スージー・ヴォルフ 3: VOGUE インタビュー
Susie Wolff 3: VOGUE interview
ヴォルフはウィリアムズのテントでスカッシュのグラス越しに「わたしはずっとアドレナリン中毒だった。いつも負けず嫌いで、スピード狂だった」と言う。彼女はチャーミングだ。にこやかで気楽で、自分の特異性に全く気付いていない。レース・ユニフォームを着ている女性は彼女ひとりという事実から逃れることはできないので、あるいは、少なくとも、その特異性に害されていない。
「レーシングは生まれつき、母が父と出会ったのは、父のお店に最初のバイクを買いに行ったとき。父はバイクのレーシングをしていたし、兄とわたしはゴーカートで遊んでいた」
間もなく彼女の両親は、スージーに最初のカートを買ってやるためにバイクをたくさん販売した。
スージー・ヴォルフと兄、家族とレースを求めて欧州を転戦
「8歳の頃って、将来のことなんて考えたりしない。でもカートに情熱を持っていたし、大好きだった」
彼女の家族はそれから10年間、欧州中を走り回り、チャンピオンシップに参戦した。
「試験に間に合うよう学校に戻れなかったので、レーストラック近くに止めたバンのなかで進級試験を受けたこともあった」
ヴォルフは13歳のとき、若きジェンソン・バトンがF3レース(F1の下位カテゴリー)で優勝するのを見た。
「ドライバーになりたいと決めたのはその時だった。一生それをしたいと思った」
スージー・ヴォルフ「私は8歳から、ルイス・ハミルトン、ニコ・ロズベルグ、ロバート・クビサ、キミ・ライコネンなどと戦ってきた。全員が最終的な目標であるF1を目指していた」
ルイス・ハミルトン、スージー・ヴォルフ、ヘイキ・コバライネン、2008年F1ドイツGP
14歳で彼女はルイス・ハミルトンと表彰台に立った(ルイスは1位、彼女は3位)。ハミルトンは「あの週末、彼女はものすごく速かった」と語る。
「でも、それまで表彰台に立ったことがなかったので、シャンペンのボトルを開けるのを手伝ってあげなくてはならなかった」
犠牲がなかったわけではない。
「母は、わたしが10代の頃に飲んだり騒いだりパーティしたりという段階を経験しなかったと心配した」
それでも家族の中には固い決意があった。危険度の高いスポーツに対する娘の情熱をこれほど粘り強く支えてる両親はほとんどいない。ヴォルフの母親サリー・ストッダートは「わたしたちはとても強い家族なの」と同意する。
「子供たちには2歳からスキーをやらせ、どんなコンディションでも滑らせた。スージーに『あなたは一度も不平を言わなかった、見事だった』と言ったことがある。そうしたら娘は『ママ、ノーと言えるなんて知らなかった!』と答えたの」
大学に入ったが、彼女いわく「学生ローンをレーシングに使ってしまった」ため、1年でヴォルフは退学し、シルバーストンに引っ越した。彼女は「6人のドライバーと一緒に一軒家に住んでいた。全員男性で、わたしたち全員がF1という同じ夢を追いかけていた」と語る。
「ロマンスなんて全くなかった。レーシング・ドライバーとは絶対にデートしないと早くから決めていた。デートの対象にはなれないってね」と彼女は笑う。
-Source: Vogue
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