危機が極まった局面では、人間は必ずしも規則通りには動かない。自らの命を優先する者もいる。それを計算に入れずに、どう安全を設計できるのか。

 福島第一原発の元所長、吉田昌郎(まさお)氏(昨年12月に死去)の証言を記録した「吉田調書」の内容が明らかになった。

 貴重な証言を読むと、根源的な疑問が浮かぶ。原発とは、一民間企業である電力会社に任せていいものなのか、と。

 政府の事故調査委員会による調書によると、発生4日後だった。原子炉そのものが壊れるかもしれない。その最悪の事態が心配されたとき、所員の9割が命令に反して10キロ余り離れた別の原発に一時退避したという。

 原発の事故対応をめぐる疑問は以前からあった。電力会社は原発運転員らに「命が危なくても残って作業せよ」と命じられるのか。どこまで必要な人員を確保し続けられるのか。そう危惧される事態が実際に起きていたのである。

 現在の商業用原発は、異常が起きた場合、運転員が適切に対応して初めて安全が保たれる。深刻な状況になればなるほど、対応には人手が必要になる。だが、自衛官や警察官、消防士など特殊な公務員と違い、原発運転員は民間従業員である。

 当時、現場に残って献身的に働いた約50人は「フクシマ・フィフティー」と呼ばれ、世界から称賛された。だが、次の事故でもそんな英雄的精神が発揮される保証はない。吉田調書は重大な問題を投げかけている。

 ところが原子力規制委員会の田中俊一委員長は調書の存在自体知らなかったという。事故を繰り返さないために生まれた規制組織が、事故の詳細を把握していないとは理解に苦しむ。

 原発の新しい規制基準が昨年つくられる過程でも、事故時の運転員たちの離脱は、その可能性さえ議論されてこなかった。

 失敗学で知られる政府事故調の畑村洋太郎元委員長は、報告書の総括で「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる」と述べた。その反省はどこへいってしまったのか。

 政府事故調は772人もの関係者から事情を聴いている。ほかにも貴重な論点が隠されているに違いない。

 東京電力はただちに事実関係を明らかにすべきだ。この問題を正面から議論せずに原発運転を任せることはできない。

 政府は事故調の資料をすべて公開し、「福島の教訓」を国民的にくみ取る努力を尽くすべきだ。それなしに、再稼働へ突き進むことに反対する。