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 人気漫画「美味しんぼ」の東京電力福島第一原発事故をめぐる描写は、被曝の健康影響や風評被害、表現の自由など様々な論点をはらむ。その騒ぎのどこに注目し、どう評価するか。原発事故の足もとの福島県内で取材活動を続ける、朝日新聞記者のとらえ方も様々だ。

 ●政府は信頼の回復を

 東京電力福島第一原発事故による被曝(ひばく)の健康影響について3年間、記事を書いてきた。同じ記事にも「リスクをあおっている」「影響を過少評価している」と、両方の批判をもらう。低線量被曝の健康影響は科学的に解明されておらず、難しさを痛感している。

 ただし、鼻血が出るのは高線量の被曝の場合だけ。福島県では被曝の直接的な影響では鼻血は出ないと考える。

 だが今回の騒動で、安倍晋三首相や被曝医療の専門家が「正しい情報の提供」を強調するのには違和感がある。

 浪江町から郡山市郊外に避難している男性はいう。「多くの県民は被曝の安全性について自分の『物差し(基準)』を持っている。100ミリシーベルトの人も、1ミリの人もいる。政府も専門家も信じられないから、自分で悩みに悩んだ末に導き出した結論だ。今さら何か言われても変わらない」

 政府や専門家は、まず県民の信頼回復に取り組むべきだ。信頼なしには、どんな言葉も届かない。(大岩ゆり)

 ●閣僚の姿勢に違和感

 私は、東京電力福島第一原発事故による被曝(ひばく)で鼻血が出る可能性には否定的な立場だ。ただ、避難者らの被曝の影響に対する不安は根強く、様々な考えを持つ人がいることは事実だ。

 美味しんぼの表現には、「危険を吹聴し、風評被害を招く」との批判もあれば、「真実を語っている」との擁護論もあった。ツイッターなどで、感情的なやりとりも多く目にした。今回の騒動は、県民の間にある意見の対立や分断を改めて浮き彫りにした。

 この間に違和感を覚えたのは、閣僚の姿勢だ。「偏見を助長する」との相次ぐ批判や、「正しい情報を発信したい」とのアピール。県民に対立や分断が生まれた原因は原発事故にあることを、忘れ去っているように感じた。

 原発は国策民営で進められ、事故はその中で起きた。「事故が今も県民の間に深い分断を生んでいることには、国にも大きな責任がある」。国を代表する閣僚からは、まずそんな発言を聞きたかった。(小坪遊)

 ●子育て、夫婦で判断

 「福島市に転勤と聞いて、戸惑いはなかったですか」

 4月1日付で川崎市から赴任直後、あいさつ回りすると、必ず聞かれた。

 戸惑いがなかったといえばウソになる。2月に異動を告げられたとき、妻は妊娠6カ月。「子どもの体に影響出ないかな?」と放射線被曝(ひばく)への不安を口にした。低線量被曝には未解明の部分もある。生まれてくる子どもに余計なリスクを抱えさせたくない、と夫婦で話し合った。

 結局、妻が7月に里帰り出産した後、福島に子どもを連れて戻ることに。将来への見えない不安より、父親と離れて暮らす方が子どもにとってはかわいそうだと考えたからだ。

 放射線量を意識しなくなった矢先に「美味しんぼ」騒動は起きた。妻と再度話し合っ

たが、結論は変わらなかった。見えない不安にどう向き合うか、最後は親が判断するしかない。福島で子育てする難しさを夫婦で共有するきっかけになった。(鹿野幹男)

 ●問題は「長期低線量」

 漫画週刊誌の1作品に対し、国や政治家が一斉に非難する異様な事態だ。旅行取り消しが出たとか、福島大をやめたがっている学生が出たとか、真意がよく分からない報道もあった。

 私はすべてを読み、非難に値する作品とは思わなかった。見解が異なる方もおられよう。が、出版差し止めや作品撤回を求める議員や、教員の言動自粛を求める学長まで現れると、首をかしげてしまう。この人たちには公人・公権力としての自覚や自制、自由社会の基本的価値への理解はないのか…。

 風評被害を騒ぎ立てるほど雑誌は宣伝されて売り切れ、「不都合な風評」を広げてしまった。非難の合唱に参加した政治家の多くがかつては安全神話という風評を推進、県は事故後も被曝(ひばく)情報を隠そうとしてきた。加害性への反省も必要だ。問われているのは長期低線量被曝の健康影響の解明だ。高線量の急性障害ばかりをことさら説明して議論を混乱させている「専門家」にも気をつけたい。(本田雅和)  

 ●切実な反論 聞く耳を

 2012年4月に福島総局に赴任した。当初は被曝を心配して屋外でマスクをつけるなど、福島へのぼんやりとした不安が正直あった。

 今は違う。保育園の先生や高校球児に農家の方々。不安を抱きつつも放射線のデータと向き合い、県内で力強く生きる人々に会ったからだ。一部でささやかれるように「逃げる勇気がない」のではない。自ら調べた情報を元に様々なリスクを比較し、選択を重ねていた。彼らの中には、ことさらに悲劇性が誇張される一部報道や、ネット上を飛び交う「福島に人は住めない」といった言葉に違和感を覚え、反論している人もいた。

 今回の騒動でまず上がった批判には、そうした人々の声が含まれる。その後、自治体や国が一斉に抗議したからといって、人々からの切実な反論まで「言論弾圧」とひとくくりにはしないでほしい。権力監視は重要だが、それ以外にも目を向けなければ本質を見失うのではないか。(高橋尚之)