今から60年前日本映画に新たなヒーローが誕生しました
海の底に眠っていた怪獣が水爆実験によって目を覚まし東京を襲います。
放射能をまき散らしながら街を破壊していきました。
大ヒットした「ゴジラ」は28作に及ぶシリーズとなります。
日本はもとより海外でも高い人気となってきました
NHKには「ゴジラ」誕生の舞台裏を描いた番組があります。
まだ特撮が主流でなかった時代新しい映画作りに夢を賭けた人々の苦闘の物語です
製作したのは特撮の技術者円谷英二とそこに集まった80人の若者だった。
駆け出しの助手に人形職人学生アルバイトや若い主婦平均年齢25歳の素人集団だった。
映画製作のきっかけになったのはビキニ環礁での水爆実験でした
円谷は言った。
「水爆で生まれたゴジラが東京を破壊していく場面は核兵器の恐ろしさと愚かさを伝えるために最も重要な場面になる」。
「ゴジラ」誕生から60年。
「ゴジラ」映画が伝えてきたメッセージを読み解きます
あのテーマ曲を聴くと迫力ある映像がよみがえってくるという方も多いのではないでしょうか。
今日は日本生まれの「ゴジラ」がなぜ愛され続けているのか。
そしてその「ゴジラ」に込められたメッセージを見てまいります。
ゲストをご紹介致します。
今日はみうらじゅんさんにお越し頂きました。
ようこそお越し下さいました。
みうらさんは作家としてそしてイラストレーターとしても幅広く活躍していらっしゃいますけれども今日は「ゴジラ」。
「ゴジラ」大ファンなんだそうですね。
一番初めに見たのは「ゴジラ」の映画だったので僕そのあと怪獣ブームがあってテレビで「ウルトラQ」とか「ウルトラマン」が始まるんですけどもその前やっぱり怪獣映画でしたからそれを見た思い出が鮮烈に残ってていまだに年に2〜3回ぐらいは見返しているぐらい好きです。
DVDなどで…?はい。
今日は貴重な物をお持ち頂いたんですね。
小学校1年生の時に見た初めての怪獣映画「三大怪獣地球最大の決戦」というやつなんですけどもキングギドラが初めて出るんですけども僕の時はもうこのころはVS物になってましたので1作目の社会的な問題とかではなかったですね。
完璧にVS物の怪獣映画としてかっこいい「ゴジラ」が好きでした。
初めて見たショックというかそれがもういまだに忘れられずこんな年までずっと見続けているって感じです。
さあそれではその1作目ですね。
後からご覧になったとおっしゃいましたけど…。
NHKで見ました。
うちのおやじに三脚買ってもらって画撮するので一生懸命だったんで…。
画面撮りしてましたんで…。
当時ビデオなんてありませんので貴重なテレビだったので…。
テレビに向かってその映画の写真を撮ってた訳ですね。
「ゴジラ」って暗い所に出るんです。
暗いというイメージが僕のずっと思ってた怪獣映画のイメージをイメージづけたんですけどね。
それは…。
では早速番組ご覧頂きましょう。
映画「ゴジラ」誕生の秘密に迫りました…およそ40分ご覧下さい。
「プロジェクトX挑戦者たち」。
今夜は特殊撮影の技術を使って作り上げられた日本で初めての怪獣映画「ゴジラ」が出来るまでのプロジェクトです。
私は5歳だったんですけど本当に見ていてスクリーンから飛び出してくるんじゃないかという大変な迫力ですね。
あの興奮は今でも忘れません。
その「ゴジラ」が今日はスタジオに来てくれているんです。
ほう!
(国井)迫力ありますね。
やっぱり…。
(久保)ドシッとしてますよね。
(ほえる声)
(久保)怖い!推定の身長がおよそ50mで。
…という事は我々はもっとず〜っと小さい。
こういうふうに見上げる感じなんですよね。
体重がおよそ2万5,000t。
この「ゴジラ」は昨年の12月に封切られました映画の主人公で24代目の「ゴジラ」なんですよ。
(国井)日本の映画館でこの「ゴジラ」を見た人というのは延べ大体1億人いるんですよね。
その「ゴジラ」の映画に賭けた人たちがこちらの皆さんです。
(国井)日本を代表する特撮技術者の円谷英二。
そして「ゴジラ」を演じた若き役者ですね。
それから駆け出しの撮影助手の皆さんなんかいますね。
昭和20年代後半人々はゆとりを取り戻し始めていた。
まだテレビはなく娯楽の王様は映画だった。
映画界は大手4社の黄金時代を迎えていた。
監督とスタッフが組というチームを作りしのぎを削っていた。
松竹には小津安二郎率いる小津組があった。
「東京物語」で人気を博した。
東映には萩原遼の組があった。
片岡千恵蔵を主役に定評ある時代劇を生み出した。
大映では溝口健二の溝口組が「雨月物語」などの文芸作品を作っていた。
そして東宝にはその名をとどろかせていた1つの組があった。
黒澤明率いる黒澤組だった。
スタッフは100人を超えた。
花形スターを使い数々の名作を手がけていた。
昭和29年黒澤組は超大作「七人の侍」に取り組んでいた。
華やかな有名監督の組で働く事それが映画人の目標であった。
東宝の撮影所の一角にそんな華やかな組とは無縁の男がいた。
円谷英二53歳。
20年以上特撮一筋に生きてきた技術者だった。
円谷は大の子ぼんのう。
子どもたちに特撮の現場を案内するのが楽しみだった。
おやじさんと慕われていた。
特撮とは実際には撮影できない場面を模型を使って描く仕事である。
映画監督から特撮の仕事を請け負っていた。
どんな映画になるか知らされなかった。
しかも特撮の場面は長くて1分短いと10秒にも満たなかった。
仕事のない日も多かった。
部屋で時間を潰し仕事の依頼をひたすら待つ。
そうやって20年以上を過ごしてきた。
円谷の職場には4人の若者がいた。
撮影助手の有川貞昌28歳。
特攻隊あがりの有川は映画なら飛行機を飛ばせるとこの世界に入った。
しかし有名監督のスタッフからは特撮は一段低く見られていた。
話しかけられるのが嫌で撮影所の中も人目を避けて歩いた。
(有川)ここがね照明部の控え室なんです。
用もないのに呼びつけてどうだこうだって言うのがいる訳ですよ。
「おい!何してんだ?お前何して遊んでんだ?」とか「模型作って遊んで月給もらっていいな」とかね。
要するにこっちの腹立つような事ばっかり探して言ってくる訳。
この辺をこうず〜っと通って…。
要するにあの窓からなるべく離れた所を通るという事ですよね。
当時東宝では企画会議が週に1度開かれていた。
重役たちが出席し次の作品が決められる。
昭和29年4月1本の風変わりな企画が提出された。
タイトルには「海底2万哩から来た大怪獣」と記されていた。
この企画はある事件を基に書かれていた。
この年アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行い日本の第五福竜丸が死の灰を浴びた。
核実験で生まれた巨大な怪獣が東京を破壊する奇想天外な物語だった。
企画を出したのは…東宝一の腕利きだった。
製作本部長の森岩雄は言った。
「これまでにない斬新な企画だ。
面白い」。
この時製作予定の映画が中止になり穴があいていた。
企画は通った。
監督は本多猪四郎に決まった。
そして森は特撮の撮影を円谷英二に依頼した。
円谷は企画を見て驚いた。
これまでと違いなんと特撮が主役だった。
20年目に訪れたまたとない映画だった。
1人の男に声を掛けた。
富岡素敬29歳。
円谷が特撮技術を教えた撮影助手だった。
仕事が少なかった富岡は黒澤組「七人の侍」の撮影を手伝っていた。
華やかな世界に浸っていた富岡は誘いを断った。
「嫌。
帰りたくない」って言って…。
撮影部の助手さんたちも「富岡残っていてくれよな。
頼むよ。
こっちにずっといてくれよ」って言われてたんですよね。
僕もそのつもりで…。
そっちが楽しいし。
円谷は言った。
「特撮が主役の初めての映画だ。
何としても成功させたい。
戻ってくれ」。
いつもは穏やかな円谷の決意を秘めた声だった。
富岡は戻った。
大規模な怪獣映画を作るには撮影助手のほかにも80人のスタッフが必要だった。
しかし特撮の経験者などほとんどいない。
円谷は大学に求人広告を出したり人づてにメンバーを集めた。
入江義夫24歳。
美術大学を卒業後臨時雇いで模型飛行機作りを手伝っていた。
入江は円谷からいきなり怪獣が壊す東京の街の模型作りを頼まれた。
大役に足が震えた。
これはえらい作品だと思ったんですよね。
セットは多いしね。
場面は多いでしょう。
日数はもう決められてましてね。
だから…本当にできるかどうかと思いましたよ。
中代文雄33歳。
機材を運ぶ運転手だった。
手先の器用さに目をつけた円谷は中代を特撮の技術スタッフに転職させた。
やっぱりそりゃあうれしいですよ。
監督から「必要な人間だから」って言われたって事は大変な名誉だからね。
これは…。
円谷は少しでも使えると思えば声を掛け担当を決めた。
学生に主婦もいた。
ひとつき後80名の素人スタッフが集まった。
しかし映画製作の期間はあまりに短かった。
撮影の開始までは4か月を切っていた。
映画に使われた絵コンテがこちらです。
それぞれのシーン。
絵で描かれているんですね。
これを基に映画が作られたんです。
(国井)この辺りはちょうど品川の駅ですか?「ゴジラ」が踏み潰して壊すところですね。
銀座をドシンドシンと歩くシーンなんかもありますよね。
普通の映画ですと大体長くても1分。
短いと10秒ぐらいしか特撮使わないんですよ。
この映画では完全なクライマックスが全部特撮ですからね。
特撮が主役だった訳です。
円谷さんは若い時おもちゃ会社の嘱託社員をやっていて転職してこつこつとこの特撮技術を自分で身につけていったんですね。
…で今回初めて特撮に演出が必要になってくる訳です。
日本映画史上初めての事な訳ですね。
それだけ力が入ったという事なんですよね。
さてなんとか始まった「ゴジラ」の映画作りですがそこには難問が待ち受けていました。
撮影開始まで4か月。
しかし怪獣の姿から名前に至るまで何も決まっていなかった。
早速恐竜図鑑を取り出して怪獣のデザイン作りが始まった。
中には水爆をモチーフにしたデザインもあった。
美術大学の学生や漫画好きの主婦がチームを作り徹夜の議論が続いた。
怪獣のネーミングも課題だった。
一度聞いたら忘れられない印象深い名前が必要だった。
それは食堂で打ち合わせをしている時だった。
円谷の目が1人の男にくぎづけになった。
大声で笑いごはんをかき込むゴリラのような大男がいた。
東宝演劇部の網倉志朗。
体重90kgの巨漢。
いかつい顔つきながら人懐っこさもあった。
怪獣のイメージにぴったりだ。
円谷は網倉のもとに駆け寄り話しかけた。
網倉はクジラ肉が好きだった。
容姿はゴリラで好物はクジラ肉。
円谷たちは怪獣の名を「ゴジラ」と決めた。
どうぞ。
網倉は家に帰るなり「俺が怪獣ゴジラだ」と大声で息子に自慢した。
やっぱり大きな声でしゃべるという事と風貌と実際には今思うと「ゴジラ」が火を噴いて「ガオ〜」という声を出してますよね。
そのイメージというのはよくぞつけたと思うぐらいによく似てますよ。
ひとつき後ついに「ゴジラ」のデザインが決まった。
ゴツゴツした硬い肌。
鋭い歯をむき出す顔。
強烈な存在感を放っていた。
早速「ゴジラ」の縫いぐるみ作りが始まった。
担当したのは開米栄三25歳。
菊人形を作っていた職人だった。
まさか映画の主人公を作れるとは思っていなかった。
躍り上がった。
私らみんな仲間で喜んでたんですよ。
「俺たちにこういう仕事来たな」なんて言って…。
開米は1か月間撮影所に泊まり込んだ。
ゴツゴツした肌を表現するため天然ゴムを使い試行錯誤を繰り返した。
美術大学を出たばかりの入江義夫。
東京の街を歩き回っていた。
入江が任されていたのは東京の街の模型作り。
全てをの大きさで精巧に再現する。
模型にする建物の数は500以上にもなった。
円谷は言った。
「水爆で生まれたゴジラが東京を破壊していく場面は核兵器の恐ろしさと愚かさを伝えるために最も重要な場面になる」。
いい加減なものを作ったら「何だこれは?」って…。
それでバレてしまったらおしまいだもんね。
怪獣がいくらあれしてても模型が…インチキっていうかちゃちかったらね。
映画の山場は銀座の破壊。
入江はビルの設計図を手に入れたいと思った。
しかし壊されると聞いて皆に断られた。
入江は銀座に通い詰めた。
一軒一軒建物の写真を撮り歩き自ら設計図を描き上げていった。
この時円谷は頭を悩ませていた。
「ゴジラ」役をやってくれる役者がいるのか。
1人の男を思いついた。
中島春雄予科練あがりの25歳。
危険な役ばかりするけれん師と呼ばれる役者だった。
中島は「七人の侍」にも出演した。
あっという間に斬り捨てられた。
極め付けは映画「太平洋の鷲」。
日本で初めての火だるま役だった。
一度でいいから主役を演じたい。
中島は「ゴジラ」役を二つ返事で引き受けた。
主役だもんね。
どう考えたって…。
だから主役をやるってのは顔が見えなくたって主役だもんね。
これは主役らしい動きをしなきゃいけないんだと…。
日本初の怪獣役に中島は燃えた。
役作りのために上野動物園に向かった。
最初手本にしたのは象だった。
重量感ある歩き方をまねてみた。
こうですね。
こういうふうにこう行かないと…。
こういうふうにスムーズにこう行かないと…。
熊の場合はこう立ち上がった感じですね。
立ち上がった格好が一番「ゴジラ」に似てるね。
だから僕がこう歩いてきて「ウ〜ン…ウワッ!」。
自分で開拓していかないとそれは駄目なもんですよ。
だから開拓精神だね。
フフフ…。
そのころ「ゴジラ」の製作発表が行われた。
夕刊を見たスタッフたちは愕然とした。
見出しは「ゲテもの映画界をまかり通る」。
特撮に対する偏見に満ちていた。
円谷は唇をかみしめた。
「特撮の未来を築きたい。
この映画に全てを賭ける。
失敗すれば私は撮影所から去る」と宣言した。
スタジオには「ゴジラ」役者の中島春雄さんそして円谷さんの下で撮影助手を務めていた有川貞昌さんにお越し頂いています。
こんばんは。
お願いします。
有川さんはこの特撮のグループにこの企画が持ち込まれた時はどんな形だったです?今まで長い事大きな作品も恵まれずにちっちゃな作品をこそこそやってましたからね。
ですからこっちにしてみりゃ仕事って言われると今までのような仕事だと思ってたんですけどおやじはそういう雰囲気じゃなくて「ちょっと今までのとは違うんだぞ」というのは顔で言ってましたけどね。
有川さんご自身はカメラマンとしてはどのぐらいその当時は…?カメラマンと言われるには全くおこがましいんでおやじに「おいじゃあこのカットここからいこうや」と言われると「はい!」って言ってそこへカメラ持っていきますよね。
するとおやじが「おいいいか?用意できたか?」と言って後ろへ来てちょっとのぞきまして「何だお前。
これじゃ画にならんじゃないか」と言う訳ですよ。
ですからもう「番」ですよ。
やっぱり…。
カメラ番?番ですよね。
おやじが来るまで番してるみたいなね。
中島さんはこの「ゴジラ」役に抜てきされた時は…?俳優さんっていうのは顔が見えないと駄目なんですね。
だからキャバレーのボーイで「いらっしゃいませ」というセリフねそのひと言が欲しい訳。
ところが顔が見えない。
全然セリフも言わない。
それは役者じゃないという観念が強かったですね。
じゃ主役でもうれしいようなちょっと寂しいような感じですか?いや僕は何だってナンバーワンだから。
だって世界で初めてですよ。
初めての空想映画に僕は主役で出ると…。
これはもう自信持ってましたよ。
周りからどんな事言われても僕は責任持ってやろうという気概に満ち満ちと来ましたよ。
今日は宣伝用の「ゴジラ」に来て頂いているんですね。
昔の形とちょっと違うかもしれませんが最初の重さはどのぐらいだったですか?100kgぐらいですね。
(国井久保)100kg!?
(中島)鎧と兜で大体30kgぐらいですか。
(国井)あれで30kg?
(中島)でかいやつで…大鎧で…。
(国井)その3倍?
(中島)はい。
はあ〜!暑いでしょう?そうね。
60度ありましたね。
昔のライト数は今の10倍ですね。
(国井)有川さんこの場合は50mぐらいという想定なんですよね?そうです。
その大きさを表すにはどういった苦労が…?結局我々がやるのは人間の目の高さでこれを見てたんじゃこのままですから。
同じ目線ですよね。
ですから人間の目もいわゆる低くなる訳ですよ。
そうすると大体床から30cmぐらい。
そうすると私の顎は地面に着くぐらいになって目はカニの目じゃないけど上目使いで…。
本当にはいつくばる訳?そうそう…。
さていよいよ特撮場面の撮影が始まります。
若者たちの頑張りが鍵を握りました。
撮影開始は1か月後に迫っていた。
撮影所には東京の街が街路樹や電柱看板まで再現された。
入江をはじめ10人のスタッフが撮影所の宿泊施設に泊まり込んだ。
スタジオの片隅に1人の男の姿があった。
役者中島春雄だった。
重さ50kgを超える「ゴジラ」の縫いぐるみを身につけ黙々と練習に励んでいた。
中島は山形生まれ。
斬られ役ばかりの中島をいつも励ましてくれたのが母親のキヨ江だった。
しかし半年前に病死した。
「初めての主役を亡き母のためにも立派に成し遂げたい」。
中島はそう思った。
8月「ゴジラ」の撮影が始まった。
撮影助手だった有川は初めてチーフカメラの大役を務めた。
手が震えた。
動く被写体を撮るって事は特撮としたら今までの感覚ではない訳ですよね。
ああいう生きてるものというと生きてるものの意思で動く訳ですから。
それが果たしてうまく収められるかなという気持ちですね。
その時だった。
セットの段差につまずき「ゴジラ」が転んだ。
20日かけて作った国会議事堂が一瞬にして壊れた。
素人ばかりのスタッフは慌てふためいた。
失敗ばかりが続いた。
その度に円谷が嫌な顔をせず一つ一つ教えた。
演出どころではなかった。
皆円谷に頼りきっていた。
ある日カメラマンの富岡がうっかりして撮り損ねた。
指示をもらおうと円谷の顔を見上げた。
その時円谷の大声がスタジオ中に響いた。
「何でも俺がカバーしてやると思ったらいいけど大きな間違いだぞ!」と言って…。
結局おやじに後でなんとかしてもらえるとすごく思ってんですよね。
NG出してもおやじがカバーしてくれるだろうというような気持ちがこっちに実際ありました。
若者たちは皆身を引き締めた。
「俺たちの肩には特撮の未来がかかっている。
皆でプロになろう」と約束した。
ついに撮影のクライマックスを迎えた。
銀座破壊の場面である。
はい本番!
(カチンコの音)「ゴジラ」役の中島は銀座通りへと歩いていった。
象のように熊のようにと念じながら次々と建物を壊していった。
(ほえる声)最も難しい尻尾を使った建物の破壊。
担当は運転手から転職した中代文雄。
ピアノ線を使い「ゴジラ」の尻尾を操作する。
尻尾になりきろう。
手先に全ての神経を集中させた。
ここで動くんだなって思った時はちょっと浮かしといてやる。
それで向こうへ持っていくとフワッと浮かび上がるでしょ。
そこで今度はガタンと下ろしてやるんですよ。
そうすると尻尾がこう振られてガシャンとそこではたいたっていう感じでね。
(ほえる声)ついに銀座の時計台を壊す一番の山場にさしかかった。
中島は一世一代の演技に賭けた。
音が聞こえるとやっぱりどうしたって音の方を向くわな。
(鐘の音)
(ほえる声)だから自然だよ。
チンチンと鳴るんだもの。
「何だこれ?うるせえなこの野郎」という感じでしょ。
「ゴジラ」になりきっていた。
信じられません。
全く信じられません。
しかもこの信じられない事件が今我々の眼前において展開されているのであります。
銀座の模型は見事壊し尽くされた。
「ゴジラ」の撮影が終了した。
日本初の特撮怪獣映画「ゴジラ」が封切られた。
中島は一睡もできず朝を迎えた。
場内は満員だった。
中島はスクリーンの脇で画面に背を向け観客の顔だけを見つめた。
映画が始まった。
・「はい。
南海サルベージの尾形です。
…えっ?…何?」。
始まって40分。
劇場内は落ち着かなかった。
子どもたちは退屈し大人はよそ見ばかりしていた。
その時「ゴジラ」がスクリーンに現れた。
(ほえる声)場内はどよめきに包まれた。
中島は「やった!」と叫んだ。
俺が出てくる訳だよね。
顔の見えない主役が…。
するとシ〜ンと集中して見てくれる。
俺の作品を見に来てくれたと…。
これはうれしいよ。
役者冥利に尽きるんだよ。
こういうのは…。
ハハハ!チーフカメラの有川は円谷と共に客席で映画を見ていた。
観客の興奮と息遣いが伝わってきた。
「映画人になれた」と思った。
俺もこれで撮影所の中を大威張りで歩けるんだなって…。
「歩くんだ」っていう感じでしたね。
「歩けるんだ」じゃなくて。
もう自分の意志でこれから歩くんだというぐらいの…。
要するに自分自身が強くなれたような気がしましたね。
「ゴジラ」は空前の大ヒットを遂げた。
観客動員数は実に961万人を記録した。
特撮に人生を賭けたおやじさん円谷英二は満面の笑みを浮かべた。
2年後「ゴジラ」は特撮の本家アメリカで上映された。
200万ドルの収益を上げた。
海外でヒットした初の日本映画となった。
東宝には特撮を専門に行う大がかりなチームが作られた。
円谷組の誕生だった。
(国井)満員の映画館。
はい。
(国井)先ほどおっしゃったのは「これでやっていける。
自分も大きくなった」。
それだけ強烈だったですか?ええまあ長い事不遇の期間がありましたからね。
自分なんかも仕事の最中でも迷い迷いやってましたから。
完成を見てお客さんの反応を見て初めて「出来た!」って。
「いいものをやったんだ」っていう実感がわいた訳ですよ。
満員の劇場の中でドアの外までみんな入ってるんですから。
その間を…。
おやじは言っちゃあなんですけどあんまり大きい方じゃないですから無理におやじを後ろから押して前へ出してもうヨタヨタヨタヨタしながら映画見てましたよ。
ですからお客さんのどよめきといいますか響きが体に伝わるんですよね。
「おお〜!」っていうようなのが…。
これは映写室じゃ感じられない実感ですよね。
それで初めてこう…やっぱりうれしかったですね。
中島さんは満員の劇場の中でどんなお気持ちでご覧になってたんですか?やっぱり興奮しますよ。
だってクランクインからクランクアップまで自分で苦労して作って…。
おやじさんも真剣勝負みたいな顔つきしてるしね。
やっぱり一心同体みたいな気持ちでいる訳でしょ。
(久保)今までに味わった事のないような気持ちだったんですか?そうですよ。
だって今までちゃんばらで斬られっ放しでしょ。
今度もう主役でいっちゃうと…。
顔が見えないけれども主役であるという自負心…。
それが本当にひしひしと来ますよね。
(国井)時計台のところがありますね。
もう少し詳しく言うとどういう事ですか?「ゴジラ」を演じるというのは…。
(中島)要するに物を壊そうという気持ちがあるとかえって自然さがないんですよね。
だから自分で自然さを出すためにはとにかくまっすぐ行ってぶつかる物があるから邪魔っけだなという感じでもってちょっと触るぐらい。
例えば最初非常にある面では素人の集まりで…。
…でこれだけの成功を収めた訳ですよね?もう無我夢中。
もう台本のとおり!
(有川)悔しいですけど本当におやじがいなきゃ駄目ですよ。
これは…。
おやじによく言われましたよ。
「君は失敗を恐れちゃいかんぞ。
しかし失敗は許さない」と。
もう年中言われましたよ。
それこそ返事だけですよ。
そうなると「はい」だけですよ。
今47年前を振り返るとどんな思いですか?全く自分が目で見た事もないものを初めて自分が捉えてそれが出来た結果がみんながそれを見て私と同じように驚いてくれた。
喜んでくれたっていう事が私にはもう無上の喜びで…。
中島さんはいかがですか?
(中島)何にもないものを自分で一生懸命やってそれが現実に画に表れてくる。
これは無上の喜びですよね。
これはもう感極まってその辺で泣いても構わないような気持ちですね。
(ほえる声)「ゴジラ」が生まれて47年がたった。
「ゴジラ」好き!好き!
(取材者)何で?だってかわいいんだもん。
おじいちゃんから父親子どもまで3代にわたる「ゴジラ」ファンもいる。
世代を超えたヒーローになった。
おはよう。
チーフカメラを務めた有川貞昌さん。
今若者たちにカメラ技術を教えている。
初めて「ゴジラ」を撮った日の手の震えと感動を伝えたいと思っている。
カメラを扱うのは力じゃないからな。
本当に優しく扱って…。
「ゴジラ」役者の中島春雄さん。
昭和47年の「ゴジラ」役を最後に俳優をやめた。
その後は東宝のボウリング場で働いた。
去年8月中島さんはハリウッドの映画のシンポジウムに特別ゲストとして招かれた。
中島さんは壇上でこう紹介された。
「世界のミスターゴジラです」。
昭和45年1月円谷英二は69歳でこの世を去った。
ちょうど30年たつ訳ね。
そうだね。
早いよね。
映画の世界に飛び込み右も左も分からなかった若者たち。
円谷との出会いがその後の人生の力となった。
皆がそろえばおやじさんと過ごした熱い日々の事がよみがえる。
目が血走ってんだよね。
興奮がまだ続いてたからね。
みんな出てきても…。
円谷さん笑ってますよ。
笑ってりゃいいけど怒ってんじゃないかな。
「文句ばっかし言いやがって」って。
「何にもできないくせに」って…。
円谷の願った特撮の未来は守られた。
去年12月24本目の「ゴジラ」映画が公開された。
「ゴジラ」には逆境を乗り越えようとした男たちの思いが込められている。
2001年放送の「プロジェクトX」。
特撮に賭けた若い人たちの情熱どんなふうにご覧になりましたか?中島さんのおっしゃってた…。
あの中に入ってらっしゃった「ゴジラ」役者とおっしゃってました。
中島さんの動きがやっぱり好きで中島さんの入ってられた怪獣って分かるんですよ。
好きになると。
動物の動きプラスちょっとかぶいてるんですよ。
歌舞伎のかぶく。
かっこいいんですよ。
後にいろんな方入られたけども中島さんの「ゴジラ」はやっぱりオリジナルで動きがとてもぐっと来たしそれと円谷さんのミニチュアの精巧さですよね。
精巧なミニチュアも一軒一軒街を回って銀座を回ってスケッチをしてとおっしゃってましたよね。
「ゴジラ」がこう「ワ〜ッ」て言った時に瓦がば〜っと飛んだりああいう細かいとことかは本当リアルにそういう事を見て細かいとこを仕上げてるから子ども心にもすごく納得したしそういう細かいとこは初めて作った人のこれで一発驚かせてやろうという根性がすごく感じられて子どもだましではなかったのですごくうれしかったです。
昔の「ゴジラ」は。
そこに見てた時かっこよさを見いだしてたので。
だから家帰って布団で山作って自分で紙でビル作ったりして自分が「ゴジラ」になって。
映画見たあと?もちろん。
やるんですよ。
自分がやっぱり「ゴジラ」になりたいからかっこいいから。
割と昨今はみんな監督目線で見るけど当時は「ゴジラ」目線だからもう破壊したくてしょうがないからミニチュアの精巧さっていうのが当然小学生だから全然近づけないんだけども一番憧れた人が円谷英二さんで僕小学校の憧れる人はいつも円谷英二さんって書いて。
当時特撮の映画というのはどうなんでしょうか?特撮っていうのはやっぱり好きででもやっぱり海外には特撮っていうセンスないんですよね。
監督が全てやるもので円谷組みたいな事が多分なかったんだと思うんですよ。
日本だけの文化で。
今はもうほとんどCGで動きますけど中に入っている人の動きがいいからほれたりするのって歌舞伎とかの竜とかガマとかに入る着ぐるみと同じで昨今ではゆるキャラですがゆるキャラも人が入ってるのはみんな分かってるんだけど入った瞬間入ってないように日本人は思うんですよね。
そこら辺ってやっぱり神仏習合のセンスがあって魂が入るみたいなのが日本人はやっぱり合ってるというか生み出してきた文化なんじゃないかなってすごい思うんですけどね。
まさしく「ゴジラ」がその象徴の一つだったという事ですね。
そうですね。
多くのファンも娯楽映画としてたくさん楽しんで魅了されてきた訳なんですけれども…。
でもさっき子どもが「ゴジラかわいい」って言ったのはちょっとカチンと来ますけどね。
あっそうですか。
かわいいなんてありえないですから。
何て言ってほしい?もうかっこいいしかないんで。
後に怪獣ってちょっと「かわいい」入ってきたんですよ。
許せなかったですね俺は。
それだけいろんな「ゴジラ」を愛し続けてきた訳ですが実はその映画の「ゴジラ」には製作者のある思いがあったんです。
ご覧頂きたいと思います。
「ゴジラ」が公開された昭和29年。
戦後9年を経た日本は朝鮮特需で息を吹き返し経済成長へと向かいます。
戦争の爪痕が薄らぎつつありました。
そんな時に起こったのがビキニ環礁での水爆実験の死の灰を浴びた第五福竜丸事件
戦争からの帰還兵だった監督本多猪四郎はある光景を思い出していました
原爆。
僕は負けて軍隊引き揚げて帰ってくる時に広島を通ったんですよね。
その時に72年間は絶対にここには草一本も生えないという事を言われたんですよ。
そういうものがやっぱり気持ちの中にはあるんですよね。
原爆というものに関する憎しみみたいなもの。
というかこれもの作ってこんなものを…こんなものを次から次へだったらえれえこっちゃないかという気持ちがいわゆる演出家として「ゴジラ」を動かすのに一つの迷いも出てこなかった訳ですよ。
本多はそう確認し合い「ゴジラ」の製作を進めました
映画には放射能を吐く「ゴジラ」の前で無力な人々の姿が描かれています。
東京の街は焼け野原となりました
ラストシーン「ゴジラ」を抹殺するために新たな兵器が使われました
(ほえる声)
地球を破壊してしまうかもしれないこの兵器を発明した科学者と共に「ゴジラ」は海の底に沈み白骨となりました
60年前この映画に出演した宝田明さん。
完成した映画を見て作品を貫く深いテーマを再確認しました
この「ゴジラ」というのはいろんな意味でメッセージ性があったと思います。
科学文明といいましょうか右肩上がりでず〜っといく事は人間の生活の中で必要な事かもしれませんしそれは科学だとか人間の知恵の勝利だと思いますけれども。
やっぱり僕は人間に一つアラームといいましょうか警鐘を発する一つの媒体として「ゴジラ」というのはあったんじゃないかなと思いますね。
人間に対して鉄槌を振るったと言いましょうかね。
そういう役目を彼は果たしてくれたと思います。
「ゴジラ」という南海で静かに眠っていた動物。
破壊者の立場で加害者ですけどよく考えてみたら被害者被ばく者。
地球環境破壊みたいなそういう兵器を作っている人間が最後はまた我々の手によって白骨化して海底深く沈めてしまうなんて人間こそいわゆる大罪を犯しているんじゃないかな。
「ゴジラ」に対して同情を禁じえませんでね涙がはらはら出てしまいましたね。
ここからはもう一方ゲストとして加わって頂きます。
ご紹介します。
学習院大学教授の赤坂憲雄さんでいらっしゃいます。
どうぞよろしくお願い致します。
よろしくお願い致します。
赤坂さんはご専門が民俗学ですが民俗学の立場から怪獣「ゴジラ」について非常に興味深いという事でいらっしゃいますね。
僕も「ゴジラ」の前の年に生まれているので1歳なんですよ。
初代の「ゴジラ」をきちんと見たのはもう民俗学に足を突っ込んでいたんですね。
だから最初に大戸島という絶海の孤島に上陸しますけどもその時に神楽が行われていて生贄の伝承みたいな事をおじいちゃんが語るんですね。
極めて民俗学的な道具立てなんですよ。
つまり海の向こうから荒ぶる神様か魔物が現れて世界を蹂躙してそしてその死の中から新たによみがえってくる。
世界がよみがえる。
神とか魔物はまた帰っていくんですけどもそういうフォークロアの神のイメージというのをすごく背負っている。
そんな事を見た時に感じました。
赤坂さんがおっしゃった荒ぶる神っていいましょうかそういうようなものを1作目を後から見てお感じになったりはしましたか?「ゴジラ」の…おっしゃったちょっと人身御供的な話とかもまだそういう日本だったんですよね。
そういうダイダラボッチ的なものが出るとそういう事で神様だと思うっていう風習がまだ日本に残っていた時代だったから神様っていい事ばっかりしないから荒ぶったりもするんで。
そういう神様がいて後に沖縄にキングシーサーっていうのが怪獣でも出てくるんですがやっぱりおっしゃったように神様なんですよね存在的には。
それは当時としてはどうなんでしょうか?「ゴジラ」に託したものというのはどういうものなんでしょうね?作り手たちが皆さんおっしゃってましたようにやっぱり戦争が終わってまだ9年目なんですよ。
我々の9年前の出来事ってまだ生々しいですよ。
東京は空襲で焼け野原になり広島長崎に原爆が落とされ。
9年って近いですよ。
近いですね。
第五福竜丸がビキニ環礁で被ばくをして死者まで出る訳じゃないですか。
ですからものすごく生々しかったと思いますね。
だからそういう時代状況の中でこの「ゴジラ」という映画がどういう意味を持っていたのかどういう思いを託されたのかというのはまた別のレベルでいろんな事を議論しなくちゃいけないだろうなと思いますね。
今第五福竜丸のお話ありましたがVTRの中で本多監督が「ゴジラ」の製作の前に原爆に焼けた広島の風景を思い起こしていたとありましたけれど。
僕は実は東日本大震災のあと映像の中の津波の無残な光景とか福島の原発が爆発する映像を見ながらもう本当に言葉を失って途方に暮れていた時に実は「ゴジラ」と「風の谷のナウシカ」を地下の書斎で見ていたんです。
もうすがるように僕見ていたと思います。
どうして「ゴジラ」をご覧になったんですか?やはり「ゴジラ」という映画が持っていた予言的なものっていうのを僕はその時思っていたんだと思います。
福島を歩き始めていましたら放射性物質って見えないんですよ。
色もないしにおいもしないし僕は線量計を持ってましたから線量計で数字でしかそこに放射性物質があるというのは分からない。
つまり見えない不安なんですよね。
その見えない不安をどのように受け止めたらいいのか。
第五福竜丸が被ばくした。
でも分かんないじゃないですか。
放射能って何なんだろう?その時に僕は見えない不安を見える恐怖になんとか置き換えようとしたんだと思うんですね。
「ゴジラ」によって。
「ゴジラ」に。
それは南太平洋の島々明らかにビキニ環礁であったりあるいは戦前であれば日本の兵隊たちがたくさん死んでいる海でもある。
そういう場所から「ゴジラ」がよみがえってくる。
そのイメージというのはやっぱりあの時代でなければありえなかったと思いますしやっぱり第五福竜丸の不安って見えないんですよ。
だから「ゴジラ」という形姿を獲得する事によって初めてもしかしたら日本人は放射能とかという事に近づけたのかもしれないなという気もしますね。
見えない恐怖を見える形にしたのが「ゴジラ」。
その辺りみうらさん今どんなふうに聞かれました?僕は分からないんですよ。
1作目「ゴジラ」の深さというのは戦争を体験してないし分からない。
予想しかできないので分からないんですけども俺が受け取った当時の怪獣はやっぱり暗くて何かこう哀愁があって切なくていいんですよね。
何か分からないけど子ども心に燃えたぎるものがあって。
だからすごくテーマで見てなかった全然。
全くかっこいいだけで見てたので。
本当はもう大人だしちゃんと言わなきゃなんないんだろうけどまだかっこいいんですよね「ゴジラ」が。
そのヒ−ルの。
宝田明さんは「ゴジラ」を人間へのアラームだとおっしゃってましたよね。
それはどんなふうに聞かれました?とても共感しますね。
唐突なんですけども例えば東北のまたぎたちが熊を獲物にしている人たちですけども「しのび撃ちは卑怯だ」っていう言葉を聞いた事があるんですよ。
自分がどこかに身を潜めて安全な場所に身を置いて熊をしとめるというのは卑怯だ。
つまり荒ぶる自然の前に自分の命をさらしているから熊をしとめる事を許されているって感覚だと思うんですよ。
命を頂けるんだっていう。
僕宝田さんが言われた事に共感するというのは最後の場面で「ゴジラ」を人間たちが抹殺する訳ですよ。
最終兵器を使って。
でもあの場面すごく厳粛で荘重じゃないですか。
悪者をみんなで寄ってたかって退治してるというよりは最終兵器を作った博士が抱いて自分の身を犠牲にささげて神様を葬ろうとしている。
眠って頂こうとしている。
何かそういう姿に見えてしまって僕はそれは人と自然の関係で自然に対して畏れとか敬いを持っていた人たちの所作であり在り方であったような気がしてとても僕は共感を覚えましたね。
みうらさんどうですか?後に「ゴジラ」シリーズが明るくなった時にやっぱり裏切られた感じがするんですよ。
子どもの目線で作られた映画というのは。
大人のテーマで撮られた映画の方が子どもとしてはすごいワクワクするしそういう意味ではすごくワクワクしたんですよね。
その暗さが。
子どもだったから暗い事ってぐっと来るんですよ単に。
「ゴジラ」と相対する怪獣の方はまたいろいろ時代の変化を映した怪獣がたくさん28作の中に出てくるんですね。
今度はそれをまとめました。
映画「ゴジラ」が誕生して以来変化する時代を映してまいりました。
「ゴジラ」はこれまで28本に及ぶシリーズが製作され1億人近い観客を動員しました。
娯楽作品として製作された映画ですがその時々の社会問題にも目を向けてきました。
公害が大きな問題となった1970年代。
産業廃棄物によって成長する怪獣ヘドラが登場します
光化学スモッグなど人体への影響が心配される中その恐怖が描かれました。
遺伝子の組み換え技術が盛んになった1980年代。
登場したのはビオランテ。
人間とバラ「ゴジラ」の細胞を融合して生まれた怪獣です。
2004年の作品は世界中で終わらない核実験や戦争で眠りを覚ました多くの怪獣が登場しました
そして今年7月。
初代「ゴジラ」のモチーフに回帰した新作が登場します。
ハリウッドがリメークした「ゴジラ」です
監督は幼い頃から「ゴジラ」のファンだったというギャレス・エドワーズさん。
「ゴジラ」映画のメッセージを大切に考えているといいます
外国で再評価といいましょうか。
今どんなふうに考えられますか?この新作の監督もちっちゃい頃からって。
やっぱりマニアはいるんですよ。
すごい好きな人がいて。
あれはアメリカにも世界にもない映像なのでそれはもう外国の人であの系が好きな人は驚いたと思うんですよね。
ああいう細かい作業をいっぱい凝縮してミニチュア作ってあんだけ驚く映画作った人っていないので。
でもそういう意味では「ゴジラ」は本当にずっとずっと昭和29年から「ゴジラ」として生き続けそして愛され続けてますよね。
何がやっぱりそれは…?…っておっしゃるけど俺そんなに見てないと思うんですよほかの人。
きっとそんなにたくさんの人が1作目「ゴジラ」のように「ゴジラ」シリーズって見てんのかなと思って。
何となく愛され続けた事になってるけども何か不遇の時代もすごいあったしそれを乗り越えて最終的にハリウッドいったのかというとこはあるんですよね。
日本の伝統文化にしてほしかったけど外国の方がすごいお金を使って撮るしかない訳ですからフェノロサが仏像を再発見したように「ゴジラ」も結局そうなのかなって思いますけど。
みうらさんの話を伺いながら確かに愛され続けた訳ではないと思います。
僕は実は大人になってから初代「ゴジラ」をもう一度見てびっくりした訳ですよ。
娯楽映画というよりはあまりにもメッセージ性が強いのでちょっとびっくりしましたけども。
初代「ゴジラ」が持っていた一番深いテーマは人は自然の前に敬虔であれというメッセージであると思うんです。
でもそのメッセージが普遍的であってもそれぞれの時代の中でどういうふうにそれを解釈するのかというのは全く違うんですよね。
ですからある時には公害のヘドロであったりある時には遺伝子の組み換えであったり。
僕らは多分東日本大震災のあの衝撃の中でもう一度「ゴジラ」を再発見しようとしてるのかもしれない。
それは映像という形で共有しているアメリカの若い映画監督が初代「ゴジラ」の持っていたメッセージ。
でもそんなメッセージ我々ず〜っと忘れていたと思います。
でもそれをしっかり受け止めている。
つまりやっぱり核なんですよね。
神の火だっていわれた核を手に入れた人類が今東日本大震災に遭遇して人間の知恵とかテクノロジーとかで制御する事ができないような荒ぶる力を持っているその存在にもう一度気付かされてしまった。
そして気が付いてみると初代「ゴジラ」がまさにそうしたテーマを背負ってそこに存在したという事にも改めて僕らは気が付こうとしてるのかもしれないと感じますね。
みうらさん。
たくさんの人が怪獣が好きになって怪獣映画見に行くといいなと思いますけども「ゴジラ」がスターであれるかどうかというのも難しいとこもあるかもしんないなと思うんですけども僕は行きますずっと。
それだけです僕は。
でも60年たっても今の私たちに問いかけるものというのは非常に大きいのだなと今回改めて思いました。
どうもありがとうございました。
(2人)ありがとうございました。
2014/05/18(日) 13:50〜15:00
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス「ゴジラからのメッセージ」[字]
ゴジラ誕生から60年。水爆実験で眠りから覚めたゴジラは人間が生み出した文明の力を超越する自然の力の象徴だった。ゴジラ映画が発し続けるメッセージを考える。
詳細情報
番組内容
【ゲスト】学習院大学教授…赤坂憲雄,みうらじゅん,【キャスター】桜井洋子
出演者
【ゲスト】学習院大学教授…赤坂憲雄,みうらじゅん,【キャスター】桜井洋子
ジャンル :
映画 – 邦画
アニメ/特撮 – 特撮
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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