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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:30」を破折する 連載39回

妄説:30 秋谷会長が「学会は『御書根本』として進んできた」と指導していますが、「御書根本」という考えは正しいのですか。

 創価学会でいう「御書根本」は、相伝によらず、自分の都合のよいように解釈するものですから、正しい考え方ではありません。
 総本山第六十五世日淳上人は、
「古来聖祖門下に於て御書を手にすることを知って、極理(ごくり)の師伝を知らずこれを忽(ゆるが)せにするもののみを見る、此れが為に我見に堕して救うべからざるに至る、誠に嘆ずべきである」(淳全 45頁)
と、師伝(しでん)すなわち相伝を曖昧(あいまい)にして、御書のみにこだわる人は、我見に堕ちる者として破折されています。
 日蓮大聖人は、
『一代聖教大意(いちだいしょうぎょうたいい)』に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(新編 92頁)
と仰せです。創価学会が唯授一人血脈付法の御法主上人を誹謗し、否定している現在では、いくら「御書根本」と主張してみても、それが相伝によらないものである以上、御書の意味を正しく理解することはできません。
 同じ日蓮大聖人の御書を拝しても、日蓮正宗以外の日蓮宗各派は、教義も本尊も大聖人の御精神に反しているのは、相伝がないためです。
 日蓮大聖人の仏法は、『日興遺誡置文(ゆいかいおきもん)』の
「当門流に於ては御鈔(ごしょう)を心肝(しんかん)に染め極理を師伝して」(聖典 563頁)
との御指南のように、宗祖大聖人より日興上人、日目上人、代々の御法主上人へと血脈相伝された「極理」を師伝して、「御書を心肝に染める」ことが根本なのです。

破折:
1. 「正しい相伝」とは〝御本尊の信受〟

 学会員を「相伝によらない」「相伝がない」等と誹謗し、法主との差別を喧伝するのは宗門の常であるが、彼らの主張の依処は上記の「此の経は相伝に有らざれば知り難し」の御文ばかりである。これについては、大聖人の御本意を確認しなければならない。

 一代聖教大意(三九八㌻)にいわく、
「問う諸経の如きは或は菩薩の為或は人天の為或は声聞・縁覚の為機に随つて法門もかわり益もかわる此の経は何なる人の為ぞや、答う此の経は相伝に有らざれば知り難し所詮悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四趣・八部総じて十界の衆生の為なり……有智は舎利弗・無智は須利槃特(すりはんどく)……総じて十界の衆生・円の一法を覚るなり此の事を知らざる学者・法華経は我等凡夫の為には有らずと申す仏意恐れ有り」

(問う。爾前の諸経の類は、あるいは菩薩のため、あるいは人・天のため、あるいは声聞・縁覚のため、機根にしたがって法門も変わり利益も変わる。この法華経はどのような人のために説かれたか。答う。この経は相伝でなければ知ることができない。所詮、悪人・善人・有智・無智・有戒・無戒・男子・女子・四悪趣・八部、総じて十界の衆生のためである。(中略)有智は舎利弗、無智は須利槃特、(中略)総じて十界の衆生は純円一実の法を悟るのである。このことを知らない学者が法華経は我ら凡夫のためではないといっているが、仏意に反していると恐れるべきである」

 それでは大聖人は、いついかなる相伝を受けられたと仰せであるか。
 
 南条殿御返事(一五七八㌻)にいわく、
「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり」

 この「教主釈尊の一大事の秘法」につき、日寛上人は次の通り明かされる。

「教主釈尊の一大事の秘法とは結要付属の正体・蓮祖出世の本懐・三大秘法随一の本門の本尊の御事なり、是れ則ち釈尊塵点劫来・心中深秘の大法の故に一大事の秘法と云うなり」
(「文底秘沈抄」第二に本門戒壇篇)

「教主釈尊の一大事の秘法」とは、一切衆生が等しく成仏に至ることを可能とする「本門の本尊」の御事である。正法・像法時代に弘めるべき大法ではないゆえ「秘して隠し持てり」とあり、末法に至って御本尊と明かされたことである。
 従って「正しい相伝」とは〝御本尊の信受〟を指すのである。ゆえに〝大聖人より相伝を受ける〟意は、我ら学会員が日々御本尊を拝し信受することであり、さらには大聖人の意を体して折伏弘教に邁進することを言うのである。
 ただし、間違っても日顕が大聖人より相伝を授かる謂(いわ)れは無い。大御本尊を信ぜずにニセ物と誹謗した者には、〝我らの盟主〟と見なして魔界の衆が寄せ来たることは必定であり、宗門がすでに魔窟と化していることは、周知の事実である。

2.「我よく法門を知れり」とは禅宗の邪説

 我らは御本尊と、御書に説かれる通りの信行(「如説修行」)とを、大聖人からの「相伝」と受け止め実践する。ところが宗門では、法主だけが「血脈相伝された『極理』を師伝」していると主張する。
「相伝がない」云々と我らを誹謗する宗門の輩は、学会員の如き「凡夫」と異なり、自分達だけが「利根」の者、賢くて能力が優れており、法華経の真髄たる「極理」を会得できる、と言うのであろうか。
 大聖人は前項の「一代聖教大意」において、「有智は舎利弗」から「無智は須利槃特」に至るまで、「総じて十界の衆生・円の一法を覚るなり」(三九八㌻)と仰せである。〝智慧の有る・無し〟は成仏とは関係が無い。

 如来滅後五五百歳始観心本尊抄(二五四㌻)にいわく、
「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹(つつ)み末代幼稚の頚(くび)に懸けさしめ給う」

 我ら衆生は総じて利発でないゆえに「凡夫」である。それでも等しく成仏が叶うよう、大聖人は「如意宝珠」たる御本尊を授けられた。ゆえに成仏の因は、御本尊への信受にあることは疑い無い。
「日蓮大聖人の正しい相伝」とは〝御本尊の信受〟を指し、これこそ学会が「信心第一」「御書根本」とするゆえんである。これに異を唱えるのが「此の事を知らざる学者」、宗門である。
 しかし御本尊の御前においては、「有智・無智・有戒・無戒……総じて」とある通り、法主と言えども信者と同列にある。自身が成仏するには、御本尊を心から信じるか否か、それしかない。大御本尊を〝ニセ〟と断じた法主は自分しか信じないのであろう。
 宗門は「法主は信者が知り得ない法門を知悉している」とするが、これこそ「仏意恐れ有り」と大聖人の御叱正を恐れるべきである。

 聖愚問答抄下(四八九㌻)にいわく、
「像法決疑経に記して云く「諸の悪比丘或は禅を修する有つて経論に依らず自ら己見を逐(お)つて非を以て是と為し是邪是正と分別すること能わず徧(あまね)く道俗に向つて是くの如き言を作(な)さく我能(よ)く是を知り我能く是を見ると当に知るべし此の人は速かに我法を滅す」と、此の文の意は諸悪比丘あつて禅を信仰して経論をも尋ねず邪見を本として法門の是非をば弁(わきま)えずして而も男女・尼法師等に向つて我よく法門を知れり人はしらずと云つて此の禅を弘むべし、当に知るべし此の人は我が正法を滅すべしとなり、此の文をもつて当世を見るに宛(あたか)も符契(ふけい)の如し汝慎むべし汝畏るべし」

(像法決疑経に「諸の悪比丘があるいは禅を修行する者は、経論によらずに、自分だけの見解に執着して非を是とし是を非として、正邪を分別することができず、あまねく僧俗に向かって、自分だけが正しい法門を知り、悟っているという。正しく知りなさい。この人はすみやかに我が法を滅ぼすのである」と記されている。
 この文の意味は、諸々の悪比丘が禅を信仰して、経論をも尋ねず、邪見を根本として、法門の是非を弁えないで、しかも男女・尼法師等に向かって、自分こそはよく法門を知っているが他の人は知らない、と言ってこの禅を弘めるであろう。正しく知りなさい、この人は我が正法を滅ぼすであろう、ということである。この文によって当世を見る時、ちょうど符契のように合うのである。あなたも慎み畏れなければならない)

「諸悪比丘」とは、まさに日顕であり、宗門である。「経論をも尋ねず邪見を本として法門の是非をば弁(わきま)えず」して「我よく法門を知れり」とうそぶき、御書の仰せを踏みにじる、経典にある通りの悪僧である。

3.相伝、口伝の危(あや)うさ

 御本尊を〝木絵の二像〟と貶(おとし)め、「開眼しなければ御本尊は魔のすみかとなる」「法主の開眼の御祈念によって、允可された一切の御本尊に時間・空間を超えて御法魂が具わる」などと、もはや仏法に根拠も依処も置くことのできない誇大妄想の戯言(たわごと)を吐く法主が、どうして真の相承者であろうか。

 聖愚問答抄上(四八一㌻)にいわく、
「天台大師の云く『修多羅(しゅたら)と合する者は録して之を用いよ文無く義無きは信受す可からず』文、釈の意は経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり、伝教大師の云く『仏説に依憑(えひょう)して口伝を信ずること莫れ』文」

(天台大師は「経典と合うものは記録してこれを用いよ。経典に文がなく義のない説は信受すべきではない」といっている。この釈の心は経文に根拠が明らかであるものを用いよ、文証の無いものは捨てよ、ということである。伝教大師は「仏説に依って、口伝を信じてはならない」といっている)

 法華経を依処とした伝教大師の門弟でありながら、真言密教を叡山に流入した慈覚という邪師が延暦寺座主となった故事がある。これは、同じ門流であっても必ずしも祖師の教えを遵守するわけでないことを示唆する、歴史的事実である。

 妙一女御返事(一二五八㌻)にいわく、
「師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづね・あきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり慈覚大師の口伝真実なるべきか」

(師匠の口から相伝を受けた人は、必ず誤りがなく、後代になって尋ね求めた人の義が誤るというならば、経文を捨てて四依の菩薩に随従すべきなのか。また父母の譲り状を捨てて口伝を用いるべきか。伝教大師の御釈が無用であり、慈覚大師の口伝が真実になるのか)

 大聖人は、かくも「相伝」の有謬性(うびゅうせい)を鋭く喝破されている。相伝、口伝というものは、いかにも真実そうな響きをもっているが、これほどいいかげんなものはない。人から人へと伝えられるものであれば、内容はどのようにでも「歪曲」「補修」「後加」されて行くこととなる。

4.「御書根本」であるべきこと

 日本天台宗の座主が慈覚のとき、真言の邪説を取り入れて邪教化し、伝教大師の正しい法脈は途絶した。この故事は、古くて新しい話であることに心付くべきである。

「濁りたる乱れたる血脈法水なれば・猶仏法断絶なり」
(五十九世堀日亨法主「有師化儀抄註解」第百九条)

 宗門は、日顕と自称(師僧の命名ではない)した詐称法主が継いだゆえ、法脈は尽き、邪宗と化した。この厳然たる事実は如何ともし難い。

「信心に依りて御本仏より法水を受く、其法水の本仏より信者に通ふ」
(前出「有師化儀抄註解」 『富士宗学要集』第一巻 一七六㌻))

 信者は自らの「信心」により、御本仏から直々に「法水」を授かる。ただし、それには宗開両祖直結の信心が必要である。

「仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり」(同)

 我らは日蓮大聖人、日興上人に直結するために、「御書根本」でなければならない。宗開両祖の御文に依らずに、人師・論師の言に従うことは、仏説を捨てて口伝を用いることとなる。それは禅宗の謗法に惑うことであり、天魔が現出することは必定である。

 行敏訴状御会通(一八一㌻)にいわく、
「又云く禅宗は天魔波旬の説と云云、此又日蓮が私の言に非ず彼の宗の人人の云く教外別伝と云云、仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云、教外別伝の言豈此の科を脱れんや」

(禅宗は天魔波旬の説であると、これもまた、日蓮が勝手に立てた言ではない。禅宗の人々は教外別伝といっている。仏の遺言には、我の説く経の外に正法があるというならば、それは天魔の説であるとある。教外別伝と言うことは、この咎をまぬかれることはできない)

 禅寺に墓を建立した日顕は、禅宗と同じ境界にある。「禅宗を心肝に染めた」日顕の相伝などに惑わされてはならない。

5.教義の精髄『六巻抄』

「日興遺誡置文」の文言にあり、また六十五世日淳法主が〝伝持されてきた教義の根本〟との意味で言う「極理(ごくり)の師伝」とは、日寛上人が宗門の教義を整足し、その本旨を説き示した『六巻抄』である。これこそは代々の法主より法主へと師伝された奥義の集大成であり、日蓮正宗教義の精髄である。
 
「宗門の奥義此れに過ぎたるは莫(な)し、故に前代の諸師尚顕(あらわ)に之を宣(の)べず況んや末学の短才何んぞ輙(たやす)く之を解せん、然りと雖も今講次(こうじ)に臨んで遂に已(や)むことを獲ず粗(ほぼ)大旨を撮(と)りて以て之を示さん」(『六巻抄』第二巻『文底秘沈抄第二』序文)

(宗門の奥義はこれに過ぎたものはない。それゆえ前代までの諸師はこれを表立って説くことはなかった。ましてや未熟非才の者が、どうしてこれを容易く理解できようか。
 そうではあるけれども、今、講義に臨んでやむを得ず、その大要を粗方写し取って、これを示したい〈趣旨〉)

 本書は、大聖人の御書の真義を明らかにし、三大秘法の奥義を解説した、宗門の重書である。すなわち「極理(ごくり)の師伝」とはこの『六巻抄』であり、かつは同じく寛師の『観心本尊抄文段』(御書講義書)である。
 宗門に〝相伝〟と呼ぶものは数多あろうとも、上記の『文底秘沈抄』の序文にある通り、『六巻抄』を超えるものは無い。これに対し、日顕宗でいう「相伝」とは、他の人師・論師の文書や相伝書の「後加文」等を指すものであり、これらは前項までに引用した御文において、大聖人がすべて破折された類のものである。
 日顕宗が「師伝(しでん)すなわち相伝」と言って、教義の精髄たる「師伝」と根拠薄弱・依処不明の「相伝」とを同義としたことは、真実と虚偽とを混ぜ合わせる大欺瞞である。
 ことに日淳師の発言の真意を曲解して学会非難にすり替えたことは、先師を蔑ろにする行為であり、宗門の心根の賤しさを物語って余りある。
「御法主上人を誹謗し、否定している」とあるが、相承を詐称した日顕に相伝が伝授される謂れが無く、「ニセの御法主上人」を押し出したところで、いかなる説得力があろうか。
 さて『六巻抄』においては、宗内に伝えられた〝法主本仏論〟の類は一切排除されている。この厳然たる事実は、日顕宗の妄説を打破する意義においても、「極理(ごくり)の師伝」と讃嘆されてしかるべきである。
『六巻抄』の内容は長らく法主代々の秘伝であったが、明治に至りその第一巻のみが時の法主により出版され、遂に五十九世堀日亨法主が六巻抄の全てを閲し、学会の出版事業を以て公開されたのである。
 さらに文段集も学会によって発刊されたのであり、これにより御書講義録の解説が為され、学会員の学習するところとなっている。
「御書の意味を正しく理解すること」とは、行・学に分けて論ずるべきである。
 法華経の行者としての〝行〟とは、三代にわたる会長が官憲による弾圧の下に、御書を〝身読〟した事実を言うものであり、宗門の誰人を以てしても追随不可能の境界である。
 また〝学〟においては、学会員は従来より御書研鑚の必携書として『六巻抄』『文段』を学習し、御書と共有してきたのである。
 再説するが、学会はあくまで「御書根本」としながらも、共に「師伝」(六巻抄・文段)を研鑚してきたことは史実であり、「師伝すなわち相伝を曖昧にして、御書のみにこだわる人」「相伝によらず、自分の都合のよいように解釈する」との非難は、現実を正視したくない宗門の強がりに過ぎず、為にする誹謗、的外れの中傷である。
 創価学会の出版事業により、「師伝」は何百万の会員の研鑚するところとなって久しい。「唯授一人血脈付法」の内容は全て公開され、法主だけが知る法門など無くなっているのが実情であり、「唯授一人の秘伝」の役割は、終わったのである。宗門に残ったものには、もはや一文の価値も無い。
 宗門にあるのは、無体にも「事の戒壇」たる正本堂から日顕によって引きずり降ろされ、〝秘仏〟に戻された大御本尊と、古来より積み重ねられ、日顕以降倍増した謗法の数々である。
                           (了)
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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:29」を破折する 連載38回

妄説:29 学会では「宗門は法主信仰だ」といっていますが本当ですか。

 宗門は「法主信仰」ではありません。
 本宗では、あくまで信仰の対境は本門戒壇の大御本尊であり、これは昔も今もまったく変わりがありません。私たちにとって、御法主上人は御本仏日蓮大聖人の御内証を受け継ぐ正しい師ですから、敬うのは当然です。
 大聖人の仏法は、日興上人ただお一人に付嘱されました。また日興上人より日目上人へ、日目上人より代々の御法主上人へと正しく伝えられ、今日の日蓮正宗があるのです。
 かつて池田大作氏も、
「ご存じのとおり、私どもは日蓮大聖人の仏法を奉ずる信徒である。その大聖人の仏法は、(中略)現在は第六十七世御法主であられる日顕上人猊下まで、法灯連綿(ほうとうれんめん)と血脈相承されている。ゆえに日顕上人猊下の御指南を仰ぐべきなのである」 (広布と人生を語る 三-二四九頁)
と述べていました。」
 現在の宗門を「法主信仰だ」というならば、池田氏も法主信仰者だったことになります。
「宗門は法主信仰だ」と創価学会がいい張るのは、本来敬うべき御法主上人を誹謗し、かつ宗門から会員を引き離すためのデッチあげにすぎません。
 それよりも、池田大作氏の意向によって、大聖人が定められた血脈相承を否定し、戒壇の大御本尊をも軽視する創価学会こそ、「池田教」といわれても仕方ありません。

破折:
1.「日蓮大聖人の御内証」とは

「日蓮大聖人の御内証」とは「御本尊」に他ならない。

 経王殿御返事(一一二四㌻)にいわく、
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候(そうろう)ぞ。信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」

 ゆえに「御法主上人は御本仏日蓮大聖人の御内証を受け継ぐ」とは、宗門の管長を〝御本尊〟と拝することであり、それこそは「法主本尊」であり、「法主信仰」である。御本尊不敬の極みであり、邪法邪義であるゆえ、日顕宗のことを〝邪宗門〟と呼ぶのである。
 また、生身の人間である当職の法主が御本仏の境界と同じと言うからには、法主は三毒強盛の荒凡夫たる身を脱し、すべてに無謬(むびゅう)(過ちを犯すことが無いこと)でなければならないが、現実はどうか。

2.〝法主無謬論〟の愚かしさ

 過ちを犯さない人間が、この世にいるであろうか。〝自分は無謬である〟と言う人間がいるはずが無いが、もしいるとすれば、間違いなく大嘘つき者である。
               ◇
 いまの日蓮正宗の僧の多くが囃している法主絶対論では、日蓮正宗の史実を説明することはできない。法主が日蓮大聖人の御内証の法体をそのまま受け継いでいるのであれば、当然のことながら法主は無謬でなければならない。
 この論理は裏を返してみれば、歴史的に見て法主は過ちをおこなっているのであるから、法主には日蓮大聖人の御内証の法体なるものは存在しないという結論を導き出すことになる。単純な法主絶対論は、逆に法主を宗教的に無意味なものとして結論づけさせてしまう論理性を有しているのだ。
 つまり、いまの日蓮正宗において横行している浅薄な法主絶対論は、法主の権威を全否定することに通じるのである。それを防ぐために、史実を無視した法主無謬論に執着する浅ましさを見せている。実に愚かなことである。
(「地涌」第129号 1991年5月9日)

 宗門に籍を置く僧侶は役目とは言え、なかなかに大変である。法主が大御本尊を否定したこと、相承を詐称したこと、シアトルで売春婦と行為に及んだこと、禅寺に墓を建立したこと等々、日顕の犯してきた悪事を、いちいち無かったことと言い繕わなければならないのである。
 しかしそのすべてが否定のできない事実であり、法主無謬論が成立するはずはない。ところが宗門には、次のような話がある。
               ◇
 大坊の小僧はよく、「ばれなければ、何をやってもいい」と言う。この言葉は単に小僧たちが作り出したものではなく、小僧たちの心を侵食している宗門の体質が生み出したものである。(中略)
 平成六年五月に行われた「全国教師・寺族指導会」で日顕は「学会のね、誹謗なんてね、ウソもあれば本当もあるだろう。けれどもね、それでもって我々が手を、警察でもって、手に手錠を掛けられるということがありますか?」と話している。これは裏を返せば、「手錠をかけられない限りは何をやっても構わない」ということになる。日顕には、僧侶としての節度や常識を規範として行動するという発想が欠如している。善悪の基準が自己の欲望に基づいているのだ。
(「実録小説 大石寺・大坊物語」青年僧侶改革同盟 渡辺雄範著)

 目的のためには手段を選ばず、と法主自らが指南するゆえ、いかようにも嘘を貫き通し、虚偽が発覚したときは次の言い訳を捜す。それゆえに、いかなる日顕の悪事・悪徳をも、〝無実無根〟との嘘で覆い隠してしまう。宗門とは、類まれなる詐欺集団である。

3.「『六巻抄』が大聖人の仏法の全て」と堀上人が明言

 日顕宗の迷妄は、青年僧侶改革同盟の松岡雄茂氏による堂々たる主張によって、完全に打ち砕かれた。以下はその紹介記事である。
               ◇
 改革同盟・松岡雄茂氏の「日顕宗学批判」の中で、将来にわたり重要な意味を持つのは「血脈公開論」だろう。「大石寺の血脈相承の根本法門は、三大秘法義に尽きる。しかるに日寛上人は、その三大秘法義を『六巻抄』の中で開示され、近代に入ると五十九世の堀日亨上人がそれを出版公開された。
 しかも戦後の創価学会は、出版された『六巻抄』を徹底的に研鑽し、民衆に広めた。だから現在では、普通に教学を勉強した学会員が法主と同等の教義を知っており、法主の存在意義は失われた」――この法主信仰の屋台骨を揺るがす松岡氏の主張に、日顕らが仰天したのも無理はない。
 本年六月、日顕は松岡氏に対し、約二百頁に及ぶ反論書を送りつけたが、その中で「六巻抄」の内容は「法門相承の一部分」と述べ、日寛教学を枝葉扱いする発言を繰り返した。
 これに最も驚いたのは実は、宗門の坊主らであった。日蓮正宗の教義の独自性は、日寛上人の「六巻抄」があればこそだ。それをとったら何も残らない。「松岡に一番痛い所を突かれた」との声が、あちこちで上がったという。
 今回の書で、松岡氏は日顕一派の邪難のすべてを粉砕し、「『究極的秘伝』と『究極の法体』は完全に開示・公開されているのだから、大石寺の唯授一人相承の本質的役割はなくなっている、と考えざるをえない」と結論を下している。
 また決定的な文証として、堀上人が『富士宗学要集』の第三巻(2頁)で『六巻抄』を「釈迦仏の又蓮祖大聖の総てを此中に納めたりとの会心の御作」と激賞した事実を紹介。不相承の日顕と違い、実際に血脈相承を受けた堀上人が「釈尊と大聖人の仏法のすべては六巻抄の中にある」と断言されたのだ。この文証の発掘により「六巻抄」以上の秘密法門など一切ないことが確定したと言えよう。
 こうなると、日顕が逃げ延びる道は一つ。「血脈相承は教義の相伝だけでなく、大聖人の『法魂』を受け取る儀式」と主張することだ。
 けれども松岡氏は、そうした法主信仰の異流義性も徹底破折したため、日顕は八方ふさがりに陥った。
 特に「日寛上人は『六巻抄』の内容から法主信仰を排除された」との松岡氏の指摘は相当にこたえたらしく「『文底秘沈抄』に、一器から一器へ『蓮師の心月』が移っている、とある」と精一杯の反論をしている。
 だが松岡氏は新著の中で、この「文底秘沈抄」の文は「日興が離山するまでは身延山の門下に向けられていた〈本仏の加護〉が、日寛の時代には富士大石寺の一門に及んでいる、という意味」であると解説。逆に「当文が現法主による『本尊の体』の所持を証している」のならば、どうしてそれが「『文底秘沈抄』の『第一 本門本尊篇』で論じられず、『第二 本門戒壇篇』の中で、しかも断片的、暗示的にしか取り扱われなかったのか。明確に返答せよ」と切り返した。
 日顕は毎日のように仰々しく、坊主や法華講幹部らに退座表明をしているが、笑止千万! 親父の日開は、清水龍山と論争して大恥をかいたが、日顕も同じ。松岡博士に打ちのめされ、敗残兵のごとく隠居するしかないのだ。
(「フェイク」第655号 発行05.12.08)

 松岡雄茂氏による法主信仰破折の論理に太刀打ちできない日顕は、上記記事発行日の一週間後、二〇〇五年(平成十七年)十二月十五日に退座した。
 松岡雄茂氏は二〇〇四年に東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、現在は博士(学術)である。「雄茂」は日顕が法主の時の道号であり、現在は本名の「松岡幹夫」を著者名とされる。松岡幹夫博士の著述が読めるサイトは、以下の通り。

現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義
『東洋哲学研究所紀要』第二〇号(二〇〇四年十二月発刊)掲載 

‎「『法主信仰』の打破――日寛上人の言論闘争
『大白蓮華』(平成十七年九月一日発行)掲載

阿部日顕の教学に対する十の学術的批判」 

阿部日顕への公開質問状(七〇項目)」

 なお、松岡博士の著書「日蓮正宗の神話」(2006年12月10日初版 発行所:論創社)には、法主信仰の由来等々、宗門の数多の謗法が詳細に綴られており、本連載においてその全貌を一口に表わすことは困難であることを白状せざるを得ない。それほどの内容豊富の労作であり、諸兄諸姉にはぜひとも書店で購入し、精読されんことを願うものである。
 ただしその内容の一端なりとも、今後の連載において紹介できれば幸甚である。

4. 謗法と淫蕩の法主達

「大聖人が定められた血脈相承」とは、大聖人より日興上人への御相承のことを言う。だが、末代の法主に大聖人の血脈が相承され、大聖人の御内証を受け継ぐなどとは、根拠も道理も無い、言語道断の妄説である。
 念のために確認しておこう。次に挙げる末代の法主は、本当に「御本仏日蓮大聖人の御内証を受け継ぐ正しい師」であるのかどうか。

① 「元来大石日応は人も知る如き色魔にて東京に妾(めかけ)を置き又大宮(=富士宮)其他附近に出でては飽くまで不品行を恣(ほしいまま)にして恥ぢぬ程の者」(『静岡民友新聞』明治四十一年十月二日付「日応の人となり」と題し)と、その痴態ぶりを記され、寺の財産を使い込み「一万円にも及べる借財」(現在の相場に換算し約一億円)を為したと報道された法主は、誰か。
……五十六世大石日応である!

② 「立正大師号」宣下にあたり、日蓮宗各派と合同の勤行を行ない、身延等の謗法に同座した「与同罪」の法主は、誰か。
……五十七世阿部日正である!

③ 1.日頃より宗内の僧侶を殴る蹴るの暴力に及んで衆望を失い、宗会が不信任を決議、辞職勧告を決定したため、辞表を書いた法主は、誰か。
2.退位となっても、次の堀日亨師への相承を行なわず、「隠退料として米七十俵、現金三千円を贈る」との話に応じ、ようやく形ばかりの相承を行なった法主は、誰か。
……五十八世土屋日柱である!

④ 1.御本尊を相承書通りに書写しなかったために僧俗から非難され、「タダ漫然之ヲ認(した)タメ何トモ恐懼(きょうく)に堪へヌ」、注意不足であったと謝罪した法主は、誰か。
2.「立正大師号」の「勅額」降賜のために、大聖人の「御廟」が身延山にあると認めた法主は、誰か。
……六十世阿部日開である!

⑤ 芸妓の身代金を払って妾として囲うなど豪遊、寺の財産約九千円を浪費し約三万円の手形を乱発し(計三万九千円。現在の相場に換算して約一億円)、背任罪に問われ、書類送検された「破戒行為」を全国紙(「読売新聞」昭和五年十二月二十九日付)に指摘され、宗門の名を地に落としめた法主は、誰か。
……六十一世水谷日隆である!

⑥ 1.軍部政府の意を受けて、神札甘受等、あらゆる謗法を重ねた法主は、誰か。
2.学会に神札甘受を指南したが、これを謗法として受け入れなかった牧口会長以下の学会幹部を、信徒除名処分として切り捨てた法主は、誰か。
3.後嗣を定め相承することなく、本山の火災でただ一人、焼け死んだ法主は誰か。
……第六十二世鈴木日恭である!

 これで法主が無謬であると言えようか。ところが宗門は反省など絶対にするものではないとばかりに、虚偽と詭弁とを駆使し、黒を白と言い抜ける。
「御本仏日蓮大聖人の御内証を受け継ぐ正しい師」とは上述の通り、人の道に外れた者、謗法に与同した者のことであった。
 前回の妄説において「大地から幹が伸びる……その幹こそ血脈相承です」とあったが、この謗法と淫蕩にまみれた法主達が宗門の「幹」だったのである。宗門の謗法充満の幹に日顕と言う病菌が感染し、狂い花を咲かせ堕地獄の毒粉を撒き散らす、日顕宗という幹に変貌したのである。
 宗門の乱脈は、上述した法主達の不品行・謗法与同にとどまらない。江戸時代の十七世日精の造仏義も然り、さらに遡れば、十二世日鎮のとき流入僧がもたらした法主本仏論が、「幹」の内部深奥に沈潜しているのである。
 法主本仏論は、仏法破壊の魔説である。その来歴については、本連載において稿を新たにし糾弾して行きたい。
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:28」を破折する 連載37回

妄説:28 「令法久住」と「広宣流布」とはどのような関係にあるのですか。

 大聖人の仏法を血脈相承によって、末法万年に正しく伝えることが「令法久住」であり、正法が全世界に弘まることを「広宣流布」といいます。
『報恩抄』には
「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」(新編 1036頁)
と仰せです。「令法久住」と「広宣流布」とは「法を正しく久住させる」時間的な縦の流れと、「広く正しく流布せしめる」地域的、現実的な横の流れという、不離の関係にあるといえましょう。
 大地から幹が伸びるすがたを「令法久住」、幹から枝が繁るすがたを「広宣流布」に譬えれば、幹から離れた枝は枯れますが、幹からは再び新しい芽を吹き出します。その幹こそ血脈相承ですから、歴代の御法主上人を誹謗する創価学会が、いかに「広宣流布が進んだ」といっても、所詮(しょせん)枯れ枝となるのは明白です。
 本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承の「令法久住」があってこそ、万年にわたる一切衆生成仏の「広宣流布」が成就するのです。

破折:
1. 令法久住の本義

 法華経は〝末法の令法久住〟のためにあり、末法の今日に生きる我ら学会員がその任を負う。

 諸法実相抄(一三六〇㌻)にいわく、
「ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし、釈迦仏多宝仏・十方の諸仏・菩薩・虚空にして二仏うなづき合い、定めさせ給いしは別(べち)の事には非ず、唯ひとへに末法の令法久住の故なり、既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、妙法蓮華経の旛(はた)をさし顕し、釈迦・多宝の二仏大将としてさだめ給いし事あに・いつは(偽)りなるべきや、併(しかしなが)ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり」

 法華経が説かれた目的こそは「我等衆生を仏になさん」、仏が一切衆生を成仏させることにある。ゆえに令法久住は、我らが担う大使命である。
 かつて日興上人、日目上人は、令法久住と広宣流布とを、共に任ぜられていた。令法久住のみならず、広宣流布の陣頭指揮に立たれていたのである。
 だが時代が下るにつれ、教団に草創の息吹が失われて行き、宗門の僧侶は折伏を行なうことなく、本山の堂宇伽藍を次々と廻って勤行し、日を過ごすようになった。これが代々の伝統となったのである。

 如説修行抄(五〇三㌻)にいわく、
「鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪(もっけ)なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」

(鷄(にわとり)が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪(もっけ)である。権教と実教との立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中にとじこもって摂受を修行するのは、まさしく法華経修行の時を失った物怪ではないか」

 本山は物怪(妖怪)の山となってしまった。ゆえに大聖人の教えを継ぐべき宗門の幹は、枝を伸ばすことなく、葉を茂らせず、長らく根腐りの状態が続いていた。あわや枯木となる寸前、創価学会が挿し木となって、短時日のうちに大樹と成長したのである。
 ところが日顕と言う名の不心得者が〝樹の所有者〟を名乗って以降、宗門の樹は〝謗法の毒粉〟を撒き散らすこととなり、被害は甚大なものとなった。
 宗門と決別した学会により新たに植樹された〝創価の令法久住〟の幹は、信心の法水により広く民衆の大地に根を伸ばし、組織の枝葉を茂らせ、功徳の実証の華を咲かせているのである。
 一方宗門の樹は、もはや幹そのものを伐り倒さなければ、害毒を取り除くことができないところまで来ており、我らは放置するわけにはいかない。善を為さなければ、悪に加担することとなるゆえに。

2. 「令法久住」と「広宣流布」

 次は実録小説の一部であり、宗門の一般得度(「青年得度」)の面接試験の場面である。僧侶にとって「令法久住」と「広宣流布」の語はどのように認識されているのか、否応なく分かることとなる。
              ◇
 午後から中会議室を使って面接試験が行われた。
 面接の時間は人によってまちまちだった。やがて藤川の順番になり、彼は緊張しながら、会議室のドアを開けた。目の前には、総監、庶務部長、教学部長、海外部長などの役僧がずらりと並んでいた。
 初めの質問は「なぜ、君は僧侶になりたいのか?」だった。
 藤川は緊張で汗をかいている両手を膝の上で握りしめながら答えた。
「はい、広宣流布のためです」
 すると、彼の履歴書を手にしていた教学部長がメガネの奥から冷たい視線を彼に送りながら言った。
「君ねえ。その前にやることがあるんじゃないか。両親はまだ信心していないんだろう?」
「は、はい。まだしていませんが、必ず折伏するつもりです」
「それにだ。僧侶にとって大事なことは令法久住であって、広宣流布ではない」
 その声には少しの温かみもなく、まるで突き放すような言い方で、藤川は何も言えなくなってしまった。
 令法久住を書きくだすと「法をして久しく住せしめん」となる。意味は「未来永遠にわたって妙法が伝えられていくようにすること」である。
 もちろん、藤川はその言葉の意味は知っていたが、彼は仏法の目的は仏法を広く流布させる「広宣流布」であり、「令法久住」もそのためのものであると理解していた。しかし、宗門の中では、布教である「広宣流布」は在家の役目であり、法を護る「令法久住」は僧侶の役目であると、立て分けられていたのである。
「まあいい。では、君の尊敬する人物は?」
 周りの役僧よりも一回り小柄な総監が無表情に質問した。
「は、はい。御法主上人猊下です」
 藤川は顔を上げ、総監に向かって答えた。この質問にはそう答えるように末寺の住職に念を押されていた。
「よろしい。得度すれば、君は猊下の弟子になるんだからな」
 総監の言葉には人を疑っているような響きがあった。
 この質問は受験者を振り分けることが目的だった。もし、尊敬する人を「池田名誉会長」と答えたならば、その受験者は「学会色が強い」というレッテルを貼られることになる。
 他にも大学での専攻や現在の仕事の内容なども聞かれたが、彼は「僧侶の役割は令法久住である」と言われたことが頭から離れなかった。「布教を放棄した僧侶に如何なる価値があるのか?」。この素朴な疑問を抱えたまま、藤川は面接を終え、一礼して会議室をでた。
(「実録小説 大石寺・大坊物語」青年僧侶改革同盟 渡辺雄範著)

 僧侶は自ら広宣流布をしない、折伏しないのは当たり前、と言わんばかりである。「令法久住」とは、まさに僧侶が広宣流布をしないための言い訳であった。

3.「折伏しなければ、大聖人様の御心は分からない」

 以下は戦後、五十九世堀日亨法主(発言当時は隠尊)に給仕した僧侶(故・渡辺慈済師)の回顧録である。
              ◇
 ある日、堀上人は、「慈済は、折伏をしたことがあるか?」と問われたことがあった。私は「ありません」と答えた。そして、行学講習会で、堀米能化(のうけ)や細井庶務部長から教えられていた通りに、僧侶は法務中心でよく、「末法は折伏の時だが、僧侶が行なうのは折伏の中の摂受」であることを申し上げた。
 すると、堀上人は、「いや、僧侶も折伏をしなければいけない。折伏しなければ、大聖人様の御心は分からないよ」と、はっきり言われた。
 そして、自分が九州で出家した頃の話をされながら、「私も一生懸命折伏した。しかし、折伏をしてつくづく感じたのは、富士門流の本がほとんど世に出ていないことだった。これでは駄目だと思って、出家した自分の一生の仕事として『全集』に取り組んだ。これが必ず折伏に役に立つと思ってやったんだよ」と。
 さらに、「宗門でも、折伏をしている人はわずかだ。近年では、日霑(にちでん)上人、日応上人等がおられるが、今は途絶(とだ)えてしまっている。お前の父親が寺をいくつも建てたと言っても、自分で折伏をして信者になった人ではないだろう。代々続いてきた檀家のなかに、金持ちがいたから、建ったのではないのか。大事なのは、人々を折伏して、信者に育てることである。失敗してもいいから、どうしたら新しい信者ができるか、折伏の辛さ、厳しさを自分で学んでおくことだ。折伏しない僧侶には、御書の解釈はできても、大聖人の本当の御心は分からないよ。だから、寺など持たなくてもよい。居候(いそうろう)してでも、折伏しなければならない。数ではない。折伏する姿勢が大事なんだよ」と話された。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 発行所:第三文明社))

 当時、僧侶も檀徒も信心の上で根腐りして、宗門の先行きに明るいものは学会以外には何も無かった。だからこそ、亨師は学会に期待を寄せていたのである。

4.創価の「令法久住」

 邪宗に堕ちた宗門は、令法久住の役目を永遠に失った。代わって令法久住を実現する使命は、我ら学会員にある。
              ◇
 私たちは大勝利の上げ潮の中で晴れ晴れと「青年学会 勝利の年」を迎えました。この御文は法華経の元意は末法の一切衆生の救済にあり、「法をして久しく住せしめん」すなわち永遠に妙法が伝えられていくために、仏が地涌の菩薩に末法広宣流布の使命を託すことを示されています。
 昨年、池田先生は「私自身も、大いなる総仕上げに、いやまして戦い抜く決心である」と記されました。日蓮大聖人の仰せを体現された三代の会長の精神、なかんずく池田先生の精神を万代に継承し、その指導を実践する弟子を永遠に輩出する。その出発点となる伝統の基盤を、わが地域に築くことこそが、私たち自身の「総仕上げ」です。そして「永遠に広宣流布の指揮をとる」との師匠の大誓願を弟子が実現し、創価の「令法久住」を実現する戦いです。
 さあ私たちは、同志の〝母港〟である支部・地区を基盤に、池田門下の人材を育て、広布後継の証しとなる連戦連勝の歴史を開いていこうではありませんか。
                      理事長 正木正明
(「聖教新聞」〝きょうの発心〟2013年 1月1日付)
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:27を破折する 連載36回

妄説:27 「広宣流布」の本当の意味は何ですか。

 総本山第二十六世日寛上人は
『文底秘沈抄(もんていひちんしょう)』に「富士山は是れ広宣流布の根源の故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(聖典 855頁)
と仰せです。
 すなわち、全世界の人々が総本山にまします本門戒壇の大御本尊に帰依して、本門の題目を唱えることを「広宣流布」といいます。
『諸法実相抄』に
「剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(新編 666頁)
と仰せられ、『如説修行抄』には、広宣流布のときには、自然界も、社会も、そして個人も、平和で安穏な世界になると説かれております。
 日蓮正宗の仏法を「広宣流布」することが大聖人の御遺命(ゆいめい)なのです。現在の創価学会のような、本尊と血脈に迷う人々がどれほど増えても、大聖人の御正意の「広宣流布」ではありません。
 日達上人も
「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(達全 2-6-295頁)

破折
1.学会が大聖人の未来記を実現

 大聖人は、未来における広宣流布の有り様を、明確に説かれている。

 諫暁八幡抄(五八九㌻)にいわく、
「月は西より東に向へり月氏(がっし)の仏法の東へ流るべき相(そう)なり、日は東より出(い)づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり」

(月は、輝き始める位置を、一日ごとに西の空から東に移していく。これは月氏(がっし)、すなわちインドの釈尊の仏法が東へと流れていくしるしである。また、太陽は東から出る。これは日本の仏法、つまり、日蓮大聖人の仏法が月氏に還(かえ)るという兆(きざ)しである)

 このことは、別の御文にも説かれる。

 顕仏未来記(五〇八㌻)にいわく、
「問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く仏記に順じて之を勘(かんが)うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり」

(問うていうには、釈尊の未来記があなたの身の上にあてはまることはよくわかった。それではあなたの未来記はどうなっているのか。
 答えていうには、釈尊の未来記にしたがってこれを考えてみるに、今はすでに後五百歳の始め、すなわち末法の始めに相当している。末法の真の仏法は、必ず東土の日本から出現するはずである)
                 ◇
 戸田先生は、この御文を拝して記されています。
「もしこの御予言を実現せずんば、仏の未来記を虚妄にするの罪、われら仏弟子にあるのではなかろうか。おそるべし、つつしむべしと、思わざるをえないのである」
 先生は、大聖人の仏法西還の未来記を受けて「東洋公布」と叫ばれ、青年に世界公布の舞台を指し示してくださった。
 今や妙法を根本とした平和の連帯は、世界の百九十カ国・地域へと広がりました。
 私は戸田先生の心を、我が胸に抱しめて、世界に道を開きました。
(池田名誉会長「希望の経典『御書』に学ぶ1」より「顕仏未来記」)

 正法・像法の時代には、釈尊の仏法が東洋に広く流布され、民衆の幸福と平和に大きく寄与してきた。そして末法においては日蓮大聖人の仏法が西還、中国・インドに還ることを予言されている。これが世界広布の図式である。 
 日寛上人は当流行事抄に「此の文正(まさ)しく種脱勝劣を明かすなり」として、次の通り説かれる。

「月は光、明らかならず、在世は但八年なり。日は光、明らかにして、末法万年の闇を照らす。長短寧(むし)ろ勝劣に非ずや」
(「六巻抄」二一〇㌻)
 
 釈尊の仏法の功徳を〝仄(ほの)かな月の光〟に譬えれば、大聖人の仏法の功徳はまさに〝日輪の陽光〟そのものと述べられるのである。
 だがもし創価学会の出現がなければ、仏法西還の御本仏の御予言も虚妄となってしまったに違いない。世界広宣流布は、大聖人の御予言であるとともに、その御本意は末弟に、なかんずく我ら創価学会員に与えられた御遺命なりと、拝さなければならない。

2.御予言とは〝門下の最大の確信〟

 池田会長と細井管長(日達法主)とは、昭和三十六年二月四日にインドのブッダガヤに「三大秘法抄」等を埋納するため、アジア訪問の旅を共にした。その途次の様子が次の通り描写されている。
              ◇
 伸一は、静かに語っていった。
「大聖人の御予言も、それを成し遂げようとする人がいなければ、観念になってしまいます。広宣流布は、ただ待っていればできると考えるのは誤りであると思います。
 御予言の実現は、後世の人間の決意と大確信と必死の行動が根本となります。御予言とは、弟子の自覚としては、そう〝なる〟のではなく、そう〝する〟ことではないでしょうか。そうでなければ、人間の戦いはなくなってしまいます。
 また、そのようにとらえて戦いを起こしたものにとっては、御予言は、最大の確信となり、勇気となり、力となります」
「山本先生のおっしゃる通りです。まったく、その通りだと思います。
 結局、広宣流布は、山本先生にお願いするしかありません。それが結論です。今後とも、どうか、よろしくお願いします」
(「新・人間革命」第3巻「月氏」の章)

 細井管長はその登座当初から、僧俗和合の指導のもと、創価学会しか広宣流布する者はいない、とまで表明していた。しかし晩年には、正信会の嵐が荒れ狂う中、宗門と学会の離間策を進めていた山崎正友(当時、副理事長かつ顧問弁護士)から学会への讒言を吹き込まれ、疑心暗鬼の様相を深めて行き、学会不信の発言をするようになって行く。
 宗門問題当時の状況については、いずれこの連載において詳説することとなるが、上述の対話のころは純粋に学会を信頼していたのである。
 小説で〝山本伸一〟(池田会長)が述べる通り、広宣流布とは、御予言の成就を「待つ」ことではなく、大聖人の弟子たる我らが御予言を「実現させる」ことにある。すなわち仏の未来記とは、〝後世の門下が叶えるべき未来図、設計図〟と捉えるべきことであり、ここに我らの最大の確信を置かねばならない。

3.〝宗教のための未来〟か〝未来のための宗教〟か

「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(日達法主)とは、〝宗教(=日蓮正宗の教義)のための未来〟を見据えて言った言葉である。だがこれを〝未来のための宗教〟と視座を変えてみれば、その言葉は変更を余儀なくされるのではないか。
〝宗教のための人間、社会、学問、規律等〟は、中世ヨーロッパの暗黒時代を想起させる。それがもたらしたものは、諸科学の弾圧、異端審問などであり、我らはすでに歴史から学んだはずである。〝宗教のための未来〟となれば、それがどれだけ閉じられた世界になるのか、想像に難くない。
 逆に〝未来のための宗教〟と言うと、宗門は「日蓮正宗の教義でないもの」と連想するであろう。だが宗門の歴史を遡れば、教義と言っても〝化儀〟については、時代の中で成立し、慣習となっていったものである。初めから同一のものが存在したわけではないことは、首肯しうるはずである。だがそれについての宗門の主張はこの「妄説」において分かる通り、あまりにも多くの捏造と虚言に満ちていることに、留意する必要がある。ともかく「日蓮正宗の教義」と言っても、必ずしも大聖人御在世当時のままでは無いのである。
 ヌール・ヤーマン博士(米ハーバード大学名誉教授)は、「多くの宗教には、官僚主義的な傾向を強めることによって、本来の目的を見失っていった歴史があります」として、宗教の思想の形骸化が、組織の硬直化をもたらす傾向があり、結局は人々の心が宗教から離れていった例があったことを挙げている。
 宗門の場合では、未だに御書・相伝書の類を棒読みするだけで、現実の生活に即した教義となっていないこと、また江戸時代の寺請制度の下で僧俗差別が定着し、僧侶が在家に訓を垂れる形式にこだわることが、〝硬直化〟の例に該当する。
 さらに宗門の特徴は、歴代の会長が当時の庶民の目線に合わせて、難解な仏法を平易な、生活に密着した哲学に説き直した講義等をあげつらい、衣の権威のもとに見下してきたことにある。それは、宗門の草創時の息吹が失われ、僧侶が自ら広宣流布することを放棄し、民衆に法を説く工夫も熱意も失っている無気力感ゆえに、在家への嫉妬に苛まれての反目に他ならない。
 これら〝旧習に染められた過去〟の勢力に対し、博士は「創価学会は、もはや、仏教の歴史の下流に甘んじて生きることを止(や)めた」と明言した。その要因は宗門との決別にあったと強調し、もし学会がそうしなかったとすれば、「創価学会は仏教の歴史の支流に位置したまま、命脈が尽きてしまっていたかもしれない」とまで述べている。
 学会が成功した理由は、「会長が宗教の教義を超えたところに、人間の真実を発見した」からに他ならないと言う。ただし、その発見は宗教の否定を意味するものではなく、宗教において教義が重要であることは論を俟たないとしながらも、「私たちは、教義の奥に、さらには教義を超えて存在する人類の普遍の知恵を探ってゆかねばならない」と強調する。
 創価学会なら、それは可能である。これまで三代の会長が実践してきたことであり、会員がそれに応えてきた歴史がある。またどれほどの紆余曲折があっても、乗り越えてきた実績がある。ただし世界広宣流布は、未曾有の大事業である。「人類の普遍の知恵」を、弥増して希求し行かねばならない。

4.〝必ず未来の経典に記される教団〟

 広宣流布の未来記を実現するのは、必ずや我ら学会である。
              ◇
 今や、学会の大前進に世界の多くの知性が目を見張っています。アメリカの著名な仏教研究者であるクラーク・ストランド氏は、こう述べておられた。
「歴史的に見ても、新しい宗教革命が起きる時は、その宗教が伝わる勢いは大変なものがあります。理屈を超えて、人の心から心に伝わっていく。
 創価学会を研究してきて、おそらく五百年、千年に一度、誕生するかしないかの偉大な宗教であると確信します」と。
 深く、鋭く見てくださっています。
 あまりにも使命深き学会の存在について、戸田先生はこう語られたことがありました。
 ――法華経には、威音王仏という仏が登場する。二万憶もの仏が、みな同じ威音王仏という名前で、長遠の歳月、衆生を救済してきたと説かれている。この威音王仏という名も、優れた仏であったかもしれないし、またそういう名の教団があったと考えることもできる。
 同じように「創価学会」という教団は、必ず未来の経典に金文字で記される。「一閻浮提広宣流布」という未来記を実現した「創価学会仏」として、永劫に仰がれてゆくのだ――。
(池田名誉会長「御書と師弟」第6回〝仏の未来記〟 聖教新聞 2009.2.5)

5.新興宗教〝日顕宗〟

「日蓮正宗の教義」は、宗門においては細井管長(日達法主)の代で消滅してしまった。すなわち平成十一年十二月十九日、日顕の誕生日を記念して発行した「日蓮正宗要義」において、〝僧宝の定義〟が改変(改悪)された。このことは、日顕が自分の新興宗教・日顕宗を立ち上げたことを意味する。
 よって宗門は「似非日蓮正宗」であるが、世間を欺き、今なお日蓮正宗の名を使用し続けている。
 学会が、新興宗教の教祖の言い分を聞くわけにはいかない。それでは大聖人に背くこととなる。学会は、本来の日蓮正宗の信仰から外れていない(ただし、要法寺系の異流儀や、江戸時代の檀家制度の残滓などは、徹底して抜き去っていかなければならない)。
 生前の細井管長の意中には、後継者候補の中に日顕など存在していなかった。そのため僭称した日顕が、実際には相承を指名してくれなかった細井管長に対し、逆恨みの感情を持ち続けていたことは明らかである。「日達上人のニオイのするものは、みなイヤだ」と言ってはばからず、細井管長が建立した堂宇伽藍は、日顕がことごとく破壊して行ったことは、その証左である。
 細井管長が生前に、くれぐれも扱いを注意するように、と危惧していたことが〝僧宝の定義〟であったが、日顕がこれに手を付けることは、時間の問題であった。
〝日顕の宗門〟の説くところが仮に広まったところで、それは「広宣流布とは言えない」のであり、むしろ大聖人の仏法を破壊する〝魔教〟である。こればかりは、絶対に阻止しなければならない。
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:26」を破折する 連載35回

妄説:26  日蓮正宗の「信仰」とは何ですか。

 総本山大石寺にまします、本門戒壇の大御本尊を根本とし、唯授一人の血脈に従い、本門の題目を自行化他にわたって行じることです。
 信仰とは、絶対的なものを「信じ仰ぐ」ことです。「何」を対象として信ずるかによって正邪が決まりますが、仏法では三宝を対象とします。
 日蓮正宗の法義では「文底下種の三宝」といって、
  仏宝―日蓮大聖人
  法宝―本門戒壇の大御本尊
  僧宝―日興上人
を随一とする御歴代上人と立てます。
 その当体への「信仰」については、『当流行事抄』に、
「我等唱え奉る所の本門の題目其(そ)の体何物ぞや、謂(い)わく、本門の大本尊是れなり、本門の大本尊其(そ)の体何物ぞや、謂わく、蓮祖大聖人是れなり」(聖典 954頁)
と、人法一箇の御本尊を信じ、本門の題目を唱えることと明示されています。
 唯授一人血脈相承の御法主上人の御指南に従い、大聖人出世の御本懐(ほんがい)である本門戒壇の大御本尊を、信じ行ずることが日蓮正宗の「信仰」なのです。

破折:
1.〝御影像〟と生身の人間とを入れ換えた魂胆

 現宗門が言う〝日蓮正宗(=日顕宗)の三宝〟とは、瞞(まやか)しの言葉である。

「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります」
(「能化文書」平成三年九月六日付)

 宗門から学会への破門通告(平成三年十一月二十八日付)の前に、上記の文書が学会に送付された。この欺瞞と誑惑に満ちた内容を読めば、宗門はこの時すでに日蓮正宗から脱け出ていて、日顕のための御用宗門(=日顕宗)と化していたことが知れるのである。
 今回の「妄説」においては、〝僧宝―日興上人〟と記載がある。ここまでは問題無い。ところが次の行には、〝を随一とする御歴代上人〟と、前の行から続く文言がある。一連の語を二つにへし折って、問題の所在を隠そうとする。ここが宗門の狡猾なところである。
 日顕を〝三宝一体〟と立てるために、それまで『日蓮正宗要義』に定められていた僧宝の対象たる〝日興上人〟の御名に、〝を随一とする御歴代上人〟の語を書き足したわけである。それが従来からの「三宝一体義」によって、僧宝の一分である法主(一分でしかない日顕)に、三宝のすべてが具わると言うのである。
 しかし「三宝一体義」の「三宝」とは、寺院における礼拝の対象として〝安置される三宝〟のことを言うのであり、それが日寛上人の『三宝抄』に記されるものである。
『三宝抄』は、寺院の拝殿における「大御本尊」「日蓮大聖人の御影像」「日興上人の御影像」の配置について説かれた御抄である。それゆえ「三宝一体義」においての「僧宝」とは、「日興上人の御影像」を言うのである。
 この配置については「別体三宝式」と「一体三宝式」とあるが、それは御影像を拝殿のどこの位置に置くかの違いである。だが、日顕の着想は、御影像と生身の人間とを置き換えたところにあった。
 まず「僧宝」の定義を、日興上人お一人から歴代法主のすべてに拡大せしめ、信仰の対境(久遠元初の僧宝=日興上人)と、和合僧(現時に生きる僧宝)とを混在させた。これにより、当代の法主までもが僧宝であるとされた。
 一方で、奉安様式の意義を曲解し、「僧宝」すなわち日興上人の御影像を、現時の僧宝とした日顕に移し替えた。僧宝には三宝義が具わるとするから、生ける人間(日顕)の体に、大御本尊、日蓮大聖人、日興上人以降代々の法主の、三宝の内証が具わると言うのである。
 しかし法義を変更すれば、その時点で新興宗教である。また生身の人間に三宝が具わるとするのは、大聖人の仏法を破壊する大謗法である。
 法主の座にある者でも、肉を嗜み、妻子を扶養する荒凡夫の身に変わりはない。三毒強盛の凡夫がそのままで仏であるとするのは、天魔の教え、禅宗である。すなわち日顕こそ天魔なのである。

2.「禅宗の慢心」を上回る日顕

 大聖人は禅宗を「謂己均仏(いこきんぶつ)(己(おのれ)、仏に均(ひと)しと謂(おも)う)の大慢を成せり」と破折され、その迷妄を明かされている。
 
 聖愚問答抄下(四八九㌻)にいわく、
「只不二を立てて而二(にに)を知らず謂己均仏の大慢を成せり、彼の月氏の大慢が迹(あと)をつぎ此の尸那(しな)の三階禅師が古風を追う然(しか)りと雖(いえど)も大慢は生(いき)ながら無間に入り三階は死して大蛇と成りぬをそろし・をそろし」

(ただ不二の義だけを立てて而二を知らず、「自分を仏と均しいと思う」大慢心を起こしているのである。これはインドの大慢婆羅門の跡を継ぎ、中国の三階禅師の古風を追うものである。そうではあるが、大慢婆羅門は生きながら無間地獄に堕ち、三階禅師は死んでから大蛇となった。まことに恐ろしいことである)

 御文の意は、そもそも衆生と仏とは、「二而不二(ににふに)」(二にして二ならず)の関係にあるとするのが、仏法の中道実相の理である。それにもかかわらず、禅宗は「不二」の一面だけを強調して、而二の一面を無視する誤りを犯している。「而二」とする謙虚な姿勢を捨て、自ら仏であるとの見解を立てる、「大慢」の者が禅宗の輩である。
 ところが日顕は禅宗のもう一つ上を行く。前項に示した通り、仏宝、法宝、僧宝の三宝全てがおのれに均しい、との「極悪の大慢」を抱いたのである。
 謂己均仏の大慢の果報は、「生(いき)ながら無間に入り」「死して大蛇と成りぬ」と仰せである。日顕は、御書を身で読むこととなろう。

3.「石は玉にならず」

 宗門は「唯授一人血脈相承の御法主上人」などと言うが、その「御法主上人」が〝身の程をわきまえないニセ者〟とあっては、どうにもならない。

 諸宗問答抄(三八〇㌻)にいわく、
「譬えば民の身として国王と名乗(なのら)ん者の如くなり如何に国王と云うとも言には障り無し己が舌の和(やわら)かなるままに云うとも其の身は即土民の卑しく嫌われたる身なり、又瓦礫(がりゃく)を玉と云う者の如し石瓦(いしかわら)を玉と云いたりとも曾(かつ)て石は玉にならず、汝が云う所の即身即仏の名目も此くの如く有名無実(うみょうむじつ)なり不便(ふびん)なり不便なり」

(例えば、人民の身分でありながら、国王を名乗るようなもので、どのように国王というとも言葉には障りはないが、自分の舌のやわらかなままに言っても、その身は土民であって卑しく嫌われる身にすぎない。また、瓦礫を宝石という者と同じで、石や瓦を宝石であると言っても、石が宝石になったことは一度もない。あなたがいうところの即身即仏の名目もこのようなものである。名が有って実が無いのである。あわれなことである。あわれなことである)

 日顕は「其の身は即土民の卑しく嫌われたる身」である。先師日達法主から〝法主の器ではない〟と見られていた通りである。
              ◇
 日達上人は、話題が次の法主の問題になっても、「信雄(しんのう)(日顕のこと)はなあー」と、何時も言葉を濁らせておられた。信心の面、人格や人間性の面で、上に立つのは難しいと考えておられたのである。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 第三文明社)

 ところが先師・細井管長が急死したことを幸いに、〝相承の内示を受けた〟と、「己が舌の和(やわら)かなるままに云う」日顕の筋書通りに、あっさりと法主の座を奪い取ってしまった。こんな馬鹿げた事が罷り通る処が、宗門である。
 しかし、かつて石は玉になったためしはないとの仰せ通り、ニセ者はどこまで行ってもニセ者である。この御文は禅宗を破折したものであるが、禅寺に墓を建立する日顕のことであれば、境界は同じである。
 その僭称法主たるや〝内示を受けた〟とする日付のわずか二か月前に、大御本尊を鑑定に掛けてニセ物呼ばわりしていたのである。
 大御本尊を信じない僧侶が法主に就任したからには、それまでの宗門は死に絶えたのであり、今の宗門は日顕を教祖とする日顕宗である。
 日顕の「御指南」などに従うものならば、成仏の義が「有名無実(うみょうむじつ)」であるばかりではない、御書に「不便(ふびん)なり」と仰せの通り、奈落の底に堕ちて行くことになるのは必定である。
                           (了)
 

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Author:墨田ツリー

 
 
 

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