教育委員会の制度を改革する法案が衆院で可決された。

 いじめや体罰事件のとき、教委の動きの鈍さ、不都合なことを隠す体質が批判された。

 一時は、教育行政の決定権を首長に移す案が有力になった。それが与党間の協議で押し戻され、教委に権限が残された。

 学校教育の風通しは良くしてほしい。でも、数の力に左右されるのは心配だ。今回の経緯は多くの人がそう思っていることの表れではないか。

 一例として、学校図書館の本を挙げたい。仮に保護者の過半数が、あるいは選挙で選ばれた市長が、「アンネの日記」は要らないと言ったら、それだけで直ちに撤去してよいか。

 ちょっと待ってくれと思う人が多いのではないか。それは、学校の本は人気の有無だけでなく、子どもの教育に有益かどうかを考えて選ぶべきだと思うからだろう。

 基本は多数決だが、なかには「みんなが言うからそうした」ではいけないことがある。学校で学ぶ大切なことの一つだ。

 とくに教育には思想・良心の自由や少数者の人権とかかわりが深く、多数決や人気投票のなじまない領域が多々ある。

 また、首長は次の選挙までの4年で結果を出そうとする。だから数字で測れる短期目標を好む。悪いことではないが、それで見落とされるものもある。

 たとえば、学力向上を掲げれば支持する住民は多いだろう。一方で、遊び時間が減って友だちづきあいが薄れる弊害が出ても、それは数には表れない。

 教委を廃し、首長に権限を。そう主張する首長や野党は「民意の反映」を理由に挙げる。

 たしかに、委員らは市民代表だが、非常勤のため事務方の職員らに軽くみられ、十分チェックが働かない。が、委員らを任命するのは首長だ。まず自ら人選を工夫すべきではないか。

 本来いろいろな立場の人からバランス良く委員を選べば、一人の首長に任せるよりも多様な声を反映できるはずだ。

 合議制の委員会は「簡単に決まらないこと」が持ち味だが、危機管理対応では弱みになる。

 この法案はその欠点を補う目的などから、首長と委員らの協議の場を新設。首長が仕切る。

 ただ、この会議と委員会の役割は線引きを明確にしたい。予算にかかわることは首長の仕事だが、教育の中身にかかわること、とくに教科書採択や教員処分は委員会に任せるべきだ。

 首長が自らの信条を「民意」にすり替えてしまう。それが最も危ないからである。