知恵泉スペシャル 敗者に学べ!▽歴史に消えた敗者たち 彼らはなぜ負けたのか 2014.05.18

今日の「知恵泉」は45分拡大版。
ちょっと変わった趣向でお届けします。
日本史を彩る英雄たち。
彼らは人生を決定づけるさまざまな局面で知恵を絞り英断を下した事で勝者となりました。
しかし勝者の裏には必ず敗者がいます。
とはいえ敗れた彼らが必ずしも愚かだったわけではありません。
例えば古代絶大な勢力を誇った豪族蘇我氏。
蘇我氏の族長入鹿天皇に取って代わろうとした逆賊として中大兄皇子らの手により暗殺されます。
敗者となった蘇我氏。
しかし近年の研究では蘇我一族は公共事業や外交政策など国家に大きな貢献をしていた事が明らかになっています。
そして平安時代末期武士による初めての政権を実現した平家も源氏によって滅ぼされ敗者となりました。
平家は悪いイメージが定着しています。
しかし頭領平清盛は長らく断絶していた中国との貿易を再開させ国内の経済を活性化させるなど多くの功績を残しています。
高い能力を持ちながらなぜか敗者となった人々。
この「知恵泉」ではいつも勝者の知恵を取り上げてきましたが今日はあえて負けた人物から学びます。
今回のゲストは…・「恋するフォーチュンクッキー!」・「未来はそんな悪くないよ」アイドルグループAKB48の総合プロデューサーとして独創的なアイデアを次々と生み出しています。
しかしその攻めの姿勢は時に大きな失敗を招いたと言います。
秋元さんは失敗をどう乗り越え成功につなげてきたのか?今回は古代から近世までさまざまな時代の敗者を取り上げます。
彼らに共通する要因はあるのか?そして負けないための知恵とは?今回は敗者のお話。
秋元さんはやっぱり世間的なイメージでいうと時代の勝者というふうに見られてると思うんですがこういったイメージについては…。
そんな事ないですよ。
いやいやそうですよ。
(石井)そう見えてますよ。
よく「ヒット曲がいっぱいありますね」と言われるんですが氷山の一角なんですよ。
そこの下にはいっぱい当たらなかったものとか埋もれてるものがいっぱいあるんですよ。
例えば「これ失敗したな」と具体的には何かありますか?オスマン・サンコンさんの「アフリカの女」とか。
(笑い声)そういう曲があるんですね?全然売れなかったですけど。
ダチョウ倶楽部の「ダチョウ音頭」とか。
聴いてみたい!清水アキラさんの「お金ちょーだい」とか。
タイトル面白いのがやっぱ多いですね。
でも僕らの仕事っていうのは売れたから成功で売れなかったから失敗とかではないですね。
秋元さんの中ではオスマン・サンコンさんの歌は失敗ではないと。
レコード会社的には失敗敗者っていうふうに僕は言われちゃうのかもしれないんですけども僕の中では好きな歌の中に入るんです。
それで今回のテーマは「敗者に学べ!」。
敗者から学ぶ知恵という事なんですね。
今回特に一人に絞らずに日本史全体の話をできればという試みなんですよ。
大きなテーマですね。
そうなんです。
いらっしゃいませ。
(本郷)どうもどうも。
(石井)あぁどうも〜。
お二人の専門家の方にお越し頂きました。
実はね職場の同僚でいらっしゃるんです。
こちらは日本史の近世史が特にご専門でいらっしゃいます東大の山本先生でいらっしゃいます。
山本先生もう3回目のご来店になりましたね。
ついこの前もお会いしましたよね。
そしてお隣が現代アイドル史が専門AKB48を研究していらっしゃいます本郷先生でいらっしゃいます。
(本郷)一応日本中世史。
今のは冗談です。
日本中世史がご専門の東大の本郷先生でいらっしゃいますがお二人そろって日本史を研究されているという事なんです。
今回みたいに敗者から学ぶその意義というのは山本先生はどういうふうに?いろんな要素があるけどとりあえず勝ってると。
勝者であってもすぐに敗者になる事もありますし。
だから敗者に学ぶ事によって我々の知恵がつくといいますかなぜ失敗したのかっていうのがよく分かるという事なんですね。
敗者なんて紙一重でしょ。
運が向かなかった人いっぱいいますよね。
だって明智光秀だってうまくいけば勝ったかもしれない。
だからそれを分析するというのはとっても面白いしそれから勝者を研究するのと同じぐらい価値があるんじゃないかなと思いますけどね。
ちょっと今日はこういったものをご用意してみました。
ちょっと珍しいものですよ。
(石井)何ですか?これは。
これはですね鹿の肉を干したものそれからかもの肉を干したもの更にはさざえをウニであえたものなんですね。
実は全部古代の日本で食べられていたのではないかという食べ物なんですね。
(石井)お肉食べてたんですか?そうなんですよね。
仏教が入る前というのは…。
古代人はでかかったんです。
古代人からず〜っとだんだん…背が低くなって江戸時代人が一番ちっちゃかったんですよ。
逆に古代の人たちの方がこういうの食べて大きかった。
(本郷)肉食べてたから大きかったんですよ。
最初にご紹介するのはその古代その古代の有名な敗者あの人。
なぜ失敗したのか見ていきましょう。
奈良県明日香村。
日本がまだ倭国と呼ばれていた7世紀都が置かれていた場所です。
ここで大事件が起こります。
絶大な勢力を誇った豪族蘇我入鹿が天皇に取って代わろうとした逆賊として中大兄皇子たちの手により暗殺されたのです。
これ以後蘇我氏は没落します。
敗者となった蘇我氏。
一体どのような歴史をたどった一族だったのでしょうか?もともと国の財政管理をつかさどっていた蘇我氏。
天皇に娘を嫁がせるなどして次第に強大な権力を握っていきます。
一族は大きな特徴として代々鋭い国際感覚を持っていました。
繁栄の礎を築いたのは入鹿の祖父馬子です。
6世紀後半馬子はあの聖徳太子と共に大きな事業を進めます。
仏教によって国をまとめようというねらいでした。
更に大陸や朝鮮半島で信仰されている仏教を取り入れる事で倭国を文明国としてアピールする目的もありました。
仏教は最先端の土木建築技術ももたらしました。
馬子は日本初の仏教寺院飛鳥寺を建立します。
当時は現在の20倍の広さ絢爛豪華な伽藍は大陸からの使者をも驚嘆させたといいます。
馬子は国の威信を見せつける…馬子の跡を継いだのは息子の蝦夷。
蝦夷は馬子の路線を引き継ぎ外国との交流を積極的に推し進めます。
618年中国に統一国家唐が成立しました。
その情報に鋭く反応した蝦夷は遣唐使を派遣する事を決定。
唐の脅威から倭国を守るため友好関係を築きます。
優れた外交手腕を持っていた馬子と蝦夷。
それは蝦夷の息子入鹿も同じです。
入鹿は若い頃から秀才で知られていました。
「入鹿に並ぶ者はいない」と絶賛された記録が残っています。
入鹿は実権を握ると朝鮮半島に対する外交政策を変更する事を決めます。
それまで倭国は特に百済と密接な関係を結んでいました。
642年百済が新羅に侵攻した事で事態は一変します。
新羅は大国唐と同盟を結んでいました。
このまま百済との関係を重んじれば唐の脅威にさらされる。
そう考えた入鹿は新羅とも国交を結び等距離外交を進めました。
鋭敏な国際感覚によって大局的な見地から国の政治を主導した蘇我氏。
しかしそんな彼らに対し反発する勢力がありました。
2人は共謀し入鹿の暗殺を企てます。
特に中大兄皇子には強い動機があったと言われています。
それは皇位継承問題でした。
当時次の天皇候補として最も有力だったのが中大兄の兄古人大兄皇子でした。
その母が蘇我氏の出身だったため入鹿は古人大兄を推していました。
中大兄はこれを阻止したいと考えていたのです。
更に外交においても中大兄は入鹿と対立していました。
中大兄は百済との関係が深く新羅との外交を進めた入鹿はこの点でも排除しなければならない存在だったのです。
こうして暗殺は決行されました。
入鹿は死の間際にこう叫んだといいます。
従来の価値観を転換させ国を発展させようとした蘇我氏。
しかしその思いは無残な形でついえたのです。
いや〜ちょっと…悪い人ってイメージでしたよね。
そうそう。
これ実はそうじゃなかった。
昔の考え方だと蘇我氏というのは天皇の位に取って代わろうとしたそういう反逆者であるという。
だから殺されたんだという考え方だったんですがだんだんその史料の分析が進んで必ずしもそうではないと。
当時の国際関係に対する路線の違いとかですねあるいは中大兄皇子の権力欲これが入鹿が邪魔になったという事で殺したのではないかとそういう考え方もですねかなり有力になってるんですね。
蘇我氏に対しては再評価が行われてるという事ですか?そういう事ですね。
先見の明がある蘇我氏ですが何で殺されるまで恨まれなくちゃいけなかったんですか?何ていうのかな…人と違う事やるというのは恨まれるんですよ。
要するに既得権益とか持ってる人はいるわけですよね。
だからそれを否定してしまうとあんまり露骨に否定してしまったり急いでそれをやり過ぎちゃうと駄目なんでしょうね。
出る杭はだからうまく出ないとポンポコたたかれる。
日本…だって「炎上」って言葉があるじゃないですか。
ちょっと先進的な事言ったり何かとがった事言うとインターネット上とかでもわ〜って言っちゃうっていう国民性はあるかもしれないですよね。
僕今のVTRの中の最後の「何の罪があるんだ」というのに全てが込められてますよね。
つまり出る杭というのは…同じだと思ってるのにでも周りから見ると「あいつがちょっと出てるよな」と。
でも多分出てる側の入鹿の方は「全然何にも普通なのに何か罪があるのか」というふうに最後無念の思いを漏らしたんじゃないですか。
どうなんですか?先生。
歴史上蘇我氏のようにですね開明的でありながらピッととがっているような感じで結果的に敗者になってしまった別の例ってあるんですか?平家はそうですよね。
要するにまさに海外派。
海外と取り引きをしようという。
だから国を開く方向で頑張ったのにだけど国を閉ざす方向の源氏にやられちゃったとかね。
そういうのあるんですよ。
杭が出てる事が自覚できないとまずいんですよね。
だから例えば平家の一門だけが栄えちゃうわけでしょ。
だからそこでちゃんと周りに気を配ってそれなりのポストをみんなに与えるとか軍事的なライバルである源氏を処遇してお金をあげるとかそういう事をしていけばなんとかなったんでしょうけど一人で栄えちゃうとやられちゃうんですよね。
江戸時代でいえばですね田沼意次はその典型ですよね。
彼は長崎貿易にも力を入れますしえぞ地の開発もやろうとするわけですよね。
これは今後の日本を考える場合はそういうふうな事で国富を増やしていくというのは重要な事ですけども保守的な松平定信とかそういう勢力によってかなり批判されてついには将軍を毒殺しようとしたみたいなそういうぬれぎぬを着せられて失脚するわけですよね。
例えば今までの歴史上の人物を先生方に伺うとやっぱり先見の明と政治力が両方を兼ね備える事はまずないんですよやっぱり。
つまり10年先20年先の事を考えつつ今隣にいる人たちをどうやって抑えながら言う事を聞かせるかっていうその政治力をね両方兼ね備えてるのは無理だと思うんですよ。
(本郷)大体補佐役がいますね成功してるのは。
例えば豊臣秀吉には秀長がいるとかそういう形で。
逆に言うと天才ってみんなに分かってもらえないわけじゃないですか。
その人の事をみんなに知らせる官房長官みたいな人が必ず必要なんでしょうね。
そもそも何で日本人は変革を嫌うのか?歴史的に見たらどうなんですか?日本人は和を大切にするというのがあってその和というのは要するに何か変わった事をやるとか飛び抜けた人がいるとかそういうものはあんまりいい事ではないというふうな何ていうかなメンタリティーってあるんじゃないでしょうかね。
アメリカなんかどんどんトップに走っていく人間を英雄として拍手するようなところありますね。
日本人の場合はそういうのは何かちょっとうさんくさいんじゃないかとか悪い事してるんじゃないかという目で見られがちなんですね。
ほんとにうまくいった人はいいですけども多くの人はそこでちょっとした失敗を取り上げられて結局引きずり下ろされるって事結構目にしますよね最近でも。
僕も出る杭にはなっていきたいと思うんですけれども今日は「出る杭でありながら打たれずにいけるような知恵」というのが何かないかと思って皆さんに書いて頂きたいと思っているんですよ。
(石井)出る杭でありながら打たれずうまくやっていく。
そのまま伸びていけるような知恵がないかなと思ってね。
これ結構難しいですね。
難しいですね。
まずはですね本郷先生から。
はいこれ。
「友だちの輪」。
これしかないんじゃないかと思う。
というのは自分で面白い学説を出した時に友達いないと「あいつ駄目だよな」と言って最初から相手にされないじゃないですか。
だけど友達がいると褒めてくれるんですよね。
だけど僕友達いないから駄目なんです。
それはまた後でちょっと相談しましょう。
じゃあ山本先生にお伺いしましょう。
これしかないでしょうね。
「低姿勢」。
僕も「腰を低く」。
今の山本先生とつながりますね。
つながると思います。
どうしても出る杭っていうのは自分が正しいと思ってますから知らず知らずのうちに高圧的になったり唯我独尊になったりするんですね。
だからあくまでそれを自覚して低姿勢でいないといつも他人の視線は自分に刺さってくるという事ですね。
でも例えば偉くなった時に低姿勢だとカリスマ性がなくてついてこないという事はないんですか?それが難しいとこですがしかしこれだけカリスマ性のある人が自分に対しては低姿勢でやってくれたというとやっぱりそれに忠誠心…。
ありがとうございます。
では秋元さんよろしくお願いします。
「すべては海の杭」と。
(本郷)やっぱり詩人だな。
出る杭出る杭って言ってるけどもそれはね海面の高さしだいだと思うんですよ。
ある時はビューッとなれば杭が出てるように見えるしある時は海面が高くなれば杭は見えないんですよ。
そんなの時の流れなのでその出てる杭がこれは続かないと。
(本郷)自覚してるわけですね。
つまり僕はずっとねヒットとか流行とかを見てきてずっとそこに身を置いてるとないんですよ永遠にヒットするものは。
ヒットはもしかしたら狙えるかもしれないですけどスタンダードは狙えないですよ。
結果でしかないんですよ。
だからそれを自覚してれば偉そうにもならないしすごいとも思わないし。
多分勝者たちはみんなこの俺の杭は絶対ずっと出続けてるんだろうと思ったところじゃないですかね。
勝ちというのはやっぱり一瞬であって「すべては海の杭」だと。
こうやって敗者になった蘇我氏なんですけれども実は単に敗者になっただけではなくて我々が持っていたような悪人というイメージをね後世に至るまでつけられてしまった。
どうしてこんなイメージがつけられたのかこちらをご覧下さい。
蘇我氏が滅んだあと8世紀に編纂された歴史書「日本書紀」。
ここには蘇我氏を天皇に刃向かった傲慢な一族として描く記述が随所に見られます。
「八」とは8人8列の事。
つまり64人の踊り手による壮麗な舞で中国から伝わりました。
この規模の舞を催せるのは当時天皇にのみ認められた権利でした。
「日本書紀」は蘇我氏が臣下にもかかわらず天皇の特権を犯して舞を挙行したと糾弾しているのです。
またこのような記述もあります。
甘樫丘とは天皇の宮殿板蓋宮を見下ろす丘です。
宮殿よりも高い位置に邸宅を建てしかも「宮門」と名付けた。
「日本書紀」は蘇我氏が自らを天皇よりも上の存在と考えていたとしているのです。
ところが近年研究者たちの間でこれらの記述に疑念が持たれています。
「日本書紀」に修正の形跡が多く見られるというのです。
例えば「巻二十四」。
この巻は唐から来た中国人学者が記述したとされています。
この中に中大兄皇子が入鹿を殺害した時その正義を叫ぶ部分があります。
ところがこの漢文には中国人の学者が犯すはずもない文法上のミスがあります。
「天孫」と「鞍作」の位置が逆なのです。
これは後世中国語の不得意な日本人の手によって記述が書き換えられた可能性を示唆しています。
またあの「八の舞」の記述にも疑問が呈されています。
蝦夷の時代舞はまだ大陸から伝わっていなかったと考えられるのです。
更に入鹿が天皇の宮殿を見下ろす位置に建てたという甘樫丘の邸宅。
近年の発掘調査では武器庫や兵舎と思われる遺構が発見されています。
そのためこの邸宅は単に一族の権勢を誇るためのものではなく外敵から都を守るための要塞施設として公的な役割を担っていたと指摘されています。
古代史を研究する遠山美都男さんも蘇我氏が独断で甘樫丘に邸宅を建てるのはこの場所の来歴から考えて不可能だと言います。
実際はですねこの甘樫丘というのはそもそも盟神探湯というですね神様を裁判官にした裁判そういうものが行われるような神聖な丘だったんですね。
そこに一臣下である蘇我氏がですねそんな簡単には邸宅を営む事はできないわけで恐らくこれは天皇家が許可を与えてですね蝦夷と入鹿蘇我氏にですねこの邸宅を営む事をこれは許したんであったと思うんですね。
殊更蘇我氏の横暴ぶりを描く「日本書紀」。
それは「日本書紀」の成立過程に理由があると言われています。
(遠山)蘇我氏を自らの手で討った中大兄皇子。
この人は後に天智天皇となりまして大変な偉大な天皇として賛美されていくんですよね。
そうなりますとね天智天皇のお手討ちに遭った者というのは王権とか王朝の存立を揺るがすようなそういうふうな悪い事したと。
そうに違いないという事でそのような話が作られていったんだと思うんです。
それは全部「日本書紀」が作ったものであってですね実際とは違うという事ですね。
蘇我氏を討った中大兄皇子の正当性をうたい更にその功績を賛美するため蘇我氏は殊更悪人に描かれました。
これは他の時代にもよく見られる事です。
源氏に敗れた敗者平家。
彼らも後年その悪人像がつくられたと言えます。
平家の頭領平清盛は瀬戸内海の航路を開き長らく途絶えていた大陸との貿易を再開させるなど先進的な政策に取り組みました。
しかしその功績にはあまり目を向けられる事はありません。
その原因の一つが「園精舎の鐘の声」で始まる「平家物語」。
平家が滅びたあとの鎌倉時代に成立しました。
「平家でなければ人ではない」。
「平清盛の傲慢さは言葉に表せないほどだ」。
ここでは先進的な取り組みは描かれず傲慢な側面ばかりが強調されました。
やがて「平家は悪人」のイメージが定着していったのです。
「忠臣蔵」の吉良上野介も同じです。
赤穂藩主浅野内匠頭をいじめた悪者という印象ですが吉良の領地三河では新田開発や堤防の建設を進めた名君として知られていました。
そんな吉良の評価は浅野家の家臣たちの討ち入りによって一変します。
事件は世間で大評判となりたちまち歌舞伎や浄瑠璃に仕立てられます。
赤穂浪士を賛美したい観客のニーズを受けて劇中で吉良は典型的な悪人に描かれました。
御免!おっ…。
殊更悪人と断罪される敗者たち。
彼らは反論する機会を失ったまま負けたという以上の重荷を負わされ歴史に消えていったのです。
つくられた悪者イメージ石井さんどう味わって頂けましたか?それは勝者が書くわけですもんね。
こういう事起こりうりますよね。
何かこう…別れたカップルが自分にも原因があるのに友達に話す時に彼氏が全部悪いんだみたいに言う時誰かに言う時って絶対自分に都合のいいように話しますもんね多かれ少なかれ。
そして入鹿が殺された時にそれまであった歴史も消去されたと…。
それまで「天皇記」とか「国記」というのがあったんです。
それは蘇我氏というのは一番の家臣ですから彼がそれを編纂し持ってるわけですね。
それが蝦夷が自害した時に一緒に焼けてしまったと。
だから古い形のものそれが残ってればですねそれと「日本書紀」を対照して研究ができるわけですがそれがもう燃えてしまったと。
だからその古い形のは何かというのを究明していくのが古代史家の今の任務というか仕事になってるわけですよね。
中世史家はねやっぱり鎌倉幕府が編纂した「吾妻鏡」という「日本書紀」に匹敵するような本があるんですけどそれはもう最初から恐らく北条氏びいきで書いてるなとそういう事を考えながら読むんですよ。
だから古代と中世っていうのは情報量がもう違うんですね。
だから中世の方は情報がいっぱいあるので「吾妻鏡」だけに頼ってると大変な事になるぞっていうのは最初から分かってるしそれからいろんな情報でそれを明らかにできるんですね。
古代史はそういう意味では「日本書紀」に頼るしかないというとこあってその点研究が難しいかもしれません。
今の話を聞いていくと歴史書とか史料に書かれた事ってうのみにできないですよね。
(山本)そうですね。
日本人って大勢の意見の方に流されやすいというか疑い持たずに「みんながいいと言ってるんだからこれがいいんだ」となりがちな国民性というかそういったメンタリティーありそうですもんね。
だから今まで疑ってこなかったわけですもんね僕らもこういう事を。
(山本)そうですね。
やっぱり大衆の思いっていうものが時代を動かしてる事は間違いないと思うんですよね。
つまりこういうふうであってほしいという事になるんですよ。
多分それがこういう人なんだろうって事が伝承されるうちに変わっていくんだと思います。
他にも歴史上で実はそんなに負けてないのに「悪人だ」みたいなふうになった人いるんですか?山本先生。
石田三成なんかはその典型ですよね。
彼は豊臣政権の中央集権化を進めて秀吉が亡くなったあとはその息子の秀頼に政権を執らせようとして家康と対立するわけですよね。
でも関ヶ原で負けてしまってそのあと徳川政権が出来るわけですから家康が正しかったという事にするためには三成が悪くないと駄目なので。
徳川家としてはそのあと秀頼まで滅ぼしてしまってるわけですから。
自分の主人だった。
そういう面では後ろめたいものだから余計に殊更に三成の失敗というか行動というのを悪く描いたんですね。
そうなると教科書に出てる石田三成の絵とかも悪そうな顔してるなと。
(石井)あれ見えてきちゃうんですよね。
だから勝者と敗者ってのはそんなに屹立したような絶対的なものじゃないという事をもうちょっと分かったうえで考えるっていう事は大事なんじゃないかなと思いますけどね。
後世の人に好き放題なイメージつけられないためにどうしたらいいですかね?やっぱりほんとは書物で残った時に「
(勝者編)」とかって。
それを入れれば誠実なやつだなと勝った方もね。
お話も盛り上がっておりますけれども今日はですね敗者から学ぶ知恵失敗から学ぶ知恵というのを見てまいりました。
皆さんにもですね最後に「負けないための知恵」どんな事が挙げられるのかまた書いて頂きたいなと。
負けない知恵?
(石井)「負けないための知恵」。
ここまで学んできてじゃあどうすればいいのかという事にお答えを頂きたい。
ではまず石井さんから見ていきましょう。
負けないためには「たくさん負ける」。
小さい負けを積み重ねておくみたいな。
いっぱい負けを経験しておくといざここは負けられないって時に負けない知恵がついてるんじゃないかその時にと思ったんです。
なるほど。
じゃあ本郷先生。
「1.5歩先に行く」っていう。
2歩行っちゃうと行き過ぎて足を引っ張られる。
1歩だと先に行けない。
だから1.5歩ぐらい先に行くとちょうどいいかな。
さあ山本先生は?「信念を貫く」。
最初はですね「信念にこだわらない」って書こうとしたんですね。
信念にこだわるとどうしてもそういうこだわりによって固定観念が出てきて負けてしまうという事があるのでそうしないと駄目なんですがしかし負ける時はどんなに正しくても負けるんです。
でも負けると分かってもやらなきゃいけないんじゃないかという感じがするのでそういう意味では信念を貫いてもう自分の評判なんていうのは後の人に委ねると。
こざかしい事を考えずに信念を貫く。
これしかないんじゃないかなと。
(石井)かっこいい。
さあそれでは今日の最後に秋元さんに教えて頂きましょう。
僕はですね「勝敗は100年後」というのにしたんです。
ほんとは「勝敗はCMのあと」にしたかったんだけど。
CMがないので。
勝敗の結果は100年後なんだと常にね。
つまり勝敗というのは僕らの生活でもですよ僕らの生活でもしも勝負事…それは仕事なり何なりであった時に例えばここで勝ったか負けたかで人生が大きく変わってしまうと思うと人間なかなか勝負にいかなくなるでしょ。
でもここで負けても結果は100年後だから大した事ないと思えばどんどん勝負出ていくと。
つまり一番大事なのは僕はね打席に立つって事だと思うんです。
だからどんどんどんどん負けていこう勝っていこう引き分けになっていこう。
でもそのトータルはまだまだずっと先に評価されるからこの歴史の歴史上の人物を見ても後にいい人だとか悪い人だとか語られると思ってないですよね。
(石井)そうでしょうね。
失敗したからといってしょんぼり長い間寝込んでても駄目…。
全然だってもう…。
その時間はもったいないですね。
もったいないです。
もう100年後ですから。
ほんとに今日はおなかいっぱいになるまでいいお話を聞かせて頂きました。
今日の締めにね実はあるものをご用意したんですよ。
ちょっとねボリュームのある一品なんですがさあご覧下さい。
これを食べて明日への活力にしてみんなで勝っていきましょうよ。
うんおいしい。
「腹が減っては軍はできぬ」。
そういう事ですよ。
最後のオチだけのためにこれだけ全力で作ってくれてうれしい。
発見新事実感動の物語。
歴史にまつわる熱い動きがあるところ井上二郎の姿あり。
歴史の現場を見逃しません!という事でやって来ました。
静岡県伊豆の国市にありますこちら韮山反射炉です。
本日ご紹介するのは幕末に造られた韮山反射炉。
今世界文化遺産への登録を目指しています。
今年1月政府は「明治日本の産業革命遺産」として日本の急速な産業化を支えた製鉄鉄鋼や造船石炭産業の施設をユネスコに正式に推薦しました。
韮山反射炉もその一つ。
一体どのようなものでしょうか?反射炉…言葉は聞いた事あるんですけども何でまた反射なんですかね?
(橋本)いい質問ですね。
この方決して怪しい人ではありません。
伊豆の歴史を研究している橋本敬之さんです。
皆さん光を反射させるってイメージあると思うんですけども…炉の内部の構造です。
石炭などを燃やし熱をドーム状の天井に反射させ一点に集中させます。
それによって鉄を溶かすのです。
(橋本)そこの穴が見えますでしょ。
あそこから溶けた鉄が流れてくるんですね。
ここは土が置かれてまして鋳型があるんですね。
何の鋳型ですか?この鋳型はなんとあれですね。
大砲を造ってるんです。
え〜!反射炉の技術の結晶がこの大砲。
溶かした鉄は鋳型に流されひとつき以上かけて大砲に加工されていきました。
ここは反射炉を中心とした一大製砲工場だったのです。
その建造を指揮したのは地元伊豆韮山の代官江川英龍。
嘉永6年1853年のペリー来航で国の備えの重要性を強く感じ韮山反射炉を造りました。
参考にしたのはかねてから研究していたヨーロッパの鋳造技術。
オランダの技術書を基に試行錯誤を重ね本家さながらの反射炉を造り上げました。
実際に大砲を製造していた反射炉で現存するのは国内でここが唯一。
その価値が今改めて見直されているというわけです。
江川英龍とはどんな人物だったのか?今も残る生家を訪ねました。
ここに当時の英龍の危機感を物語るものが残されています。
代官として治めていた伊豆周辺の地図です。
これず〜っとですね…中ないです。
富士山はありますけど。
当時は空軍ありませんから海軍だけですよね。
常に外からの外圧というのを意識してたという事を物語るものなんですね。
…と感心するのはまだ早い。
なんと英龍日本中の沿岸地図を集めていました。
その全ての地図はこの部屋にはとても収めきれませんでした。
英龍が見つめていたのは海の向こう側だけではありません。
こちらは代官の仕事の合間に描いていたというスケッチ。
何気ない庶民の暮らしがユーモアを交えて描かれています。
英龍は庶民の生活をよく見ていたんだと思います。
要するに庶民が幸せになる事を願ってたんだと思うんですね。
ですのでこんな大笑いをしてる絵とかですね。
更に英龍こんなものも作っていました。
何だろう。
何ですか?これパンなんです。
パン?いただきます。
正直イマイチでございますね。
ボソボソしてますよね。
ボソボソしてますねそうですね。
それボソボソしちゃってるんですね。
というのは水分とばしてるんですね。
このパン実は兵糧として作られた乾パンのようなものなんです。
英龍はヨーロッパの陸軍に倣いパンを携帯食に用いる事を考えます。
パンの製法を長崎から導入し兵糧に適したパンを作り出したのです。
日本では昔は干飯っていうのを使ってましたよね。
それをお湯を沸かして戻すんですね。
そうやって食べるとやっぱり時間かかりますしそれから煙が出ますね。
これだとそのまま食べられますね。
先ほどの反射炉もこういったパンに至るところも外国から攻められちゃいけないどうやって守るんだという根っこは全部一緒だという事。
(橋本)一緒ですね。
そういう事なんですか。
そう考えると味わい変わってきますね。
(橋本)味わって下さい。
先ほどは失礼いたしました。
韮山反射炉を含めた明治日本の産業革命遺産。
世界遺産へ登録されるかどうか。
来年の夏頃決定します。
開店1周年を迎えた「知恵泉」。
4月からは時間を42分に拡大。
先人たちのおいしい知恵をたっぷりご用意してお待ちしております。
今後ともごひいきに!2014/05/18(日) 01:15〜02:00
NHKEテレ1大阪
知恵泉スペシャル 敗者に学べ!▽歴史に消えた敗者たち 彼らはなぜ負けたのか[解][字][再]

今回は45分拡大版。日本史上、高い能力を持ちながらも「敗者」となった人々に注目する。平家や石田三成、蘇我氏らは、なぜ負けたのか。そこに共通する要因はあるのか?

詳細情報
番組内容
平家、石田三成、蘇我入鹿…。歴史上、能力を持ちながらも「敗者」となった人々は数多い。今回は、45分拡大版「知恵泉スペシャル」。古代、中大兄皇子に討たれた蘇我氏を中心に、日本史全体を見渡して敗者に大注目。「彼らはなぜ敗れたのか」「なぜ“悪者”とされるのか」、さらには「敗者に共通する要因はあるのか」などの壮大な歴史談義にトライする。日本書紀のナゾなど、古代史ミステリーも必見。出演は秋元康さんほか。
出演者
【出演】東京大学史料編纂所教授…山本博文,東京大学史料編纂所教授…本郷和人,秋元康,石井正則,【司会】井上二郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

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