆえに「宗祖大聖人の法体」(前出「妄説:35」)は我ら学会員の信仰の中にのみ息づき、御力を発揮される。その意味で、「法体」(大御本尊)は「本門事の戒壇堂」の意義を受け継ぐ世界各地のSGI施設に御座(おわ)されるのであり、諸天善神もまた来下するのである。
                           ―完―
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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:99」を破折する 連載149回

妄説:99 「仏心も妙法五字の本尊なり。己心もまた妙法五字の本尊なり。己心・仏心異なりと雖も、妙法五字の本尊は異ならず」(観心本尊抄文段・富要 4-236頁)

 〔御文証の通釈〕
 末法の本因妙の教主の己心(仏心)は妙法五字の本尊であり、我ら衆生の仏性も妙法五字の本尊です。衆生の心と仏の心は異なっているようであるが、妙法五字という点では異なりません。

 〔創価学会の解釈〕
○大聖人の御本尊は、信心の対境となる本尊であるだけでなく、本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えれば、その信心に本尊が具するのである。この二つの次元が揃(そろ)って初めて大聖人の御本尊義が完結する。(聖教新聞 H五・九・一八 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 この『観心本尊抄文段』の文は、本尊段ではなく観心の意義を明かされたところのものです。
 妙法五字の御本尊という場合、総別の二面から見なければなりません。すなわち、総じて平等という面からいえば衆生の己心と仏心は同一ですが、別して差別の面から見れば、仏心は能開、己心は所開という厳然たる差別があります。『曽谷殿御返事』に「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死(りんねしょうじ)のもとゐたらん」(新編 1039頁)と仰せになっています。
 学会でいう「本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えれば、その信心に本尊が具する」というこの「本尊」とはどの御本尊を指していっているのでしょうか。まさか凡夫の心に生じた戒壇の大御本尊というわけでもないでしょう。
 また、〝衆生の信心がなければ大聖人の本尊義が完結しない〟とは、いったい何宗の教義でしょうか。これでは大聖人の仏法が未完成だということになります。
 本門戒壇の大御本尊は衆生の信謗(しんぼう)と関係なく、弘安二年に完璧(かんぺき)に確立されています。大聖人に対して衆生の信心がそろった時に完結するのは、衆生の功徳利益であって、御本尊や御本仏の威徳(いとく)ではありません。
 更にいえば創価学会発行の「ニセ本尊」は、いくら会員が唱題しても「功徳ある本尊」に完結することは絶対にないのです。

破折:
1.「観心」とは「信心」の異名

「この『本尊』とはどの御本尊を指していっているのでしょうか」と、見当外れのことを言う宗門は、自ら引用した日寛上人の文段の意を掴み損なっているのである。

「問う、総勘文抄に云く『所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速(すみや)かに仏に成るなり乃至一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得乃至此れを観心と云う』と云云。この文意如何。
 答う、仏心も妙法五字の本尊なり。己心もまた妙法五字の本尊なり。己心・仏心異なりと雖も、妙法五字の本尊は異ならず、故に『一』というなり。
 而して『観』と云うは、初心の行者その義を知らざれども但本尊を信じて妙法を唱うれば、自然(じねん)に『己心と仏心と一なり』と観ずるに当るなり。故に『観心』というなり」
(観心本尊抄文段『日寛上人文段集』四七一㌻、『富士宗学要集』第四巻 二三六㌻)

(問う、『三世諸仏総勘文教相廃立』にいわく「結局、己心と仏心と一体であると観ずれば速やかに仏に成るのである。……一切の諸仏は、己心は仏心と異なるものではないと観ずるゆえに仏になることができたのである。……このことを観心というのである」と。この文の意はどうであろうか。
 答える、仏心は妙法五字の本尊であり、我ら衆生の己心もまた妙法五字の本尊である。己心と仏心と異なろうと妙法五字の本尊は異ならない、そのゆえに「一」というのである。
「観」とは、初信の行者が意義については何も分からなくても、ただ御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることにより、おのずから〝己心と仏心と一なり〟と観ずることになる。結局、御本尊を受持することが、日蓮大聖人の仏法における「観心」の本義なのである)

「仏心は能開、己心は所開という厳然たる差別があります」と〝差別〟を強調するあたり、いかにも宗門らしい。だが文段には、己心も仏心も、ともに妙法蓮華経の当体である点で「一」なのであると明確に示されるのであり、決して〝差別を説かれた御文〟ではない。
 それゆえ宗門が引用した一節は、上記の「故に『一』というなり」の文の直前で切り取ってある。切り文は宗門の得意とするところで、毎度ながらの姑息な手口である。

2.宗門の奸智 
(1)信者の己心を〝念仏〟に置き換える宗門

 そもそも「仏心は能開、己心は所開」などと御書のどこに説かれるか、前項の御抄の趣旨と真逆ではないか。つまりは宗門の捏造である。

 題目弥陀名号勝劣事(一一五㌻)にいわく、
「妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり、能開所開を弁へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり」

 能開とは法華経、所開とは諸法である。宗門は「仏心は能開、己心は所開」とし、仏心を「妙法蓮華経」、信者の己心を「南無阿弥陀仏」に配するのである。
 能開・所開の法義を濫用し「物知りがほに申し侍る」宗門は、御書を弄ぶにもほどがある。
 
(2)重要法門「総別の二義」を換骨奪胎
 
 宗門が引用する『曾谷殿御返事』は、総付嘱と別付嘱とでは付嘱の法体と弘通すべき時代とが各々異なることを強調された御抄であるが、仏心・己心の別を言われたものではない。

〇 総付嘱
(付嘱の菩薩) ……一切の菩薩
(付嘱された法体)…文上の法華経のみならず前後の一切経
(流布すべき時代)…正法・像法

〇 別付嘱
(付嘱の菩薩) ……地涌の菩薩
(付嘱された法体)…法華経寿量文底の南無妙法蓮華経の五字七字
(流布すべき時代)…末法

「総別の二義」とは上記の事柄を峻別することであり、これを誤れば日蓮大聖人の仏法に違背することとなる。だが宗門が本義を「仏心・己心」にあてはめようとすることは、およそ大聖人の御本意を損なうものである。
 宗門が繰り返し「総別の二義」の意を捏造して説く理由は次の妄言にある。

「現在の創価学会のように、別しての『法体の血脈』を否定し、総じての『信心の血脈』だけを強調することは、成仏どころか、堕地獄の業因となります」(「妄説:34」連載45回)

 存在しない「法体の血脈」の依処を求めるために、宗門は大聖人の重要法門である「総別の二義」を換骨奪胎したのである。恐るべき「堕地獄の業因」ではないか。

3.「但し御信心によるべし」

 宗門は「大聖人に対して衆生の信心がそろった時に完結するのは、衆生の功徳利益であって、御本尊や御本仏の威徳(いとく)ではありません」と言う。しかし「御本尊や御本仏」を衆生が信受すること無くしては、大聖人の観心は成立しない。
 いったい大聖人が常々、信徒に御本尊への信心を勧められているのは、何の為か。

 経王殿御返事(一一二四㌻)にいわく、
「又此の曼荼羅(まんだら)能(よ)く能く信ぜさせ給うべし。南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如し。いかなる病さ(障)はりをなすべきや(中略)但し御信心によるべし。つるぎ(剣)なんども、すすまざ(不進)る人のためには用ゆる事なし。法華経の剣(つるぎ)は信心のけなげ(勇)なる人こそ用ゆる事なれ。鬼にかなぼう(鉄棒)たるべし」

(また、この曼荼羅〈御本尊〉をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障(さわり)をなすことができようか。……ただし御信心によるのである。剣なども、勇気のない人のためには何の役にも立たない。法華経〈御本尊〉という利剣は、信心の殊勝な人が用いる時こそ役にたつのであり、これこそ鬼に金棒なのである)

 ここに「但し御信心によるべし」、〝御本尊への祈願が成就するかどうかは、ひとえにあなたの御信心次第です〟との、御指導が述べられる。
 それならば大聖人の御本意は分かるであろう。宗門が強調する御本尊の「威徳」よりも、「信心」を説かれ、門下が幸福になるべきを願われているのである。宗門は御書の心を見失っており、大聖人の御境界を窺い知ることはできない。
 御文には「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ」と仰せである。いかに法華経の剣(御本尊)を格護していようと、勇者(信心強盛の人)が用いることがなければ、剣の真価が顕われることはない。
 ゆえに日寛上人が「己心と仏心と一なり」と強調されているのであり、すべてのことは、御本尊への〝信心〟に帰する。それが日寛上人の結論である。

 新池御書(一四四三㌻)にいわく、
「有解無信(うげむしん)とて法門をば解(さと)りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解(うしんむげ)とて解(げ)はなくとも信心あるものは成仏すべし、(中略)況(いわん)や我等衆生少分の法門を心得たりとも信心なくば仏にならんことおぼつかなし」

(有解無信といって法門を理解しても信心のない者は、絶対に成仏することはできない。有信無解といって理解はなくても信心のある者は成仏できるのである。……ましてや我ら衆生が少しばかりの法門を心得たといっても、信心がなければ仏に成ることはおぼつかない)

 これは全く宗門の姿を言われているのである。どれだけ「少分の法門」(小賢(こざか)しいこと)をひねくろうとも、信心を論ずることのない宗門の輩は成仏どころか、堕獄は確実である。

 御義口伝巻上(七二五㌻)にいわく、
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納(しんじゅりょうのう)する故に無上宝聚不求自得(むじょうほうじゅふぐじとく)の大宝珠を得るなり信は智慧の種なり不信は堕獄の因なり」

(いま日蓮大聖人、およびその門下が、御本尊にむかって南無妙法蓮華経と唱えることが成仏の根本であると信受し納得することは、信解品に「無上の宝聚(ほうじゅ)求めざるに自(おのずか)ら得たり」とある、その大宝珠を得たことになるのである。信は智慧――仏の境涯のもとであり、不信は地獄に堕ちる原因となる)
                            (了)

日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:98」を破折する 連載146回

妄説:98 「法の本尊を証得(しょうとく)して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり。『其の人所住の処』等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕すなり。当(まさ)に知るべし。並びに題目の力用(りきゆう)に由るなり」(当体義抄文段・富要 4-400頁)

 〔御文証の解釈〕
 本門の本尊を無二に信じて南無妙法蓮華経と唱えるとき、我が身の仏性が本門戒壇の大御本尊と一体不二であることを証得するのです。
 これを「寂光当体の妙理を顕わす」ともいい、自分が住んでいるこの国土が常寂光土であり、この常寂光土はまた我が身と一体不二であることを覚知するのです。
 この戒壇の大御本尊と一体不二であり、常寂光の当体であると覚知できるのは唱題の功徳なのです。

 〔創価学会の解釈〕
○一切衆生の成仏を説かれた大聖人の仏法では、法主に限らず、全ての門下僧俗が「題目の力用」によって「法体の血脈」を受けられるのであり、「法体」である「本尊」は法主だけの専有物ではなく、信をもって求める万人に開かれたもので、法主だけが御本尊の権能を独占する根拠はどこにもない。(聖教新聞 H五・九・八 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 この『当体義抄文段』の御文は本門戒壇の大御本尊を信じて唱題する「信心の血脈」の功徳の相が述べられるのであって、「全ての門下僧俗が『題目の力用』によって『法体の血脈』を受けられる」文証などではありません。
『法華取要抄文段』には
「当に知るべし蓮祖の門弟是れ無作(むさ)三身なりといえどもなお是れ因分にして究竟(くきょう)果分の無作三身にあらず」(富要 4-380頁)
と、明確に果分の仏と因分の衆生の区別を示されています。「法の本尊」こそ信仰唱題の根本たる本門の本尊です。
 本門の本尊が三大秘法総在の一大秘法であり、本門の題目も、本門の戒壇も本門の本尊に具(そな)わるのです。
 本門の本尊を離れて、題目だけが存するのではありません。
「題目の力用」とは唯授一人の法体相承によって伝えられる大御本尊を信じて唱える題目の功徳です。もし「題目の力用」によって「法体の血脈」が受けられるならば、身延日蓮宗徒の唱える題目にも「法体の血脈」が流れることになります。
 これは明らかな邪義です。
 また、「法主だけが、御本尊の権能を独占する根拠はどこにもない」といっていますが、戒壇の大御本尊と御本尊の権能が、唯授一人の血脈相承(金口(こんく)相承)として代々の御法主上人に相承されることは七百年来不変の定めであり、今になって創価学会が非難したところで無駄なことです。
 改革同盟なる者たちのいい分(ぶん)は、本来立て分けて論ずべき「題目の力用」と「一閻浮提総与」と「御法主上人の権能」を混同した、愚迷の論というほかありません。

破折:
1. 法華経を信ずる人は〝当体蓮華〟(『当体義抄』)

 当体義抄は、日蓮大聖人の仏法の二代柱石ともいうべき開目抄、観心本尊抄と並んで、大御本尊を信ずるものの証得を明かされた甚深の御書である。
 宗門が提示した当体義抄文段に入る前に、本文を拝しておきたい。

 当体義抄(五一二㌻)にいわく、
「所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居(のうごしょご)・身土・色心・倶体倶用(くたいくゆう)・無作三身(むささんじん)の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり敢(あえ)て之を疑う可からず之を疑う可からず」

(所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の父母所生の肉身そのものをいうのである。正直に方便の教えを捨て、ただ御本尊のみを信じ、南無妙法蓮華経と唱え行ずる人は、煩悩・業・苦の三道が、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦がそのまま信心の一心に顕われ、その人の所住の処は、常寂光土となるのである。能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮大聖人の弟子檀那等のなかの正しい信心をする者のことである。これすなわち妙法蓮華経の当体であり、妙法に具わっている自在神力の顕わす功能なのである。決してこれを疑ってはいけない。これを疑ってはならない)

 〇 信力 ……「正直に方便を捨て但法華経を信じ」
 〇 行力 ……「南無妙法蓮華経と唱うる」
 〇 法力 ……「法華の当体」
 〇 仏力 ……「自在神力」

 この信力・行力・法力・仏力の四義が具足して、我らの成仏は疑いないのである。
 法力・仏力は、まさしく我らに授与された日寛上人の御本尊にあられる。我らはただただ信力・行力を励むべきである。
 日寛上人は当体義抄文段において、前項の本文を釈される。

「『正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人』とは本門の題目なり。『煩悩・業・苦乃至即一心に顕われ』とは、本尊を証得するなり。中に於て『三道即三徳』とは人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり。『三観・三諦・即一心に顕われ』とは法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり。『其の人の所住の処』等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕すなり。当に知るべし、並びに題目の力用に由るなり」
(「日寛上人文段集」六八三㌻、「富士宗学要集」第四巻 四〇〇㌻)

 題目の力用によって、我らは本門の本尊、本門の戒壇を証得すると述べられる。すなわち唱題することなくして、本門の本尊が証得できようか。
 宗門の輩は、本門の本尊さえあれば良いとするのか、そう思っているのは間違いない。彼らは所化に常々、このように教育している。
               ◇
 いいか。僧侶になった、出家したということ自体が信心のある結果だ。だから、これからは信心を深めることは一切、考えなくてよい。折伏もしなくてよい。題目もあげてはいけない。
(『実録小説 大石寺・大坊物語』青年僧侶改革同盟 渡辺雄範著)

 宗門の坊主になった時点で、大聖人の仏法と縁切りしたのである。この破仏法の者どもが大御本尊を格護していようとも、彼らに「信心の血脈」が、ましてや「法体の血脈」が流れる道理がない。

2.「日蓮が弟子檀那等の中」と「七百年来の傍観者」との落差

 ここで、もう一度「当体義抄」の本文に戻る。

「本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(当体義抄 五一二㌻)

 学会ではこの「中」の字の意義を深くするのである。
               ◇
「中」の字を、日寛上人は「正信にあたる」と解釈されているように、大聖人の仰せどおり、広宣流布の達成に向かって実践しきった人が、真実の妙法蓮華経の当体なのである。
(中略)
 いま、この「中」ということを、われわれの実践において論ずるならば、信心とは第三者、傍観者であってはならない、との精神である。自ら広布の主体者として学会に生き、戦いに生ききるなかに、その当体が妙法の金剛不壊の幸福なる当体とあらわれるのである。
((『日蓮大聖人御書講義』第七巻 昭和43年8月24日発行 三三〇㌻、三五〇㌻)

 講義に、我らは信心の傍観者であってはならぬ、とある。なぜなら「七百年来不変」の〝広布の傍観者〟、すなわち宗門の轍を踏んではならないゆえである
 彼等は七百年もの間、大聖人のご遺命である広宣流布を実現しなかった、恥多き輩であるが、その恥を恥とも思わず、在家に〝空威張り〟してきたのである。
「宗門のような傍観者には任せておけぬ」と、地涌の菩薩が七百年の時を待ちかねて出現した姿こそ、創価学会である。ここに広宣流布の「本門の時代」が開いたのである。
「御本尊は開眼が必要」などと、迹門・爾前の時代に先祖帰りしている宗門に、もはや存在意義は無い。宗門は、足代(あししろ)の役割を終えたのである。

3.足代(あししろ)(宗門)が大塔(学会)に嫉妬

 大聖人は「大塔」と「足代」の譬喩を説かれる。

 頼基陳状(一一六〇㌻)にいわく、
「観経等の念仏の法門は、法華経を説かせ給はむ為の、しばらくのしつらひなり。塔く(組)まむ為の足代の如し。而(しか)るを仏法なれば始終あるべしと思う人、大僻案(びゃくあん)なり。塔立てて後、足代を貴(とうと)ぶほどのはかなき者なり。又日よりも星は明らかと申す者なるべし。此の人を経に説いて云く『復(また)教詔(きょうしょう)すと雖も、而も信受せず。其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん』と」

(観経等の念仏の法門は、仏が法華経を説かれるためのしばらくの準備なのです。あたかも塔を組むための足場のようなものです。それを、同じく仏法なのだから始めと終わりの違いだけであると思う人があれば、それは大変誤った考えといえましょう。その人は、塔を立てた後まで足場を尊ぶようなはかない人であります。また、その人は、太陽よりも星の光りのほうが明るいというような人であります。こういった人を経文では「また、仏の教えを聞いても、なお信受しない人は命終して阿鼻地獄に堕ちる」と説かれています)

 法華経が「大塔」、爾前教が「足代」(仮設の足場)である。この御文を今に読めば、真実の和合僧団たる学会が「大塔」であり、「足代」が宗門である。
 学会の大塔が建ったとき、足代は何を思ったか、大塔に怨嫉を以てした。時代の中で、宗門が意味の成さないものとなってしまったこと、すなわち足代であったことを自覚したからである。

 下山御消息(三五八㌻)にいわく、
「譬へば闇夜に大月輪の出現し大塔立て後足代を切り捨つるが如し」

(譬えていえば、闇夜に大月輪が現れて他の星が光を失い、大塔を立てた後には不要になった足場を取り除くようなものである)

 大塔が立ったうえは、建設現場の足代は払われなければならない。足代をそのままにしておけば、夜間に盗人が登って来て剣呑この上ない。事実、日顕という「相承盗人」が足代の名主として居座ったのである。
 この盗人は、目前の「大塔」すなわち学会が築きあげた「真実の和合僧団」を嫉妬して止むことがなかった。彼等は足代から大塔に向け、〝誹謗の杖木〟で打ちかけ、〝中傷の瓦石〟を投げつけ、大塔は一時大きく傷ついた。
 御書には「はかなき者」になってはならぬ、と仰せである。我らはようやくにして〝足代は決して貴いものではなく、むしろ危険なものである〟との認識を徹底することができた。それは足代から大きな被害を被って、はじめて理解したことであった。
 足代に立て籠もった「相承盗人」(日顕)を法主と呼び習わし、下にも置かぬ宗門。足代は「山賊の巣窟」と成り果てたのである。
〝白波男〟(盗人)の日顕とその手先は、いずれ因果律と言う名の捕方(とりかた)に絡め取られる定めである。

4.「愚迷の論」の数々

 宗門の言辞は「捏造語」であり、御書の解釈は「換骨奪胎」である。翻訳しなければ、返答もできない。

① 「この『当体義抄文段』の御文は……全ての門下僧俗が『題目の力用』によって『法体の血脈』を受けられる文証などではありません」と。
 なるほど、「法体の血脈」とは文証の無い〝架空の血脈〟に過ぎないのであるから、そのようなものを受けたいとは思わない。
 ただし「信心の血脈の異名」であれば、御本尊を信受するすべての信者に流れるのであり、決して法主一人に流れるものではないことは、自明の理である。

② 「唯授一人の法体相承」、名のみあって、実がない(有名無実)。その言うところは、末代の法主を大聖人に擬する大誑惑である。

③ 「『題目の力用』とは唯授一人の法体相承によって伝えられる大御本尊を信じて唱える題目の功徳です」とは、ずいぶんと長い修飾語を付加した題目である。
 だがどれだけ長い文章も、架空の項目(=「唯授一人の法体相承」)を前提にすればその文章すべてが架空となる。ゼロを乗算すれば、答えはすべてゼロとなるのが道理である。

④ 「もし『題目の力用』によって『法体の血脈』が受けられるならば」と。
 架空の語(「=法体の血脈」)に仮定条件(=「もし」)を加えたところで、成立するものはない。

⑤ 「身延日蓮宗徒の唱える題目にも『法体の血脈』が流れることになります」とある。
 身延であろうと中山であろうと、架空のもの(=「法体の血脈」)が流れるはずはなく、どこまでも架空である。愚かなことを言うものである。

⑥ 「御本尊の権能」などと、御本尊をパテント(=特許)と思っているのか。
 御本尊に「信徒からの御供養を収奪する権能」を結びつけようとする坊主の発想は、実に見苦しくおぞましい。

⑦ 「唯授一人の血脈相承(金口(こんく)相承)」という〝子供騙し〟は大抵にしてもらいたい。
 もっとも今時の子供にとって、もはや〝御伽話〟にもならないが、それに騙される大人がいるというのであるから、坊主という商売はやめられないわけである。

⑧ 「代々の御法主上人に相承されることは七百年来不変の定め」は、確かに日顕以前の宗門にあった。
 だが残念ながら、日顕が相承を詐称したゆえに法脈が汚れ、法水は尽き果てた。この上は、すべての坊主はいさぎよく還俗し、正業に就くべきである。何よりも〝人間に戻れ〟と言いたい。これ以上、人を脅しあるいは呪詛する仕事を続けてはならないのだ。

 これら「唯授一人の法体相承」も「法体の血脈」も、大聖人の仏法を毀損して止まない〝魔仏語〟である。健全なる社会に通用しない、架空の世界に生きる輩の、しがない〝妄想〟でしかない。
                            (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:97」を破折する 連載147回

妄説:97 「信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ」 (有師化儀抄註解・富要 1-176頁)

 〔御文証の解釈〕
 御本尊を信ずることによって御本仏から我が身に法水を受けることができる。その法水は御本仏(御本尊)から信ずる者すべてに流れ通うのである。

 〔創価学会の解釈〕
○我々は、代々の法主から御本尊の「法水」を受けてきたのではなく、あくまでも自らの「信心」によって、御本仏から直接に「法水」を受けている。
○学会には大聖人の「法水」が脈々と流れており、一大和合僧団の権能において、流布(るふ)される本尊には御本仏の「仏力」「法力」が具わる。(聖教新聞 H五・九・二〇 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 創価学会の「法水」観は、日蓮正宗の教義ではなく大謗法です。なぜなら「血脈」と同義に用いられている「法水」の意味を、ここでも唯授一人血脈相承の「法水」と、信心あるものすべてに流れる「法水」とを混同させて、法体相承たる唯授一人血脈相承の法水をないがしろにしているからです。
 この御文の後に、
「仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり(中略)不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路徒らに壅塞せられて・我等元の儘の粗(アラ)凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり」(富要 1-176頁)
と仰せられ、法水を受くべき信心とは、宗祖日蓮大聖人・日興上人と伝えられる法体相承の大御本尊が根本となると説かれています。
 かつて池田大作氏は
「御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見から見ればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶(しゃびょう)の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」(広布と人生を語る 八-二二八頁)
と指導していました。
 しかし今日の創価学会は、本門戒壇の大御本尊から離れ、血脈付法の御法主上人を誹謗する大謗法団体となっており、永久に御本仏日蓮大聖人の法水が流れることはないのです。

破折:
1. 血脈は〝宗開両祖のお振舞い〟の中に
(1)「師匠」とは大聖人・日興上人

 血脈と言っても、難しいことはない。宗門が引用する『有師(うし)化儀抄註解』に「師匠の意中に違はぬ」ことと記されている。

「仏法には師匠の意中に違はぬが血脈の正しき法水の清らかなるものなり、仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄(しんぜんしょうじょう)の妙法蓮華経の色心となるなり」
(『有師(うし)化儀抄註解』堀日亨師『富士宗学要集』第一巻 一七六㌻)

 すなわち師匠とは「仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人」であられる。ゆえに「信心を少しも踏み違へぬ時」とは、宗開両祖の御振舞いを信受し実行することにあり、血脈はここに流れ来る。

 諸法実相抄(一三六〇㌻)にいわく、
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」

(2)人師・論師は「師匠」ではない

 間違っても末代の人師・論師を「師匠」としてはならない。祖師の仏法を後代の座主が破壊した例が、御書にお認めである。

 秋元御書(一〇七六㌻)にいわく、
「比叡山は法華経の御住所・日本国は一乗の御所領なり、而るを慈覚大師は法華経の座主を奪い取りて真言の座主となし三千の大衆も又其の所従と成りぬ」

(比叡山は法華経の道場であり、日本国は一乗法華経が治めるべき国土である。それを慈覚大師は比叡山の法華経の座主(ざす)を奪い取って真言の座主とし、三千人の大衆もまたその従者となった)

 日本天台宗では第三代座主の慈覚が真言の邪法を取り入れ、伝教大師が伝える正法(法華経)を毀謗した。
 宗門では僭称の日顕が猊座を奪い取り、先師の日達法主が生前、用いてはならないと説法した〝法主本仏論〟を立てるに至った。慈覚の故事に列なる大謗法である。
 これにより日蓮正宗は終わりを告げ、日顕宗となったのである。

2.「仏意に違ふ時」――堀日亨師
(1)〝魔〟に魂を売った宗門

「若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路徒(いたず)らに壅塞(ようそく)せられて我等元の儘(まま)の粗(あら)凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり、悲しむべき事どもなり」(前出『有師化儀抄註解』)

 この文の意味する具体的な事実がある。太平洋戦争時における軍部政府の弾圧下、大聖人の正義を全うし、神札の甘受を拒否し逮捕された学会幹部に対し、宗門は巻添えを恐れ、卑劣にも信徒除名をもって報いた。
〝難からの逃避〟を選択した宗門こそは「仏意に違ふ」ものである。宗門は学会幹部を破門して後も、神宮遥拝など謗法をますます強めて行った。彼等は魂を〝魔〟に売ったのである。
「悲しむべき事」とは、その峻厳たる仏法の因果がほどなくして証明されたことであった。
 1. 昭和二十年、本山より出火し、堂宇伽藍の多くが火災で炎上、法主は焼死した。
 2. 農地解放により大部分の土地を失い、経済の地盤が奪われ飢餓地獄の様相を現出した。
 この法滅の姿の中に、「唯授一人血脈相承の『法水』」なるものが存在する証拠が、どこにあるか。
 宗門は学会を排斥したことで軍部政府による「王法の咎」は免れたが、「仏法の科」から逃れることはできなかった。謗法がもたらした厳しい現証に、思いを致すべきである。

(2)大聖人の法灯を守った歴代会長

「師匠の意中に違はぬ」こと――大聖人に従ったのは、牧口会長と戸田理事長(当時)のみであった。牧口会長の死身弘法の振舞いをもって、絶ち消えんとしていた大聖人の法灯は守られ、戸田理事長に託されたのである。
 戦後、一人立った戸田理事長は、戦後のうちひしがれた国民に大聖人の仏法を広宣流布し、各戸ごとに歓喜の人生を現出せしめた。これにより日本の津々浦々で地涌の菩薩が陸続と輩出した。
 そして戸田会長の薫陶を受けた池田参謀室長(当時)は、恩師の広宣流布にかかる構想をすべて実現してきた。この三代にわたる師弟の根幹は、「師匠の意中に違はぬ」(堀日亨師)ことであった。それが「大聖人直結」の信心であり、「師弟不二」の精神である。大聖人からの法水は、創価の師弟にのみ流れているのである。
 それゆえ学会の御本尊には、本当に功徳がある。その学会が去った後の宗門は、すべてが形骸であり残滓である。宗門のどのような御本尊であろうと、もはや大聖人の血脈は流れていない。 
 ゆえに宗門の「唯授一人血脈相承」を一言で言えば「有名無実」、だがそれだけではすまない。信者を大聖人・日興上人の教えから遠ざけ、当職の法主を大聖人に擬せる大誑惑の妄説であり、まさしく「大邪法」と言うべきである。

3.「法水」を伝授するのは学会のみ

「法水」とは「法主」に伝えられるものではない。それは新聞紙上で明らかにされている。
               ◇
 一、創価学会が授与する御本尊には、厳然たる功徳が備わる。      

 今回、学会が会員の方々に授与するお形木御本尊は、日寛上人が大聖人出世の本懐たる「戒壇の大御本尊」をお写しされた御本尊である。ゆえに、「大御本尊根本」の信心はいささかも変わらず、当然、これまでの御本尊と功徳においてなんら違いはない。また、末寺の寺宝の御本尊をお形木にして、有縁の御信徒に下付することは、宗門でも過去に先例があり、手続き上も何らの問題もない。
 あえて今回の御本尊が宗門の御本尊と異なる点をあげるなら、「当代法主の許可」を得ていないことである。いわゆる「御本尊の『法水』は法主から来ている」という論からいえば、「法主の許可のない御本尊は『法水』がない」ということになる。
 しかし、そのような法義は大聖人の御書のどこを拝しても見当たらず、後世の門人によって作られた邪説に過ぎない。日亨上人は、「信心に依りて御本仏より法水を受く」(『富士宗学要集』一-一七六ページ)、「法水の本仏より信者に通ふ」(同)と御指南されている。我々は、これまで代々の法主から御本尊の「法水」を受けてきたわけではない。あくまで自らの「信心」によって、御本仏から直接に「法水」を受けているのである。
 しかれば、「大聖人直結」の清浄な信心を貫く学会には、御本仏日蓮大聖人よりの「法水」が脈々と流れており、その一大和合僧団の権能において、流布される今回の御本尊に、御本仏の「仏力」「法力」が備わらないわけがない。
 百万の贅論(ぜいろん)を尽くすよりは「現証にはすぎず」(御書一四六八ページ)である。「破門」から約二年が過ぎようとしている現在、学会総体は隆々たる発展の足跡を刻み、社会に見事な実証を示し、名実ともに世界宗教へと加速度を増して飛翔しつつある。個々の会員の方々も、日々御本尊の絶大なる功徳に浴している。各地の友人葬では、御書の御金言どおりの見事な成仏の姿に接し、ますます学会の正義を確信する方々が多い。こうした現実の姿に照らしても、学会は厳然と御本仏からの「法水」を伝受しており、今回の御本尊の絶大な功徳は推して知るべしであろう。
(『創価学会の御本尊授与に関する法門上の見解』日蓮正宗・青年僧侶改革同盟 『聖教新聞』1993年9月20日)
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:96」を破折する(その七) 連載146回

妄説:96 「不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違(たが)ふ時は(中略)即身成仏の血脈を承(う)くべき資格消滅せり」(有師化儀抄註解・富要 1-176頁)

 〔御文証の解釈〕
 御本仏への信心が、不善・不浄の邪心・迷信となり、仏意に背く姿となったときには、御本仏からの法水は、通路がふさがってしまい流れません。根本に信順しなければ、迷いの衆生となり、即身成仏の血脈・信心の血脈を受ける資格が消滅してしまいます。

 〔創価学会の解釈〕
○日顕(上人)は、仏意仏勅の学会を破門し、仏意に背(そむ)いた邪信の徒であり、「即身成仏の血脈」を受ける資格を失っている。よって御本尊を書写し、下付する資格も消滅した。(聖教新聞 H五・九・一九 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 この御文は「信心の血脈」についての一段ですが、学会は「学会こそ仏意仏勅の団体」という前提に基づいて、その学会を破門した日顕上人と宗門こそ「悪」であり「仏意に背いた邪信の徒」と解釈しています。
 しかし、仏意とは御本仏日蓮大聖人のお心であり、それは血脈相承として御歴代上人に受け継がれています。
 創価学会は昭和二十六年、宗教法人を取得する時に宗門と約束をしました。それは、
①折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
②当山の教義を守ること
③仏法僧の三宝を守ることの三ヶ条を遵守(じゅんしゅ)することです。
 以来、総本山大石寺を根本と仰ぎ、この大原則を守りつつ宗門外護と、広宣流布への前進があったことは周知の事実です。
 しかし正本堂建立のころから、徐々(じょじょ)に仏法上の逸脱が現われ始め、ついに「昭和五十二年路線」で当初の三ヶ条の約束を完全に破棄し、学会は「仏意に従う団体」の資格を自ら放棄したのです。一度(ひとたび)は日達上人に謝罪し、反省をしたうえで正道に進むことを誓いましたが、平成二年の末に至り、その反省が虚偽であったことが明らかになりました。
 宗門から仏法の道理に基づく教導を受けながらも、「仏意に違う」姿となって反目し、誹謗を繰り返し、自らの団体が定めた基本原則をも捨て去ったために、学会は破門となったのです。
「即身成仏の血脈」を受ける資格を失ったのは創価学会なのです。
 この御文の真意は、本門戒壇の大御本尊と、唯授一人血脈相承を「仏意」と拝さなければ正しく理解できないのです。

破折:
15. 「殉教」と「自決」の差は何か
(1)自殺は〝因果〟からの逃避

 昭和二十年六月十七日の本山大火災において、六十二世鈴木日恭法主がひとり焼死したことを、宗門では〝法主は自決した〟と主張する。
「自決」の言葉を聞いて、まず念頭に浮かぶことは、そもそも仏教者が自決することなどあるだろうか、との点である。中世の念仏者であれば、一日も早く阿弥陀如来の西方浄土に往生したいと念願し、首を吊った愚かな僧がいたとの話がある。だが現代の、しかも法華経の信奉者であれば、自殺などあるまじき行為である。
 人は動物と違い、仏道を修行することができる「法器」たりうる存在であり、それが人間の生命を「聖道正器(しょうどうしょうき)」と呼ぶゆえんである。それゆえ父母から受け継いだ法器を、自ら毀損することは決して許されない。
 だが自殺は「因果から逃避すること」であり、今生で過去世の罪業を償うことができないばかりか、仏法を証得できないまま三悪道の淵に沈むこととなる。

 聖愚問答抄下(四九四㌻)にいわく、
「今生をもだし(黙止)ては又何れの世にか生死を離れ菩提を証すべき」

(今生を空しく過ごしたならば、またいつの世に生死の苦しみを離れ、菩提を証得することができようか)

(2)転重軽受の法門
① 正法への殉教により 過去世の罪業を消し 未来世の利益を受く

「殉教」――正法(法華経)のためこの身を捧げるならば、過去世の罪業を転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)でき、後生は人界から仏界までの利益を受ける、と御書に仰せである。

 転重軽受法門(一〇〇〇㌻)にいわく、
「涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値(あ)い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」

(涅槃経に転重軽受〈重きを転じて軽く受く〉という法門がある。過去世でつくった宿業が重くて、現在の一生では消し尽くせず、未来世に地獄の苦しみを受けるはずであったものが、今の一生において、このような〈法華経ゆえの大難という〉重い苦しみにあったので、地獄の苦しみもたちまちに消えて、死んだのちには、人・天の利益、声聞・縁覚・菩薩の三乗の利益、そして一仏乗の利益たる成仏の功徳を得ることがある)

② 自決では転重軽受とならない

 宗門は日恭の死を、転重軽受の結果と捉え、美化する。

「日恭上人は、不慮の火災を国家乃至宗門の難と捉え、それを一身に受けることによって転重軽受されたのである」

 だが転重軽受とは、護法のため殉難の道を歩むところにある。その点を忘れてはならない。

 転重軽受法門(一〇〇〇㌻)にいわく、
「不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫(じょうもくがりゃく)をかほ(蒙)るもゆへなきにはあらず・過去の誹謗正法のゆへかと・みへて其罪畢已(ございひっち)と説(とか)れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり是一(これいち)」

(不軽菩薩が悪口をいわれ、罵られ、杖や棒で打たれ、土器(かわらけ)や小石を投げつけられたのも理由がないことではない。過去世に正法を誹謗したためであろうと考えられる。経文に「その罪がなくなって」〈其(そ)の罪を畢(お)え已(お)わって〉と説かれているのは、不軽菩薩が難にあったために、過去世の罪が滅したのだと経文に拝されるのである。これが難の第一の意味である)

 正法を弘通して受ける難でなければ、転重軽受を求めることはできない。それは広宣流布の実践による功徳力によって、初めて可能なのである。
 法主がその名の通り「仏法の主」であるならば、国家諫暁と言う名の「法戦」に立って当然であった。

 開目抄下(二三三㌻)にいわく、
「今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし、鉄は火に値わざれば黒し火と合いぬれば赤し木をもつて急流(はやきながれ)をかけば波山のごとし睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ」

(いま日蓮は強盛に国土の謗法を責めるからこの大難が来るのであり、それは過去の重罪を今生における護法の功徳によって招き寄せるのである。そのありさまは鉄が火に熱せられて赤くなり、木をもって急流をかけば、波が山のごとく捲き起こり、眠っている師子に手をつければ大いに吼えるごときものである)

 それが自決によって転重軽受を願おうとしても、叶うわけがない。「殉教」と「自決(自殺)」とでは、その意義は全く異なる。
 殉教とは、あえて苦難の道を選択し、護法のため身命を差し出し、命を輝かすことである。
 自殺とは、苦難を避け、護法を放棄し、誰も追って来れない安易な道に逃避することである。
 宗門の言う通り日恭は自決したとすれば、それは「現世の煩わしさのない死の世界に、永久に逃亡した臆病者」である、と言わざるを得ない。

 種種御振舞御書(九一〇㌻)にいわく、
「各各我が弟子となのらん人人は一人もをく(臆)しをもはるべからず」

(各各日蓮の弟子と名乗る人々は一人も臆する心を起こしてはならない)

 臆病者は論外である。大聖人と同意し、権力者の謗法に立ち向かわずして、どうして転重軽受が叶うことがあろうか。
 所詮は宗門も法主も、大聖人の弟子ではなかったのである。

16.何ゆえ法主は横死したか
(1)「聖人は横死せず」――御書

「御本仏日蓮大聖人のお心」が「血脈相承として御歴代上人に受け継がれています」と主張するなら、何ゆえ日恭法主は横死したか。

 神国王御書(一五一九㌻)にいわく、
「されば神武天皇より已来百王にいたるまでは・いかなる事有りとも玉体はつつが(恙)あるべからず・王位を傾くる者も有るべからず、一生補処(ふしょ)の菩薩は中夭(ちゅうよう)なし・聖人は横死せずと申す」

(したがって、神武天皇から百代の天皇にいたるまでは・どのようなことがあろうとも玉体に災いがあるはずがなく、王位を危うくする者もあるはずがない。一生補処の菩薩は中途で死ぬことはない。また聖人は横死することはないという)

 四条金吾釈迦仏供養事(一一四七㌻)にいわく、
「経文に不知恩の者は横死有りと見えぬ」

(華厳経の中には「恩を知らない者は横死する」と説かれている)

 王舎城事(一一三七㌻)にいわく、
「聖人・賢人・福人・智者をば火やくことなし(中略)されば大果報の人をば大火はやかざるなり」

(聖人・賢人・福人・智者を火は焼くことはないのである。……この例でもわかるように、大果報の人を大火は焼かないのである)

 大聖人・日興上人・日目上人の三代の聖人から「即身成仏の血脈」が代々の法主に流れるならば、法主が横死する道理があろうか。

(2)転重軽受の法門 ~「過去世の謗法」による罪業を滅す

 これに対し宗門の側は「聖人・賢人といえども、難によって火に焼かれたり、殺害されることがある」などと言い、次の御書を引用する。

 開目抄下(二三〇㌻)にいわく、
「法華経に云く『而かも此の経は如来の現在すら猶(なお)怨嫉(おんしつ)多し』等云云、仏は小指を提婆にやぶられ九横の大難に値い給う此は法華経の行者にあらずや、不軽菩薩は一乗の行者といはれまじきか、目連は竹杖(ちくじょう)に殺さる法華経記莂(きべつ)の後なり、付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ、此等は法華経の行者にはあらざるか、竺(じく)の道生(どうしょう)は蘇山に流されぬ法道は火印(かなやき)を面にやいて江南にうつさる・此等は一乗の持者(じしゃ)にあらざるか」

(法華経法師品にいわく「しかもこの経は、如来の在世においてすらなお怨嫉が多い。いわんや滅後において、この経を弘めるものはさらに大きな怨嫉を蒙るであろう」と。ついで現証を示すならば、釈迦仏すら小指を提婆達多の投げた石で破られる等の九横の大難に値われている。これをもって釈尊は法華経の行者でないといえるであろうか。不軽菩薩は「我深敬愛」の二十四文字の法華経を弘通して、一国の迫害を受けたが、不軽が一乗の行者といわれないことがあろうか。目連尊者は法華経で成仏の授記を受けてのちに、しかも竹杖外道に殺されている。付法蔵第十四の提婆菩薩や、第二十五の師子尊者は法のために人に殺されている。これらは法華経の行者でないといえるであろうか。羅什三蔵の弟子たる竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は顔に火印(かなやき)を押されて、江南に流されている。これらは一仏乗の法を持っていたものではないか)

 本抄は、法華経の行者が難に遭う道理を述べられたものである。そのことは、「過去世の謗法」による罪業を、今生の受難によって消滅する転重軽受の法門として教示される。ただしそれには、法華経の行者として難に立ち向かうことが肝要である。
 日恭のように、神札甘受等の「現世の謗法」がもとで火に焼かれて死ぬのは、転重軽受には該当しない。まさしく「厳しい現罰」と言うべきである。まして自決など、仏法者として「不心得」と言うべきであり、それでは今世の罪業が消えるわけがない。

(3)法道三蔵――護法に殉じた漢土の仏法者

 前記の御抄において法華経の行者が被った諸難のうち「法道は火印(かなやき)を面にやいて江南にうつさる」の御文に注目したい。
 法道とは、北宋の徽宗(きそう)皇帝を諌めたために、弾圧にあった高僧、法道三蔵のことである。事の起こりは、徽宗が仏教を弾圧し道教を庇護するために、仏を大覚仙金、菩薩を大士、僧を徳士、尼を女徳とするなど、仏教の称号を廃して道教の称を用いるとしたゆえであった。法道は上書してこれを諌めたが、皇帝は怒って法道の顔に火印(かなやき)を押し、江南の道州に放逐した。だが、徽宗はその悪業のゆえに、金国の捕虜となり悲惨な最期を遂げたのである。
 道教は中国の民族信仰であり、日本での神道に匹敵する。中国と日本と国土は変われど、仏教弾圧の構図は同じものと言える。
 国家諫暁に及ぶからには、弾圧はもとより覚悟の上であった。それは仏法者の真価を問うものであり、中国においてもその偉業を見ることができる。その結果「火印を面にやいて」とあり、顔に焼印を押されたのであった。
 しかし、日恭が火に包まれたことと、法道が火印の刑を受けたこととは、その目的も意志も全く異なる。
 法道三蔵も牧口会長も、仏法が朽ち果てることを憂い、護法の為に国家諫暁という「法戦」に立ったのである。日恭に「唯授一人の血脈」が少しでも流れていたなら、日蓮大聖人に続き受難の道を歩んだであろう。
 
 閻浮提中御書(一五八九㌻)にいわく、
「日蓮がごとく身命をすてて強敵の科(とが)を顕せ・師子は値いがたかるべし、国主の責め・なををそろし・いわうや閻魔のせめをや」

(日蓮のように、身命を捨てて強敵の罪悪を顕わせ。そのような真の獅子には会い難い。国主の責めでさえも大変恐ろしい。いわんや〈法華経の敵を責めずして地獄で〉閻魔王の責め苦にあうのは更に恐ろしい)

(4)謗法呵責こそ折伏行 ~ 怯む者は堕獄あるのみ

 聖愚問答抄下(四九四㌻)にいわく、
「万事を閣(さしお)いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり」

(万事をさしおいて謗法を責めるべきである。これが折伏の修行である)

 宗門の〝組織の保身〟など、あくまで庶事である。「万事を閣(さしお)いて」と仰せ通り、日恭は大聖人の教えを奉じ、国家諫暁に及ぶべきであった。
 だが、茨の道に向かうことなく自決を望んだ日恭に、安祥とした世界は開かれていない。多くの御書にお認めの通り、謗法を見て怯む者の後生は、一定である。

 曾谷殿御返事(一〇五六㌻)にいわく、
「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし、南岳大師の云く『諸の悪人と倶(とも)に地獄に堕ちん』云云」

(法華経の敵を見ながら、そのままに置いて責めなければ、師も檀那もともに無間地獄に堕ちることは疑いない。南岳大師は「諸の悪人とともに地獄に堕ちる」と言っている)

 妙法比丘尼御返事(一四一二㌻)にいわく、
「仏いましめて云く法華経のかたきを見て世をはば(憚)かり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵いかなる智人・善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」

(仏が戒めて言われるには「法華経の敵を見ながら世をはばかり恐れて言わないのは、釈迦仏の敵である。どのような智人・善人であっても、必ず無間地獄に堕ちるであろう」と)

 日恭が奈落の底に堕ち行く上は、「唯授一人血脈相承」を信奉する宗門僧侶・法華講の誰もが、師匠に続くであろう。

17.日恭法主の相承書の行方
(1)相承書は意外な人物の手中に

 前回、管長代行者の中島廣政の回顧談に、本山火災の当日、日恭が死を予兆したかのような発言をした、との話を掲載したが、その中で法主から注目すべき言葉があった。

「御相承に関するのは、こういうところに入れてあるから、あなた覚えておきなさい」

 この〝御相承に関するの〟は、火事の中で一体どうなったか。法主とともに焼失したと受取るのが大方であろう、ところが意外な展開となった。
               ◇
 終戦直前の昭和二十年六月、大石寺大坊から出火した火災により、日恭上人は焼死する。その際、当時現場にいた河辺が、ドサクサ紛れに日恭上人の手元にあった大きめの「茶巾袋」を持ち出した。そこには、日恭上人が所持していた書き物など大切な品々が数多く入っていたという。
 河辺はこれをダシに、日顕に法主としての作法について教えをたれ、日顕は日顕で相承を受けていないものだから、何かあるとすぐに河辺に聞くという関係ができあがったのだ。 「日顕に御本尊の書写の仕方を教えたのもワシだ」
 こう言ってはばからなかった河辺だが、ある時など、「どうもワシが教えたのと違う」と、日顕書写の本尊を公然と批判したこともあったという。
(『法主詐称』憂宗護法同盟著 2003年7月16日初版)

 一読して誰もが言葉を失い、ややあって言うであろう、〝「唯授一人血脈相承」の正体とは、こんなものであったのか〟。

(2)以前にも法主の相承書を盗んだ僧がいた

 これで法主の相承書を盗んだ僧は、二人目となった。一人目は、「妄説:48」(その三)連載70回において明かしている。

「日正上人が亡くなられたとき、日正上人所持の相伝書のうち何冊かを盗んで、みずからが相承を受けたと騒いだ不埒な僧がいた」
(『地涌』第354号)

 この「不埒な僧」の名は、崎尾正道。これが〝蓮華寺事件のS住職〟であり、『人間革命』第八巻に詳しい(「妄説:40」連載54回 参照)。
 五十七世の阿部日正が持っていた相伝書を日正の臨終間際、側に仕えていた崎尾がこっそり抜いて持っていたのである。ゆえにこの相承書は次の五十八世土屋日柱には伝わらず、結局、五十九世堀日亨師が聞き及んだ。
               ◇
 崎尾の相承もそうだよ。中(光達)とか、多くの信徒が涙声でたのみこむものだから、ついワシも傍観できず、二階に上げて聞いたが、案の定、学問する者にとってはビックリするほどの内容もなく、大ミエを切って、これが相承であるぞというものではなかったよ。
(『亨師談聴聞記』大橋慈譲記録)

 土屋日柱から形式的な相承しか受けていない日亨師は、「柱師が知っておられるほどの相承は、ワシはすでに知っておる」(前出『亨師談聴聞記』)、また崎尾が盗み出した相承書もそれほどのものではなかった、と回顧している。
「唯授一人血脈相承」がどれほど〝有名無実〟であるか、よく分かる話である。

(3)〝日顕の懐刀〟〝陰の総監〟――河辺慈篤

 河辺の話に戻ろう。先師から相承を受けていない日顕が法主として体裁を保つうえで、河辺が盗み出した相承書が役立った。その意味で、日顕の「お師匠さん」は平僧の河辺であった。
 川柳に〝番町で目明きめくらに道を聞き〟とある。江戸時代の盲目の学者、塙保己一の故事を詠んだものである。
 だが〝大石寺で法主が平僧に相承を聞き〟とは、奇々怪々である(語呂も良くない)。
 鈴木日恭がせっかく〝御相承に関するの〟を言い置いたにもかかわらず、代行者(中島)がそれを受持することは無かった。火災の喧騒の中で、当時の奥番・河辺慈篤が手中にしていたのである。
 河辺にしてみれば「師匠の貴重品をお救いしたのだ」との言い方もあるかもしれない。ただし誰にも申告せず、隠匿していたのだが。河辺はこの時十五歳、末恐ろしい小僧であった。
 若年から凄腕の河辺である。日顕と対峙して優位に立てるよう、常に謀略怠りなかったことは、河辺が〝日顕の懐刀〟〝陰の総監〟と呼ばれていたことからも肯ける。 
 すなわち河辺の持つ武器は、師僧・日恭の相承書だけではなかった。それは法主(日顕)による大御本尊誹謗という、前代未聞の内容を記した「河辺メモ」である。
 河辺慈篤とはまさに〝仕事師〟であり、宗門における一代の〝怪物〟であった。極悪の日顕に加担し、その片棒を担いだのである。

①  大御本尊を誹謗(正法誹謗)した日顕を自筆メモで脅し、優位に立った。
②  隠匿した師僧・鈴木日恭の相承書によって、僭称(大誑惑)の日顕を指南した。
③  学会破門(破和合僧)の「C作戦」に深くかかわった。

 六十二世鈴木日恭法主は自決(?)をもって、戦前・戦中にわたる一山の謗法の責任を取り終えてはいなかった。己の相承書は直弟子の河辺が狡猾に隠し持ち、僭称法主・日顕の権威付けに役立てた。この通り鈴木日恭と河辺慈篤とは、どこまでも謗法の師弟であった。
 河辺は己の利益を図るため、日顕が謗法の限りを尽くすのを助長し、その悪事が露顕するのを食い止めてきた。その重々の悪業は、決して許されない。
 だが、大御本尊はご照覧である。河辺の後生は、厳格なる因果律の下にある。
 河辺は「客殿の火事の悪夢」、謗法の師僧が火炎の中で焼け、そのさなかに師匠の相承書を盗み出した光景を、業火に咽びながら見続けているであろうか。
                           (了)
 

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Author:墨田ツリー

 
 
 

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