とれたての竹の子。
むきかけの蜜柑。
熟した柿。
実はどれも象牙の彫刻。
汚れや傷まで本物のようです。
ただ事じゃないですよね。
このすごみというんですか。
よっぽどの達人というか名人芸ですよね。
それは世界をあっと言わせた日本の超絶技巧。
明治時代西洋に工芸品を売り込もうと職人たちが持てる技の全てを注ぎ数々の名品を生み出しました。
お〜…いや〜よく出来てるな。
鉄や銅で作られた蛇。
これもただの置物ではありません。
すごい動き方しますね。
本当の蛇を持っているような。
大きく羽を広げ黄金に輝く孔雀。
屏風に描かれた絵のように見えますが…。
緻密に糸を縫い上げた刺繍です。
絵の具では決して表現できない生きているような存在感。
今では再現不可能ともいわれる明治の細密工芸。
知られざる技と美の世界へご案内しましょう。
清水寺へ向かう参道の途中に小さな美術館があります。
展示されているのは幕末から明治大正にかけて作られた工芸品の数々。
目を引くのは細密を極めた職人の技です。
古びた瓦にとまる一羽の鳩。
鉄や銀などで作られた香炉です。
鳩が狙っているのは小さな蜘蛛。
僅か8mm。
いつ鳩が飛びかかるのかそんな緊張感まで伝わってきます。
銅の器にガラス製の釉薬を焼き付ける七宝。
この花瓶は高さ20cmほど。
宙を舞う蝶を拡大してみると…釉薬を塗り分け蝶の羽の神秘的な色模様を再現しています。
まさに超絶技巧。
職人たちを駆り立てたのは激動する時代の空気でした。
明治維新を機に西洋の文化が流れ込み日本は近代化の波にさらされます。
そうした中時の政府は新たな政策を打ち出します。
外貨獲得のため日本独自の工芸品を海外に輸出しようと考えたのです。
その第一歩を踏み出したのが1873年のウィーン。
日本政府は万国博覧会に初めて工芸品を出品しました。
精緻を極めた工芸品は圧倒的な支持を受け以来30年にわたって人気を博します。
それを支えたのが時代の変化に取り残され仕事を失った職人たちでした。
大名など有力な顧客がいなくなり需要が激減。
世界が驚く名品作りに心血を注いだのです。
しかしそうした工芸品の多くは海外のコレクターの手に渡り日本ではやがて忘れられた存在となりました。
再び光を当てるきっかけを作ったのが清水三年坂美術館の館長村田理如さん。
海外のオークションにも参加して1万点を超えるコレクションを築きました。
30年ほど前海外の出張先でたまたま目に留まった印籠を購入。
そこからのめり込みました。
いいものというのはやはり時間をかけて丁寧に作ってあるわけでしてそうするとどんどんどんどん細密化していく細かく装飾していくという事になっていったんじゃないかと思うんです。
人間ってすごい技で作り上げたものって感動を覚えると思うんですね。
それは手に取った人に驚きを与える。
そういうのが明治の工芸の一つの当時の流行だったんではないかと思うんですね。
その村田さんが一番気に入っているというのがこの「竹の子」です。
とってきたばかりのようなみずみずしさ。
象牙を彫って作られた彫刻です。
産毛や土の汚れ。
薄い皮まで実にリアル。
(前原)生々しいですね色も形も。
もうただ事じゃないですよね。
この技に圧倒されたという彫刻家の前原冬樹さんです。
一本の木から形を彫り出し油絵の具で本物と見まがう世界を生み出します。
朽ちていくものを見つめ独自のリアリティーを追求しています。
やっぱり抜群にかっこいいと思うんですよね。
曲面にこういう正確な線を入れるというのはかなり難しいですよね。
だからその筋の正確さとかず〜っと見ていたいぐらい何かすごいですよね。
ここをちょっと傷つけてちょっと汚してみようとか葉っぱがちょっとシミになってたりそういうのをやればやるほどリアリティーが増してく本物っぽくなってくんですよねどんどん。
こういう作業というのは多分作者は面白いんですよね。
この「蜂の巣」を作ったのも「竹の子」と同じ人物です。
明治の半ばごろに生まれ70歳前後で亡くなったという以外ほとんど記録が残っていない謎の人物です。
(前原)足も一本一本こんなに細くしないでもいいのになと思うけど象牙の可能性みたいなのを極限というか人の手でできる限界を追求してるような姿に思えますね僕には。
象牙を使った細密な彫刻は江戸時代の末期から明治にかけて盛んに作られます。
主流は象牙の特徴である乳白色の肌合いを生かしたものでした。
象牙に色をつける技法は古くは正倉院の宝物に見られます。
象牙の碁石です。
象牙を染めてから彫って模様を描く「撥鏤」という技法。
丸ごと染めるため色数は限られます。
それに対して緑山の「柘榴」。
淡い色づき。
少し黒ずんだ割れ目の傷み具合。
実の中には繊細なグラデーションまで。
しかしどうやって色づけしたのか手がかりは何も残されていません。
その秘密を解明するため去年X線や顕微鏡で絵の具の成分の調査が行われました。
画面右が柿の一部を拡大した画像です。
鉄や亜鉛アルミニウムなどの金属成分が検出されましたがどんな絵の具が使われたのか特定には至りませんでした。
謎に包まれた緑山の色。
緑山の作品に衝撃を受け技法の再現に挑み続けている人がいます。
象牙の彫刻家宍戸濤雲さん。
伝統的な色づけの技法を徹底的に研究しさまざまな絵の具や染料で実験を重ねてきました。
緑山の観察眼と根気がないとやっぱり色をつけた時にあれだけのリアル感というか迫力は出ないような気がしますね。
そのものをとにかく写し取ったというかそれこそ人間3Dプリンターじゃないですけどまさに私からするとほんとにそんなような感じに思えるんですよね。
緑山は発色が鮮やかで絹や皮などを染める酸性の染料を使っていたと宍戸さんは考えています。
その染料を使って「蜜柑」の枝と葉を再現します。
(宍戸)最低でも3回ぐらいはやらないと色の深みみたいなのが出てこないのでやるんですけどあまりしつこく塗りすぎるともともと金属製の成分が入ってるみたいで金属製の光沢みたいなのが出ちゃうんですよね。
ですからそういうのが出ないように塗っていかなくちゃいけないのでそこがちょっと微妙なところですね。
ここから最も緑山らしいリアリティーを出す作業です。
(宍戸)ただ染料だけで塗っただけだとのっぺりした感じなんですけどそこに艶消しの色が入る事でぐっと本物らしくなるというか。
虫食いの跡や傷にはアクリル樹脂を混ぜた絵の具を使います。
緑山の時代にはなかったものですが一番近い風合いが出せると考えました。
彫りから色づけまで1週間。
(宍戸)緑山の作品を見てああそういえばこんなふうになってるわと思うという細かいところまでその植物の特徴を捉えてしっかり丁寧に手が入ってるというところですよね。
それはもうやっぱりあそこまでの色へのこだわりっていうのはやっぱりすごいと思いますね。
さあ今日のゲストは美術史家の山下裕二さんです。
どうぞよろしくお願いいたします。
山下さんは今特にこの明治の細密な工芸に興味を抱かれているという事なんですけれどもそれはどうしてなんですか?この「竹の子」もそうですけれどもね誰が見たってびっくりするすごいものじゃないですか。
だけどねそういうものが今までアカデミックな美術史の世界できちんと評価されてこなかったんですね。
でもこういうものこそ本当にすばらしいものが明治時代に生み出されているんだから僕はその価値を応援していきたいと思ってるんですね。
もうあの緑山の「竹の子」は細かな所まで本当に表現されてるので皮の重なっている所この中もしっかりと彫られてるんですよね。
あとこの薄い所ね。
いかに実際の竹の子の皮の薄さに迫れるかというのも職人魂の極致ですよね。
しかし飾ったり見たりするものであれば例えば美しい花であったりきれいな女性をモチーフに作らないのかなとちょっと思う部分もあるんです。
何で「竹の子」…?いやそういうものじゃなくてねやっぱり見る人を驚かせたいという意識が強いと思うんですよね。
誰もがこれぱっと見ると最初は「あれ?本物?」って思うじゃないですか。
ところが持ってみると「あっ象牙なんだ」とそういう驚かそうという意識があるんですね。
でもこの作品を作り上げた安藤緑山というのは本当にもう分からない事がほとんど?この人もう謎の牙彫師なんですよね。
恐らく明治の半ばぐらいに生まれて私の祖父おじいさんぐらいの年代なわけですよ。
…と考えるとそんなに…。
そうそんなに昔の人じゃない。
恐らく戦後まで生きたんじゃないかと言われているのでひょっとしたらこの緑山の事をね知っている人が今ぎりぎりまだ生き残ってるぐらいだと思うんですね。
ところが多分この人はひたすら毎日制作に没頭している人でほとんど人とコミュニケーションとらなかったような人じゃないかと思うんです。
だから弟子もいなかったし。
そうなんですか。
だからこれだけ忘れられちゃったんでしょうね。
というかそういうふうに没頭しないとこんなもの出来ないですよね。
象牙を使った彫刻をしてる人は結構いるんだけれどもこれほど何というかな近視眼的というか本当にディテールの再現にこだわった人というのはなかなかいないですよね。
わざと虫食いの様子を表現してみたりあるいは傷んでる所を表現してみたりまあ一種限界に挑戦するみたいな気持ちがあるんでしょうね。
ある種スポーツ選手が技の極限に挑戦するみたいなそういう何かアスリート的な意識があったんじゃないでしょうかね。
100年近くたっても全く古いものに感じないというか。
「骨董品」という感じじゃ全然ないですよね。
しかもいかにもこういう彫刻の題材になりそうなものじゃなくて普通はこんなもの彫刻にしないだろうというような意外性がありますよね。
それって実は結構現代的なやり方なのかもしれないですよね。
緑山のそういうふうな姿勢というのはきっと今の若いクリエーターなんかにもすごい刺激を与えるに違いないと僕は思ってるんですよね。
東京・日本橋にある三井記念美術館。
今明治工芸を集めた展覧会が開かれています。
今回ある工芸品を特別に見せてもらいました。
こんにちは。
すごい…。
こう目の前にあるというのがちょっと緊張しますね。
鉄や銅など金属で作られた「自在置物」と呼ばれる工芸品です。
この「伊勢海老」の甲羅の細かさ。
これも…ちょっと失礼します。
あっ…。
おお〜。
細かいな。
動くんですね。
関節ごとに動いていきますね。
体長85cm。
鉄の「蛇」です。
胴体は260個もの部品をつなげて作られています。
うわっすごい動き方しますねこの胴の部分。
この動きです。
本当の蛇を持っているような。
尻尾の一番先端までもが動くんです。
いや〜よく出来てるな〜。
自在置物の誕生にも時代の移り変わりが深く関わっています。
戦国時代「明珍」という鎧や兜を作る名門甲冑師の一族がいました。
彼らが作る甲冑は武将たちの信頼を得大きな勢力を誇っていました。
しかし江戸時代戦乱が収まると注文が激減。
新たな活路を求め献上品などとして作り始めたのが自在置物でした。
甲冑で磨いた高度な技術があったからこそ生まれた工芸品です。
おっ…おお〜!「スズメ蜂」のこの針が飛び出してきました。
結構痛いですね。
これは本当に大人のための楽しみですね。
粋な遊びですよね。
来たお客様を驚かせたりこういうものが床の間や玄関とかさりげなく置かれてたら招かれたお客はうれしいですよね。
今では数少ない自在置物の工房です。
五代目の当主…先祖代々得意としてきたのがこの「伊勢海老」です。
これは先代私の父親の作ですが一番よく出来てますこれはね。
これはもう何十年とありますがどこもめげたとこがない。
裏もね実際の海老に近いようにしてますね。
やはり自在ですからスムーズに余計な動きをせずにスムーズに動くっていうのが一番難しいですね。
先代から受け継いだ型を使って銀の板から120を超える部品を作ります。
甲羅のトゲを打ち出していきます。
丸みをつけ…ざらざらした質感を出します。
最大のポイントとなるのが柔らかく動く胴体です。
胴体の部品をつなげるため一つ一つ穴を開けていきます。
一番神経の遣う所がこれなんです。
伊勢海老の胴がうまく曲がるという。
最も重要なのは鋲を留める穴の大きさです。
重なり合う胴体の部品。
穴の形を見て下さい。
内側の穴が横長になっています。
こうして鋲が動く隙間をつくりこの穴の大きさによって動き方を調整します。
それぞれの部品がちょうどいい具合に動くよう全ての穴で微妙に大きさを変えます。
穴の調整はコンマ1〜2mmの世界。
職人の技と勘が自然な動きを生み出しているのです。
(冨木)明治の頃のものを私らものづくりはものすごい誇りというかね最高だと思います。
その見た感じの生命力ね。
そこまで生み出すというのが難しいですね。
実際僕も触らせて頂いてそれぞれのモチーフによって「伊勢海老」はやはり触った瞬間のあの甲羅のざらっと感。
でも「鯉」はずんと重いですし冷たくて本当にひたっとぬめっとしたそんな感じを感触として味わう事できるんですね。
感触までもそれぞれ違うんですか?全部違いました。
それにしてもよく出来てますよね。
すごいものですね。
全く隙のないでも楽しみのためのものという。
こういうのはもともとは明珍派という甲冑師たちが作っていたと。
鎧というのも可動域がありますよね。
着て動かなきゃいけない部分があるわけだからそこから発想してこういう置物を作るようになったんでしょうね。
それが評判になって人気を博していくまた海外にも輸出されていく。
欧米の美術館博物館へ行くと結構こういう自在置物って所蔵されてるんです。
というか明治工芸は欧米の名だたる美術館に行くともう日本の絵画なんかよりよほど充実したコレクションがいろんな所にあるんですよ。
改めてこのようなすばらしい作品が生まれた背景にある時代明治という時代というのは相当大きな要因であったという事ですよね。
社会情勢とも関連してますよね。
明治政府はいわゆる殖産興業政策でいかにして輸出品を海外に売ってそれで外貨を稼ぐかという事で最初にこういう工芸品に目をつけてその制作を奨励したと。
更に帝室技芸員制度というのが明治20年代に作られます。
帝室つまり皇室ですね。
皇室が認めた一級の技芸員まあ職人ですね…として認定する。
そういう制度が出来るんですね。
考えてみて下さいよ。
明治の人たちの帝室皇室に対する尊敬のしかたというのは今とは比べ物にならないですよね恐らくね。
そういうところからちゃんとした認定を受けてそしてその技能を発揮する。
それはもう命懸けで作りますよね彼らはね。
ほんとにそれぞれの作品を見てると職人の方たちの「驚かしてやるぞ」という意気込みを本当に感じるものばかりで。
職人としてのプライドというのが結実して究極の一点物が生まれていってるんだと思うんですね。
ところがこれが時代が下っていくとだんだんこういうものが産業として成立していかなくなるわけですよね。
明治の初めごろというのは欧米と日本とでこんなに貨幣価値の差があるから例えば1年かけて作ったようなものを海外に持っていってべらぼうな値段で売れるとそのお金というのは外貨の価値というのは日本に持って帰るとすごいお金になるわけじゃないですか。
ところがだんだん明治の終わりぐらいになって日清日露の頃になると日本も経済的に成長してきて貨幣価値の差もなくなっていく。
そういう状況があるわけですよね。
ちょうど明治の初めごろから30年間ぐらいの間がこの超絶技巧工芸のピークの時期だったと思うんですね。
屏風いっぱいに羽を広げ黄金に輝く孔雀。
普通の絵ではありません。
孔雀の足羽や顔をよく見て下さい。
絹糸で縫われた「刺繍絵画」。
絹糸の複雑な光沢。
糸を何層にも重ねて生まれる独特の立体感。
光の当たり方が変わると羽の輝きも微妙に変化していきます。
「刺繍絵画」は数ある細密工芸の中でも西洋で特に高い人気を誇りました。
奈良時代に作られた…顔を見ると刺繍である事が分かります。
刺繍は6世紀ごろに大陸から伝わり初めは仏教に使われていました。
その後着物などの装飾に使われるようになり京都を中心に発展を遂げました。
しかしそこにも時代の波が押し寄せます。
明治時代文化の拠点が東京に移り京都の染織産業は多くの顧客を失いました。
そこで起死回生の策を編み出します。
それが「刺繍絵画」でした。
色づく木々の間を流れ落ちる滝。
水面を打つ水しぶきもこの迫力。
海外の万博で数々の賞を獲得。
「針と糸をまるで筆のように扱う芸術」「世界にも類のないもの」と絶賛されました。
下絵を担当したのは竹内栖鳳をはじめとする日本画壇の巨匠たち。
雪をかぶった松にとまる一羽の鷹。
栖鳳が刺繍のために描いた下絵です。
左が栖鳳の下絵。
右がそれを基に作られた刺繍絵画です。
栖鳳の描いた線を忠実になぞりながらその毛並みは生きているかのようです。
刺繍の人間国宝福田喜重さん。
伝統的な技法に現代の感覚を取り入れ60年以上にわたり探求を続けています。
自然をモチーフに流れるような曲線とグラデーションで奥行きのある絵柄を生み出しています。
福田さんも「孔雀図屏風」には圧倒されたといいます。
(福田)ほれぼれしますね。
よくぞあそこまで多量に刺繍を入れたというのは絵描きさんに対する挑戦だと思います。
なんぼ絵描きうまいっていったってこんな光り輝くもんはできんやろうと。
これは光輝いてるように糸を運んでるところがこの作者の絶妙の技術だと思います。
やっぱり糸の方向性というのは大事ですね。
これの運びによってここは縦に引いてます。
ここは横に引いてます。
これが違うわけですね。
ものすごく盛り上げがね立体的に見せたいという。
顔は糸の方向を変えたり盛り上げたりする事で絹糸の繊細な光沢感を引き出しています。
次に注目したのは羽です。
(福田)孔雀の羽は糸と糸との重なり具合と。
どこにも立体的に見せたいという欲求がものすごい表れてますから。
羽の細かい陰影をどうやって表現するのか。
まず1万色以上ある絹糸の中から糸を選びます。
すると2種類の糸を選びより始めました。
刺繍では絵の具のように色を混ぜる事ができません。
こうして微妙な色を作り出します。
その糸を布の上に縫い留めしていきます。
一本一本の糸を見るとより合わせる色も少しずつ変えています。
(福田)できるだけたくさん重ね合った方がだんだん陰影が出てきます。
深みが出てきます。
やっぱり立体感が出ますからね。
何重にも重ねる事で複雑な陰影が生まれます。
そして最もこだわっているというのが…。
(福田)一番難しいのはやっぱり目玉ですね。
出来が悪かったら孔雀が生きた感じがしないわけです。
目は太い糸を使って丸みを出していきます。
最後に黒目を入れます。
黒が小さければ攻撃的な表情になりこの加減ひとつで鳥の個性まで表現します。
明治の職人たちが全身全霊を込めた工芸品。
これほどの仕事は現代では不可能に近いといいます。
もし一人がしてたら恐らく3年はかかりますね。
最後までやり抜くという気力根気の方が問題なんです。
ただ刺繍の光沢が鳥の勢いを生き生きとした輝くようにできますからこれは絵画の世界以上のものが出来上がるわけです。
VTRで羽を作っていくところありましたよね。
ほんとに何本かやっていくだけでも時間がかかっていく作業を一体どれだけ時間と手間暇がかかってるかって思いますよね。
圧倒されますよね。
圧倒されますね。
この刺繍絵画って面白いですね。
照明の当たっている場所によって自分がこう動くと凹凸によって動いてるように見えたりとか。
変化して見えるんですよね。
それが面白いところですよね。
それとこの「孔雀」という題材は絹糸による刺繍という効果を最大限に発揮できるものですよね。
光沢。
孔雀の羽ならではのメタリックな光沢というのを絹糸はほんとよく出せるでしょ。
だから「絵にできない事をやってやろう」という職人魂が発揮されてるんじゃないでしょうかね。
他にも実はもっとシンプルだけれどもすごく効果的な作品というのもあるんです。
これ読書してる女性が赤い光で照らされてる作品でこれはうんとシンプルなんですよ作りとしては。
でもこれまるで油絵のような陰影を感じるでしょ。
片っぽから当たった光を表現してる。
これなんかもう油絵を意識してるんだと思うんですよね。
「刺繍でもこういう事ができるんだぞ」という事を示したかったんじゃないでしょうかね。
今回ほんとに改めて一つ一つの作品を向き合ってみますとさまざまな今の私たちに投げかけてくれるメッセージってたくさんありますね。
そうですよね。
明治という時代はすごいものが生み出されてますよ。
その精神というのをね今我々は学ぶべきところが随分あると思うんです。
ともすれば日本のものづくりというのも大量生産で80点主義とでもいうかなそこそこ満足できるものというのを大量生産で作るというのが日本の経済を支えてるようなところがあるけれどもじゃあ明治の頃に作られた究極の一点物の職人が1年も2年も精魂込めて作ったものというのはそれだけのものを作ればちゃんと評価されてすごい値段でちゃんと買っていかれるわけですよね。
そういうものづくりの姿勢というのは今の日本人が学ぶべきところが随分あるんじゃないでしょうかね。
だからこういうものを見て明治の人たちのすごさをまずは実感してもらって…だからこれからなんです。
今回は本当にどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
2014/05/18(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「明治の工芸 知られざる超絶技巧」[字][再]
万国博覧会などを舞台に西欧に輸出され、爆発的な人気を誇った「明治の工芸」。時代が変貌する中、危機に見舞われた職人たちが、技の限りを尽くして生み出した驚異の世界。
詳細情報
番組内容
象牙で作られた本物そっくりのタケノコ。体が自由自在に動く金属のヘビ。刺しゅうで描かれた巨大なクジャク。激動の時代、日本人の技と誇りをかけて生まれた驚異の世界がある。「明治の工芸」。万国博覧会などを通して西欧に輸出されたため、作品の多くが海外のコレクターの手に渡った。日本では長く忘れ去られた存在だったが「現代では再現不可能」とまで言われる超絶技巧にいま注目が集まっている。技の再現に挑み、秘密に迫る。
出演者
【出演】明治学院大学教授…山下裕二,【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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