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教務エッセイ(算数)算数学入門

覆面算のこと

【数学典故「教我如何不想他」について】
  • 2012年11月号

日能研教務部算数科 真藤 啓

「算数エッセー『算数学入門』」です。

一回読むだけでたちまち夢のように算数ができるようになる、……というものが書けないかなあと思いながら書いていこうと思います。

国内の大学入試やその他の試験、近隣諸国の小学生の問題、文科省の動向など、受験算数の根っこの部分とか背景とか流行といったものがしっかりわかるようにすることを漠然と目標にして、思いつくまま書いています。

算数は、何もかも人から学ぶということでは面白くないですし、しっかり身に付かないと思います。

かといって、全く自分ひとりだけで考えようとすると、途方もなく時間がかかりますから、兼ね合いで学ぶのがよいでしょう。

本稿をざっと読んで、これを参考に自分でもちょっと考えてみると、確実に力がついてくると思います。

また、『キッズレーダー(日能研)』に書いている「おいしい算数」の補足などについても引き続き述べたいと思います。

【目次】
  1. あの人を思いださないではいられない 『キッズレーダー』から
  2. シシシシシ 中国語は聞けばわかる言葉か
  3. 「覆面算(教我如何不想他)」の解法 『キッズレーダー』から
  4. 9月号の(宿題)の解答
1. あの人を思いださないではいられない 『キッズレーダー』から

1. あの人を思いださないではいられない 『キッズレーダー』から

陽一(よういち)は、中国で生まれた日本人です。同じく綾香(あやか)も中国で生まれた日本人です。二人は幼ななじみで小学校から高校まで同じでした。高校を出て、陽一はイギリスのケンブリッジ大学に進み、綾香は北京大学に進みました。

数学典故(すうがくてんこ)

中国では算数の文章題のうち、最も重要で典型的なものを「数学典故」と言い、一種の物語にして印象深く小学生に与えています。

人は、物語や小説や映画を作り発信します。人はまた、そうしたものから受信します。

物語の伝えたかったことは、何らかのメッセージだったり何かの教訓だったりします。それは、言葉に直せば簡単な1語で、そうでなくてもたかだか数行に要約できるかもしれませんが、それでは印象に残らないでしょう。だから、人は物語に託して、あるいは物語にまぎらせてメッセージを発信するのでしょう。

「典故」と書くと、「てんこ」と読む人が多いでしょうか。というか、こう読まないと日本のテストでは×になりますが、中国では「デンゴウ」と読みます。「デンゴウ」の方が「テンコ」よりも力強いような気もします。…と書きましたが、異論があるかもしれません。「デンゴウ」ではなく「ディングー」ではないのですか、とか言われそうです。

それは、別の言語たとえば英語に置き換えて言うと、「to」を「ツー」と読みますなどと書いたら、「ツー」ではなく「トゥ」ではないのですかといわれるのと似ていると思います。「ツー」ではないことはたしかですが、「トゥ」も離れているような気がします。「to」という音を知っている人にこの音をカナにするにはどう書いたらよいでしょうかと尋ねたら「トゥ」と書くことに納得してくれるでしょう。ただし、「to」という音を知らない人に、「トゥ」というカナで覚えさせようとすると「to」の音には届かないでしょう。

なまじ紛らわしい違う音よりも、違うということがわかりやすい違う音のほうがよいのかもしれませんが。

「this is」を「ジスイズ」と書くと、「ズィスイズ」ですと言われ、外人の発音を聞くと「デセズ」と聞こえる。というか、カナ文字では表せません。

ふたたび中国語に戻ると、「華羅庚(からこう)」は中国読みでファロウクンと読みますなどと書いてきましたが「庚(クン)」はカタカナでは「クン」と書くしかない音です。しかし「クン」は「クン」でも日本の会話では決して使わない「クン」なのです。

もっとも本稿は「中国語講座」ではないので、本稿で正式な中国語を学ぼうとする人はいないでしょうが。「中国語講座」を受け始めた人は併読なさるとイライラなさるかもしれません。

算数を学ぶ面白さと、算数の古い文献にあたることと、とても似た面白さがあると最近思うようになりました。つまり、この言葉はどういう意味なのだろう、どういうことなのだろうと色々と予想しながら確かめる。その結果ではなくその過程が面白いと思うようになったのですが、私が思う面白さを、何の説明もなしに理解できる人がいるだろう一方、どう説明してもうまく共有できない人もいるような気がします。というのは、私自身数学には興味あるものの数学史にはあまり興味がなかったからです。

わかった結果があまり面白くなかったりしても結構過程が楽しめます。ただし、その結果だけを示しても人は面白くないだろうなあと思ってしまいます。

 

竹簡『算数書』
1983年12月中国湖北省荊州で、それまで、中国最古の算書とされていた「九章算術」よりも古い、竹簡『算数書』が発見されました。このことは、「算数」という言葉がとても古くからあったというを証拠になることになり、そうしたことを含めて話題になりましたが、しばらく、公開されませんでした。現在は、中国や日本の数学史の第一人者の城地茂氏による「日本語訳『算数書』」もWEBで公開されています。これは大変ありがたいことです。自分で入手して訳すのを想像すると気が遠くなります。

 

『算数書』日本語訳/城地茂氏『和算研究所紀要』(2001)
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~jochi/jochi2001.pdf

 

『算数書』の成立年代について
/城地茂氏 数理解析研究所講究録1257巻2002年
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1257-13.pdf

 

「和算の源流」『学習評価研究』(ISSN:13437062)26:120-129. 城地 茂(1995.6)
「律令期の算学」『学習評価研究』(ISSN:13437062)27:118-129. 城地 茂(1995.9)
「和算誕生」『学習評価研究』(ISSN:13437062)28:126-137. 城地 茂(1995.12)
「和算の興亡」『学習評価研究』(ISSN:13437062)29:126-137. 城地 茂(1996.3)

 

城地 茂 氏のプロフィール:  (2009年から大阪教育大学教授)
1959年東京生まれ、85年東海大学日本文明学科卒、87年同大学大学院修士課程終了、87~90年中国・北京師範大学数学史専攻高級進修生課程修了、91~92年英国ニーダム研究所リサーチフェロー、93年ロンドン大学アジアアフリカ学院で博士号取得、95年銘伝大学准教授、97年高雄第一科技大学准教授、06年同教授、07年から外国語学部学部長代行も兼務。2009年より大阪教育大学・国際センター教授。専門は日本数学史・天文学史。著書に「日本数理文化交流史-関孝和と『楊輝算法』」など。

「SciencePortal」(サイエンスポータル)から

 

また、城地 茂 氏のほかに大阪産業大学では「張家山漢簡『算数書』研究会」が発足され、「新たに出現した2つの古算書」の研究のために「中国古算書研究会」に発展したということです。研究の試行錯誤の様子も読み取れて、とても面白いと思います。

 

「張家山漢簡『算数書』研究会」の発足にあたって
               大 川 俊 隆
http://pal.las.osaka-sandai.ac.jp/~suanshu/articles/on_setting_up.pdf

 

張家山漢簡『算数書』の文字・用語について(1)
     張家山漢簡『算数書』研究会 大 川 俊 隆
http://pal.las.osaka-sandai.ac.jp/~suanshu/articles/TechnicalTerms_in_SSS_1.pdf

 

『算数書』研究会訪中報告記
(資料2)『算数書』中における4つの算題について
         日本「張家山漢簡『算数書』研究会」 大川俊隆・張替俊夫・田村誠
http://pal.las.osaka-sandai.ac.jp/~suanshu/articles/report_on_visit_to_China.pdf

 

新たに出現した二つの古算書 ― 『数』と『算術』
 (付)岳麓書院蔵秦簡『数』から見た周泰交替期の幾何学的成就
         中国古算書研究会 田 村  誠、張 替 俊 夫
http://pal.las.osaka-sandai.ac.jp/~suanshu/articles/Shu_and_Suanshu.pdf

 

中国古算書研究会 http://pal.las.osaka-sandai.ac.jp/~suanshu/
または、
Cinii http://ci.nii.ac.jp/ の全文検索で「中国古算書研究会」などでも見られます。

以上、大阪産業大学の田村誠先生、張替俊夫先生からご教示いただきました。

 

それはともかく、数学典故として有名なものは、「普喬柯趣題(プチョルコしゅだい)」、「鬼谷算(きこくさん)」、「牛吃草(ぎゅうきつそう)」、「鶏兎同篭(けいとどうりゅう)」があります。 

プチョルコ趣題というのは「割合整数」の問題で、鬼谷算は「剰余定理(じょうよていり)」の問題で、牛吃草は「牛頓(ニュートン)問題」ともいい、「ニュートン算」のことです。鶏兎同篭とは「ツルカメ算」のことです。

この四つは、中国のたいていの先生が「数学典故」に数え上げていますので、中国の算数が好きな小学生はたいてい知っています。日本では比較的扱わない「プチョルコ趣題」と「鬼谷算」は数年前本稿で扱っています。

教我如何不想他(ちょううおのうはあぷしゃんた ちょううおのうはあしゃんた)
ところが、先生によっては「数学典故」として、ほかにもてんでにいろいろ加える人もいて、たとえば、「教我如何不想他」を数学典故にかぞえる人もいます。この句の意味は「教えて、どうすればあの人を想わないでいられるの」といったところですが、算数の内容としては要するに「覆面算(ふくめんざん)」のことです。「教我如何不想他」というのは次のような詩の題名です。

 

教我如何不想她 劉半農
教えて、どうすればあの人を想わないでいられるの りゅうはんのう

 

天上着些微云、地上吹着些微。
天上ではかすかに雲が漂っている。地上はそよ風が吹いている。
!微吹了我、教我如何不想?
ああ、微風は私の髪の毛をあおっている。教えて、どうすればあの人を想わないでいられるの。
月光恋着海洋、海洋恋着月光。
月光は海洋に恋をしているようだ。海洋も月光に恋をしているようだ。
!般蜜也似的夜、教我如何不想?
ああ、こんなに蜜のような銀夜に、教えて、どうすればあの人を想わないでいられるの。

 

水面落花慢慢流、水底儿慢慢游。
水面に花が落ちてのどかに流れ、水底に魚がのどかに泳いでいます。
!燕子些什、教我如何不想?
ああ! 燕よ、あなたが話しているその声で、教えて、どうすればあの人を想わないでいられるの。
枯在冷里、野火在暮色中。
枯れ木は冷たい風に揺れて、野火は夕暮れの中で燃えています。
!西天有些儿残霞、教我如何不想?
ああ! 西空に少しの残る霞よ、教えて、どうすればあの人を想わないでいられるの。

 

この詩をNathan Guerin(ネーサン・ゲラン)さんは次のように英訳しています。
How Could I Not Miss Her?   By: Liu Bannong
どうしよう、彼女がいなくて寂しい。 作 劉(リュウ)半農(バンノウ)
Tiny clouds drift in the sky,   A breeze blows on the ground.
小さい雲は、空に漂っている、微風は、地上で吹いている。
Ah!  The breeze rustles my hair,   How could I not miss her?
ああ! 微風は、私の髪を鳴らしている。彼女がいなくて寂しい、どうしたらいいの?
The moonlight makes love to the sea,   The sea makes love to the moonlight.
月光は海を愛している。海は月光を愛している。
Ah!   This sweet silvery night,   How could I not miss her?
ああ! この甘い銀色の夜、彼女がいなくて寂しい、どうしたらいいの?

 

Fallen flowers slowly float on the water,   Small fish slowly swim beneath the water,
落ちた花は、水面でゆっくり浮いている、小さな魚は水底をゆっくり泳いでいる。
Ah!  My swallows, what are you saying?  How could I not miss her?
ああ! つばめよ、おまえたちは何をささやいているの? 彼女がいなくて寂しい、どうしたらいいの?
The withered tree sways in the chilled wind,   The prairie fire burns at twilight.
冷えた風の中で枯木が揺れている、草原の野火が夕暮れに燃えている。
Ah!  Remnants of sunset's orange clouds are still in the west.
ああ 西に静かに、日暮れのオレンジ雲が残っている。
Tell me, how could I not miss her?
おしえて、彼女がいなくて寂しい、どうしたらいいの?
(Translated by Nathan Guerin)
(翻訳 ネーサン・ゲラン)

 

本文の和訳と、英文翻訳の和訳は、真藤啓が行いました。

これは中国人の言語学者の劉半農(りゅうはんのう)氏が、まだイギリスのケンブリッジ大学に留学していたときにホームシックにかかり、そのさみしさを歌ったものだそうです。

この詩に対し、趙元任(ちょうげんじん)氏が曲を作りました。この詩はその曲を得て、多くの人を感動させる歌として、二十世紀初頭の二十年代から今日に至るまで、ずいぶんと長い間人々に歌い継がれています。

 

作曲者趙元任氏も作詞者にもまして著名な言語学者で、1938年前後に渡米して、ハワイ大学、エール大学、ハーバード大学、カリフォルニア大学などのアメリカの著名な大学の教授だった人で漢語言学の父といわれています。また大学生のころは数学を専攻したり、物理学を専攻したりした博学の人です。その方面の教鞭をとったこともあるようです。また、音楽家(作曲家)でもあります。

作詞者も言語学者ですが二人の作詞、作曲の歌はほかにも「東大(中国遼寧市にある東北大学の略称)校歌」などいくつもあります。

この歌のタイトルを筆者が「教えて、どうすればあの人を思わないていられるの」と訳しましたが、この歌は「他(た あの人)」が非常に訳しにくいところです。

原文は「教我如何不想他」ですがそもそもの劉半農氏の書いた原文は「教我如何不想」です。「他」という文字が「(た)」でした。「他」という文字が指し示す意味は、「男性」とか「女性」を区別しない、というか、「男性」とか「女性」を意識しない三人称代名詞です。で「他」の「にんべん」を「おんなへん」に変えた「」という字は、「女とか男とか意識しない女」という意味です。

これは、たとえばお母さんやおばあさんやお姉さんのことでしょうか、それならそう書くはずです。だから、「たとえて言えば、お母さんやおばあさんやお姉さんのような、特に女として意識していなかった女性」が、遠く外国に来てみると、とても思い出されるということなのだというようにとれます。

中国では、この歌は、恋愛の歌ではない「他」、あるいは「」は女とか男とか意識しない言葉だからと説明されていますが、そういう説明がいるニュアンスをもった歌なのでしょう。

「他」や「」の文字は、もともとから中国にあった文字ですが、当時こういう風に使い出したのはこの歌を作詞をした劉氏本人でした。とても流行った言い方だそうです。

作詞家自身にとっては確かに恋愛の歌ではなかったのかもしれないこの歌が、なぜ爆発的に流行したのでしょうか。今から100年くらい前です。もしかしたら、戦中下で、「恋愛の歌」などはおおっぴらに歌えないかったころ「恋愛の歌」の代わりに歌ったのではないでしょうか。

なお、「教我如何不想」の楽譜は以下です。

1. あの人を思いださないではいられない 『キッズレーダー』から

1. あの人を思いださないではいられない 『キッズレーダー』から

この曲は4分の3拍子ですから「強く、弱く、弱く」のリズムの繰り返しですが、最初の「強く、弱く」に音は振り当てられていませんので、「弱く」から歌い始めます。よく知られているようにこのような歌を「弱起(じゃっき)の曲」といい、物悲しい曲になります。音楽に詳しい人にはアウフタクトというドイツ語の方が通りがよいかもしれません。

 

付記

この歌を聞いてみたい人は「教我如何不想他」あるいは「教我如何不想」で検索すると、youtubeでたくさん出てきますが、「教我如何不想他 劉半農先生作詞 趙元任先生作曲」というのを選ぶと、呉文修(1935年 台湾彰化県生まれ)という別名ウィリアム・ウーというテノール歌手の歌が聞かれます。

元洗足音楽大学教授だった方で西ドイツベルリン歌劇学院を首席で卒業したと伝えられています。

 

付記

「教我如何不想」は1960年に香港映画にもなりました。映画の監督は 易文と王天林です。

 

この心が本当ならば

陽一は、綾香と幼いころからとても仲良しでしたが、綾香を一度も女性として意識をしたことがありませんでした。ところが異境へ来てこの曲を思い出したとき、さびしくてふと断片的に思い出すのは、綾香の声やしぐさでした。陽一はこれは単にさびしさによる幻想なのだろうと思いながら曲を楽しんでいましたが、やがて、陽一は、自分がずーっと前から綾香が好きだったことに気付いて行きました。それで、今度休みに中国へ帰ったとき、綾香に会って、自分の気持ちを確かめてみようと思いました。……
(このお話はフィクションであり、実在のモデルなどはいません)

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2. シシシシシ 中国語は聞けばわかる言葉か

ときどき、日本の文章は、文字を見ればわかるが、話を聞いただけでは分からない。聞くだけでは分からないなんていうことばは世界でも日本語だけだなどという人がいます。

実は韓国語も日本語同様に「漢字仮名交じりの文」を「カナだけで言っている」ようなところがありますが、日本よりも音の種類が多いので日本語を仮名だけで記すよりもはるかにわかりやすいようです。

でも、韓国で「表音文字だけで混乱することはないのですか」とガイドさんに聞くと、たいてい「韓国語も同音異語が多いので、紛らわしいです。でも文脈で意味がたどれます」と答えてくれます。ただし、ガイドさんは概して観光客に心を開いてくれていますが、同じことを、みだりに一般の人に尋ねると険悪なことになるかもしれません。言葉は外国人にとやかく言われたくないと思った方がよいです。

「日本語って…だよね」と外人に何か言われるとあまり気分がよくないことがありますよね。

 

実は、中国でも、音だけでは分かりにくいこともあるのです。

以下は趙元任氏の書いた「语言大师赵元任的九十二字短文(語言の大先生である趙元任の92文字の短文)」という文章です。題《施氏食狮史》からしてシシシシシと読みます。以下本文も「シシシシシシシシシシシ……」と読みます。

 

语言大师赵元任的九十二字短文: 《施氏食狮史

石室诗士施氏、嗜狮、誓食十狮。施氏时时适市视狮。
十时、适十狮适市。
是时、适施氏适市。
氏视是十狮、恃矢势、使是十狮逝世。
氏拾是十狮尸、 适石室。
石室湿、氏使侍拭石室。
石室拭、氏始试食是十狮。
食时、始识是十狮、实十石狮尸。
试释是事。

 

読み

2. シシシシシ 中国語は聞けばわかる言葉か

ちょっとも面白いですね。字を見なければ、わかりませんよね。
わかります? シシシシシ……ですよ。まあ、こういうこともあるということです。
といっても趙元任氏が「中国語の表意文字化」の「反対派」だったということではないそうです。そういえば昔、日本で「日と火と碑と人」という題の演劇がありました、あまり関係ないけど。

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3. 「覆面算(教我如何不想他)」の解法 『キッズレーダー』から

ところで、この「教我如何不想他」が大流行したのを受けて、次のような数学典故「覆面算」が生まれました。あなたはうまく解けるでしょうか。

問題

文字を数字に変えなさい

[問題]

解法の方針

「他」を真っ先に仮にいろいろな数字にして、それに伴って「何」を決めます。
「他」が0のとき、「他」に限らず先頭には0になれないので不適
「他」が1のとき、「何」は7、すると、「想」×6=□7なので不適
「他」が3のとき、「何」は1、すると、「想」×6+2=□1なので不適
「他」が5のとき、「何」は5、すると、「想」×6+3=□5
「想」=2か7、
すると、(「不」×5+1=□5)か(「不」×5+4=□5)なのでいずれもできないので不適
「他」が7のとき、「何」は9。すると、「想」×6+4=□9なので不適
「他」が9のとき、「何」は3、すると、「想」×6+6=□3なので不適
「他」が2のとき、「何」は4、すると、「想」×6+1=□4なので不適
「他」が4のとき、「何」は8、すると、「想」×6+2=□8なので
「想」=1か6、
すると、(「不」×5=□8)か(「不」×5+3=□8)なのでできないので不適
「他」が6のとき、「何」は2、すると、「想」×6+4=□2
「想」=3か8、
すると、(「不」×5+2=□2)か(「不」×5+4=□2)なので、
「想」=3、「不」は偶数4か8

[解法の方針]

「不」×5+2=42なので、「不」=8
「如」×3+1=□2なので、「如」=7
「我」×2+2=□2なので、「我」=5
「教」+1=2なので、「教」=1

[解法の方針]

できたので、これでよいと思いますが、念のため
「他」が8のとき、「何」は6、すると、「想」×6+5=□6なので不適

答え 教1我5如7何2不8想3他6

別解

「他」を含みすべては0ではない。
「他」が偶数のとき(2、4、6、8)×7=(14、28、42、56)一の位が偶数になるので、
「想」×6+「十位の繰り上がり」=偶数なので、「他」は4か6
「他」が奇数のとき(1、3、5、7、9)×7=(7、21、35、49、63)一の位が奇数なので、
「想」×6+「十位の繰り上がり」=奇数なので、「十位の繰り上がり」は奇数(3)なので「他」は5
よってまず他の候補は「4か5か6」
(以下略)

答え 教1我5如7何2不8想3他6

以下略というのは、まず「他」の候補を4、5、6に絞り込んで、以下は本解と同じだから「以下省略」という意味です。念のため。

 

作詞 劉半農(1891-1934)

3. 「覆面算(教我如何不想他)」の解法 『キッズレーダー』から

文学者 語言学者 教育者
http://baike.baidu.com/view/82524.htm

 

作曲  趙元任(1892- 1982)

3. 「覆面算(教我如何不想他)」の解法 『キッズレーダー』から

語言学者 作曲家 数学者 物理学者 哲学者
http://baike.baidu.com/view/2029.htm

 

北京大学(北京市)と東北大学(遼寧市)の位置

3. 「覆面算(教我如何不想他)」の解法 『キッズレーダー』から

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4. 9月号の(宿題)の解答

では、9月号(宿題)の解答です。

問題

[問題]

右の図(ア)は1辺の長さが1の小さな正方形を三つ並べてできた図形です。

右の図(イ)は1辺の長さが4の正方形の1隅から、1辺の長さが1の正方形を取り除いた図形です。この図形は(ア)の図形を5個敷き詰めて作ることができます。また、下の図(ウ)は1辺の長さが5の正方形の1隅から、1辺の長さが1の正方形を取り除いた図形です。[問題]この図形は(ア)の図形を8個敷き詰めて作ることができます。

同様にして、今1辺の長さがaの正方形の1隅から、1辺の長さが1の正方形を取り除いた図を(ア)の図形を何個か敷き詰めて作ることができるかどうかを考えます。次の問いに答えなさい。

  • (1) aが1024のとき、(ア)の図形を何個か敷き詰めて作ることができますか、できませんか、理由をつけて答えなさい。
  • (2) aが1023のとき、(ア)の図形を何個か敷き詰めて作ることができますか、できませんか、理由をつけて答えなさい。

解法

  • (1) aがある数のできるとすれば、下図のようにそのAが2倍になってもできます。
    一方、aが2のときにできますので、aが2の累乗のときにできます。
    [解法]
    1024=2×2×2×2×2×2×2 ×2×2×2なのでできます。
  • (2) aが3の倍数の時、a2-1は3の倍数にはならないので、できません。

皆さんの解法では、ほとんどが
(1)はできる、1024×1024-1が3の倍数になるから。としていますが、これは説明として不十分ですから不正解です。
(2)はできない、1023×1023-1が3の倍数にならないから、としていますが、これは説明として十分ですから正解です。

 

間違えた人のなまえは省略しましょう。

 

aが3の倍数のとき、a×a-1 は3の倍数にならないのでできないのは当然です。1ピースが3のものを敷きつめれば、かならず3の倍数になるので、3の倍数でなければ敷きつめられません。これはいいのです。

 

一方、aが3の倍数でないとき、a×a-1は3の倍数になります。
(3の倍数)×(3の倍数)=(3の倍数)、(3の倍数)×(3の倍数)-1=(3の倍数)+2
→ aが(3の倍数)のとき、a×a-1は3で割って2余る数になる。4. 9月号の(宿題)の解答

 

(3で割って1余る数)×(3で割って1余る数)=(3で割って1余る数)
(3で割って1余る数)×(3で割って1余る数)-1=(3の倍数)
→aが(3で割って1余る数)のとき、a×a-1は(3の倍数)になる。

(3で割って2余る数)×(3で割って2余る数)=(3で割って1余る数)
(3で割って2余る数)×(3で割って2余る数)-1=(3の倍数)
→aが(3で割って2余る数)のとき、a×a-1は(3の倍数)になる。

さて、aが3の倍数でない整数のときには、a×a-1 はかならず(3の倍数)になります。
そうして、このような場合には経験的にかならず敷きつめられる……気がします、
しかし、「やってみればわかる」ということを思っていても説明にはなりません。これは少し難しいことなのです。

 

さて、aが3の倍数でない整数のときには、a×a-1 はかならず(3の倍数)になりますが、(3の倍数)になるときにいつも敷きつめられるかと聞いているわけではありません。

aが1024のとき、(ア)の図形を何個か敷き詰めて作ることができますか、できませんか、
と聞いているのですから、できるだけそれに即して答える方が楽なのです。
これができていたのは、「坂の上の猫」様だけでした。ほぼ私の解法に即した解法になっていました。

 

ところで、私の出題意図はそうですが、一方出題者の出題意図とは別に、問題自身に内在する問題意図のようなものを感じる事も多いかと思います。そういう意味で、もう少し一般性を込めた解答をしていただいたのは「算数好きの大学生」様でした。
以下は。「算数好きの大学生」様の解法です。

解法

(A)を2枚並べると次のように「2×3の長方形」ができる。

[解法]

右上の(4×4-1)のスペースは(A)5枚で敷きつめられ、他のスペースは「2×3の長方形」で敷きつめられるのでしきつめられる。

[解法]

この「問題」の「答え」としては「坂の上の猫」の方がよいと思いますが、一方、「坂の上の猫」の解答を見ても問題にもっと奥があるような、なんとなくすっきりしない感じが残るかもしれません。

そういう意味では「算数好きの大学生」様の解法によって、少し踏み込めたような気もします。

ここまでやっていただくと、

ある数aでできれば、それに6をたしてできる数を、新たな後継者aと考えると、次々にできることになる。

と気づいた人も多いでしょう。

aが1、2、3、4、5、6、7、8、…のうち、「1」と「3の倍数」を除いた整数を考えると、ある数aでできれば、それに6をたしてできる数を、新たな後継者のaと考えると、6ずつたしてもできることになります。

aが2のときできれば、aが 2+(6の倍数)のときできる。
aが4のときできれば、aが 4+(6の倍数)のときできる。
aが5のときできれば、aが 5+(6の倍数)のときできる。
aが7のときできれば、aが 7+(6の倍数)のときできる。

4. 9月号の(宿題)の解答

4. 9月号の(宿題)の解答

というわけで、aは(「1」や「3の倍数」)以外は全部できることがわかりました。
いま、「やっぱり、『a×a-1が3の倍数だから』でよかったじゃん」と思った人が多そうで心配ですが、「説明」は、「僕は知っているんだもん」とか、「やってみるとわかるじゃん」ではだめです。
たまに、塾の先生や本などで「これを計算すると、……」とか「これを数えてみると、……」と書く人がいますが、よほど誰がやっても明らかなときに限られていますので、それはよいのです。少し紛らわしいのかもしれませんが、疑問の余地のないような書き方を目指しましょう。
「坂の上の猫」様、「算数好きの大学生」様、ほかの皆さんの答えを突き合わせてみると、「ちょっと不十分な解法」、「ちょうどぴったりな解法」、「聞いていること以上だけど、使い道が広い解法」というようにちょうど期待通りのいろいろな答え方に分かれ、バランスのよいまとまりになりました。解答をお寄せいただいた皆さんにお礼を申しあげます。

では、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。