「論文の基準を定めないのは生命科学の怠慢」
日本学術会議の吉川弘之栄誉会員にSTAP問題を聞く
東京大学総長や日本学術会議会長などを務め、科学技術政策の立案に深くかかわってきた吉川弘之氏。STAP騒動を受けて、日本の科学研究の問題点を聞いた。
今回の問題を考えるうえで、生物を研究対象にする生命科学は、ほかの科学とは違うということを認識すべきだ。
生物も物理学と同じ方法で理解できるという立場で研究を始め、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見したのが1950年代。長い歴史を持つ物理学に比べて生命科学は歴史が浅い。仮説は検証を受けるまでは、真実かどうかは不明であり、検証前の仮説を評価してはいけない。
物理学ではヒッグス粒子の検証は仮説から50年でようやく評価された。一方、若い生命科学は研究者の間で仮説検証の方法がまだ合意されていないように見える。また、物理学は研究内容が数量的で厳密に検証できるが、生命科学の実験結果は細胞写真で示されている。
その写真は説明用で、伝統的な植物学の「説明画」と同じ。今、小保方晴子さんのSTAPの真偽を言う段階ではないが、その前に生命科学が持つこれらの問題を専門家がより深く議論し、論文の基準を定めるべきだ。それをしないのは生命科学全体の怠慢であり、小保方さんは“被害者”なのかもしれない。
理化学研究所は世界的に評価の高い機関で、国内では生命科学分野で最大規模の研究を行っている。理研が国際的にも連携しながらリーダーシップをとりつつ、生命科学の論文の基準作りをするべきだということは、今さら言うまでもない。
不正をどう防ぐか
研究不正は、第三者機関のチェック以前に、まず研究者自身で追放するものだ。
科学者はただの研究機械でなく、人としてまず夢を持ち、選んだ研究方法に信念を持ち、それに基づいて研究を計画し、実施し、発表する。それぞれの段階には守らなければならない規範がある。
たとえば、再生医療で難病の人を救いたいという夢は社会的に歓迎される。だが、希少元素を使ってそれを実現するという信念は、経済性からは受け入れられない。専門学会や同じ方法に興味を持つ学派と呼ばれる研究者集団での公開討議で、規範からの逸脱は防ぎうる。研究実施では、研究機関が逸脱防止の最大責任を持つ。研究室の同僚が研究状況を把握し、その仕組みを作るのが研究機関だ。
科学研究とは、多くの科学者の知恵を集積することで進む。そのために協調するのが本来の姿だ。昨今の競争は、研究が科学者コミュニティにおける共同作業であるという理念を忘れている。政策や研究費制度も研究競争至上主義の上に成り立っている。この傾向を変えなければいけない。競争だけをあおる研究指導者には退場してもらいたい。
論文発表についても理解に苦しむ状況がある。従来の自然科学の論文は、定期的に開かれる学会で口頭発表し、公開の討論に耐えたものに投稿資格が与えられていた。一方、英科学誌『ネイチャー』の論文は発表がなく、ほかの研究者が批判する機会がない。
実用化の期待が大きい生命科学では、研究者だけでなく産業界、マスコミなどが興味を持つため、研究途上の討論が難しい面もある。であればこそ、研究機関は専門学会の協力を得て、研究発表を含む研究過程のあり方を示すべきだ。今回の件は、生命科学として解決しなければならない問題で、理研が世界に先駆けて解決策を提案することで信頼回復を図るしかない。
(撮影:梅谷秀司)
(週刊東洋経済2014年5月17日号〈5月12日発売〉の核心リポート)