「1時方向、大規模集団、総数20オーバー、オール小型。3時方向、大規模集団、総数20オーバー、サイズ混成。8時方向、敵攻性部隊、総数8、飛行系中型魔獣4」
「班長、8時方向敵攻性部隊に新たに〈
霧猿鬼〉3体の存在を確認! 《霧隠れ》です! 戦力評価を2ランク引き上げるべきかとっ!」
「くそっ……本命を迂回させてきやがったか。ケダモノの癖に……っ」
錯綜する何名もの声。
彼らの周囲に敵は存在していなかったが、そこは確かに最前線の戦場であった。
人気MMORPG、エルダーテイルにおける、日本サーバー最大の戦闘系ギルド〈D.D.D〉。
彼らが今挑んでいるのは、
中隊規模戦闘と呼ばれる集団戦闘である。
通常エルダーテイルでは、最大6人でパーティを組んで戦闘を行う。
だが、挑むクエストが大規模で困難である場合のために、このゲームには
大規模戦闘と呼ばれるシステムが存在する。
その参加人数は、中隊規模戦闘の場合、24名。
自由度の高さと緻密なシステムのおかげで、6名での戦闘ですら、状況を把握して有機的な連携を行うには相当の熟練を要するとされているこのゲームである。
24名戦闘で効率的な部隊運用を行うことは至難に近い。
眼前の「
戦闘」には十全に対処できても、より大きな単位の「
戦術」、そして、大局的な「
戦略」まで勘案して動くことは、少なくとも一般的なプレイヤーには困難だ。
その問題を解決するために、〈D.D.D〉がとった対策が「頭脳の外在化」であった。
24名のプレイヤーたちが戦場の只中で「戦術」と「戦略」を考えながら「戦闘」を行うことが困難であるのならば、別の者がそれを担当すればいい。
戦闘はその場にいる者しか行えないが、戦い方を考えることは、そこにいない者でもできる。それが、彼らの発想だった。
念話システムによるリアルタイム音声通信と、魔法職共通の高レベル魔法である〈
広域生物探知〉による位置情報や状態の情報の共有により、戦場にいない「頭脳担当者」が戦場の状況を把握できるようにし、「戦術」「戦略」を判断して現場に伝達、戦場の「肉体労働者」は純粋に目の前の敵に集中できるようにする。
この「頭脳担当者」を、彼らは「
戦域哨戒班」と呼び、大規模戦闘には必ず随伴し、戦場から若干離れた場所から情報支援を行っていた。
当該部署の設置は、近代軍事活動における戦術データリンクを用いた効率的な指揮管理化と発想を同じくするものであり、見る人間が見れば、軍事的経験を積んだ玄人がその専門知識を趣味の世界へ大人気なくも持ち込んだものと思ったかもしれない。
「私語は慎みなさい。状況の説明を」
その部隊を統括するのは、まだ若い一人の女性だった。
キャラクターの造形は切れ長の目が涼やかな細身の体躯。
機能的なクロース・アーマーに身を包み、周囲の班員からの情報を分析する姿は、戦記小説の参謀の類を思わせる。
班員を諌める端的な言葉は冷静で鋭利。一片の甘さもない、抜き身の刃を思わせる声。
「っ。1時方向、3時方向の大規模集団の敵種別を確認。いずれも〈
緑小鬼の祈祷師〉を中心に<
緑小鬼>系エネミーだけで構成されています」
戦域哨戒班において、情報伝達中には謝罪の言葉も余計な言葉。
それを差し挟まない班員の返事に、女は鷹揚に頷いた。
「怯むな。想定の範囲内です。主力部隊はそのまま1時、3時の周辺部隊から殲滅。しかる後に8時方向に進軍。狙撃班は8時方向に攻撃開始。敵の侵攻を遅らせろ。遊撃班は8時方向に展開。20秒後、最近接状態になった回復班から回復支援魔術を受けた後に敵攻性部隊に突撃」
狙撃班のリーダーに念話を繋ぐと、女は事務的な口調で作戦を伝えた。
そして、僅かに口元を歪めると、念話を切る直前に、こう付け加えた。
「――狙撃班長。今回は貴方達の狙撃精度が中隊を救う。訓練通りの戦果を期待しています。以上」
鋼の女、とも呼ばれる〈D.D.D〉の影の立役者。
さまざまな情報を並列的に聞き取り、分析し、判断する即応性は、他の追随を許さない。
少なくないギルド外部のプレイヤーが想像したとおり、「
戦域哨戒班」の設置と活躍は、彼女がその専門的知識と経験を趣味の世界へ大人気なくも持ち込んだ故のものであった。
「ふふ」
思わず笑いが漏れる。
この程度の情報処理と統率は、実際に彼女が日々経験しているリアルと比べれば、あまりにも
容易い。
無意識の笑い声すら、班員たちに彼女への強い信頼を与える。
(……すげぇ。この状況で笑ってるよ。この人、実際軍人だったんじゃないでござろうか?)
(噂じゃ、外人部隊にいたこともあるとかいう話だぜ)
(アーミーMAJIDE!?)
(センパイカッコイイっ)
十全な経験に裏打ちされた判断と挙作。
ただし、それは彼女が、皆の噂するどおりに
現実で自衛隊や軍隊、傭兵といった軍事的経験を積んだゆえの能力ではない。
(……ひよこ組の子たちに目を配るのに比べれば、この程度の規模なら、敵味方の動きを把握して、対応策を練るなんて楽なもんですよね。あっちは行動の目的もパターンも
理解不能ばかりなのですから)
ただ、
幼児相手に日々奮闘する現役
保育士さんの、経験と勘によるものなのであった。
(あー。あの子たちも、こんなにお行儀よく行進してくれれば、運動会も楽なんですけど……)
進軍する味方の様子をモニターしながらため息をつく彼女の名は、高山
三佐。
(……それにしても、みんなが私のこと、怖がってる感じがするのは何ででしょう。さっき、キツく言い過ぎたかなあ。うう。集中してるとぶっきらぼうになっちゃうんですよね。気をつけないと。せっかく最近は可愛いあだなもつけてもらったり、徐々に親しまれてきたみたいなんですから!)
誰が呼んだか、ついたあだなは「
三佐」さん。
その理由が、プレイヤーの経歴に関する盛大な誤解にあることを、彼女は知らない。
まして、三佐が軍や自衛隊における参謀役を指す階級であることなど、軍事的知識が皆無のうら若き女性が、知る由もないのであった。