にんじんの塔

肌も心も干からびかけたアラサー独女による、恋活のための自省ブログです、いちおう。

別の人の身に起きたら自殺してもおかしくないような出来事を5回くらい乗り越えてきた気はする。

先日、はてなブログで自殺についての記事が多数上がっていたのは知っていたけれど、それらとは全く関係がなく、書こうと思った。むし返すような印象を受ける方々には申し訳ないです。ちなみにそれらの記事を私は読んでいない。

なるべく淡々と書くように心がけたし、わりと前向きな話のつもりだけれど、近年はこのような話を周囲の人にすることも無かったので、どのようにとらえられるか見当がつかない。(言及される内容によっては私はひどく傷つくかもしれない。)

本来、こういう話は、お金を支払って、しかるべき場所で話すべきことなのかもしれない。

なので、未成年者や、心が弱っているなと思う方は読まない方が良いと思います。

 


タイトルで誤解されないよう補足すると、自殺してもおかしくないことを乗り越えた私は多少強いのかもしれないけれど、自殺してしまった人を侮辱するつもりは全くない。自殺した人が弱いとは思わない。わざわざ調べたことはないけれど、人類の歴史においては、びっくりするような理由で死を選んだ人が数えきれないくらいいるはずだ。“今日はメイクもファッションもいまいちだわ”と電車に飛び込む人がいてもおかしくはないと思う。ただ、一般的に、自殺を考える人は何らかの病気である疑いが強いので病院に行くべきだと思う。

※写真以下が本題です。

 

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私は自死遺族である。

幼い頃、親族が自ら命を絶った。

それを実行された直後に発見したので、周りの大人たちが急いで救命措置をしたが、搬送された病院で死亡が確認された。

救命措置のあいだ、小学生の幼馴染が野次馬にやってきて「すごい!死体を見るの、初めて!」と騒いでいたのを覚えている。幼馴染に悪気があったわけではないだろう、まだ分別のつかない頃の出来事だった。

私にとってそれが初めて経験する“人の死”というものだったし、ひどい死に方に立ち合ったので、以後、様々な感情に苦しんだ。とても長い間。

遺書が無かったことも大きいと思う(かと言って、遺書があればすぐに立ち直れたかというと分からないけれど)。

周りの大人たちもひどくショックを受け、その出来事について語ることはタブーとなった(そのことが更に私を苦しめた。大人になった今はもう理解出来るけれど)。


あれから20年近く経って、おおむね飲み込めた感じはする。おおむね。



自死遺族はどういう人間になるのか。あくまで自分の話をする。

(1)何かつらいことがあった時、“死ねばいいんだ”という選択肢が出来る。ただし、今のところ自殺未遂どころかリストカットすらしたことはない。

(2)自殺したら、遺された人たちがどのように傷つき苦しむかが分かる。ただし、これには個人差があることも分かってしまったので、“誰かのトラウマになればいい”と当てつけ自殺をする発想はまず無くなる。

(3)遺された誰かが悲しむとか誰かに迷惑がかかるとか、そんな理屈なしに“自殺だけはしてはいけない”と思う。むろん、故人を責めているわけではない(うまく表現出来ないけれど、自殺だけはしてはいけないと、遺された私たちに教えてくれたのかもしれない、と私は解釈したのだ。)。



ああ、つらい、死んでしまいたい、実際に死ぬのなんて簡単なのだろう、あの人がしたように。私が死んだって、意外と周りの人もケロッと立ち直るかもしれないし、いいじゃないか。でもダメだ。理由はよく分からないけれど。そんな感じ。

 

 

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文章にしてみて改めて思うけれど、これもなかなか地獄です。
お陰様で、別の人の身に起きたら自殺してもおかしくないような出来事を5回くらい乗り越えてきた気はする。なんとなく、5回にしてみた。


“ああ、今日は誰かに会わないと死んでしまうかもしれない”と心の危険を察知して、スマートフォンの連絡先から会いたい人や会ってくれそうな人に片っ端から連絡をして、それでも「ごめん、今日は予定があって」「仕事が終わるのが遅いから」とあっさり断わられ、軽い絶望の中で一人過ごすことになると、その晩はもう飯を食う気力すらないので、九死に一生を得たようなものである。

そもそも、“今日会えなかったら死んじゃう><”と冗談のようにしか言っていないし、仕方がないか。切に頼んで断わられたら――うん、考えないようにしよう。


どうしても自分では解決出来ないことを(当時は高飛車だった私が涙を流すほど)切に頼んで断わられたり、私がどんなに惨めになっても愛してくれるだろうと思っていた人たち(家族)にあっさりととどめを刺されて、「さて、心療内科に行きますかー!」と、医師にすがろうとしたら「うんうん…大変だったねえ…それは誰でも落ち込むね…つまり健康な心の反応だから、今のところ、いわゆる“うつ病”ではないので様子を見ましょう。元気、出してね」と、薬すらもらえなかった時は、さすがに生き地獄だと思って、国道246号線で笑いながら泣くという意味不明なことをして、結局こうして生きている。


冒頭でも書いたけれど、自殺を考える人は何らかの病気である疑いが強いので病院に行くべきだと思う。おそらくそれは心療内科が多いと思うが、その時、適切な診断を下せるきちんとした医師が増えて欲しいと思っている(自分がうつ病で無いと言われたことが間違っていたと思っているわけではない。現に、自力で立ち直ったわけだし)。

今年の都知事選で、そういったマニフェストを掲げる方に投票したのだけれど、落選してしまったので、残念。無理にでも笑っていれば、別の人の身に起きたら自殺してもおかしくないような出来事も、乗り越えられたりしたんだよ。

 

(※自分で書いておきながら、なんだか塩をまきたくなるブログだなあ)