東日本大震災から3年2か月。
今支援の必要性が高まっているのが…震災後宮城県の中学校では不登校が増加。
去年全国でワースト1となりました。
今子どもたちに何が起きているのか。
番組では先月県内でも特に不登校の割合が高い石巻市の小中学校へ独自のアンケートを行いました。
22校67人の教員が答えた子どもたちの様子です。
「震災前に比べて落ち着きに欠ける精神的に不安定な子どもが多くなった」。
「幼児返りが見られる…」。
「自分を見てほしいかまってほしいと思っている」。
アンケートに答えた半数以上の教員が多くの子どもたちの様子に変化を感じていました。
宮城県で暮らす中学3年生の男の子。
津波で父親を亡くしました。
震災後しばらくは学校に通っていましたが1年半後不登校になりました。
悲しみを一人で抱え込む子どもたち。
震災直後からその声に耳を傾けてきた…子どもたちの学習支援や居場所づくりの活動を通して……と感じているといいます。
子どもたちが大人たちの一生懸命頑張ってる姿の中で我慢している。
そして何も言えない言わないでその3年間たっている。
これが私は3年間だと思ってるわけです。
「復興サポート」。
今回は石巻市に東日本大震災で被災した子どもたちとその支援者が集まりました。
子どもたちは今何がつらいのか?何を望んでいるのか?徹底的に語り合います。
私は東洋大学社会学部で児童福祉を専門にしております森田明美と申します。
どうぞよろしくお願いをします。
この3年間私が一番感じていた事は自分たちの生活で手いっぱいな大人たちに「私たちの事も考えてよ」ってなかなか言う事もできない。
その間に頑張ってきた疲れだとかあるいは我慢してきた悲しみだとか周辺にももうそれで耐えられなくなってしまっている友達もきっといっぱい出てきてるだろうと思います。
是非皆さんの意見をここで出し合ってこれから4年目に向けて私たち大人はどんな支援を皆さんにしていけばいいのか一緒に考えていきたいと思っています。
この日集まったのは岩手県福島県宮城県の被災地で暮らす小学生から高校生までの子どもたち。
津波で身近な人を亡くしたり仮設住宅での暮らしが長引いていたり困難な状況が続いています。
しかし3年もの間支援者やボランティアの大学生に支えられ少しずつ自分の気持ちを語れるようになってきたといいます。
福島県葉町出身の松本莉奈さんです。
震災当時中学1年生だった莉奈さんは原発事故の影響で転校を余儀なくされ今も避難生活が続いています。
1年の時に震災に遭っていわき市に避難していきなり転校という形で全然知らない人しかいないところに行ったので最初本当につらい思いをしていて…。
自分にとってすごい本当3年ってこんな短いもんだという事を改めて実感したのとあとやっぱり震災を通してあまり経験しないような事を経験して今日しっかり話して話を共有できたらなと思います。
多分みんないろいろな経験をしてると思うんですよね。
時には家を流されたりあるいは身近な人を亡くしたりいろんな思いを多分しながらこの3年間暮らしてきたんだろうと思うんですけども。
番組では身近で子どもたちを見ている石巻市の小中学校の先生方にアンケートを行いました。
震災から3年番組が独自に行ったアンケートです。
ここには教師が子どもたちの変化に戸惑いうまく対応しきれない事へのもどかさしさがつづられています。
「できる限り心に寄り添おうと思っているがなかなか受け入れてくれない」。
「心の奥底まで入っていけないもどかしさを感じる」。
傷ついた子どもたちをどうケアしたらいいのか。
多くの教師たちが苦悩しています。
こうした中震災で親を亡くした子どもたちの心を開こうと粘り強く向き合い続けている人たちがいます。
仙台市に去年発足した…家族や友達を亡くした子どもたちの心のケアを行っています。
やって来るのは幼児から高校生まで。
支援者からの紹介やホームページを見た家族に連れられて来ます。
阪神・淡路大震災のあと神戸で子どもたちをケアした経験を踏まえこの活動を始めました。
ここでの目的は子どもたちに自分の思いを語ってもらう事。
スタッフが一緒に運動したりゲームをしたり。
これを月に2回何度も何度も繰り返す事で子どもたちは少しずつ語りだすといいます。
西田さんたちが聞いた子どもたちの声です。
「お父さんがいないから将来の事をお母さんが一人で決めなきゃいけないから不安」。
「何か物足りなくて家族が欠けている気持ちになる」。
震災で身近な人を亡くした子どもたち。
家に籠もりがちになる場合も少なくありません。
そこでスタッフは個別訪問も行っています。
この日向かったのは震災で父親を亡くした中学生の自宅です。
あすみませんおじゃまします。
(2人)こんにちは。
大好きだった父親を失い震災から1年半後不登校になってしまいました。
大樹君は今も震災当時の事を思い出し不安になるといいます。
大塚さんが大樹君を訪れるのは月に1回。
ドライブに行くなどなるべく外に連れ出すようにしています。
交流を重ねて一年。
大樹君は少しずつ自分の気持ちを語るようになりました。
この日大塚さんは初めて今まで聞けなかった不登校の理由を尋ねてみました。
父親を亡くした悲しみのあまり孤独感を深め学校で過ごすのがつらくなったといいます。
つらい気持ちをどう乗り越えていくのか。
大塚さんは時間をかけて一緒に考えていこうとしています。
子どもたちがこの震災の中でいろいろ体験した事を自分だけの経験だって思ってしまう。
そういう意味でだんだん孤立が強くなっていってこういった学校に行けないとか人にあまり会いたくないとか思う子どもたちというのが増えているんじゃないかと思っています。
会場には子どもグリーフサポートステーションの西田さんに来て頂いてますので少しお話を伺いたいと思います。
今見て頂きましたけど震災という大きな出来事は少しずつ時間がたっていくと過去にという時間の流れになっていくんですけどその影響は今に続くさまざまに続いてる現在進行形だっていうふうに私たちは捉えてて。
この震災はほんとに大事なものをいっぱいなくしてる子どもたちが多いと思いますのでできるだけ子どもたちにも語ってもらえるようなつながりが今後できていったらいいかなと思ってます。
一方ストレスを抱えているのは身近な人を亡くした子どもに限らないと訴える支援者もいます。
先ほども簡単に紹介させて頂いたんですけども宮城県の石巻市で子どもたちの学習・居場所支援という事で活動をしています「TEDIC」の門馬と申します。
親を亡くした子どもたちに限らずですねこの石巻っていう所で今生活をしてる子どもたち自身がいろんなストレスを抱えてるところもあるかなと思っています。
例えばですね小学校の話ですね。
石巻市は花山の自然の家に宿泊体験学習に行くというのが恒例行事になってるんですがその中で「崖の上のポニョ」の話をしたチームがありました。
ポニョの話っていうのは津波がテーマになっている作品なんですけども話終わったあとにですね「先生ごめんなさい。
津波の話しちゃったみんなの前で」って大号泣しながら謝りに来てというところを見ていく中でどういう背景があるのかどうかとか被災している子もしていない子もたくさんいる中でお互いの地雷を踏まないように気を遣いながら生活しているというとこも見えてるのかなと思っています。
一見元気な子どもたちですが実にいろいろな事で今悩みそして感じその中でこれから青年期を生き抜いていく時期に達しているわけです。
これから少し子どもたちと一緒にワークショップしながら一体何が一番今問題でそして大人たちは何を支えなければいけないかという事を一緒に考えてみたいと思います。
ここからは班ごとに分かれ震災から3年たった今何がつらいのか子どもたち自身が率直に語り合います。
私仮設に住んでて勉強してる私の机の後ろですぐきょうだいが遊んでるみたいな感じなので集中できる所じゃないなと思って。
「葉町はもう放射能で汚染されてるよね」とかそういう事をズバッ…グサッと言ってきてほんとにショックで私はどちらかと言うと前向きに考える方だとは思うんですけど私でも気付いたら30分間ぐらいボーッとしてたみたいな時があって。
ため込んできた思いを語る子どもたち。
中でも特に多くあがったのが「被災体験を共有できない事がつらい」という声です。
津波の被害を免れ家族も無事だった事がかえって苦しみになっているというのです。
私のすごい大好きな友達がお兄ちゃんとおじいさんを亡くしてて。
でも私はその友達の気持ちを共感してあげられる事ができなくて。
その子もその時からだんだん自分の弱いところを見せなくなってしまって。
話を聞いてあげる事ができないという事がすごくつらかったです。
家族を亡くした人がいる一方で全員無事だった人もいます。
悲しみを共感してあげられないという後ろめたい思い。
子どもたちの間で次第に震災には触れられない空気が広がっていったといいます。
話しちゃいけないというかポツッポツッとこうたまに出てくる事はあっても。
だって自分からこんな事があって大変でさって相手がもっと大変な思いしてるかもしれないのに。
どんな状況だったのって聞くにも聞けないし。
聞けないからどんな状況か分からないから話の節々にすごいみんな気遣いが見えててそれは今すごい苦しいなって思うんですよね。
話し合いから見えてきたのはお互いに気を遣うあまり震災について話せない事がつらいという事でした。
一方でもう一つ多くあがったのが「復興のために自分たちは何もできない力になれない」という事でした。
自分も同じような被災者なのに何もできてないなっていう不安をすごい感じてて…。
被災した自分も何かできるのにお世話になってばかりで何もしないというかできないでいた事がちょっと歯がゆくて。
ここからは子どもたちが共通してあげた2つの事に絞って考えていきます。
それは「震災の事を語りたいけれど語れない」。
そして「復興の役に立ちたいけれど立てない」という事です。
じゃあまずですね子どもたちの語りたいあるいは聞いてもらいたいという事をですねどうやって私たちは具体化していけばいいのかみんなで考えてみたいと思います。
ここで震災体験を語り合う事で気持ちを軽くしていこうという活動が始まっています。
被災した子どもたちが記者になり地元の人たちに震災の経験や復興への思いを聞き記事にまとめています。
震災の翌年に始まり3か月に1度発行。
地元の人たちを中心に配っています。
取材で震災の話を聞く中で自分の体験を書くようになった子どももいます。
この新聞を立ち上げた…取材であれば震災の話を自然に語り合えるのではないかと考えました。
こども記者の一人…津波で自宅を流され祖父母を亡くしました。
つらい気持ちを語り合う機会もない中で他の人の気持を知りたいと活動に参加しました。
この日取材するのは地元で活動する子どもたちのジャズバンド。
以前から是非話を聞きたいと思っていました。
今日取材していきます木村ひな子です。
(2人)よろしくお願いします。
震災の翌年に誕生し現在地元の小学生から高校生まで25人が活動しています。
活動の目的は被災した人々を元気づける事。
石巻を中心に被災した町で2か月に1回コンサートを開いて回っています。
自分と同じ被災した子どもたちの取材をするのは初めてというひな子さん。
ふだんは触れづらい震災の事も取材なら聞いていけるといいます。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
取材を通じて知る事のできた地元の人々の思い。
ひな子さんがこれまで話を聞いた人は数十人に上ります。
活動を始めて一年後ひな子さんは初めて自分の経験を記事に書く事ができました。
震災の事を今ですね自分の言葉で語るってなかなか難しい事。
でも人に聞きながらそれをまとめる事によって自分自身の言葉にしていくというお話がありました。
具体的には「軽くなった」という表現がありましたけれども多分その「軽くなった」っていう表現の中に自分が全部しょってるようなものが少し肩の荷が下ろせたのかなという気がしました。
それではもう一つ考えてみたいというふうに思います。
ワークショップで見えてきた…それを一緒に考えてみたいと思います。
どうしたらふるさとの復興に役立てるのか?そんな子どもたちの声に応えようという活動が始まっています。
岩手宮城福島の子どもたちが参加する「OECD東北スクール」と呼ばれるプログラム。
2年前パリが本部のOECDの呼びかけでスタートしました。
今年の夏パリで東北復興をアピールするイベントを開催。
2年かけて準備をしてきました。
このプログラムには重要なねらいがあります。
イベントの企画立案を通して郷土愛を育み…参加しているのは地元の復興に貢献したいという100人の中学生と高校生。
福島県伊達市から参加している子どもたちは風評被害に苦しむ地元の農家を助けるアイデアを練っています。
伊達市の農家では原発事故の影響で日本一の生産を誇る特産の柿が出荷できずほとんどが捨てられているのです。
いかがですか〜。
そこで地元の農協と協力し柿などの果物を使ったゼリー作りを進めています。
これをパリで多くの人に食べてもらい風評被害を払拭しようとしています。
復興に子どもたちの力を生かそうという新たな取り組みです。
(拍手)一生懸命大人たちの支援によって若者が役に立つ場というものが作り出されているという取り組みでした。
農家を助けたいとゼリーを開発した…子どもでも復興の役に立てると実感したといいます。
最初はまだ中学2年生だったので私たちにこんな事が…商品開発なんてできるんだろうかという不安がすごい大きかったんですけどOECDにいらっしゃっているある方の話に…もしできない事があったら……という言葉があって本当にそれを信じて頑張ったら新商品を開発する事ができて本当に私たちにはできない事がないという事を知る事ができました。
他の子どもたちも活動に参加した事で復興に役立ちたいという思いが更に強くなったといいます。
私は避難していて自分には何もできないこういう復興とかには携われないっていう事に何かもやもや感を感じてずっと過ごしていたのでこれだったら自分でも何かできるんじゃないのかなと思ってこれがチャンスなのかなって思って。
最初は私に何が発信できるんだろうって思っていたんですけれども地域の人とたくさん話をしてああ私の住んでいる気仙沼にはこんなすてきな大人の人がいるんだとかこんなところが地域を支えているんだというのを知っていくうちにすごく地元の事が大好きになって…。
多分子どもたちに適切な情報とそれを具体化するための資金やあるいは方法をきちんと教えてくれる。
そして一緒にそれを実現するために努力してくれる大人がいたんですね。
子どもたちが望んでいる支援って何かという事が少しずつ見えてきたんじゃないかと思うんですが私たちこれから子どもたちが望む必要な支援という事をどんなふうに実現していったらいいか新しいアイデアを子どもたちと一緒に考えていきたいと思います。
子どもたちが求める支援を今後どう広げていくのか。
ここからは子どもと大人が一緒になって具体的に考えていきます。
まずは「震災について語りたいけれど語れない」という事について。
学校の中で気軽に語り合える場を作ろうという提案が出されました。
教室の中では震災の事が語れない。
そこで校内に震災について語る事を前提とした交流スペースを作れば気兼ねなく話せるのではという意見です。
続いてふるさとの復興に役立ちたいと願う子どもたちのためのアイデアです。
役場や集会所に復興に向けた子どもの意見を専門に受け付ける窓口や意見箱を設ける。
そうすればふるさとの復興にもっと関われるのではないかというのです。
また被災地の子ども同士でつながっていこうという意見も出されました。
できればいいんですけど…今までほとんど交流のなかった別々の被災地の子ども同士がつながる。
そして今の思いや復興状況を伝え合い一緒に活動していこうという意見に多くの賛同の声が上がりました。
この日飛び出したさまざまなアイデア。
今後実現に向けて子どもたちはもちろん支援者や大学生のボランティアが連携し実現に向けて動いていく事になりました。
何か話す前と話し込んだあとの私たちの年齢差がグーッと縮まった気がするんです。
震災というのは本当に厳しい体験だったけれどもでもその時に非常に大事な事というのは……という視点を私たちが持たないかぎりは大人たちから与えられたものだけでは決して子どもたちの復興という事はないんだという事を私はとても感じました。
私たちもこの子どもたちに支えられながら4年目の活動これを進めていきたいというふうに思っています。
今日は本当にありがとうございました。
これで今日の活動は終わりにいたします。
どうもありがとうございました。
(拍手)話し合いから6日後。
早速石巻で活動している支援者が動きだしていました。
(2人)おはようございます。
よろしくお願いします。
訪ねたのは仙台を拠点に子どもたちの心のケアを行っている支援者の事務所。
これまで別々に活動してきた団体が地域をこえて連携しより多くの子どもたちをサポートしようというのです。
うちに通ってきている…それぞれの経験を共有しよりよい対応策を打ち出そうと話し合いを重ねています。
一方で子どもたち自身も動きだしていました。
岩手県山田町の高校生…被災地で暮らす子ども同士で交流したいと語っていた南三陸町の高校生と連絡を取る事にしました。
(臼井堀合)こんばんは。
(小野寺)「こんばんは」。
早速お互いの町の復興状況について伝え合います。
今後も震災や町の様子について語り合い復興を一緒に考えていこうと約束しました。
地域をこえてつながり始めた子どもたち。
復興に向かう新たな力が生まれています。
でも行ってみたいかな宮城に。
私も被災した地域で子どもたちの姿を見てきましたが子どもたちは自分たちの思いを表に出さないようにしている事があるんです。
でもその心の中では何か手伝える事がないかけなげに考えているんですね。
ふるさとの復興に役立ちたいと願う子どもたち。
その思いがついえないように復興を進めたいですね。
さて震災で大きな被害を受けた東北の沿岸部には海の幸をふんだんに使った名物料理がたくさんありますよね。
料理自慢の浜のかあちゃんたちによる郷土料理を紹介しましょう。
石巻市雄勝町の春の風物詩わかめ漁。
わかめの根元にあるめかぶ。
このめかぶを使った料理を作るのは雄勝町の浜のかあちゃんたちです。
湯通しの時の色の変化にご注目!鮮やかですね。
刻むと粘りが出てきます。
「めかぶ丼」の出来上がり。
栄養たっぷり。
このねばねばが食欲をそそるんですよね。
続いては…潮が引いた海でとっているのはウニです。
ほらほらとれてるよ!階上漁協の浜のかあちゃんたちが作るのはこのウニとアワビを使った郷土の味です。
アワビを切ります。
湯通ししたウニとアワビにだし汁を注ぐと…。
「いちご煮」完成です。
ふっくらしたウニが野いちごに似ているので「いちご煮」と言われます。
最後は…ここでは天然のホヤが水揚げされています。
南部もぐりのダイバーが30m潜ってとってきます。
自慢のホヤ料理を作るのは…色が変わるまでサッと湯通し。
「ほやめし」の完成です。
天然の「ほや」ならではの豊かな磯の香りが口いっぱいに広がります。
この浜のかあちゃんたちの名物料理1分番組で随時放送していきます。
季節ごとに海の幸を使った料理を紹介していきますので是非ご覧になって下さい。
さあそれでは被災された地域で暮らす皆さんの今の思い今日は岩手県山田町の皆さんです。
こちらも豊かな海とともに暮らしてきた町です。
山田町の水産業は国の補助全国からの支援等により着実に回復しております。
しかし今後は国の補助が無くなったあとの自立に向けて動いていかなくてはいけません。
山田町は全国の皆様からの支援によって立ち上がる事ができました。
本当にありがとうございました。
仮設に入って3年も過ぎ精神的にも肉体的にも疲労困ぱいですが団地の皆さんと明るく楽しいサークル活動が生きる糧となってます。
(一同)元気で〜す!生字幕放送でお伝えします2014/05/18(日) 10:25〜11:13
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 復興サポート▽震災3年 子どもたちを支える〜宮城県石巻市[字]
宮城県の調査によると、不登校の中学生の割合が震災後に増加、去年全国でワースト1となった。被災地の子どもたちに今何が辛いのかを語ってもらい、支援の道筋を考える。
詳細情報
番組内容
今回の主役は被災地の子どもたち。宮城県の調査によると、不登校の中学生の割合が震災後に増加。去年、全国でワースト1となった。「被災後に頑張ってきた疲れ」や「悲しみを表現できないつらさ」が表面化しているという。そこで、県内で最も不登校の割合が増えた石巻市に、被災三県から子どもたちに集まってもらい、今何がつらいのか、何を望んでいるのか、語ってもらう。そして地元の大人たちと共に支援の道筋を見いだしていく。
出演者
【キャスター】内藤裕子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
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