津波の後、ほとんど丸一日、政府と10余りの地方自治体との間で通信が途絶えた。内閣が保安院を通さず東電に直接電話をかけられるようになったのも、政府の総合対策本部が作られたのも、4日後のことだった。福島県は、政府の指示を待たずに住民の避難を指示した。住民の避難範囲は原発から半径10キロ、次いで半径20キロに拡大され、避難場所や物資の不足で大混乱が発生した。責任機関である保安院の現場事務所には、管内20キロの地図すらなかった。被ばくした人はヨウ素剤を服用しなければならない。タイミングが命だ。なのに、薬を分配する担当者は服用法を知らなかった。薬を配って「飲むな」と指示するということも起きた。そのため、タイミングよく薬を飲んだ人はわずか7000人だった。
避難所で住民や子どもたちが恐怖に震えているのに、警察官だけが白い防護服を着ていた。避難所の人たちは「住民が不安になるので、防護服を脱いでほしい」と要請したが、警察は拒否した。双葉病院の医師や看護師は、入院患者を放置して全員逃亡した。その間に、患者436人のうち50人が死亡した。住民に対する避難指示は、気象の状況を全く考慮していなかった。後に分かったことだが、住民は、最も危険な場所のど真ん中であちこち逃げ回っていたという。
そうした緊急の状況で、主務省である経済産業省の大臣は、内閣での会議中に突然「記念写真を撮ろう」と提案した。秘書官まで集まり、写真を撮った。同じく原子力を担当する文部科学省の職員も、観光客のように危機管理センター内の写真を撮って回った。事態の後、首相自ら初めて東電を訪問して重大な話し合いをした際、首相が居眠りする場面もあった。
津波に襲われる4カ月前、日本は原子力防災訓練を実施した。それでも、実際の状況になるとパニックに陥った。福島第一原発付近の都市は、事故時には速やかに通報を受けるという協定を結んでいた。事故の前は、原子炉の近くにばんそうこうが落ちていたという通報まで受けていた。しかし本当に事故が起こると、ただの一度も連絡はなかった。
現場には、混乱を呼ぶ「悪魔」が存在する。先進国でも大きな違いはない。もしかすると、人間の限界なのかもしれない。われわれはその悪魔と戦い、混乱を減らすため不断の努力を重ねなければならない。しかし、まるで自分たちだけがそうであるかのように錯覚するのは、悪魔への屈服だ。福島第一原発で事態が進行している間、日本メディアは、多くの問題をきちんと報道しなかった。日本メディアが正しいのか、誰それがラーメンを食べたということまでつつく韓国メディアが正しいのか、それに対してはさまざまな考え方があるだろう。ただし、あまりに自分を卑下しても実質的な対策にはつながらず、恨み返し、感情的な仕返しや内紛で終わりかねない-という点だけは覚えておくべきだ。