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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:10」を破折する 連載15回

妄説:10 池田大作氏は「もはや本尊はどれも同じ」といっていますが、正しいのでしょうか。

 池田氏は本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊を混同し、会員の心を本門戒壇の大御本尊から離れさせようと企てているのです。
 御本仏日蓮大聖人が出世の本懐(ほんがい)として、弘安二年十月十二日に御図顕された人法一箇の「本門戒壇の大御本尊」が本宗の根本の御本尊です。
 これに対して、各家庭や各人に下付される御本尊は、その根源の本門戒壇の大御本尊の御内証(ないしょう)を、唯授一人血脈付法の御法主上人が、その権能において書写され、本宗僧俗に下付されるのです。
 したがって、本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊は、もとより能開(のうかい)と所開(しょかい)の関係にあることを知らなければなりません。
 かつて創価学会では「私どもが留意すべき点について申し上げます。それはまず第一に、戒壇の大御本尊根本の信心に立ち、総本山大石寺こそ、信仰の根本道場であることを、ふたたび原点に戻って確認したいのであります。戒壇の大御本尊を離れて、われわれの信仰はありません」(特別学習会テキスト 五六頁)と指導していました。
 大聖人は『題目弥陀名号勝劣事(だいもくみだみょうごうしょうれつじ)』に、
「能開所開を弁(わきま)へずして物知りがほ(顔)に申し侍るなり」 (新編 332頁 取意)
と仰せですが、現在の池田氏率(ひき)いる創価学会は、まさに大聖人のこの厳しい責めをこうむる大謗法を犯しているのです。

破折:
1. 分身散体の法

「本尊はどれも同じ」の言葉に、いったいどれほどの〝意外性〟があるだろうか。各会館や家庭に御安置されている御本尊はすべて大御本尊の御写しであるから、その功徳は大御本尊を拝する功徳と全く等しい。
 学会員が今さら「本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊を混同」するはずはない。昔から戸田会長が、質問会等で指導してきたことである。
             ◇
[質問](御本尊様は一つだといわれておりますが、いろいろ違った御本尊様があります。どういうわけですか)

 御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体(ぶんしんさんたい)の法というのがあります。この分身散体の法というのは、日蓮正宗(昭和30年代当時)を除いて日本広しといえども絶対に説いておりません。
 分身散体の分け方により種々分けられますが、すべて一閻浮提の大御本尊に帰一するのです。
(「ブログで読める戸田城聖全集 第二巻 質問会編 (創価学会)SGI」H.P.より)

 上記の〝分身散体の法〟は永久不変の原理であり、たとえ学会幹部が「会員の心を本門戒壇の大御本尊から離れさせようと企てている」としても、できるはずもない。
「もはや」の語に、宗門は戦々恐々となったようである。名誉会長の「日顕の謗法と与同罪になってはならない」との不退の決意を、感じ取らずにはいられなかったのであろう。
 我らが大御本尊のもとへ行こうとすれば、謗法まみれの宗門と与同罪になってしまう。「もはや」我らは戸田会長以来の教え通り、各家庭の御本尊への信受を通して大御本尊を拝し、信心を全うするのみである。

2.捏造宗門

 題目弥陀名号勝劣事(一一五㌻)にいわく、
「妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり、能開所開を弁へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり」

 ここは「題目」が能開であり、「念仏」は所開であると説かれ、念仏を破折された御文である。宗門は名誉会長の言葉だけでなく、御書までも切り文にしているのであり、呆れ果てたことである。
「その他の御本尊」を「念仏」に置き換えるとは、弁(わきま)えと言うものを知らぬ不遜の極みである。家庭の御本尊に「南無阿弥陀仏」などと認(したた)められていようか、とんでもないことである。〝奸佞邪智〟の言葉を体現する宗門らしいやり口である。
「本門戒壇の大御本尊とその他の御本尊は、もとより能開と所開の関係にある」などと宗門は言うが、それは本来の語の用い方ではない。
「能開」とは「諸法を能く開会する法華経」の義を言い、「所開」とは「開会される諸法」(前後の一切経)のことである。ゆえに御本尊(法華経)に適用される法義ではない。
 宗門はこれに限らず、大聖人が本来の意義を込められた語を都合良く読み替え、自分達だけに通用する法門を捏造するのである。すなわち大聖人の仏法から外れた捏造であり、戯言である。

3.「人貴きが故に所尊し」

 謗法の輩(宗門)の住まう所が、「信仰の根本道場」であるはずがない。かつて「総本山大石寺こそ、信仰の根本道場」とされていたのは、創価学会が出現してからの〝僧俗和合の道場〟の意義においてであった。

 南条殿御返事(一五七八㌻)にいわく、
「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」

(大聖人の仰せを信受する人は貴い。その貴い人が住まう所のゆえに、富士の地は貴い)

 しかし日顕が学会を一方的に破門し、破和合僧の五逆罪を犯して学会が離山して後は、「信仰の根本道場」の様相は変わり果ててしまったのである。
 
 三大秘法禀承事(一〇二三㌻)にいわく、
「徒(いたずら)に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん」

(いたずらに土泥となってしまったことは、言っても言い尽くせず、歎いてもどうにもできないことである)

 大御本尊を〝二セ物〟と誹謗し、おのれを〝一体不二の尊体にまします〟とうそぶく法主のもとでは、富士の清流も「濁流」となるのは道理である。

 美作房御返事にいわく、
「地頭の不法ならん時は我も住むまじき由、御遺言には承り候」

 現今は地頭がおらずとも、法主自ら「日興遺誡置文」に背き、謗法の山と化した所に参詣などしては、「大聖人のこの厳しい責めをこうむる」ことは必定である。宗門は〝学会を破門した〟と言うが、実際は宗門が大聖人に義絶されたことなのである。
                           (了)
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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:9」を破折する(その二) 連載14回

妄説:9「御本尊は幸福製造機」という考えは正しいのでしょうか。

 御本尊は、「幸福製造機」などという「単なる機械」「単なる物」ではありません。
 日蓮正宗の御本尊は、
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(新編 1773頁)
とも
「即ち彼の池を見るに不思議なり、日蓮が影今の大曼荼羅なり」 (聖典 380頁)
と説かれるように、生きた日蓮大聖人そのままの御当体なのです。大慈悲を具えた生きた仏様だからこそ私たちは御報恩謝徳申し上げるのです。
 日寛上人が、『観心本尊抄文段』に
「則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕われざるなきなり」(富要 4-213頁)
と仰せのように、御本尊の功徳は無量無辺です。
 しかし、そのためには「正しい本尊」を信じなければなりません。『同文段』に
「この本尊に人あり法あり(中略)法に即してこれ人、人に即してこれ法、人法の名は殊(こと)なれども、その体は恒(つね)に一なり」(同頁)
と説かれるように、宗祖大聖人の御当体たる御本尊を信受することが大切なのです。
 創価学会では以前から「御本尊は幸福製造機」といっていましたが、宗門においては、これを一般信徒に御本尊の功徳を説明するための方便としてうけとめてきました。
 しかし現在、創価学会は
「御本尊といっても物体にすぎない」 (池田スピーチH五・五・三 取意)
という誤った考えに陥っています。御本尊を単なる機械と見る考え方は大謗法であり、根本から改めなければなりません。

破折:
6.〝物体〟に永遠不滅は無い

 平成五年五月三日の池田名誉会長のスピーチは、多くの示唆に富むものであり、宗門の迷妄たる「モノ本尊観」を吹き払うものであった。その肝心の箇所は次の通りである。
             ◇
 もとより御本尊が、私どもの「根本尊敬」の対象であられることは言うまでもない。そのうえで、漫荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない。当然、そこに計り知れない御仏意があられると拝されるが、漫荼羅としてあらわされた「法」は永遠である。
(「聖教新聞」平成五年五月五日付)

 このスピーチの意義を、下記の内容をふまえて掘り下げたい。
             ◇
 日応上人が「其の墨質(ぼくしつ)を尊んで本尊となすにあらず其の字體(じたい)を崇(あが)めて本尊となすにあらず尊む所は只だ其の正意のみ崇むる所は只だ其眞理(しんり)のみ」(『弁惑観心抄』二〇二ページ)と述べているように、御本尊には御本仏の「正意」・宇宙法界の「真理」が図顕されている。御本尊が「正境」と呼ばれるのは、この意味である。
 ゆえに、もったいない表現ではあるが、御本尊はそれ自体においては、いまだ「無限の可能性を秘めた紙墨(しぼく)」と言わざるを得ない。しかし、拝する我々に正しき「信心」と「実践」があれば、御本尊の「仏力」「法力」は即座に発現し、御本尊自体が「草木成仏」の姿を現じられる。その時は、日寛上人が
「草木成仏の両義を暁(さと)れば、則ち今安置し奉る処の御本尊の全体、本有無作(ほんぬむさ)の一念三千の生身の御仏なり。謹んで文字(もんじ)及び木画と謂(おも)うことなかれ」(『日寛上人文段集』四七〇ページ)
と仰せのように、御本尊は即「生身の御仏」と「開眼」される。所詮、御本尊を「開眼」するものは一人一人の「信心」に他ならず、いかなる御本尊も「信心」があって初めて、御本尊としての功徳を備えるのである。
 以上の理由により、今回、学会が授与するお形木御本尊に厳然たる即身成仏の功徳が備わることは、自明である。      
(「聖教新聞」1993.9.20)

 池田名誉会長のスピーチの考察にあたり、何ゆえ五十六世大石日応の著作を引用するか。それは〝御本尊をいかに拝するべきか〟を説いているためである。
 すなわち日応は、御本尊を「尊む所」「崇むる所」とは、「其の正意のみ」「其眞理のみ」とするのであり、「其の墨質」「其の字體」ではないと言う。その理由は記していない。
 以下、日応の論点を判じた上で、何ゆえに名誉会長の指摘が核心を突いたものであったか、説明したい。

7.空仮中の三諦

 前出の日応の著作を「空仮中の三諦」から解いていく。ただし御書で論ずる前に、戸田会長の講義から〝三諦〟の意義を理解しておきたい。
             ◇
 空仮中の三諦などというと、ちょっとわからないでしょうが、これは空諦、中諦、仮諦と、仏法哲学において、この世の中の実相がどういうものか、われわれの命がどういうものであるか、ということを考える考え方を根幹として、「空仮中の三諦」というのがあるのです。これは、天台大師の師匠である南岳(なんがく)大師が考えだした哲理なのです。
 このなかで、私がこうして生きているのは、仮の実体です。私はこのままかといってもそうはいかないでしょう。もう十年もたって、私がもし生きて六十七歳にもなったら「先生、ずいぶん変わりましたね」ということになるでしょう。
 しかしこれだって、私は二十歳のころは美男子だったのです。そしたらその美男子と、いまのように美男子でないのと、どちらがほんとうなのか、それはどちらもほんとうです。ですから仮の実体というのです。いまのは仮の実体としか見えません。これを仮諦といいます。
 空諦とは、あるといえばある、ないといえばない、こういうところのものを有無にかかわらず、真の実在をば空諦というのです。私の生命も空諦です。おまえはおじいさんの時があるといえば、それはいまはないでしょう。
 たしかにおじいさんではない、私は青年です。しかしおまえは赤ん坊の時はなかったかといえば、なかったのではない、あったのです。そうなると生命は空であります。
 それであって戸田城聖は中道法相(ちゅうどうほっそう)、戸田城聖は厳然として永遠にそなわっている、これが中諦であります。
(「ブログで読める戸田城聖全集 第二巻 質問会編 (創価学会)SGI」H.P.より)

8.「中道法性」の御本尊

 草木成仏口決(一三三九㌻)にいわく、
「一色一香中道に非ざること無し……中道法性をさして一と云うなり」

 御義口伝巻上(七一七㌻)にいわく、
「一とは中諦・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり」

 一生成仏抄(三八四㌻)にいわく、
「中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり、此の妙なる心を名けて法とも云うなり」

 御本尊すなわち〝妙法の当体〟は「中道一実の妙体」であり、すなわち「中道法性」の御本尊である。「弁惑観心抄」にある「其の正意」「其眞理」とは、この「中諦」の義であって、厳然として永遠にそなわっている御本尊を指して言うのである。
 これに対し、御本尊の「其の墨質」「其の字體」は「仮諦」である。仮諦とは、「因縁仮和合(いんねんけわごう)」の姿を言う。「紙墨」の御本尊も、板に刻まれた御本尊も、ともに仮和合の体である。
 この通り、御本尊も「円融の三諦」の義を具えている。しかしあくまでも「中道法性」の御本尊であることを忘れてはいけない、と日応が誡めたものと心得るのである。

9.心得違いの宗門

 宗門は日応法主の意を汲み取れば、名誉会長のスピーチを素直に聞くことができるであろう。
 今、宗門が「誤った考えに陥って」いる最たる例は、「本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません」(妄説:15)と喧伝していることである。しかし〝聖地巡礼〟などは、法華経に無い大誑惑である。
 大御本尊に「お目通り」、つまり「御開扉」を受けなければ功徳は無い、とする妄論は、かつての宗門には無い、日顕宗特有の戯言である。それは御本尊の「墨質」を尊び、「字體」を崇めること(「弁惑観心抄」)に他ならない。
 宗門は「仮諦」としての御本尊を崇めるのみであり、すなわち御本尊を「モノ」と捉えているのである。このような「モノ信仰」に立脚すれば、大御本尊も「物体にすぎない」ことになる。
 それゆえに宗門は、大御本尊を「御開扉料を法華講信徒から収奪するため」の「宝物」にしているのであり、さらには「信徒泥棒」のための「人質」としているのである。この事実もまた、大御本尊を「モノ」と見ている証左である。
 このように宗門が「中道法性」の御本尊を拝していないことは、法華已前、爾前経のあり方である。

 御義口伝巻上(七一六㌻)にいわく、
「法華已前にも三諦あれども砕けたる珠は宝に非ざるが如し」

 宗門が大御本尊を「モノ信仰」で崇めているうちは、本山に参詣して大御本尊にお目通りしたとしても、宝珠(功徳)を授かることはない。宗門は「法華已前」の「砕けたる珠」だからである。宝珠は、本山から遠く離れた学会授与の御本尊より授かるのである。

10.宗門の「モノ本尊観」

 社会学者・西山茂氏は、宗門の教学を指して「成住壊空に耐えられないモノ本尊観」と指摘した。
 識者がいみじくも喝破した通り、大御本尊は物的の側面で捉えれば有限である。時と共に移ろい、いつかは消滅する。その時は、宗門の捉え方によれば「日蓮大聖人の仏法が消滅」してしまったことになるが、果たしてそうか。池田名誉会長の鋭い指摘は、ここにある。

「尊む所は只だ其の正意のみ崇むる所は只だ其眞理のみ」(「弁惑観心抄」)

「中道法性」の大御本尊と拝するならば、御本仏の「正意」・宇宙法界の「真理」は永遠に具わるのであり、池田名誉会長はそれを「久遠元初の法」と表現した。
 我ら学会員は宗門とは異なり、御本尊を物体として見てはいない。大御本尊が我らの前に御座(おわ)さずとも、学会授与の日寛上人御書写の御本尊は、大御本尊の御写しである。大御本尊の「正意」「眞理」は、学会授与の御本尊の体に厳然と具わっているのである。

(補説)
 日顕宗による「妄説:9」への破折は、前後二回の連載をもってひとまず終わる。ただし、一点言及しておきたいことがある。
 大御本尊にはその永遠性と、物的面での有限性との両面があり、その捉え方が肝心であると指摘した。さて大石寺には、昭和二十年六月十七日の夜半から翌日にかけての、大火災の史実がある。ここはあくまで参考の上で、大御本尊と火災にかかる考察を以下に記すこととした。

(1)「烏有に帰す」の重み

 宗門は「烏有(うゆう)に帰す」と言う語の重みをどう心得るか。「烏(いずく)んぞ有らんや」と読み、全く何も無いことを言う。ことに火災の場合に用いられる言葉である。
 前項で述べた通り、「物」の耐用には限りがあり、いつかは消滅する。仏像がその分かりやすい例であり、奈良・平安期に造立された当時は絢爛豪華であった仏像も、年月を経ればあるいは火中・水中に没し、あるいは乱暴狼藉に遭い、あるいは虫害に犯され、消滅するか、無残な姿を曝すこととなる。
 もったいないことであるが、大御本尊も諸行無常の只中にある。材質の上では、鎌倉時代に建立されたままのお姿ではない。
 それでも物体としての自然消滅には、永い歳月を要する。だが、火災に遭えば、一時に「烏有に帰する」、すなわち灰塵となり、無になってしまうのだ。
 明治八年の身延山の大火においては、「開目抄」等の多くの重要御書が、火中の煙と消えてしまった。大聖人門下にとって、悔やんでも悔やみきれない痛恨事である。
 これに比するに、富木常忍開基の中山法華経寺には、「観心本尊抄」等五十数篇の大聖人の御真筆御書が現存している。常忍の護法の大功績である。
 それでは大石寺ではどうなのか。如何なる重宝も火中にあっては消失してしまう、そのことをどう心得ているのか。

(2)先師否定のために耐火建築を破壊

 日顕の先師、細井管長は前記の史実を憂えて本山に防火建築を建てたことを、故・渡辺慈済師が綴っている。
             ◇
 昭和二十五年、京都の金閣寺が炎上した時、
「金閣寺が焼失した。(中略)その点はさきに焼失した法隆寺金堂も同じことであるが、(中略)建築物にかぎらず書物等も古今の得がたき物も永い年代には少しずつ烏有に帰して行くのである。
 本宗の二筒の相承の真筆も何時の時にかなくなってしまっている。真筆がないから他派には好都合であれば偽書であるというのである。……善につけ、悪につけ後日の証拠と研究のため、物を大切にしてもらいたいものだ」(「大日蓮」昭和二十五年七月号)
 日達上人は、これから先の宗門の建築については、近代建築によって「防火第一」と考えられていた。(中略)
 このように、大石寺は、日達上人の時代に、世界に誇る威容を整えるまでに大発展した。ところが、悩乱した日顕は、正本堂をはじめ大客殿、六壺、大化城など、信徒の真心の御供養の結晶である建物を、次々に破壊したのである。もちろん、大石寺の理事会や、宗門の諸役を集めた会議において決めたのではなく、すべて独断であった。
 初めに手をかけたのが、「六壺」だった。(中略)まだ十分に使えるものだった。
 それを「狭隘(きょうあい)を感じる」「拡張の必要がある」と屁理屈をつけ、柱一本が一億円以上もするといわれる総欅(けやき)造りの、贅を尽くした木造建築に、建て直したのである。
 昭和六十三年十月七日、落成法要で日顕はこう「慶讃文」を読み上げた。(中略)
 六壺を木造にしたことをこじつけようとして、「木造建築ニ恒久優雅ノ性アル」と述べたのだが、まさに日達上人へ弓を引くものであった。日達上人は宗内で協議されたうえで、「木造建築」には「恒久の性」がないと結論づけられ、六壺はもとより大坊も大客殿もすべてコンクリート造りの「非燃性建築」にされたのではなかったか。
 防火第一のコンクリート造りの近代建築から、焼失の危険性が増す純和風の木造建築へ。宗内合議による意思決定から、日顕一人の趣味・好みによる独断の普請へ――。(中略)日達上人の残された事跡を本山から一掃するため、大石寺の濫觴(らんしょう)である六壺から手を付けたのである。
 まさに大慢の極みであり、先師日達上人への反逆、造反であった。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
 
 先師否定、それはおのれが「中興の祖」として名を残したいという日顕の野望である。その手段として、華美軟風が染み付いた〝京なめり〟の日顕が、先師が建立した非燃性建築を破壊し、純和風の木造建築に建て直したのである。火災の危険性など、日顕にとっては眼中に無い。
 だがその分だけ、大御本尊や重宝類が、危険にさらされる確率が高くなる。大御本尊に「もしものこと」があったなら、宗門はどうするのか。日蓮大聖人の仏法は、その時点で「終わってしまった」と宣言するのか。今のままの「モノ信仰」なら、宗門はそう言わざるを得ないであろう。
 宗門は、自分たちが擁した悩乱法主が「誤った考えに陥って」行なったことを「根本から改めなければ」、やがて取り返しのつかない大事となることを、承知しておかねばならない。 
 宗門では昔から「火事は福運を失くす、諸天が去る」と言われるが、それが日顕と宗門の末路を暗示する瑞相である。
                            (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:9」を破折する(その一) 連載13回

妄説:9「御本尊は幸福製造機」という考えは正しいのでしょうか。

 御本尊は、「幸福製造機」などという「単なる機械」「単なる物」ではありません。
 日蓮正宗の御本尊は、
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(新編 1773頁)
とも
「即ち彼の池を見るに不思議なり、日蓮が影今の大曼荼羅なり」 (聖典 380頁)
と説かれるように、生きた日蓮大聖人そのままの御当体なのです。大慈悲を具えた生きた仏様だからこそ私たちは御報恩謝徳申し上げるのです。
 日寛上人が、『観心本尊抄文段』に
「則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕われざるなきなり」(富要 4-213頁)
と仰せのように、御本尊の功徳は無量無辺です。
 しかし、そのためには「正しい本尊」を信じなければなりません。『同文段』に
「この本尊に人あり法あり(中略)法に即してこれ人、人に即してこれ法、人法の名は殊(こと)なれども、その体は恒(つね)に一なり」(同頁)
と説かれるように、宗祖大聖人の御当体たる御本尊を信受することが大切なのです。
 創価学会では以前から「御本尊は幸福製造機」といっていましたが、宗門においては、これを一般信徒に御本尊の功徳を説明するための方便としてうけとめてきました。
 しかし現在、創価学会は
「御本尊といっても物体にすぎない」 (池田スピーチH五・五・三 取意)
という誤った考えに陥っています。御本尊を単なる機械と見る考え方は大謗法であり、根本から改めなければなりません。

破折:
1.戸田会長の当意即妙の譬喩

 戸田会長は御本尊の偉大な功徳を、どのような境遇の聴衆にも理解できうる平易な言葉で講義してきた。

「日蓮大聖人は生命に関する大科学者であると、言わなければなりません。ご自分の研究を発表なされて、宇宙的な生命力を発揮する〝機械〟をお創りになり、どんな人でも、これを用いて幸福になりうるようにしてくださった。これが大御本尊です。」
(「人間革命」第七巻「翼の下」の章より)

 ここは、戸田会長が〝科学と宗教との関係〟を論じ、「宗教は生きている生命そのものが研究対象となっている」ことを説明した、講義の一部である。
〝どんな人でも、これを用いて幸福になりうるようにしてくださった〟とは、御本尊の別名たる「功徳聚」また「如意宝珠」の意である。しかし難解な仏教用語を、誰もが理解できるよう説明するためには、平易な言葉に置き換える必要があり、それには「譬喩」が最も適した方法である。
 遠く、釈尊は法義を大衆に分かりやすい譬喩を用いて説いた。誰もが納得する法門こそ、真実の法門と言えるのである。そのことは「法華七喩」として、譬喩が法華経の半分を占める通りである。
 そもそも〝「単なる機械」が人を幸福にするわけがない〟とは、誰もが有する概念である。ところが戸田会長が創唱した「幸福製造機」の言葉には、人に〝動執生疑(どうしゅうしょうぎ)〟を起こさせ、偏見や先入観を打ち破り、より高い次元に目を開かせるものがあった。それこそは、人生をあきらめきっている人には十分なインパクト(心理的衝撃)を発信する「譬喩」であった。
 戸田会長が御本尊を「幸福製造機」と譬えたことは、先哲に倣う明察であった。「御法主上人にしか伝えられない法門」等、中身を明かさない怪しげな宗門の言い草とは、大違いである。
 日顕が、少しでもおのれを高く見せよう、人を隷属させよう、との醜い魂胆がその言葉の端々からにじみ出ているのに対し、戸田会長の場合は何よりも、一人でも多くの人を救済したいとして、難解な仏法哲学を平易に説いていったのである。

2.「仏となる種子を焼いてしまった」宗門

 戸田会長の本意は、人々が御本尊を信受し、「一人でも多く幸福になること」にあったのであり、当意即妙の講義で仏法を分かりやすく説いてきた。
               ◇
 私の望むことは、どうか皆さんに早く幸福になってもらいたいことです。まず一家が丈夫であって欲しい。「先生、私はこんなに幸せになった」と、言われるときの嬉しさ、反対に「まだ苦しい」と言われるときは、胸をえぐられるような気がします。
(前出「人間革命」)

 宗門は戸田会長の熱誠の心に応えよう、とする気持ちがいささかも起きないか。それとも、まだ学会が御本尊を「単なる機械」「単なる物」呼ばわりしていると言うのか。
 宗門は戸田会長の講義をどう受け止めたか。結論を言えば、宗門は「方便」という〝冷めた見方〟でしか見ていなかった。それは自ら折伏することのない「傍観者の目線」であり、〝人々を幸せに導こう〟などとは、微塵も思っていないのである。法華経の梵本には、宗門と同様の「二乗」の〝冷淡さ〟が語られている。
               ◇
 遠藤 また、二乗たちは、菩薩たちが仏法に基づいて、社会を変革し、人々を導いている努力に対しても、冷めた眼差しで見ていたと語っています。
 名誉会長 二乗は、いわば〝心が死んでいた〟のです。自らが仏になろうと欲しない。また、仏になろうと目指して努力している人に対しても、お高く止まって冷淡である。人ごとのように見、バカにしている。だから、諸大乗経典では「焼種(しょうしゅ)」、仏となる種子を焼いてしまった者だと言われていたのです。
(「法華経の智慧」第二巻 発言者:池田名誉会長、遠藤副教学部長)

 宗門は「冷淡」だけではない、歴代会長が当意即妙の講義をすれば、たちまち難癖を付ける「嫉妬」深い輩である。
 戸田会長は、こういった宗門の体質を鋭く指摘していた。

「折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ。」
(「寸鉄」聖教新聞 1951.5.10)

3.中学生に分かる法理

 池田名誉会長は、若い読者に〝なぜ御本尊に勤行・唱題をすれば、幸福になれるのか〟を分かりやすく説いた。以下に掲示した通り、明快である。事物を深く理解すればするほど、簡単に説くことが可能となることの証左である。
 人に物事を理解させるには、その機微に触れることが大切である。釈尊が「対機説法」の名人であった史実は、「人(にん)見て法を説け」の箴言を生んだ。学会の歴代会長には、この対話の能力が横溢(おういつ)していた。それは、何よりも一人一人の幸福を願えばこそであり、その責任を体現していたからである。
               ◇
 名誉会長 どんな人の生命からも、「宇宙を動かす大いなる生命力」を自由自在に引き出す〝機械〟を発明されたのが日蓮大聖人です。
 中村 それが御本尊ですね。
 名誉会長 そうです。戸田先生は、御本尊様を「もったいないことだが、〝幸福製造機〟にたとえられる」といわれた。
 生命力を強くして、幸福になるために、日蓮大聖人は御本尊を〝発明〟してくださった。その〝使用法〟の基本が勤行・唱題なんです。
 中村 すごいことなんですね!
 名誉会長 すごすぎて、わからない。簡単すぎて、わからない。「題目をあげる」という、そんな簡単な修行で、どうして宇宙大の力を、自分の生命から引き出していけるのか――と。しかし、機械だって、進歩したものほど、操作は簡単になるでしょう? 
 白土 はい。最近のコンピューターの進歩もすごいです。使い方が、どんどんやさしくなっています。
 名誉会長 御本尊への勤行・唱題も、「最高」の発明だから「最高に簡単」なのです。簡単だけれども、御本尊がすごいから、すごい力が出るのです。しかも、その力は「御本尊が与える」のではなくて、もともと自分の中にあった無限の生命力を「引き出す」のです。そこが大事なのです。勤行は、自分の眠っている力を引き出す「宝の蔵の鍵」なんです。
(「希望対話-21世紀を生きる君たちへ-」309~311ページ 2003年6月30日発行  発言者:池田名誉会長、白土健治中等部長、中村容子女子中等部書記長)

4.「絶対の幸福境涯を確立するための方途」

 御本尊の信受は「絶対の幸福境涯を確立するための方途」である。それを一言で言い表した言葉が「幸福製造機」である。
               ◇
 広宣流布とは、一言でいえば、自らの人間革命を原動力として自他共の幸福を確立し、世界の平和を築いていくことです。
 では、どうすれば、私たち一人一人が、もれなく幸福になり、人類の平和の大理想に向かって正しく進んでいけるのか。
 日蓮大聖人は、乱世に生きる私たちが、一人ももれなく、自身に内在する、仏と等しい生命を開き、絶対の幸福境涯を確立するための方途として、御本尊をあらわし、末法の全民衆に与えてくださいました。
 正しい信心があれば、誰が唱えても広大な功力を湧現させ、必ず幸福になることは間違いない。このことは、仏法の法理に照らして明確であります。この御本尊の偉大な力を戸田先生はよく、〝もったいないことだが〟と前置きされながら、分かりやすい表現として「幸福製造機」に譬えられていました。
 戸田先生は明快に指導されています。
「この御本尊は、仏法の最高理論を〝機械化〟したものと理解してよろしい。たとえば、電気の理論によって、電灯ができたと同じと考えてよろしい。仏教の最高哲学を〝機械化〟した御本尊は、何に役立つかといえば、人類を幸福にする手段なのである。
 されば日蓮大聖人の最高哲学の実践行動は、この御本尊を信じて、南無妙法蓮華経を唱えるにあって、この実践行動によって、人類は幸福になりうるのである」
 この御本尊は「信心の御本尊」です。受持した我らの信力・行力によって、仏力・法力があらわれ、一人一人が自らの可能性と使命に目覚め、人生の勝利を築いていくのです。そこに真の世界の平和実現の基盤もあります。ゆえに戸田先生は、この御本尊を流布することを、民衆の幸福拡大の指標とされたのです。
(池田名誉会長「大白蓮華」2012年8月号P37)

5.大御本尊の勝手な遷座は〝モノ扱い〟の極み

 宗門と言う〝閉鎖社会〟の中でしか物事を知らず、〝在家は僧侶に供養するべきもの〟との認識しかない坊主には、人々に法門を納得させ、奮起させるほどの「素養」も「機知」も無い。広宣流布するのは自分の役割ではない、と在家任せにしておいて、その在家が弘教すればたちまち難癖をつける――これが坊主のひがみ根性である。
               ◇
 また日顕は、平成五年五月三日の名誉会長の「曼荼羅それ自体は、物体という側面からいえば永遠不滅ではありえない」とのスピーチの言葉尻だけをとらえて、「大御本尊を物体として軽視」「実態のない我見」「大増上慢の邪見」などと罵っているが、これもまったくの子どもじみた難癖。
 そもそも、草木成仏の原理から、曼荼羅が「物体」であっても何の問題もない。要するに、名誉会長は「もとより御本尊が、私どもの『根本尊敬』の対象であることは言うまでもない」としたうえで「曼荼羅としてあらわされた『法』は 永遠である」と、大聖人の仏法の永遠性を述べているのであり、程度の低い日顕の頭では、その意味が理解できないだけのこと。
 それにしても、盗人猛々しいとはこのことだ。大体、日顕の御本尊の取り扱いはどうなんだ。日顕が御本尊を古今亭志ん生の落語を聞きながら書写したり、書写の途中、ステテコ姿でウロウロしたり、昼寝をしたりしていたことは、かつての側近僧侶が明確に証言しているではないか。
 さらにハワイで御本尊を少なくとも控室に置き忘れたことは、「シアトル事件」裁判で、日顕自身が認めているではないか。こういうことを、文字通り御本尊を「物体として軽視」しているというのだ。
 法主がこうだから、坊主たちも、御本尊を段ボールに詰めて放置するなど日常茶飯事。お厨子に入らないからと板曼荼羅を鋸で切ったり、汚れを消しゴムでこすったり、目茶苦茶ではないか、日顕宗の御本尊への不敬ぶりは。
 そして何より、日顕が一閻浮提総与の大御本尊を勝手に正本堂から奉安殿にしまい込んだことこそ、御本尊の私物化、〝モノ扱い〟の極みというほかあるまい。
(「創価新報」1998.4.15)     
                          (続く)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:8」を破折する 通算12回

妄説:8 創価学会の本尊観は昔から一貫して変わらないのでしょうか。

 かつて創価学会では、
「この本門戒壇の大御本尊を根本として、血脈付法の歴代の御法主上人が大御本尊を御書写になり、御下附くださったのが、私達の家家に御安置申し上げている御本尊です」 (大白蓮華 345-36頁)
と述べていたように、血脈付法の御歴代上人を通じて本門戒壇の大御本尊に帰依するという本宗本来の正しい本尊観をもっていました。
 ところが、現在は、「大聖人直結」といい、「代々の法主に伝わる特別な相承などない」といって、経本の観念文から御歴代上人に対する報恩謝徳の御文を削除し、
「本尊は我々の信心の中にある」
とか
「我々の信力・行力によって仏力・法力は完結する」
「大石寺の御本尊にお目通りしなくてもよい」
などといい出しています。
 このように創価学会は、信仰の根本たる戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈を否定した本尊観に大きく変わっており、現今の創価学会の説が本宗の教えに背く邪義であることはいうまでもありません。

破折:
1. 大聖人の御心に呼応する信心

「信仰の根本たる戒壇の大御本尊」を否定したなどと言うが、学会は大御本尊を否定するわけがない。創価学会会則(平成十四年四月一日改正施行)を確認しておく。

「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」

 上記会則の趣旨は、全国総県長会議における斉藤教学部長の「創価学会会則の改正について」(聖教新聞 三月三十日付)において、次の通り示されている。
               ◇
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」とあります。これは、創価学会に貫かれてきた「大御本尊への信心」の本義をしめしたものです。(一部抜粋)
「分身散体」の意義に照らして、弘安二年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります。(同)
 したがって、各自が家庭に御安置した御本尊を拝することが、そのまま大御本尊を信受することになるのです。どこか特定の場所に参拝しなければ成仏できないという日顕宗のような誤った考えは大聖人の御本意ではありません。(同)
               ◇
 この通り、学会が「戒壇の大御本尊」を否定するわけがない。宗門がそのようなことを言うなら、すぐに言い返してやる、「信仰の根本たる戒壇の大御本尊」を否定した者は、宗門に君臨する日顕であると。
 日顕が「戒旦の御本尊のは偽物である」(「河辺メモ」より)と誹謗中傷したことは周知の事実である。「日顕宗『ニセ宗門』の『妄説:1』を破折する」の4回にわたる連載を参照されたい。

2.「創価学会会則」で意義を正した箇所

 大御本尊にかかる創価学会会則の、改正後と改正前との文言の差異点を述べておきたい。旧会則の文言は以下の通り。

「日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」

 改正点は以下の通り。次項より詳説する。
① 「日蓮正宗の教義に基づき」を削除し、「日蓮大聖人の御書を根本として」と意義を正した。
② 「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」を削除し、「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と意義を正した。
③ 「日蓮正宗の外護」(別項目)を削除し、「日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」ことを新設した。

3.「御書根本」の信心

 我らは「大聖人直結」の弟子であり、それゆえ御書根本の信心であらねばならない。ところが「日蓮正宗の教義に基づき」となっては、それが叶わない。
 理由の第一には、日蓮正宗の教義には古来より要法寺の異流儀が混入されており、造仏義や法主本仏論の邪義が伝えられる。
 第二には、日顕が「日蓮正宗要義」を改悪(平成十一年十二月十九日付)し、当職の法主をも「僧宝」に含め、「本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にまします」(能化文書)とした法主本仏論を根拠付けた。
 第三には、宗門が江戸幕府の宗教政策による寺請制度を後ろ盾にして、信徒に課してきた御供養収奪の手口、すなわち僧侶による葬儀、戒名、塔婆等の化儀(化導の儀式)を踏襲しており、成仏のためには不可欠であると主張している。
 
4.「秘仏」に戻された大御本尊

 学会を指して「『大石寺の御本尊にお目通りしなくてもよい』などといい出しています」と言う。しかし正本堂に御安置の大御本尊を、宗会にも諮らず、大石寺総代も加わらず、大石寺執事にも知らせず、夕闇に紛れ、数十人の僧を集めてコソ泥のようにかどわかし、奉安殿に遷したのは日顕ではないか。
 大御本尊はその意義をもって、信者は「事の戒壇」たる正本堂で拝し奉るのである。今再び「秘仏」に戻された大御本尊を、我らは御いたわしくは思えども、直拝はできない。以後は大御本尊を御写しした日寛上人御書写の御本尊を拝するのみである。
 すべては宗門随一の重宝(大御本尊)を盗み出した日顕の、大御本尊不敬の罪業によるものであり、恨みつらみなど、すべて日顕に叩きつけるべきである。

5.「一閻浮提総与」の意義

 そもそも「本門寺の戒壇」に御安置申し上げるべく建立された大御本尊は、以来「秘仏」として戒壇堂を待たれること七百有余年、ここに地涌の義により出現した創価学会により「事の戒壇」たる正本堂が建立寄進され、遂に御安置申し上げたのであった。
 しかし四半世紀の後、正本堂は日顕により破壊され、「本門戒壇」は大地に還った。法華経で宝塔が姿を消した如く、末法今時においても「二所三会」の法華経説法の場が移されたことと、意義を深くする。すなわち正本堂にて大御本尊を拝した「宝塔の会座」が終わり、以後は再び「霊鷲山の会座」に立ち返ったことと了解するのである。
 よって以後は「戒壇の大御本尊」は「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」として意義を正した。それは再び「秘仏」に戻られた大御本尊の御立場ゆえ、我らは大御本尊を「遥拝」する意義の上で、会館や家庭に御安置した御本尊を拝するのである。
 すなわち「一閻浮提総与」、全世界に等しく与えられた御本尊の義により、いずこの地の会館や家庭の御本尊を拝するとも、「分身散体」の意義に照らし、すべて大御本尊に直結するものであり、これをもって「総本山大石寺への参詣」の意義は、完全に消失した。
 このことは「日顕宗『ニセ宗門』の『妄説:5』を破折する」における下記資料を参照されたい。
                ◇
 かつて丑寅勤行は、客殿での五座の勤行が終わった後に、導師を務めていた法主と供の僧侶が「遙拝所」に移動する。そこには樒が飾られている。
 そして、その「遙拝所」で方便・自我偈の読経をする。すなわち、遥か遠くにある大御本尊を拝するので、これを「遙拝」というのである。
 これが、大石寺に伝わる大御本尊の拝し方である。
(「新改革通信」117号 平成23年11月1日)

「内拝」とは秘蔵されている大御本尊を特例として内々に拝するという意味である。(中略)宗門の御開扉は今でも「内拝」であり、非公式な参拝である。非公式であるから、成仏のために必須ではない。また「遥拝」ならば、たとえ自宅からでも拝することができる。
 ところが、宗門はそれをいかにも正式なものとして誤魔化して、「御開扉を受けないと成仏できない」などと信徒を脅している。
(同)

6.広宣流布に邁進

 創価学会会則の改正後の文言に「日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現」とあることは、純粋に広宣流布に邁進することを意味するものである。すなわち従来の宗門の傘下にあっては、学会は「日蓮正宗の外護」の役割を担うものとし、そこでは寺院や伽藍の寄進が大きな項目であった。
 終戦直前の本山の大火に引き続き、戦後の農地改革で寺領の大部分を失い、困窮のただ中にあった大石寺を、戸田会長が登山会を発案して活気付け、以来五重の等の修復、末寺の寄進等、御供養を欠かすことはなかった。それはまだ学会が本部を建てる余裕も無い頃のことである。
 以来、三百五十カ寺もの末寺、また正本堂をはじめとする伽藍等々、会員の浄財を結集し寄進してきた。
 だが結論として、それは「坊主の寝床」を増やしただけのことであった。彼等は困窮の時代を忘れ、在家は坊主に御供養するのが当然と考えるようになったのである。
 今、我らは純粋に大聖人の仏法を弘めることに専心できる。本門の時代が開けゆくのは、いよいよこれからである。

7.謗法の徹底排除

 学会が日顕の宗門と決別した上は、謗法漬けの宗門が行なってきた邪法邪義は、以後は徹底して排除する。唯一の和合僧団である学会は、身ぎれいでなければならない。
 その実践の一例が、「経本の観念文」(御祈念文)における「御歴代上人に対する報恩謝徳の御文」を改正したことである。「御歴代上人」との一言では「邪師」や「僭称者」まで含められ、宗開両祖に背く謗法となる。
「御祈念文」中の報恩感謝は、大御本尊、宗祖大聖人、開祖日興上人、三祖日目上人に申し上げる(なお文言に無くとも、正法正義に徹した師であれば日目上人に準ずることは勿論である)。
 
(1)「邪師」の排除

 ここで、次の妖言を読まねばならない。

「造仏は即ち一箇の本尊なり、誰か之を作らざる。然るに今に至るまで造仏せざることは聖人の在世に仏像を安置せざるが故なり」
「聖人御在世に仏像を安置せざることは未だ居処定まらざる故なり如何」
「古より今に至るまで造仏は堕獄の因と称するは誤りの甚だしきなり」

 上記の文は、要法寺流の〝造仏〟の邪義を持ち込んだ十七世日精の書「随宜論」にある。日精によって末寺に持ち込まれていた仏像は、日精の目の黒いうちは撤去されず、ようやく二十二世日俊が取り払ったときには、すでに半世紀も経っていた。仏像を撤廃しなかった諸師(十八世から二十一世まで)も与同罪である。
 この日精を再評価して〝歴代上人に邪師はいなかった〟とする日顕、日如もまた、与同罪の邪師である。
 なお上記の他に、近年では謗法の身延に同座した法主、遊蕩に身を持ち崩した法主、さらには軍部政府におもねって神札甘受等ありとあらゆる謗法を重ねた法主が出現した。これらの事例は、本連載において適宜引用していく。

(2)「僭称者」の排除

 これは、相承書も相承箱も公開することができないニセ法主・日顕である。日顕は邪師であり、かつ僭称の者である。宗門最大の魔仏と言うべきか。

 守護国家論(七六㌻)にいわく、
「今仏出来して法華経を末代不相応と定めば既に法華経に違す知んぬ此の仏は涅槃経に出す所の滅後の魔仏なり之を信用す可からず」

「相承のない日顕」から「相承を受けた」とする日如も、同じく僭称の者である。「猊座泥棒」の弟子もまた泥棒である。

8.誰も相承された者はいなかった

 学会が「唯授一人の血脈を否定」したとあるが、「唯授一人の血脈」なるものは、六十六世細井日達法主が相承を行なわず急逝したため、「途絶して終わった」ものである。
 他門・他流ならば、弟子達が合議の上で後継者を決めれば済む話であろう。ところが大石寺宗門では、そう簡単なことでは無かった。
               ◇
 細井管長は亡くなる前夜、大奥の寝室ではなく対面所に布団を敷けと命じ、菅野、光久両名にそこへ来るよう厳命した。後継指名の儀式をしようとしたことは疑いない。その願いもむなしく細井管長は逝った。このドタバタの中で阿部信雄(この時、総監)は、法道院の早瀬日慈とともに菅野を大奥の一部屋に誘い込み、
「日達上人から何か聞いてないか」(浜中和道『回想録』より一部抜粋)
と念を押した。菅野は、
「はい。何も聞いていません」(同)
と答えたという。この時、阿部とともに菅野を詰問した早瀬が後年、法道院の地元・豊島区の創価学会幹部に、
「藤本は小心者で、実質的に阿部しかいなかったのです。私が我慢したからそうなったのです」(筆者註 「藤本」とは当時、庶務部長だった藤本栄道)
と述べている。
(「暁闇」北林芳典著 報恩社 2002.12)

 細井管長から相承された者は誰もおらず、「血脈付法の御歴代上人」は六十六代で絶えた。
 結局、日顕が〝先師の生前に相承を受けていた〟と自己申告を行い、重役会議がそのまま認証した。日顕の嘘を承知の上で呑み込んだのである。
               ◇
〝血脈相承〟の問題につき、日蓮正宗内で表立ってその不審を述べる者はいなかった。〝血脈〟の断絶は出家らにとって共通の不利益である。〝血脈〟の断絶は日蓮正宗の存在基盤を失うに等しい。誰もが決して触れることのできないことだった。〝法主〟を公然と自称した日顕はそれを知り抜いていた。知り抜いていたがゆえに自称したのだ。法灯連綿たる〝血脈相承〟は日蓮正宗の金看板であった。この禁忌なくしては、出家は食い上げと考えられていた。日顕が〝法主〟であろうことは、実不実にかかわらず誰しもが黙認するしかなかったのだ。
(前出「暁闇」)

 法脈が日顕の「妄語」で汚された上は、今さら「唯授一人の血脈」などと言っても有名無実。美辞麗句に彩られた神話は、もはや否定されて当然である。

9.「唯授一人の血脈」を自ら否定した日顕

 さらにこんな話もある。
 昭和五十五年十一月、山崎正友が『週刊文春』で相承疑惑を取り上げた時のこと。その反論として、本山の若手僧侶がパンフレットを出すことになった。その打ち合わせの際、呼び集めた若手僧侶を前に、日顕がこんな釈明をしたというのだ。

「私が日達上人から相承をお受けしたんだけれども、ほかにも、もしかしたら、どなたかがお受けしているかも分からない。それで、みんなに相承のことを伺ったら、どなたも自分では言い出されなかった。そのため私は、実は、と言って、昭和五十三年四月十五日に、日達上人から、内々に相承を受けたということを申し上げた」

 一方では自分が相承を受けたと言いながら、もう一方では、ほかにも誰かが受けているのではないかと心配する。まったく矛盾する話である。
 そもそも「金口嫡々」の相承は「唯授一人」のはずであり、日顕が本当に昭和五十三年四月十五日に日達上人から相承を受けたというのであれば、ほかの人のことなどあれこれ詮索する必要などまったくないではないか。それが心配でしょうがなかったということ自体、「昭和五十三年四月十五日」の相承が、まったくの〝作り話〟に過ぎなかったことの証左なのである。
(「法主詐称」憂宗護法同盟著 2003年7月16日初版)

「唯授一人の血脈」とは、文字通り「複数の血脈」であるわけがない。しかし日顕は細井管長(日達法主)が「相承の大盤振舞い」をやっていたかもしれないと思ったのか。日顕が「昭和五十三年四月十五日に日達上人から相承を受けた」と言い出したように、他の人からも「自分が相承を受けた」との声が上がるかもしれなかったとは。
 日顕が「複数の血脈」を示唆した以上、「唯授一人の血脈」は法主によって否定されたものと認め得る。これこそ、「本宗の教えに背く邪義」と言うものであろう。
                           (了)
妄説:7 学会版の経本で抹消した二座の観念文のうち、「久遠元初自受用報身如来の御当体」の意味を教えてください。

「久遠元初」とは、単なる時間的な「宇宙の最初」という意味ではなく、実には一切の現象の究極・根本という意味で、時間・空間を超絶した絶対的な状態をいいます。
 また、「自受用報身如来」について説明しますと、まず仏教において仏という場合、法界の一切の真理としての法身(ほっしん)如来、その真理を照らす智慧身たる報身(ほうしん)如来、大慈悲によって一切衆生を救済する応身(おうじん)如来の三つの側面があります。
 この三身如来の中でも、特に悟りの智慧を中心として、そこに法身、応身の二身を兼ね備えた仏を報身如来といい、この報身仏が自ら悟られたそのままの境界を「自受用」といいます。
 すなわち「久遠元初の自受用報身如来」とは、「絶対的な究極の仏」ということです。『御義口伝』には「自受用報身」を「ほしいままにうけもちいるみ」(新編 1772頁)と解説されています。
 この久遠元初の自受用報身如来こそ「末法の法華経の行者」たる日蓮大聖人であり、そのお悟りの当体そのままを、本門戒壇の大御本尊として建立されたのです。

破折:
1. 〝自受用身〟の意義

 日女御前御返事(一二四四㌻)にいわく、
「伝教大師云く『一念三千即自受用身(じじゅゆうしん)、自受用身とは出尊形(しゅっそんぎょう)の仏』文。此(こ)の故に未曾有(みぞう)の大曼荼羅(まんだら)とは名付け奉るなり」

 自受用身とは「出尊形の仏」である。〝尊形(そんぎょう)〟とは三十二相八十種好の「有作(うさ)の尊形」であり、それを出でたところに、生命が本然的にもっている「無作本有(むさほんぬ)の尊形(そんぎょう)」が輝き出るのである。
 その逆が、世間において地位や名誉、財産等で我が身を飾る「有作の尊形」である。日顕・日如が法主という地位、衣の権威で身を飾り、人々に君臨しようとする姿がこれに当たる。「うわべだけの尊形」で自らをおおい、人間としてのありようを隠しているのである。

2.法主信仰の宗門

 これまで宗門では、「久遠元初の自受用報身如来」とは「日蓮大聖人」お一人のことと伝えてきた。ところが日顕の宗門では、当代の法主が「日蓮大聖人」「本門戒壇の大御本尊」と一体不二である、との邪義を放言してはばからない。

「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります。外相(げそう)においては、確かに仏法僧は別体でありますから、日顕上人や日達上人の仰せのように、歴代の御法主上人が、ただちに御本仏大聖人ではありません。しかし、御所持あそばす唯授一人金口(こんく)相承の当処は、まさに人法一箇の御尊体なのであります」
(「能化文書」平成三年九月六日付)

 この通り、日顕以来の宗門は日蓮大聖人を信受するのではなく、現当の法主を崇める宗派であるので、〝日蓮正宗〟は「法主本仏宗」「法主本尊宗」等と改名しなければ「不当表示」というものである。国法に言うところの「優良誤認表示」すなわち、
「事実に相違して表示し、優良と誤認させて不当に顧客を誘引するもの」
であって、処罰の対象である。ところが〝宗教法人なので許される〟とあれば、実に危険極まりない。

 曾谷殿御返事(一〇五五㌻)にいわく、
「根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし」

〝日蓮正宗〟の名称に引きずられ、日顕や日如に縁することになれば、成仏はおろか、かえって災いを自ら招くことになるのである。

3.「出尊形」の姿とは

「出尊形の仏」とは、具体的にいかなる姿を指すか。御書には「真実の僧」「よき師」と示され、その有り様は「正直にして」「少欲知足にして」「慈悲有らん僧」であると仰せである。

 曾谷殿御返事(一〇五六㌻)にいわく、
「但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ」

 法華初心成仏抄(五五〇㌻)にいわく、
「よき師とは指したる世間の失(とが)無くして聊(いささか)のへつら(諂)うことなく少欲知足にして慈悲有らん僧の経文に任せて法華経を読み持(たも)ちて人をも勧めて持たせん僧をば仏は一切の僧の中に吉(よき)第一の法師なりと讃(ほ)められたり」

 御書に仰せの「よき師」「指したる世間の失(とが)無く」「少欲知足にして慈悲有らん」とは、正しく日蓮大聖人の御事である。

4.質素な「薄墨の衣」に大聖人の精神が

 大聖人の精神を自らに課した例として、五十九世堀日亨法主の日常の姿が伝えられている。以下は故・渡辺慈済師の回顧である。
               ◇
 堀上人のもとに行って、一番驚いたことは、「私のことを御隠尊猊下(ごいんそんげいか)と呼ぶな。お爺ちゃんと呼ばなきゃ駄目だ」と言われたことだった。権威的なことを最も嫌われていた。
 そして、「僧侶は少欲知足でなければならない」ともいわれ、自らその信念で、極めて質素な生活をされていた。袈裟・衣は非常に小さく、所化が着るような木綿のとても質素なものを使われ、座布団も私たちと同じセンベイ布団だった。また、非常に庶民的で、威張ったりするようなことが一切ないことにも感動した。当時、堀上人は九十歳の高齢だったが、毅然として、『富士宗学要集』に全魂をこめておられた。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 発行所:第三文明社)

 堀上人がとても質素な袈裟・衣を着ておられたことは前に触れたが、大聖人、日興上人の末弟がなぜ質素な衣を着るかは、日寛上人の「当家三衣抄(とうけさんねしょう)」にその意義が示されている。「素絹(そけん)五条」の質素なものを用いるのは、「下位」を表すためである。「教弥(いよいよ)実なれば位弥下(ひく)し」の意義の上から、大聖人の仏法が真実の力ある正法であるからこそ、大聖人は身を飾らず、示同凡夫(じどうぼんぷ)で下位に居(こ)して、妙法弘通に戦われた。その大聖人と同じように、「末法の下位」を表すために質素な素絹五条を着(ちゃく)すのである。また素絹五条には、末法の「折伏の行」にちょうどよいという意義もある。「東西に奔走し、折伏行を修するに宜(よろ)しきに非ずや」と述べられている通りである。
 そして、色を「薄墨の色」にするのは「名字即(みょうじそく)」を表すからである。一切衆生を救済するため、示同凡夫の姿で末法に出現された大聖人の位は、名字童形(どうぎょう)の位と言われるが、この「薄墨」には、童子のように飾らないありのままの姿を表す意義が込められている。したがって、身を高価な金襴の衣で飾り、我こそは「生き仏」であるかのように見せる他宗とは異なり、日興門流では、名字即に住し、法を求め、折伏を行じていくという意義から、質素な薄墨の衣をつけるわけである。堀上人は、この精神のままに、質素な衣を着られた。
(同)

5.奢侈に溺れる日顕

 ところが今、日顕が着ているものといえば、最高級の正絹(しょうけん)を使った、八百万から一千万円もする特別注文の衣である。これでは、名字即でも何でもない。
「三衣抄」には、
「他宗名利(みょうり)の輩(やから)内徳(ないとく)を修せず、専(もっぱ)ら外相(げそう)を荘(かざ)り」云云
 と述べられているように、他宗の名聞名利(みょうもんみょうり)の輩は、自分には何の悟りも徳もないが故に、外面を飾り立て偉ぶって見せようとする。日顕はそれと同じで、折伏もせず、ただ身を飾って供養を待つ、強欲坊主の様を示すようなものなのである。
 高貴そうに見せようとして身を飾ること自体が、実は「教弥(いよいよ)実なれば位弥下(ひく)し(教弥実位弥下(きょうみじついみげ))」というこの六字に心を留めて案ずべしと言われた大聖人の御教示に反していることが、分かっていない証拠である。
(前出「日蓮正宗〝落日の真因〟」)

 フランスのナポレオンは、腐敗堕落した聖職者に激怒して言った。「贅沢に溺れ、澱(よど)んでいく聖職者など必要ない」。
 また文豪ユゴーは喝破した。「高位の坊主が裕福になったら、その宗教は死んでいる」。まさに日顕宗のことではないか。
                           (了)
 

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Author:墨田ツリー

 
 
 

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