しかし第1戦の負けが響き、ベスト8はならず。
長さ1mに及ぶ手紙。
今から147年前に書かれたものです。
大発見と言っていいと思います。
つい先日坂本龍馬の直筆と新たに確認された手紙。
その発見は偶然からでした。
お宝がないのかっていうのを…お宝を探してるんですけども。
う〜わ〜超お宝出ましたよ!きっかけはNHKの番組取材班による街頭インタビュー。
たまたま出会った女性の家にそれは眠っていました。
う〜わ!出ましたよこれ!「坂本龍馬の手紙」!歴史の陰に埋もれていた新史料。
龍馬ファンのみならず一躍社会の注目を浴びる事になりました。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
いや〜驚きましたねえ。
「坂本龍馬の手紙」発見のニュース。
専門家の間では龍馬の生前最後の手紙ではないかとも考えられているそうです。
今宵はどこよりも詳しくこの龍馬の手紙を徹底検証。
知られざる幕末のドラマと新たな龍馬像に迫ります!日本の夜明けを信じ旧体制の徳川幕府打倒に奔走しました。
その活躍ぶりから豪放磊落のイメージもありますが意外にも筆まめ。
多くの手紙が今に残ります。
注意深く読み込んでいくと浮かび上がるのは人間龍馬。
最新の筆跡診断が明らかにする素顔とは?新たに発見された手紙。
文中に度々登場する言葉があります。
それは「三八」。
何かの番号?それとも暗号?そこには知られざる友情の物語が隠されていました。
幕府がその強大な権力を朝廷に返上した「大政奉還」。
日本の歴史的転換点となったこの直後龍馬は北陸福井へと向かいます。
今回発見された手紙には旅の全貌も記されていました。
龍馬は何を思い何を目指していたのか?まだまだ知らなかった坂本龍馬。
新発見の手紙から新たな物語をひもときます。
幕末に近づきつつあった天保6年。
33歳で暗殺されるまでの短い生涯はご存じのとおり近代日本への扉を開く事に費やされました。
坂本龍馬の業績や人柄を知る重要な手がかりの一つが手紙です。
まずは手紙から人間・坂本龍馬の本質に迫ってまいりましょう。
龍馬が書き送った多くの手紙。
歳月が流れるうちに持ち主が変わり現在では多くが博物館などに保管されています。
その宛先を調べると現存するものでは姉・乙女宛てが最多。
16通あります。
次に多いのは15通ある下関の豪商伊藤助太夫宛てのもの。
龍馬を資金面で支援した人物です。
手紙の内容は家族に近況を伝える私信から改革の同志への叱咤激励まで多岐に渡ります。
かなり特徴があると言われる龍馬の手紙。
姉・乙女に宛てたものを例に詳しく見てみましょう。
まずは冒頭の部分。
「べちゃべちゃ」や「ホホヲ」など…読み進むと更なる特徴が…。
以前「出家して山にこもりたい」と漏らしていた姉を引き止めようとする部分です。
龍馬は当時では珍しい話し言葉そのままで書いたりユーモアあふれる例え話を用いたりしました。
宮川さんは龍馬の手紙で最も多く使われた言葉は「はからずも」だったと言います。
「思いがけず」を意味するこの言葉。
たまたまの出会いや出来事に恵まれそれを生かして己の道を切り開いた龍馬をほうふつさせます。
内容もまたユニークな龍馬の手紙。
妻・お龍との新婚旅行について姉・乙女に報告した手紙をご覧頂きましょう。
現在の鹿児島県霧島連山を旅した様子が挿絵入りでつづられています。
旅の出来事を楽しげに伝える龍馬。
その描写にはつい引き込まれます。
ところでこうした手紙から龍馬がどんな人間だったのか見えてくるのでしょうか?番組では専門家に特別に分析をお願いしました。
森岡恒舟さんは警察などの依頼を受け延べ2万人以上の筆跡を診断してきたこの道の第一人者です。
織田信長や豊臣秀吉など歴史上の人物の筆跡も調査しています。
今回は新発見のものを含め5通の龍馬の手紙を分析してもらいました。
余白を残さず紙を埋め尽くす文字。
この事からは龍馬自身の旺盛な行動力情熱にあふれる人柄が読み取れるそうです。
更に…。
森岡さんによれば相手によって字の書き方を変えているという龍馬。
実際に家族目上の人そして友人に宛てた手紙を比べてみましょう。
注目したのは「事」の字。
姉・乙女宛では癖が強くかなり崩れています。
一方目上の人物に対しては楷書に近い正確な書き方。
友人宛てはその中間です。
書き方の違いが計算ずくか否か定かではありませんが龍馬は常に…気楽な手紙が多そうな龍馬ですがなみなみならぬ決意を示した手紙もあります。
土佐藩の重役後藤象二郎に送ったものです。
このころ龍馬は日本の改革を推し進めるために徳川幕府が持つ政治権力を朝廷に戻させようと考えていました。
手紙では土佐藩こそ幕府が政権を返上するよう説得すべきだと強く訴えています。
「あなたも私も死ぬつもりで事にあたろうではないか」と後藤に迫る龍馬。
この手紙を読んだ後藤は龍馬の覚悟を強く感じ取ります。
そして幕府との交渉に全力を尽くし大政奉還を実現させたのです。
ユーモアで姉を笑わせたかと思えば目上の者には強い言葉でプレッシャーをかける。
龍馬の手紙からは相手を文章だけで動かす優れた力がうかがえます。
そして今回新たに発見された手紙。
実はこれ「草稿」。
手紙文を清書する前の下書きでした。
日付など訂正した跡が多く見られ龍馬が手紙を書く時推敲を重ねていた事が分かります。
本文の隙間に書かれた小さい文字は内容の補足。
会話の詳細など細かな情報を付け足し状況がより伝わるよう工夫しています。
新発見の草稿から見えてくるのは大らかに見える龍馬の慎重で緻密なもう一つの側面です。
今に伝わる数々の手紙。
そこからは人間龍馬の姿が生き生きとよみがえってきます。
今回の手紙の発見によって龍馬の実像はより明確になりました。
まさに…ところで龍馬以外にも「幕末の志士」と言われる人物は大勢いますがその内の何人かもやはり直筆の手紙から人となりがうかがえるそうです。
まずは長州藩の桂小五郎後の木戸孝允から。
達筆で有名だったと言われ流れるような文字が一度もゆがむ事なく整然と並びます。
筆跡診断の専門家森岡恒舟さんによれば真面目で几帳面な性格が明確に表れているそうです。
さて続いては…。
薩摩藩西郷隆盛。
ご存じ西郷さんの手紙は果たして…。
その特徴は行間。
とても広く取られているそうです。
龍馬と比べるとご覧のとおり。
かなりゆったり書かれています。
この事から分かるのは「寛大で鷹揚な人柄」との事。
幕府を倒すという共通の目的を持ちながら全くタイプの異なる3人。
手紙からもその事をはっきり見る事ができます。
「歴史秘話ヒストリア」。
続いては新たに発見された龍馬の手紙を別の観点からひもといてまいりましょう。
今回見つかった龍馬の手紙。
文中しばしば出てくる言葉があります。
それは「三八」。
数えてみると登場する事実に6回。
一体何なのでしょう?文面の別の箇所にある「三岡八郎」という人の名前。
「三八」とはこの三岡八郎の名字と名前から一字ずつ取ったものです。
しかし龍馬はなぜこれほど多く三岡の名前を記したのでしょうか?手紙に隠された知られざる友情の物語をどうぞ。
文政12年。
龍馬が生まれる6年前。
三岡八郎は越前・福井藩に仕える武士の嫡男として生まれます。
幼い頃から机にかじりついて学問をするなんて大嫌い。
体を動かす武芸に熱中します。
特に得意だったのは槍。
実はこの三岡少年龍馬にそっくりでした。
龍馬もまた勉強嫌いでじっとしていられない性格。
そして剣術が大の得意。
土佐と福井お互い遠く離れて育ったものの持って生まれた資質はよく似ていました。
しかも二人には更に似通ったところが!
(三岡)何の役にも立たん学問やしきたりなどわしには必要ない!
(龍馬)肝心ながは実際に使えるかどうかぜよ!あらゆる物事を実用的かどうかで判断する現実的な考え方です。
例えばこんな逸話があります。
雨の中水泳の稽古を行っていた龍馬少年。
「稽古は晴れの日にするものだろう」と周囲がいぶかると……と反論したとか。
確かにごもっとも。
一方の三岡少年にも常識にとらわれず実用を優先したという話が。
それは自慢の槍にまつわるものです。
そこで槍の穂先の形を変える事を思いつきます。
普通穂先は細長く両刃の刀のような形。
三岡が考えたのは太めの円すい形です。
これなら深く刺さらず敵が倒れるとそのまま槍が抜けるので…思いついたら実行あるのみ。
三岡は早速オリジナルの穂先を作りより素早い槍さばきをものにしたとか。
考え方行動が極めて似ていた二人。
彼らは後に運命的な出会いを果たします。
日本中が欧米の先進文明に衝撃を受けたこの年…成人した三岡は武芸一辺倒の少年時代から一転全く別のものにのめり込んでいました。
(三岡)これからの世の中槍の名人より学問を究めた者こそ役に立つ!三岡がはまったのは学問。
それも「経済学」。
一体何があったのでしょう?実はこうなるきっかけを作った人物がいました。
それは横井小楠。
後に福井藩政治顧問となる人物で当時最も優れた政治家として全国に知れ渡っていました。
小楠が説いたのは極めて合理的かつ実用的な経済理論でした。
現代の経済政策にも通じる最先端の教えに三岡は魅了されたのです。
当時増大する出費にあえいでいた各藩では経済基盤の確保こそ最優先の課題となっていました。
三岡は小楠の「経済学」を学びながらそれを福井藩でいかに生かすかを模索します。
やがて経済通として知られるようになり財務担当の役職に任じられました。
悪化した藩財政の立て直しを期待されての抜てきです。
早速改革に着手した三岡。
その切り札は藩札。
すなわち紙幣の発行でした。
ただの紙きれに「藩の信用」という付加価値を付けお金として流通させる手法。
ねらいはこの新しいお金で産業と貿易を活性化させる事です。
するとこれが大当たり。
多額の貿易黒字を生み出しました。
この成功は三岡の経済家としての名声を不動のものとします。
それからおよそ3年。
開花した才能を存分に振るっていた三岡はある人物と出会います。
それは坂本龍馬。
龍馬も「経済による強い国づくり」という横井小楠の教えを実践しようとしていました。
龍馬の考えは「海軍」。
海軍力を背景に海外交易を発展させるという構想でした。
その実現のため福井藩へやって来たのです。
(龍馬)海軍を興すにゃあ金が要る。
進んだ考えを持っちょる福井藩に援助を頼んでみるがじゃ。
小楠の薫陶を受けた福井藩ならばきっと資金を出してくれる。
そんな思いがありました。
到着早々龍馬は海軍の必要性を熱く訴えます。
海軍を作るためには現在の日本の状況を理解している福井藩の助けがどうしても必要なのだと。
福井藩の財政は三岡のおかげで安定してはいましたが決して裕福なわけではありません。
海軍などという夢物語で金を無心するなど普通なら門前払いされるような話です。
しかし…。
(福井藩士)よろしい。
我が福井藩がお力添えいたそう。
なんと龍馬の依頼を聞き入れます。
一体なぜ?この時の詳細な記録は残っていません。
しかし援助の決定に藩の財政を担う三岡の後押しがあったであろう事は想像に難くありません。
龍馬は5,000両福井藩の年間予算にも匹敵する額の援助を獲得したとされます。
(龍馬)海軍が出来れば1つの藩の繁栄のみならず…。
(三岡)国全体が大いに潤う。
「実際に役に立つ事こそ大事」が信条だった2人。
初めての出会いですぐに共感できたのは運命の必然だったのかもしれません。
龍馬はこの福井行きで三岡と酒を酌み交わした事が記録に残されています。
この席で三岡は龍馬から次の歌を贈られました。
「日本のためならば命も惜しまない。
我々が心配なのは国の行く末なのだから」。
やがて激動へと突き進む幕末に出会った似た者同士。
この巡り合いが後の時代を日本を大きく動かしていく事になります。
運命的な出会いを果たした坂本龍馬と三岡八郎。
ご覧のとおり手紙で龍馬は三岡を「三八」と親しみを込めて呼んでいました。
改めて他に龍馬が書いたものを見ると龍馬は親しい間柄の人にユニークな呼び名を付ける癖のあった事が分かります。
例えば…あの仁王像の仁王さんです。
幕末の英雄も頭が上がらないほど怖かったようです。
更に龍馬にとって目上となる…この大げさな呼び名。
無論尊敬はしているものの少しからかってもいるようです。
そして龍馬は自分にもあだ名を付けています。
自分が書いたこの手紙の差出人の名はなぜか「ぬけろく」。
一体どういう意味なのでしょう?実はこの手紙龍馬の大ピンチ直後のもの。
龍馬は京都の旅館寺田屋で100人を超える幕府の捕方に襲撃されます。
この絶体絶命の寺田屋事件から見事抜け出した自分をちゃかしたあだ名が「ぬけろく」だったようです。
そして「歴史秘話ヒストリア」いよいよ本日のクライマックス。
今回発見された手紙から新たな幕末の真実が浮かび上がります。
日本の改革を志し道半ばに倒れた龍馬。
死の間際まで何を考えいかに行動したのか?新発見の手紙から龍馬最後の30日に迫ります。
ええじゃないかええじゃないかええじゃないか!このころ相次いだ天変地異や社会不安に人々は強く世直しを求めていました。
京都に逗留していた龍馬の耳にも人々の叫びは届いていました。
(龍馬)一刻も早うこの国をつくり変えんといかん。
この日龍馬が書いた手紙。
幕府との交渉役だった土佐藩の後藤象二郎に宛てたものです。
龍馬の切迫した気持ちが伝わります。
「何としても交渉を成立させてほしい」。
その強い思いを込めた後藤への脅しともとれる文面です。
果たして龍馬の願いは現実のものとなります。
手紙が書かれた明くる日の…260年余り続いた徳川幕府は政権返上を表明。
時代が大きく動いた事を世の人々に感じさせる出来事でした。
この歴史的転換を推進した土佐藩士や龍馬周辺の人々は無事事が済んだと歓喜します。
しかし龍馬は一人冷静でした。
早くも次なる展開に目を向け計画を立て始めていたのです。
大政奉還はあくまできっかけにすぎず優れた国家の組織を用意しなければ日本は生まれ変われないと考えていました。
この14日中に龍馬は何の役職を置きどのような人を任じるのか…龍馬は土佐藩後藤象二郎に依頼され以前にも訪れた福井藩に向かいます。
新政府づくりの根回しとして時の有力者福井藩前藩主の松平春嶽に会うためでした。
今回発見された龍馬の手紙はこの旅の詳細を後藤に報告するものです。
28日龍馬は福井に到着。
これは発見された手紙で分かった新事実の一つです。
今まで「龍馬は春嶽と面会した」とされてきたからです。
はるばるやって来たのに龍馬はさぞ意気消沈と思いきやそうではありませんでした。
もう一つひそかな目的があったのです。
それはあの盟友三岡八郎との再会。
しかし…三岡はこの時謹慎中で簡単に会える状況にはありませんでした。
藩を混乱させたという理由で罪に問われていたのです。
三岡は龍馬との出会いなどから日本を改革する必要性を痛感していました。
ところが賛同を得られず…その三岡との面会を龍馬は福井藩に懇願します。
龍馬のあまりの熱心さにけおされたのか2日後藩の許しが出ました。
龍馬の手紙にはこの時の様子も詳しく記されています。
龍馬!ハハハハハ!三岡さん!監視役の武士立ち会いの下龍馬と三岡は再会を果たします。
三岡は自分の置かれた状況を皮肉ってこう言いました。
わしは悪党じゃからなお目付け役がいるんじゃ。
逆境の身をふざけた三岡の挨拶に龍馬どころか監視役まで笑ったと手紙には書かれています。
三岡との面会を強く求めた龍馬。
実は旧交を温める事に加え別の理由がありました。
話は夜を徹して続きました。
次々と飛び出す三岡の独創的な財政案を聞くうち龍馬にはある考えが浮かびます。
新発見の手紙の終わりとなる部分で龍馬はこう記しています。
「金銀物産等の事を論じ候にはこの三八を置かば他に人なかるべし」。
新政府の財政担当は三岡をおいて他にありえない。
そう断じたのです。
三岡との会談を終えると龍馬は福井をたちます。
心よりの友情の証しでした。
再び京都に戻った龍馬。
龍馬は暗殺者の凶刃に倒れます。
日本の夜明けを夢みた男の早すぎる最期でした。
後に三岡は次のように語っています。
「龍馬が福井を去る時彼の写真を贈られたがある日それを無くして不吉に感じた。
その直後龍馬は暗殺されてしまった」。
心を通わせた者同士たとえ遠く離れていても不思議な縁で結ばれていたのかもしれません。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」最後は志半ばで倒れた龍馬。
そんなお話でお別れです。
龍馬が暗殺される直前に書き残した手紙。
したためられた思いは今なお輝きを失う事なく私たちの心を揺さぶります。
暗殺からひとつき後。
三岡八郎は龍馬最期の地京都に入ります。
このころ三岡は改名します。
新たな名は由利公正。
「公正無私を貫き生涯日本のために尽くす」。
そんな決意の表れでした。
新しい日本の発展に貢献しました。
晩年三岡は龍馬をしのび次のような歌を詠んでいます。
新しい日本を誰よりも明確に思い描きながら目にする事なく散った龍馬。
その無念を思っての歌です。
激動の幕末に新たな一面を加えた坂本龍馬の手紙。
それは理想を同じくする男たちの絆の強さを伝えるものでした。
2014/05/14(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「新発見!龍馬最後の手紙〜風雲児の筆が語る幕末の真実〜」[解][字]
先月報道された“坂本龍馬の手紙”発見のニュース。実はこの手紙、龍馬の別の一面、そして未来への構想を物語る。新発見の手紙をどこよりも詳細に解説、とれたて龍馬秘話。
詳細情報
番組内容
NHKの取材で偶然発見された“坂本龍馬の手紙”。それは暗殺の少し前に書かれたと推測される龍馬、最後の手記だった。書面は「大政奉還」直後、龍馬が越前藩(福井県)に赴き、誰と何を話したかが記され、龍馬だから語れる事実、新時代への展望などに満ちている。番組では今話題のこの手紙をどこよりもくわしく検証。ほかの龍馬の手紙とも比較しながら、龍馬の姿、そして幕末動乱の最終コーナーで起きていたドラマをお送りする。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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