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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:20」を破折する 連載29回

妄説:20 総本山第二十六世日寛上人の御本尊を「ニセ本尊」と呼ぶのは日寛上人に対する冒涜(ぼうとく)ではありませんか。

 宗門では、浄圓寺所蔵の本證坊(ほんしょうぼう)個人に下付された日寛上人御書写の真正の御本尊を「ニセ本尊」といっているのではありません。
 御法主上人の許可なく、勝手に複製されたものを、私たちは「ニセ本尊」と呼んでいるのです。
 そのうえ、創価学会は日寛上人の御本尊にしたためられていた「授与書き」を勝手に削り、会員に販売しているのですから、学会が日寛上人のお心に背き、日寛上人のお徳を汚す大罪を犯しているのは明白です。
 これこそまさに、日寛上人に対する冒涜以外の何ものでもありません。

破折:
1.日寛上人を冒涜する者は誰か

「御法主上人」などと言うが、それは「六十七世を詐称した〝猊座泥棒〟」のことか。今では「六十八世を名乗る〝泥棒の後釜〟」を指すか。
 仏法の論議をすることもなく、「許可なく、勝手に」と声高に吠えるだけの宗門は、まことに哀れなものである。宗門が御本尊を下付する〝権利〟を失えば〝御供養〟も入ってこない。食い上げとなるから必死なのである。
 だからと言って、日寛上人御書写の御本尊を「ニセ本尊」呼ばわりすることは、大不敬である。〝坊主の掠(かす)り〟を確保するために大聖人の仏法を毀謗することは、絶対に許されない。
「日寛上人のお心」とは、広宣流布であり、御本尊流布にある。このことは、開祖日興上人のご指導の通りである。

「志(こころざし)有る者には本尊を授与し給ふに時を選ばず」(『富士宗学要集』第五巻 一七五頁)

 それゆえ「日寛上人のお心に背き、日寛上人のお徳を汚す大罪を犯している」とは、日寛上人御書写の御本尊を、宗門が「ニセ本尊」と誹謗して正法流通を阻害することを言うのである。

「順縁広布、何ぞこれを疑うべけんや。時を待つべきのみ」(『日寛上人文段集』二三四ページ)

 現代こそは、日寛上人が願われた順縁広布の時代である。しかし、ひとり学会だけが日寛上人の御正意を体して御本尊を流布しているのであり、宗門がそれを阻んでいるのが実状である。学会に日寛上人の御称讃のあることは疑いない。

 法華取要抄(三三四㌻)にいわく、
「問うて曰く自讃は如何、答えて曰く喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり」

 大聖人の仏法は創価学会のもと、日寛上人ご書写の御本尊の流布をもって実現されるのである。

 如説修行抄(五〇二㌻)にいわく、
「妙法独り繁昌せん時」

2.淨圓寺が離脱の時、「しまった」と日顕

 香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を御形木にして多くの檀家に下付していた。更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋の法道院で印刷し、各末寺は本山を経ずに直接、法道院から受け取っていた。
 即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、授与書きがない点も、法主による開眼などがなかったという点までも、現在の学会授与の享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。
 こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道住職が邪宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊があったな」と悔しそうに呟いた。
 それは以前の妙光寺、法道院、常在寺と同様に今度は浄圓寺の申し出によって、日寛上人の御形木御本尊が下付されるようになると、それを阻止する正当な理由がないからだ。
(「フェイク」第1059号 平成21年10月11日)

3.御本尊は宗門の「金蔓(かねづる)」

 御本尊は、宗門にとっては正に「金蔓」である。彼らの感覚では、もったいないことに御本尊には蔓がからんであり、その先を手繰り寄せれば「御供養」が付いて来るものと心得ている。
 そうであるから、宗門は正しい日寛上人の御本尊であろうと、学会が授与すれば「ニセ本尊」呼ばわりする。御供養収奪のためならば、御本尊不敬の大謗法など、物ともしない輩である。
 特に日顕が御供養を欲しがる貪欲さには、凄まじいものがある。
              ◇
 奥番を経験した者は一般の僧侶が知ることのない大奥の秘密を知る。年分の小森もその一人だった。(中略)小森は奥番になってはじめて法主の元に巨額の供養が集まることを知った。
 年始の挨拶の目通りには、数百万単位の供養を持ってくる住職もざらであった。また、寺院の新築や増改築の願いを出す時にも住職は数百万の供養を持参する。ある住職は「この度、墓地を造りたいと思っております」と言って、五百万円を日顕にさしだした。
 供養を持参するのは住職だけではない。ある信徒は本山に就職が決まった時、小切手を日顕に供養している。奥番が御供養の袋を預かり、「なんか小切手みたいだぞ」と言いながら、明かりに透かして見ると、そこには「壱千萬円」と書かれていた。
 それらの供養を奥番が対面所から日顕の居間に運ぶ。そこで待っているのが、金庫番の石井信量である。そして、時には女房の政子、娘の百合子ら一族がその場に居合わせた。
 日顕は供養の額が大きければ大きいほど、機嫌が良くなる。昭和六十二年、川崎市の持経寺住職の阿部が目通りに来た。何故か、阿部は段ボール箱を持って来た。小森は一体、中に何が入っているのかと訝しく思った。
 目通りを終えた日顕は気味が悪いほど機嫌が良い。いつもの日顕ではないのだ。
「ふふふ。この箱を居間に運べ」
 奥番に命ずる声まで優しい。小森はこの箱には何か大事なものが入っているに違いないと細心の注意を払って箱を持ち上げた。箱はずっしり重い。
「一億円だよ」
 日顕が目を細めてそう言った。
(一億円!)
 小森はあまりの驚きで手が滑りそうになった。
 法主の権威には常に巨額の供養がからむ。だから、日顕は猊座を降りようとはしない。日顕はあるとき、奥番にこう言った。
「ワシは利息だけで一千万円入るんだ」
(「実録小説 大石寺・大坊物語」青年僧侶改革同盟 渡辺雄範著)

 宗門が学会を破門する前は、学会員の登山費と塔婆供養などで年間、数百億円の収入があった。信じられないほどの御供養が、坊主の懐に入ったのである。
 ところが日顕の悩乱で学会を切ってからは、それは叶わぬこととなった。それだけに、御本尊の下付は本山のパテント(専売特許)の如くに言い放ち、学会授与の正しい御本尊を誹謗中傷する大謗法を厭わないのである。

4.大石寺で偽造本尊を販売

「販売」とは、不特定多数の顧客に商品を売ることを言う。身延等、諸教団の例であれば、御本尊が土産物店やインターネットで販売されることは、当然の如く行なわれている。大石寺は身延と精神構造が似ているから、学会でも行なっていると言うのであろう。
 宗門は身延と同様、堂々と偽造本尊を販売していたことは、次の記事に明らかである。

偽造本尊
              
 さて、左に掲載した「日蓮上人御眞筆御本尊織込純金襴」の広告の写しは驚愕ものだ。大聖人の御真筆の御本尊を純金襴の下地に織り込んで作ったという模造本尊の広告である。
 この広告は大正二年発行の「白蓮華」第八巻第十号以降、計八回も掲載されていた。同誌の発行人は日顕の父・阿部法運(後の第六十世日開)であった。
 この模造本尊は縦約五十センチ、横約十六センチ。「一枚の紺地純金襴へ緻密巧妙に織り現はしたり」と記しているところから、この偽造本尊は、金糸を散りばめた紺色の地に、文字を金糸で織り込んだ奇妙なものであった。
 広告文に「我宗祖日蓮上人」との記述があり、掲載誌が機関誌であることから、日蓮正宗の法華講員を対象にしての広告であることは言うまでもない。
 織物の「模造本尊」業者は「御本山用達」を名乗り、偽造の本尊を「天下一品」と称して販売していた。
 しかも「一幅特價金貳圓」という、当時としては高価な代物だが、計八回も広告を出したのは売れたからだろうが、開眼はどうした?
 改めて「大白法」の「異流義破折」欄を担当している坊主に問う。この「日蓮上人御眞筆御本尊織込純金襴」は大謗法であるが、宗門では謗法でないとの見解か? ニセ法主の模写本尊を「正境」という狂った感覚の宗門は日開の当時から織物の「模造本尊」も「正境」と感じていたのか?
 業者が大謗法行為で儲けた金を宗門は広告料として貰っていたわけだ。
 この他、大石寺には今も昔も「戦勝守護の御本尊」「未来大曼茶羅」、「謹刻」と称して写真撮影した模造、偽造本尊、ニセ法主の模写本尊などが山ほどある。
(「フェイク」第1005号 発行=09.03.21)

 宗門の歴史を検証する毎、あまりの汚らわしさに悪寒が走る。学会は邪宗門から独立できて、本当に良かったと心から思えるのである。
                           (了)
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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:19」を破折する(その2) 連載28回

妄説:19 なぜ学会で授与する本尊が「ニセ本尊」なのですか。

 たとえば、精巧(せいこう)なカラーコピーの機械で、紙幣(しへい)をコピーして「お札」を作製するとします。いかに本物の「お札」と見分けがつかなくても、そのコピー札は「ニセ札」であり、それを使えば法的に罰せられます。
 なぜかといえば、
  ①正式な政府の許可がなく、
  ②日本銀行から発行されたものでなく、
  ③自分で勝手に作ったものだからです。
 「ニセ本尊」はこれと全く同じ道理です。
  ①御法主上人の許可を受けず、
  ②総本山から下付されたものではなく、
  ③学会が勝手に作製したものだからです。 
 学会では「自分たちが和合僧団だから、その資格がある」と主張しますが、一体その資格は、どなたから受けたのでしょうか。御歴代上人の中で、創価学会に相承された方などおられません。もし「広布を願う一念があれば資格が具わる」などというのならば、誰でもいつでも勝手に本尊を作ることができることになり、大聖人の仏法は混乱し、滅亡してしまうでしょう。
 ニセ札は法律で罰せられますが、「ニセ本尊」は仏法破壊の大罪として、必ず現罰をこうむるのです。

破折:
4.正法流布を阻む日蓮正宗(=日顕宗)

 どうしてこれほどまでに日蓮正宗(=日顕宗)は、学会が授与する日寛上人の正しき御本尊の流布を妨げようとするのか。それは、これこそが御書に説かれる、魔による正法破壊の原理だからである。

 佐渡御書(九五八㌻)にいわく、
「般泥洹(はつないおん)経に云く『当来の世仮りに袈裟(けさ)を被(き)て我が法の中に於て出家学道し懶惰懈怠(らんだけたい)にして此れ等の方等契経(ほうどうがいきょう)を誹謗すること有らん当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩(やから)なり』等云云、此経文を見ん者自身をは(恥)づべし今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり」

(般泥洹経には「未来の世に、かりに袈裟をつけて我が法の中で出家学道したとして、懶惰懈怠であって、これらの大乗経典を誹謗するような者は、これらはみな今日の諸の外道の者であると知るべきである」と説かれている。この経文を見る者は自分自身を恥ずべきである。現在、出家して袈裟をかけながら懶惰懈怠である者は、釈迦在世の六師外道の弟子であると仏は記されている)

 この御文を現代に置き換えて読み解いたのが戸田会長であると、次の記事が伝えている。
               ◇
 極悪坊主・日顕の本性は一体、何なのか? それに関して学会の戸田二代会長の注目すべき指導がある。昭和三十一年二月七日、大阪・中之島公会堂での「佐渡御書講義」の中で次のように述べたのである。

「大聖人様の時代に良観とか、あるいは法然とかの弟子などになる連中は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が生まれてきて、形だけ仏法をやって、こんどは正法に邪魔するのです。大聖人様を迫害した良観たちが、いま生まれてきて仏立宗等の坊主になっているのです。(中略)それでいま、日蓮正宗が本尊流布するにあたって、邪魔をするのです。こんどそれではどうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、こんどは日蓮正宗のなかに生まれてくるのです。そして蓮華寺の僧侶みたいになってくるのです」
(戸田会長全集第六巻所収)

 実に明快な指導である。正法が流布する時には必ず、それを破壊しようとする魔が出現する。この正法破壊の天魔は、六師外道(釈迦在世)→極楽寺良観等(大聖人在世)→邪宗日蓮系教祖(戸田会長当時)と形を変えながら、外道→内道・爾前権教→実教へと、時の正法の内側に深く入り込んでくるというのである。
 この原理からみて、天魔は将来、必ずや日蓮正宗の中に出現して、学会に敵対すると断言している。
 ここで戸田会長が「蓮華寺の僧侶」と糾弾しているのが、昭和三十年に「学会員には御本尊を下付しない、すでに下付した御本尊を寺に返せ」と脅してきた蓮華寺(大阪)の崎尾正道である。
 戸田会長亡き後、崎尾のように御本尊を道具に使い、学会員を脅かしてきた坊主は日顕の他にはいない。
 戸田会長の指導によれば、日顕こそ六師外道―極楽寺良観―邪宗日蓮系教祖―崎尾正道と伝わってきた第六天魔王の血脈を引き継ぐ者で、まさに世界広布を妨害する日顕こそが崎尾の再来、極楽寺良観の生まれ変わりなのである。
 このため、日顕の悪辣な性根は生来のもので、戸田会長は、それを鋭く見抜いて弾呵していた。そのことを日顕自身が「戸田会長先生の御逝去に対して」と題し、次のように認めていた。
「私の罪障と云はうか、先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年頃の私は、自らの心にある垣根を作り、それが円融濶達にして師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない事があったのは、今更遺憾懺愧此の上もないのである」(『大日蓮』昭和三十三年五月号)
 このように記した日顕ではあったが、その性根を改めることはなかった。もし、日顕が己の「坊主根性」を猛省していれば、今日のような宗門の衰退を招く事態に至らなかったであろう。
(「フェイク」第628号 発行=05.10.10)

 池田名誉会長も、本抄を講義して日顕の正体を明かしている。
               ◇
 ここで、大聖人御在世の時代に法華経に対する誹謗を重ねていた諸宗の僧らの言い分を破折されています。そこに共通するのは、根拠なく法華経を誹謗し、法華経を捨てさせようとした独善的態度です。大聖人は、その正体を六師外道の末流と喝破されています。
 この御文を拝して戸田先生は、断言されました。大聖人をいじめた悪僧が、今度は現代の諸宗に、さらには日蓮正宗の中に出現するであろう、と。
 まさにその予見通りであったことは、広布に敵対する日顕一派の悩乱を見れば明瞭です。
(「大白蓮華」2009年1月号~3月号)

 正法流布を阻むのは、魔の働きである。日蓮正宗の中に出現した日顕は正しく魔の首領であり、宗門・法華講はすべて魔の眷属である。

5.幼稚の極み!「ニセ札」論 
① 歴代法主の本尊を「ニセ札」と言うは「ニセ法主」の証明

 今回、学会が授与している御形木御本尊は、紛れもなく二十六世日寛上人直筆の御本尊。であるにもかかわらずこの御本尊を、「ニセモノ」とは何を血迷っているのか。この御本尊を「ニセ」というなら、それはとりもなおさず、日寛上人を「ニセ法主」と言うに等しいことが分かっているのだろうか。
 日顕だけを〝本〟とし、大聖人も日興上人も、歴代の先師も、すべて〝迹〟と下す日顕宗らしい言い草だ。
 そもそも、ニセモノ呼ばわりしている日顕自身、書写した御本尊に一割も誤字・脱字があり、在家の業者に指摘されて、初めて気がつくお粗末ぶりだ。このようなニセ法主・日顕が、日寛上人の御本尊を「ニセ札」とは、笑止千万というほかはない。
(「創価新報」1993年10月20日)

② ニセ教団が発行する〝札〟こそ〝ニセ札〟

「ニセ札」論をいう日顕の根本的な間違いは、自分が「日本銀行」総裁とでも思い込んでしまっていること。お札に関する権能は全て自分にあり、自分だけが唯一「本物のお札」を発行できて、あとはすべて「ニセ札」だと言うのである。
 歴代法主の御本尊は、すべて大御本尊の御書写であり、その意味では、日寛上人の御形木御本尊もまったく「本物のお札」である。要は、それを本物と認めるかどうかの権限は、法主にあると言いたいだけなのだ。
 だが、これこそ、まったくの錯覚で、日顕ごときに〝日銀総裁〟を気取る資格などないのである。なにしろ、大御本尊をタテに信徒を脅迫するわ、丑寅勤行をさぼって温泉旅館で遊蕩三昧するわ、信徒をだまして金もうけするわ……。こんな法主に信心の血脈などないことは、だれの目にも明らか。大聖人、日興上人の御遺誡にすべて反し、信心を失い、狂ってしまった日顕はまさに、ニセ法主であることは明白だ。
 日顕は日銀総裁などではなく、言ってみれば法盗人のニセ教団の総裁なのだ。世間では、こんなニセ教団の発行する〝札(ふだ)〟こそ、〝ニセ札〟と言うのである。
(同)

③ 御形木御本尊はすべてニセモノ?

 更に愚かなことには、日顕宗の言い分が「御形木御本尊」自体を認めないという論理的破綻をきたしていることだ。まさに、自分で自分の首を絞めているのである。
 総監の藤本が週刊誌で、「分かりやすくいえばニセ一万円札のようなものでしょうか。いくら精巧な複写機を使ってコピーしても、一円の価値もないというのと同じことなんですね」といい、そのしり馬に乗った、法華講連合会委員長の柳沢まで、「大白法」で「どんな精巧な複写器(ママ)、またカメラ等を使って、被写体の一万円札が本物であったとしても、その写した物は本物ではありません」と、いい気になっていっている。
 しかし、この発言が、宗門が今まで下付してきた御形木御本尊を、すべて「ニセモノ」呼ばわりする結果となることを分かっているのだろうか。それが分かっていれば、こんなことは、到底、口にできることではない。
 つまり日顕宗は、御本尊の印刷を否定することによって、御形木御本尊の存在そのものを否定しているのである。御本尊を〝モノ〟の次元でしか拝することができない「信心」なき日顕宗らしい暴論と言うしかない。
 そもそも御形木御本尊がすべて「印刷」であることは周知の事実。直筆を〝精巧な複写機で印刷した〟ものが御形木御本尊なのである。藤本、柳沢の言うように、印刷をしたものがすべてニセモノであるというなら、御形木御本尊は、すべてニセモノということになる。
 もちろん、日顕の御形木御本尊も、すべて「ニセモノ」といっていることにほかならない。まったく、ナンセンスの限りではないか。
 かくして日顕宗の「ニセ札」のいいがかりは学会授与の御本尊が大聖人正統の御本尊であることを逆証明するとともに、日顕こそがニセ法主であることを天下に明らかにする皮肉な結果となった。
(同)
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:19」を破折する(その一) 連載27回

妄説:19 なぜ学会で授与する本尊が「ニセ本尊」なのですか。

 たとえば、精巧(せいこう)なカラーコピーの機械で、紙幣(しへい)をコピーして「お札」を作製するとします。いかに本物の「お札」と見分けがつかなくても、そのコピー札は「ニセ札」であり、それを使えば法的に罰せられます。
 なぜかといえば、
  ①正式な政府の許可がなく、
  ②日本銀行から発行されたものでなく、
  ③自分で勝手に作ったものだからです。
 「ニセ本尊」はこれと全く同じ道理です。
  ①御法主上人の許可を受けず、
  ②総本山から下付されたものではなく、
  ③学会が勝手に作製したものだからです。 
 学会では「自分たちが和合僧団だから、その資格がある」と主張しますが、一体その資格は、どなたから受けたのでしょうか。御歴代上人の中で、創価学会に相承された方などおられません。もし「広布を願う一念があれば資格が具わる」などというのならば、誰でもいつでも勝手に本尊を作ることができることになり、大聖人の仏法は混乱し、滅亡してしまうでしょう。
 ニセ札は法律で罰せられますが、「ニセ本尊」は仏法破壊の大罪として、必ず現罰をこうむるのです。

破折:
1. 「日本銀行」に擬(なぞら)える誇大妄想

 何であろう、この強烈な〝違和感〟は。仏法の論議に王法(世間法)の論法を持ち込むなど、場違いもはなはだしい。
「御法主上人」「総本山」のどこに、「正式な政府」「日本銀行」に匹敵する権威があろうか。その誇大妄想、自意識過剰には唖然とさせられる。やはり社会から遊離した閉鎖集団であり、世間の物笑いである。
 創価学会が「必ず現罰をこうむる」とする理由を、①・②・③と項目立てているが、言っていることは全く同じ、「許可を受けていない」に尽きる。
 六十六代も続いた法累であれば(六十七代以降は「ニセ者」であるが)、御書や仏典を依所にした論述が、少しはできるかと思いきや、何一つ無いとは。「感情論」「低レベルな世迷い言」に終始したところが、中身のない宗門らしく、愚かしい。

2.日顕宗に「正式な政府」の証があるか
  
「正式な政府」とは、よくぞ言った。それでは正統の証たる、先師の「相承書」はどこにあるか、「相承箱」はどこにあるのか。本山のどこを探しても、見つからないではないか。
 そもそも前主の了承なくして王位を奪う者を〝簒奪者〟と言うのである。
 
 報恩抄(三一一㌻)にいわく、
「趙高が国をとりし王莽が位をうばいしが・ごとく法華経の位をとて大日経の所領とせり」

(趙高が主君を廃してその国を奪い取り、王莽が主人の地位をうばって王と称したように、法華経の王位を横取りして大日経の所領としてしまった)

 六十六世日達法主が急逝し、〝唯授一人の血脈相承が断絶する〟との宗内の危機感がある状況を読んだ日顕が〝先師の生前に相承を受けた〟と自己申告し、猊座を奪い取った、それを「正式な相承」と言うか、「正式な政府」を名乗る資格があると言うのか。
「日本銀行」は変わることなく存在する。しかし、六十六世日達法主の突然の逝去により法脈が絶えた「かつての宗門」と、六十七世を僭称した「日顕が創始した宗門」とは、全く別のものである。これを混同されては、たまったものではない。
 虚言を弄して登座した「ニセ法主」が統(す)べる宗門は、当然に「ニセ宗門」である。世間法の管理下にあるなら、〝経歴詐称の罪〟に問われるところであろう。宗門は、なまじ世間法での譬えなど、持ち出さねば良いであろうに、愚かなことである。
 御書に引用された趙高も王莽も、〝身の程知らず〟〝己の分を知らぬ者〟であるから、ともに悲惨な最期を遂げたが、これは歴史の必然である。日顕も、次の日如も、宗門の法脈を汚した者として永く不名誉の謗(そし)りを受けるであろう。
「『ニセ本尊』は仏法破壊の大罪」とは、「ニセ法主」が下付する本尊のことを言うか。また「本尊を作る」とあるが、御本尊は「建立」され、「出現」されるのである。御本尊を「御供養収奪の手段」とする日顕宗ならば、御本尊に対してどのように不遜な言葉を吐こうと、驚くには及ばない。
「大聖人の敵」となった日顕、またこれに盲従する法華講が「必ず現罰をこうむる」ことは論を俟たない。

3.宗門にとって致命傷の〝学会による御本尊授与〟

 宗門には、大聖人の御法門に関し学会に反撃できるものが何一つ無い。「日顕の許可が無い」ことしか、反撃の手段が無いのである。
             ◇
① 日寛上人御書写の御本尊を「ニセモノとはいえない」という宗門の僧侶たち

 現在、創価学会が行っている本尊授与の形式を宗門が非難することはできない。それは、かつては、宗門も本山ではなく、東京の末寺が寺宝である有縁の法主の本尊を印刷して信徒に授与していたからである。 
 今回の宗門事件で日顕が創価学会に対して、御本尊を授与しないと言い出し、御本尊を、信徒を脅かす手段にしてきた。
 その卑劣な行為に対し、日蓮正宗改革同盟並びに青年僧侶改革同盟は、改革同盟に所属する小山市・浄圓寺に格護されていた日寛上人御書写の本尊を授与することを決議し、創価学会に申し入れしたのだ。
 だから本山・理境坊の小川只道のように、宗門の歴史を知る者は、日寛上人御書写の本尊を「にせものとは言えないが、許可がない」という言い方になるのだ。

②「許可」という権威を失えば宗門の存在意義はなくなり、分裂が起こる

 結局、彼らが言えることは「許可がない」ということだけだ。しかし、宗門は創価学会を破門にし、「関係ない団体」と言いだした。「関係がない」と言いながら、困ると関係があると言いだす。まるで、駄々をこねる子供のようだ。
 創価学会が本尊を授与すると、なぜ、宗門は困るのか。なぜ、「許可」にこだわるのか。それは、彼らの権威が失われ、宗門の存在意義さえ、疑われるからだ。
 すなわち、宗門の「許可」という権威が失われれば、歴代法主の本尊を所持している寺院は、将来、宗門から離れても、完全に独立できるようになる。そして、権威だけで末寺を束ねている宗門は、いとも簡単に分裂してしまう。
 
③ ニセ法主に「許可」をもらう必要などない

 そもそも自己申告で猊座を盗んだ日顕に、「許可」をもらうなど、盗人に頭を下げるようなものだ。
 日達法主は亡くなる直前、大奥に、娘婿の東京国立・大宣寺の菅野慈雲と当時の御仲居・光久諦顕を呼ぶように奥番に命じた。
 もし、日顕が内々に相承を受けたというなら、その場に呼ばれているはずだが、実際には呼ばれていない。
 しかし、日達法主は病院で、大奥に向かう前に逝去された。そのことを日顕は最後のチャンスととらえて、自分が内々に相承を受けたと言いだしたのだ。

④ 日顕・日如を用いないことが正しい信心

 日興上人の『遺誠置文』に「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」とある。
 自作自演で法主の座を盗んだだけでなく、信徒の浄財で遊蕩に明け暮れて堕落し、信徒差別の感情から「C作戦」を企てた日顕・日如を用いないということが、正しい信心の姿である。 
(「新改革通信」108号 平成23年10月11日)

〝盗人に頭を下げない〟ことは自明の理である。盗人には相応の果報が待ち構えることは、想像に難くない。
                          (続く)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:18」を破折する 連載26回

妄説:18 「御本尊根本」であるならば、正しい信仰といえるのでしょうか。

 真実の「御本尊根本」とは、宗祖日蓮大聖人の教義を正しく守り、血脈付法の御法主上人の御指南のもとに、本門戒壇の大御本尊を唯一無二に信ずることです。
 しかし現在の創価学会でいう「御本尊根本」とは、御歴代上人に伝わる血脈相承を否定するためにいい出した言葉なのです。
 かつて創価学会は『折伏教典』に
「富士大石寺にそむく謗法のやからがもつご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがない」(同書 三四〇頁)
と解説し、たとえ日蓮大聖人の御真筆漫荼羅であっても富士大石寺の血脈から離れたものには大聖人の心は宿らないといっていました。
 ところが現在は「もはや御本尊はどれも同じ」といい、富士大石寺の本門戒壇の大御本尊を軽視する邪説を唱えています。
「御本尊根本」というと聞こえはよいのですが、この言葉を使用する創価学会の意図は実に邪悪なものなのです。

破折:
1.「御本尊根本」の意義

「御本尊根本」の言葉に、何の不審があるか。「御本尊」の語は「根本尊敬」「根本尊崇」が元意であり、「御本尊根本」とは御本尊の意義を強調した語である。すなわち〝御本尊に絶対の信を置くこと〟をもって、その正しい意義とするのである。
 しかしながら「御本尊」の語には、「血脈相承」なる〝根拠薄弱・依処不明の義〟は含まれない。そのような邪義を持ち込もうとする宗門の「意図は実に邪悪」なものである。

 真言見聞(一四八㌻)にいわく、
「文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ」

 祈祷抄(一三五五㌻)にいわく、
「若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事(ひがごと)をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり」

 持妙法華問答抄(四六二㌻)にいわく、
「唯人師の釈計りを憑(たの)みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり」

 そもそも「御歴代上人に伝わる血脈相承を否定」とは、実際に先師から血脈相承があった場合に言える話である。日顕は相承を僭称した〝猊座泥棒〟、日如は〝泥棒の後釜〟である。「ニセの血脈相承」によるニセ法主が、法華経の行者たる学会を謗るなど、吠えたおのれが泡を吹くことになる。

 兄弟抄(一〇八〇㌻)にいわく、
「鹿をほうる犬は頭われず師子を吠る犬は腸(はらわた)くさる」

2.血脈の本義

 血脈とはただ一つ、御書に仰せの「生死一大事の血脈」のみである。

 生死一大事血脈抄(一三三七㌻)にいわく、
「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」

 御本仏日蓮大聖人の血脈は、僧俗の別なく「我等衆生」に流れる。この血脈は法主一人の独占物とならないゆえに、宗門はこれを「信心の血脈」と呼び、それとは別に「法体の血脈」があると言って、法主の唯一独自性の根拠とする。
 しかし「法体の血脈」とは御書に仰せが無く、日蓮大聖人の仏法ではない。宗門が人を隷属させるために捏造した、架空の教義である。

「創価学会は大聖人からの信心の血脈を受け継いだ主流である(と、創価学会はいうが、それは)信心の血脈。法体の血脈を除いて信心の血脈だけを論じている。枝葉のところにとらわれているわけですね」
(「地涌」第503号 1992年9月15日)

 日顕は、御本仏の示された「生死一大事の血脈」を〝枝葉〟と貶(おとし)め、「弟子檀那等の肝要なり」との誡めを覆した。これこそ「血脈付法の御法主上人」と呼ばしめて信徒を支配してきた、宗門管長の驕(おご)りであり、御本仏をも見下す思い上がりの暴論である。

 諫暁八幡抄(五八七㌻)にいわく、
「隠岐の法皇は名は国王・身は妄語の人なり横人なり、権の大夫殿は名は臣下・身は大王・不妄語の人・八幡大菩薩の願い給う頂きなり」

 諸天善神は、権威や衣で人を見誤ることは無い。天に見放された者の末路は、歴史が証明するところである。

3.分身散体(ぶんしんさんたい)の法

「もはや御本尊はどれも同じ」とは、「妄説:№10」にある誹謗と全く同じ文言であるから、同じ解答をするしかない。
『折伏教典』の一節など引用しなくとも、我ら学会員が身延や中山の本尊を拝むいわれは無い。学会授与の御本尊は、大御本尊御写しであるから〝御本尊の功徳は全く同じ〟である。日寛上人御書写の御本尊の力用は、我らは信心で拝した上から先刻承知である。
 宗門は、もう一度戸田会長の指導を確認しておくべきである。そうすれば、何度も同じ誤ちを犯さなくて済むであろう。
              ◇
[質問](御本尊様は一つだといわれておりますが、いろいろ違った御本尊様があります。どういうわけですか)

 御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体(ぶんしんさんたい)の法というのがあります。この分身散体の法というのは、日蓮正宗(昭和30年代当時)を除いて日本広しといえども絶対に説いておりません。
 分身散体の分け方により種々分けられますが、すべて一閻浮提(いちえんぶだい)の大御本尊に帰一するのです。
(「戸田城聖全集」第二巻「質問会編」)

4.信徒泥棒の宗門

「富士大石寺の本門戒壇の大御本尊を軽視する」とは、宗門が大御本尊を、学会からの〝信徒泥棒の手段〟としている大不敬のことを言うのである。もっとも、信心堅固な学会員がそう簡単に、泥棒の〝贓物(ぞうぶつ)〟(盗品)となるはずは無いのだが。
              ◇
 一、信心の弱い信者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会くずれを拾って喜んでいる。
 一、それぢゃその坊さん屑買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。
 一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりしているよ。
 一、学会の屑っていう者は偉いもんだな。屑でないのはすごいたろうね。
 一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童(おおわら)わだ、天晴れなものだ。
(戸田会長「寸鉄」昭和二十七年十月二十日付)

「屑」の為すことと言えば、せいぜい夜間にうろつき回って各戸の郵便受けを窺い、「怪文書」を投げ込むことぐらいか。まさに「人間の屑」に相応しい。

5.「御本尊根本の信心」で広布に邁進

 池田名誉会長は語っている。
「後世の地涌の菩薩のために、広宣流布の大願をこめて顕された大御本尊です。何としても広宣流布を実現していこうという信心がなければ、大御本尊の偉大な功徳は現れるはずもありません」(『御書の世界』第3巻)
 民衆救済に貫かれた大聖人の御精神に違背して、大聖人の魂を〝虐殺〟しているのが、日顕一派である。信徒を宗門に縛り付ける〝道具〟として御本尊を利用した一事をもっても、そのことは明白である。
 大聖人の御精神を正しく受け継ぎ、「御本尊根本の信心」を蘇らせ、広布に邁進しているのが創価学会である。大聖人の御称賛は計り知れないと確信するものである。尊い意義を確認し、現代の一凶である日顕宗に鉄槌を下し、広布に戦う決意を新たにしたい。
(聖教新聞 2007年10月11日)
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:17」を破折する 連載25回

妄説:17 〝世間でも太陽を崇める宗教や富士山を敬う宗教がいくつもあるように、日蓮正宗を離れても本門戒壇の御本尊を根本として信仰することは少しもおかしいことではない〟という考えは正しいのでしょうか。

 日蓮正宗を離れては広宣流布も一生成仏もありません。
 日蓮正宗は大聖人の教えを今日まで正しく継承し、実践するただ一つの教団であり、大聖人の教えを守るとともに、これを生活の中に展開して、実際に一切衆生の救済に努めてきました。
 その根源はなんといっても、本門戒壇の大御本尊を法義・信仰の中心としてきたからにほかなりません。
 この戒壇の大御本尊は富士大石寺に御安置されており、この大御本尊の極意(ごくい)は大石寺代々の御法主上人に伝えられています。
 したがって戒壇の大御本尊と血脈相承の具わった日蓮正宗の信仰によって、はじめて成仏を遂げることができるのです。
 大石寺を離れ、日蓮正宗から離れて、いかに「御本尊根本」などといっても、決して大聖人の御精神にかなうものではありません。

破折:
1.新興宗教「日顕宗」

「太陽を崇める宗教」「富士山を敬う宗教」とは、愚にもつかぬ言葉を思い付くものである。太陽や富士山を崇めて、いったいどうなるのか。どこに哲理があるのか。いかにも見識の無い宗門らしいことであるが、戯言(たわごと)は止してもらいたい。
 そもそも宗門が「日蓮正宗」を称すること自体が不適切であり、宗門の実体をより正確に表わす宗旨名を名乗るべきである。〝法主を崇める宗教〟〝日顕を敬う宗教〟と言えば、本質が表現されていて、広く理解を及ぼしやすい。
 なまじ「日蓮正宗」と称するから、どうして淫乱、暴力、貪欲、無慈悲の日顕、日如が「大御本尊、大聖人と一体不二の尊体」となるのか、誰もが理解に苦しむのである。

「本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にまします」
(「能化文書」平成三年九月六日付)

 このような「法主本仏論」は、日顕の先師・細井管長が生前に戒めていたはずである。しかし、日顕は「戒旦の御本尊のは偽物である」(「河辺メモ」より一部抜粋)として、大御本尊を信じないだけではない、「Gは話にならない」「人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の事ではGでは不可能だ」(同)と、G(猊下)、すなわち先師・細井管長を誹謗し軽蔑していた通り、管長に就任後、先師を否定することから仕事を始めたのである。
 先師の事跡になる正本堂、大客殿等々、次々と破壊して一掃した日顕のことであるから、先師が抑止した法主本仏論に魅入られ、そのため「日蓮正宗要義」まで改竄(かいざん)するに至ったことは、当然の流れであったろう。
 すなわちこれは、先師からの法脈が完全に切れた新興宗教、「日顕宗」なのである。物事は分かりやすいほうが良い。「日蓮正宗」などと称しては、日顕が僭称の〝ニセ法主〟と言われると同様に、〝ニセ日蓮正宗〟〝ニセ宗門〟と非難されてしかるべきことである。

2.「能化文書」のからくり

 前項に引用した「能化文書」は、七人の能化の連名で学会に宛てた文書であり、「法主本仏論」の妖言が述べられた最初のものであったが、これには次のようなからくりがあった。
               ◇
 日顕の狂乱症状が表面化したのは平成二年頃である。
 翌年の平成三年七月と九月の二度にわたり宗門側の早瀬日慈、椎名日澄、吉田日勇、瀬戸日謙、秋山日浄ら能化から学会の和泉最高指導会議議長、辻参議会議長などの古参幹部に宛てた文書で、法主は大御本尊と「不二の尊体」であると主張し、この法主と大御本尊の「根本の二つ」に対する信心は「絶対」でなければならない、とか「本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にまします」と戯言を述べていた。
 然し、この時期、日慈は入退院を繰り返し、平成五年六月に八十三歳で死去。日澄、日勇、日謙、日浄らも似たようなもので、到底、公式な文書を書ける状態ではなかった。
 つまり、「能化文書」なるものは日顕の意向を受けた「邪義小僧班」が代筆したことは明白であり、日顕自身が「俺は大御本尊と不二の尊体だ」と不遜にも言い張っていたのである。
 死身弘法を貫かれた大聖人の御振舞いと似ても似つかぬ遊蕩坊主の日顕が「不二の尊体」とは言語道断だ。
 古来、偽者ほど己自身を飾り、正当化しては虚言を弄し、狡猾に画策する。「法主本仏論」は、あのオウム真理教の麻原彰晃の「空中浮遊」にも似た信者を誑かすための妄言に過ぎない。
 日顕が大御本尊と一体不二なら、大御本尊を御安置していた世紀の大殿堂・正本堂を破壊することはあるまい。また、大聖人の身延の草庵での質素な暮らしぶりを偲ぶならば、三十億円もの信徒の浄財を浪費して、都内有数の一等地に、二箇所も豪邸を建てる事などできる筈もない。
 芸者と駆け落ちを企てたり、売春婦と問題を起こすのは「法師の皮を著たる畜生」の証明であり、断じて「不二の尊体」ではない。
 御書に「第六天の魔王、智者の身に入りて正師を邪師となし、善師を悪師となす、経に『悪鬼入其身』とは是なり」と記されている。この御文通り「邪師」「悪師」がニセ法主・日顕の正体なのである。
(「フェイク」第1307号 発行12.07.09)

 七人もの能化の名を列ねた文書のゆえに「能化文書」とされてきたが、日顕の手駒である小僧どもに書かせた作文であったのか。勝手に名前を使用された能化達は、日顕のために〝法主本仏論を提唱した大誑惑の者〟となり、迷惑至極のことであったろう。
 おのれを本仏と祀り上げるために他者の名を無断使用し、その者に責任を被せるとは、何とあざとい手法を用いることか。どこまでも生命の汚れた男、日顕である。

3.戒壇の大御本尊を貶(おとし)めた宗門

 さて宗門は「日蓮正宗は大聖人の教えを今日まで正しく継承し、実践するただ一つの教団」と言い、その根拠を「戒壇の大御本尊と血脈相承の具わった日蓮正宗の信仰」として、①戒壇の大御本尊、②血脈相承、の二点を挙げる。
 しかし、宗門には戒壇の大御本尊を「日蓮正宗の信仰」(=「日顕宗の信仰」)として掲げる資格は無い。

 第一に、日顕は「戒旦の御本尊のは偽物である」(「河辺メモ」一部抜粋)と断じた。
 一山の最高権威者(法主)によって〝帰命依止の対境〟たる戒壇の大御本尊が否定されたことは、「宗門の存在意義」そのものを打ち消したに等しい。

 第二に、日顕は戒壇の大御本尊を「事の本門戒壇」たる正本堂より勝手に遷座した。
〝大聖人御一期の化導の究竟中の究竟〟たる大御本尊の御遷座であれば、宗門の最重要事であるはずが、日顕は宗会にも諮らず、夕闇にまぎれ、慌ただしく数十人の僧を正本堂に集結させて、こっそり大御本尊を拉致し去ったのである。
 大聖人への崇敬の念など微塵も無い「コソ泥遷座」をしておいて、「日蓮大聖人は人法一箇の大御本尊として、大石寺奉安堂にいらっしゃるのです」(「妄説:15」)と、ぬけぬけとうそぶくとは、どれほど師敵対の者であることか。

 第三に、日顕は戒壇の大御本尊が御安置されるべき「事の本門戒壇」たる正本堂を破壊した。
 戒壇の大御本尊は、大聖人の三大秘法たる「事の本門戒壇」の建立を待たれ、「秘仏」として「秘蔵」されてこられた。爾来七百有余年、地涌の義により出現した創価学会の至誠の結実として正本堂が建立され、遂に大御本尊が御登壇された。
 そのわずか四半世紀の後、日顕によって大御本尊が拉致され、正本堂は解体された。御座されるべき戒壇が失われ、大御本尊は再び「秘蔵」される御立場に戻られたゆえに、我らが大御本尊を直拝することは控えなければならない。
「秘仏」を否応なく公開し、御開扉料を収奪する宗門に、大聖人の御誡めが下ることは覚悟しなければならない。

 第四に、日顕は戒壇の大御本尊をおのれ自身と「一体不二の尊体」であるとして、大御本尊を貶めた。
 前項に引用した通り、戒壇の大御本尊を「法主本仏論」の邪義の内に取り込み、淫乱、暴力、貪欲、無慈悲の日顕と一体であると言わせて、大御本尊を辱めたのである。
 かくも大御本尊を貶め、辱めた宗門には「日蓮正宗の信仰」(=「日顕宗の信仰」)などと呼ばしめることはできない。

4.血脈相承-その(1)「兒貫首(ちごかんず)」

 日顕は、大石寺でおこなわれた全国教師講習会の「講義」(八月二十八日)において、「血脈相承」について話をした。
 日蓮正宗〝法主〟(もとは大石寺〝貫首〟、近代になって〝法主〟を称する)が、公式に「血脈相承」について立ち入った話をすることは珍しいことである。
(「地涌」第500号 1992年9月6日)

 管長である日顕が自ら血脈相承について話すからには、それが宗門の公式見解となろう。ここではその内容により、(1)兒貫首、(2)相承の預かり、(3)後継指名、に分けて検証する。
               ◇
 日蓮正宗の第九世日有上人は十八歳、第十二世日鎮上人は十四歳、第十三世日院上人は十歳、第十四世日主上人は十九歳で相承を受けている(日蓮正宗富士学林発行『富士年表』による)。
 この史実について日顕は、
「兒貫首(ちごかんず)ということがおこなわれた時代があるんです。時代的背景なんです。年寄りはいくらでもいたわけだ。けれども、その年寄りではなく、わざわざ次の貫首はこれであると兒貫首を決める、そういう一つの、その社会情勢というとおかしいがね、宗門伝承の在り方があったわけです」
 と述べた。日顕は十歳の童子が「血脈相承」を受けた時代があったことを公式に認めた(ただし、日亨上人に院師の三十二歳登座説あり)。
(前出「地涌」)

 日顕は「時代的背景」を説明しないが、要するに有力者の子弟を貫首に迎えることで、教団として経済的な庇護を期待したものであり、それだけ宗門の教勢が衰え、零落していた状況が伺えるのである。
               ◇
 十歳の稚児に甚深の法門など伝えようもないだろう。それでは、兒貫首が登座したときの「血脈相承」の実体はなんなのだろうか。
 この十歳の童子が次期貫首であるという前貫首の「指名」のみが、「血脈相承」の実体としてあったと理解すべきだ。すなわち、兒貫首はまず次期貫首としての「指名」を受け、その後、法門の教育を受けたと思われる。
「血脈相承」を受けた時点で、日蓮大聖人の御内証が憑依するといった日顕宗流の考え方でいけば、十歳の兒貫首も「血脈相承」を受けた途端、御本尊を書写して見せるといった不可思議な境界を示しても当たり前ということになる。
 しかし、当然のことながら、「血脈相承」を受けたということで、そのような技能が兒貫首に必然的に備わるものでもない。兒貫首にしても、それなりの歳にならなければ、まともに御本尊書写はできなかったにちがいない。
 御本尊書写のあり方も、次期貫首の指名のあり方も、和合僧団の決まりごととしておこなわれてきたと考えるのが常識的な判断だろう。日顕の公認した兒貫首の存在は、「血脈相承」のベールを剥がすのに充分な史実であるといっていい。
(同)

 十歳なら小学校四年生である。その子が貫首として登座したとたんに、〝大聖人の御内証〟が御降臨になると言うのは、理解が及ばない。いくら法華講員の脳味噌が宗門に抜き取られているにしても、こればかりは納得出来ないであろう。
 相承の儀式の場で、降霊術が行われるとすれば、話としては面白いが、〝通力〟を用いることは法華経の行者の振舞いでは無い。陰陽師なり真言師が行なうところであろう。

 題目弥陀名号勝劣抄(一一四㌻)にいわく、
「先ず通力ある者を信ぜば天魔外道を信ずべきか」

 日顕宗は、天魔外道に他ならない。
              ◇
 日顕は、兒貫首の存在を認めると同時に、「先輩からの話を聞きながら、この兒が成長していって真に法を正しく受けるという、その介添え人を含めてのあり方も存するのです」と述べた。
 これは、「血脈相承」が複数の人間、すなわち集団によってなされたことを示す。この史実も大変、興味深い「血脈相承」の実体を示している。
 十代の稚児は、当然のことながら甚深の法門を理解できない。『富士年表』によれば、日院上人などは「血脈相承」を受けたのが十歳なのだから、読み書きがやっとといったところではあるまいか。
 すると、日顕の言うように、この兒貫首を教育するグループ(介添え人)が存在する。その教育グループが、十数年にわたり教学、儀式を教えたのだろう。つまり、秘密とされる「血脈相承」の内容は秘密ではなく、兒貫首以外の複数の者が共有した知識だったのだ。
(同)

「法主一人の血脈相承」と言っても、〝貫首の地位〟を禅譲によって踏襲してきたことの伝統の美名である。兒貫首の時代においては、法門の内容は宗内の複数の者によって共有され、集団体制で〝法主に教育を施してきた〟のが実情であった。
               ◇
 日顕は、兒貫首に触れ、「みんなが支えて、そしてその血脈を伝持していくというその宗団情勢があったわけだね」と結論している。「血脈の伝持」(血脈相承)が宗派全体のチーム力でなされたと、日顕は言明している。
「血脈相承」が〝法主〟(貫首)から〝法主〟(貫首)へ、七百年の間、実に神秘的に甚深の法門が伝えられたとする幻想は、この日顕の話が打ち砕いたとみるべきだ。「血脈相承」を受けた当人の発言だけに否定はむずかしいだろう。
「みんなが支えて血脈を伝持していく」という日顕の考えによれば、大衆により血脈が伝持されるということもありうる。〝法主〟から〝法主〟にしか「血脈」が流れないとする現在の日顕宗流の主張は、〝法主〟により否定されたことになる。
(同)

「大衆により血脈が伝持されるということもありうる」と言うも、それはもはや現実のものとなっている。すなわち、堀日亨師の研鑚と、学会の出版事業により、宗門の深秘の法門すべてが公開され、多くの学会員の学習するところとなっている。
 この通り、学会という集団体制の中にこそ大聖人からの血脈が伝持されている事実が、図らずも日顕の説法によって証明されたことになる。

5.血脈相承-その(2)「相承の取り次ぎ」

 この「相承の取り次ぎ」は、第八世日影上人から第九世日有上人に「血脈」の相承がなされたときにおこなわれた。これを日顕は公式に認めたのである。(中略)
 それでは、どうして過去に「血脈相承の一時預かり」がおこなわれたのだろうか。日顕の説明を聞いてみよう。
「これは当時として、これはしょうがないんですよ。なんたってかんたって、えー、どこへ行くにもテクテクテクテクと道中膝栗毛で行かなきゃならないからね。こういう時代の中では、なかなかおいそれとは間に合わない場合もある。ねっ。
 そういう時において、前にも、あの者には話はしてあるけれども、相承は、金紙だね、金口から出た金紙の意義の相承を、お前に一応、預けるからと、これをあの人に渡してくれよって、いうことはこれは当たり前でしょう。そういうことは。それだからって相承が切れてるってことはない。前に、その前に、すでにいろいろと要点はお話してあるんですから。必ずそういうことをなさる場合は。(中略)
 これは当然、ずーっと、御仏智の上からの貫いておる意味と、最初に言ったね。その前の方から次の方へ、お前に譲るぞという意志であり、また、お受けするという意志であります。これがまた大事なんだ。その授受の意味において、まさしく相承の意味がある」
(「地涌」第501号 1992年9月13日)

 このくだくだしく、うっとうしい話で日顕が強調したい箇所は、二点ある。一つは「御仏智の上からの貫いておる意味」、もう一つは「お前に譲るぞという意志であり、また、お受けするという意志」である。
               ◇
 しかし、大石寺貫首を譲るということに、「御仏智の上からの貫いておる意味」など、とうてい認めることのできないケースがあることも、ここで確認しておきたい。
 たとえば、第五十八世日柱上人から第五十九世日亨上人への相承の場合である。阿部法運(後の第六十世日開)が裏で糸を引き、日柱上人の意志に反し退座に追いこみ、後継の〝法主〟も日柱上人の意志に関係なく選挙で決められたものだが、日柱上人はこの選挙自体にも反対であった(第240号~245号に詳細)。
 これらの史実からすれば、日顕の言う、「その前の方から次の方へ、お前に譲るぞという意志であり、また、お受けするという意志であります。これがまた大事なんだ」という言葉は、現実にそぐわない空理空論であるということになる。
 日顕の「御仏智の上からの貫いておる意味」などという大仰な表現が、現実に則していないことは、歴代の〝法主〟の実状を振り返ってみてもすぐにわかる。それというのも、歴代の〝法主〟に法義に違背している者が多く見受けられるからだ。
 たとえば、第十七世日精上人の造仏・一部読誦、第五十七世日正上人の謗法同座、第六十世日開の身延与同、第六十二世日恭上人の謗法甘受……などなど、〝法主〟の法義違背は数かぎりない。
 これらの謗法を犯すことになる〝法主〟の指名に、「御仏智の上からの貫いておる意味」があったとすることは、謗法に対して峻厳であった日蓮大聖人を冒涜することになる。
 まして、禅寺の墓地で先祖供養をしたり、シアトルで買春したり、「C作戦」を策謀したり、「かまし」発言をした日顕が〝法主〟となることが、御仏智に貫かれているなどといったことは、仏をバカにするものだ。
(同)

 日顕の場合は、「お受けするという意志」のみで登座したのであるから、大前提である「お前に譲るぞという意志」の証明ができない。自ら話した定義において、自らが不適格者であることを露呈した形である。

6.血脈相承-その(3)「後継指名」

 日顕はまた、「血脈相承の儀式」を経ず、「血脈相承を受けた」ことを示唆した。
「しかしこの、やはりあの者に譲るという場合、重大な意味の場合はね、やはり凡人凡夫の形だけでみて、あれがないから違うとか、この形式がないから違うとか、そんなようなものじゃないね、やはり深い意味は、血脈とかそういう意味においても当然、存在する意味があると思うんですね。
 私の時も、血脈相承があったとかなかったとか、確かに言われた点もあったし、いまそのことを弁護しているという意味は決してないんですよ。そういうことじゃないけれども、いろいろな形だけのところを見てね、あれがあったなかったというその短絡的な考え方が、実は違うんだと。
 もっと、かく厳然と大聖人様からの御仏智による御指南、相承の元意はですね、厳然と伝わるのであるということをね、今はとくに血脈という問題が誤って伝えられている中において申し上げておきたいと思います」(中略)
 さて、先にあげた日顕の話で着目すべきは、「血脈相承」は儀式なくしてもおこなわれるということである。これまでの日顕の「血脈相承」に関する話から総合的に判断すれば、「血脈相承」は「後継指名」と結論すべきである。
(中略)日達上人から日顕への「血脈相承」の儀式は誰も見ていないし、誰も知らない。日昇上人から日淳上人、日淳上人から日達上人への「血脈相承」は厳粛なる儀式をもっておこなわれた。
 この儀式は「略式の相承」と名づけられ、重役、庶務部長、教学部長、財務部長、理事といった役僧が配置され、宗内公知の上で営まれた。これと同じような儀式が、日顕のときにおこなわれた事実はない。
 日顕が「血脈相承」は形式ではないと言っているのは、この事情による。日顕は、日達上人より「血脈相承」を受けたのは、昭和五十三年四月十五日と年月日を特定している。
 ところがこの日、公式的に「血脈相承」の儀式はおこなわれていない。日顕一人が「大坊大奥」で日達上人より「血脈相承」を受けたと述べているだけだ。
 日顕の発言を詳細に吟味することにより、「血脈相承」の実体が判明した。日顕の言によれば、「次はお前だ」との「指名」こそが、「血脈相承」の核心部分なのである。(中略)
「血脈相承」という言葉に誑かされ、〝法主〟に宗教上の神秘的な力用があるなどと幻想を抱いてはならない。
(「地涌」第502号 1992年9月14日)
                           (了)
 

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