第7回
矛盾に満ちた
「コミュニケーション能力」を“演じる”
「コミュニケーション能力」という言葉に押しつぶされそう…。そんな就活生は少なくないと思う。真面目な学生ほど、正解がわからずに悩み、自分はダメな人間だと落ち込む。しかし、就活で求められるコミュニケーション能力は、人格とはまったく関係ないのだ。劇作家の平田オリザさんに聞く、「ちょっと気が楽になる」コミュニケーションのあれこれ。
- 平田オリザ(ひらた おりざ)
- 1962年生まれ。劇作家・演出家。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。国際基督教大学在学中に劇団『青年団」を結成、現在も主宰する。戯曲の代表作に、岸田國士戯曲賞受賞の『東京ノート」、朝日舞台芸術賞グランプリの『その河をこえて、五月」など。2002年度、新しい教育指導要領に基づいた国語教科書の中に、そのワークショップの方法論が採用され、年間で30万人以上の子どもたちが、教室で演劇を創るようになった。現在は大阪大学コミュニケーションデザイン・センターにて、社会と演劇の接点を探る。
「コミュニケーション能力」は矛盾だらけ
「求めるのは、コミュニケーション能力が高い人」。これはもう、どの企業も口を揃えて言うことですね。では、就活における「コミュニケーション能力」って何でしょう? たいていの大人が認めたがらないのですが、正解は、「企業の実権を握っている人たちがそれぞれに(その場で)考えているもの」です。つまり、人によっても捉え方が違い、普遍のものではありません。こう聞くと、そんな漠然としたものなのか、と驚かれるでしょうか。
彼らの唱える「コミュニケーション能力」は、大きく二つ。一つ目は、「グローバルコミュニケーションスキル」です。異文化の人々と意思疎通をはかり、自分の言葉で堂々と考えを述べることのできる能力ですね。あらゆる就活セミナーや企業説明会で聞いたことがあるでしょう。そして二つ目は、「意見を言わない日本型コミュニケーションスキル」です。周囲に合わせる、自分の意見を無理に通さない。「空気を読む」と表現されることも多く、こちらは最近、表立っては不人気です。でも、実は根強く支持されているスキルで、たとえばグローバルコミュニケーションスキルに長けた学生が面接で落とされるとき、理由として挙げられるのが、「会社の調和を乱す、自己主張の強そうな奴だから」というもの。国際的に通用する人材が必要だと謳いながら、同時に昔ながらの日本型スキルを求めているわけです。おわかりのように、この二つのスキルは明らかに矛盾しています。本当に理不尽だと思うのですが、この二つをどういうバランスで採り入れるかは、採用担当者によって違ったりします。だから、普遍的な正解はないし、企業の側だって実は、混乱していたりするんです。
「コミュニケーション能力」はマナー程度に考える
このように、就活とは理不尽なものです。それでも就職を目指すなら、割り切って、この二つのスキルを場によって使い分けるしかないでしょう。「コミュニケーション能力」はマナー程度に思って慣れるのです。あくまでマナーなので、人格とはまったく関係ありません。ナイフとフォークが上手に使えるかどうか、と同程度のことです。ここが就活のイヤなところで、「コミュニケーション能力」が、まるで人格と直結するかのように取り上げられることがあります。だから面接で落ちたときに、自分を否定されたように感じて苦しむのです。これまでの偏差値教育で「正道」を歩んできた良い学校の学生ほど、一体自分の何が間違っているのかと落ち込むのですが、就活には正解がなく、理不尽なことも多々あるのが現実なんです。慰めになるか分かりませんが、「コミュニケーション能力」とあなたの人格とは関係ありませんから、思い詰めないでください。
では、マナー程度に身につけたい、二つのスキルの使い分けについてです。面接の場で、目の前の採用担当者がどちらのスキルを求めているのか感じ取るには、どうしたら良いのでしょうか。これは、実は慣れが必要です。「他者」、とくに年上の社会人と話す機会の多い学生ならば、感覚的に身についていきます。でも、少子化やライフスタイルの変化で、今の多くの学生は自分を「わかってくれる人」ばかりに囲まれて育ってきました。小学校6年間ずっと同じクラスであったり、近所の人との関係が希薄だったり。本当の「他者」と交流した経験が乏しいんですね。だから「他者」の思うところを汲み取ったり、異なる価値観をすり合わせたりするのが苦手です。そういう話になると、「そうそう、昔はもっと世代間の交流があった。だから今の若者はダメなんだ」と言いたがる大人がいます。でもこれは、物事の一面しか見ていない発言です。