ワンダフルライフ【ゲスト 三浦雄一郎】 2014.05.18

地球のてっぺんに立つ
ちょうど1年前
80歳の彼は世界最高齢の登頂記録を懸けエベレストにいた
一歩も踏み外せない死の谷を渡り…
絶壁をよじ登る
そして…
(三浦)とうとう地球のてっぺんに着きましたと言ってください。
無謀ともいえる偉業を成し遂げた三浦
彼の人生はその連続だった
33歳のとき…
誰もやったことのない方法で直滑降を成功させた
4年後にはエベレストの8,000m地点から滑り降り世界の度肝を抜いた
その後も世界7大陸全ての最高峰からの滑降にチャレンジ
世界を驚嘆させた三浦は今も山肌を華麗に滑る
81歳
すでに次の目標に向け走り始めている
なぜ過酷な冒険に挑み続けるのか
彼の人生を支えているものとは
危険と隣り合わせ
何度も死の淵に立たされた
(大滝)そのうち雪煙の中で見えなくて…。
それでも三浦を突き動かしてきたもの
(三浦)これがかえって怖い。
病弱だった幼少期
還暦を過ぎて陥った…
(三浦)余命宣言されたんですよ。
命さえも危ぶまれる絶望的な状況から三浦はどうはい上がったのか
過酷な挑戦に人生を捧げるその生き方に迫る
(山岸)さあ『ワンダフルライフ』今夜はプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんにお越しいただきました。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
(リリー)子供のころから三浦さんの冒険を断片的にずっと見ながら大人になっていくわけですけど子供ながらにずっと「この人よく生きてるな」って思いながらずっと…。
まだ両足ありますから。
(リリー)がっちりしてらっしゃって。
昨年の世界最高齢でのエベレスト登頂がやはり記憶に新しいと思うんですけれどもご自身ではどういうふうに…。
ホントに今考えるとよく登れたなと。
奇跡に近い。
今回はエベレスト登頂の際に使用した実際の道具をお持ちいただきました。
これが実際履いた靴。
靴なんですね。
であのこの…。
底がすごいびょうが。
アイゼンクランポンともいいますけども。
もうこの靴が重いですよ。
ホントですか?これに実際雪ついたりね。
片足4kgぐらいに。
片足4kgですって。
えっ…。
でこちらが。
ザックなんですけども12〜13kgです。
12〜13kg…。
これはやっぱ全員自分の物はリュックに?そうですね。
水入れたり食料入ったり。
もともと寒さにはお強いんですか?暑がり寒がりそして末端冷え性だから。
えっホントですか!?だから山登りには絶対向かない。
末端冷え性って女子以外で久しぶりに聞きましたね。
史上最高齢でエベレスト登頂を果たして1年
三浦のバイタリティーは今も衰えてはいない
(男性)おはようございます。
普段は札幌で暮らしているがこの日は東京の事務所から歩いて外出
すると突然
わざわざ狭いスペースを通る
(男性)なぜですか?
(男性)何となく?
電車とタクシーを乗り継ぎ向かった先は…
埼玉にある高校の入学式
普段あまり身に着けないネクタイ姿に…
足元はなぜかスニーカー
(男性)ちょっと持たせてもらっていいですか?うわっ!おおっ!すごい。
これ履いていつも歩いてるんですか?東京の場合はできるだけこれで。
(男性)そうですか。
入学式を終えすぐさま東京へ戻る
この温度でちょうどいい。
今日々のスケジュールの大半を占めるのが講演会
去年のエベレスト登頂後依頼が殺到
全国各地を飛び回っている
スケジュールを管理しているのは長女の恵美里
(恵美里)だいたい…。
電話でやり取りしてるとあれこれどの講演会だったっけっていうのはしょっちゅう。
合間を縫って出版する本の打ち合わせ
81歳とは思えないハードスケジュール
(男性)三浦さんの荷物だそうです。
(三浦)トレーニングに使ってる。
(男性)あっ…。
(男性)これすごい…痛て。
(三浦)あっでもすごいよ。
その活力の源はというと…
目の前に現れたのは2つの肉の塊
これは…。
注文したのはリブロースとヒレ肉のステーキ
それぞれ1kgずつ
切り落とした小さい方でなく食べるのはこちら
これを知人たちと4人でシェアするという
そうでもない。
…と言いながら
半分の1kg近くを1人で平らげてしまった
月に3〜4回はこの肉を食べるという
(男性)食べなくなったんですか?
(三浦)食べなくなった。
エベレスト登頂を共にしたメンバーの1人
登攀リーダーの倉岡もこう証言する
(倉岡)それ食べたときに僕はやっぱ羊っていうのは臭いがきついのでラムじゃなくてマトンなんですね。
そうすると…。
…って言うんですよ。
酸素が薄く食欲不振に陥りがちなエベレストでも三浦は…
もう野性味あふれてシェルパカレーが最高でした。
(豪太)最高。
めちゃくちゃおいしい。
さらに
8,000m。
こりゃうまい!すごいおいしい。
世界中の登山界でわしらだけだな。
(男性)間違いないです。
(豪太・三浦)間違いない。
びっくりされてます?いや何か大食い選手権見てるみたいな…。
ホントよく食べますね。
いやでも人間って肉を見ると幸せになるんですよね。
昔から。
いや僕今の映像見てもたれましたけどね。
見ただけで。
先ほどステーキとかもねばくばく食べてらっしゃいましたけど歯とかはご自分の歯で…。
そうね。
差し歯とかありましたけど一応20本はまだ80超えても残ってます。
すごい。
本とか読まれるときとかに眼鏡を掛けたりっていうことは?そうまだ近眼に近いもんですからね新聞でも何でもそのまま。
あっ老眼がないってこと?老眼ない。
えっ!?すごいですね。
いや僕の父親もそうだったんですね。
三浦敬三っていうんですけどこの人99歳でヨーロッパアルプスのモンブラン。
これスキーで滑った。
僕も一緒に。
滑りましたけど。
99歳?99歳。
でも遺伝子レベルで考えるとわが家親子3代の遺伝子を調べてみたら長寿の遺伝子だとか冒険の遺伝子だとかスーパーアスリートの遺伝子。
これは順天堂大学で調べてもらって何もないと。
何もない?まったく平均的な日本人の遺伝子レベルだと。
どっか1つぐらいねあってもいいかなと。
ということは結局僕の父親元気だったっていうのはやっぱりスキーが好きだ山登りまあこれをね山岳写真家として映像を撮りたいと。
だから人生やりたいこと夢中になってねスキー山登りやってまあそのために体力つけよう。
そういう終わりのないものに挑戦していき続けるっていうのは一番長生きの秘訣なのかもしれないですね。
そう思いましたね。
あの映像にもありましたけれども普段から重い靴履いてらっしゃる?今履いてる靴はこれは1.4kgぐらいのね軽い方の靴なんですけど普段のは1.7kg。
これをね。
今回ですね同じ重さの靴をですねはい。
リリーさん用に。
えっ?用意しましたので。
用意しなくていいよ。
よかったら履いてください。
ちょっと履いて…。
ああ…えっ?あっ…えっ?どうですか?ミッキーマウスになったような。
体全体がだるそうな感じに…。
ホントに何か…。
俺これ仕事に行く前の気分の足取りと一緒。
重い?すんごい。
これで歩いていくわけですか?でも結構ねこういう靴履いて歩けば癖になりますからね。
癖になりますか。
普通の靴履いてくと損したっていう感じしますよ。
靴自体もちょっとイケてるしねこれね。
何かカッコイイ気がする。
おしゃれ。
ちょっと鍛えようかな。
1932年青森県に生を受けた三浦雄一郎
父敬三は営林局に勤めながら山岳スキーに打ち込んでいた
その影響で幼いころから自然にスキーを履き始めた三浦
小学生になるとますますスキーの魅力に取りつかれた
ところが
もともと病弱だった三浦少年
小学4年生のとき病に襲われた
胸膜に水がたまり…
長期入院を余儀なくされ大好きなスキーもできない
沈み込んだ彼を救ったのは父の思いがけない言葉だった
その言葉聞いた途端にもう病気なんかしてられないなって。
現金なもんで。
(メリーズうさちゃん)「メリーズパンツ」・「ゴー!ゴー!あんよ!」・「元気に元気にすすめ!」・「いけるとこまでいっちゃおうソレッ!」でも汗をかくとおむつの中は…。
(ムレムレくん)ムレ〜。
ムレムレくん!「メリーズパンツ」はおしりまるごと!エアスルー。
見て見て!おしっこのムレをスーッ!もういっちょ!汗のムレムレだってスッスーッ!おしりまるごと!さらさら!ばいばーい!
(パパ)肌さらさらだ!・「スマイルスマイルメリーズ」パンツ!・「ある朝トマトを切ったある晩魚を切った」
放っておくと…
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(光浦)始めちゃお!アロマでおそうじ「トイレクイックル」
(水沢)アロマなんだ。
そうなのよ。
この厚いシートにローズアロマがたっぷり!へぇ〜!ねぇねぇ拭いてみて。
ホントだ!ふわっと香る!でしょ〜!ほらっ!カベも。
カベ?うん!やっぱりいい香り!しかもボロボロしないのよ〜。
ほらっ!どんどん拭いて〜。
は〜い!ハマッちゃいそう!でしょでしょ!・「トイレクイックル」「アロマ」新発売!
小学校4年生のとき長期入院を余儀なくされた三浦
沈み込んでいた彼を救ったのは父が掛けてくれた言葉だった
山形の蔵王といえば当時は開拓の手が延びていない…
現金なもんで。
(三浦)おやすみ。
蔵王へ行くことを楽しみに半年後無事退院を遂げた三浦少年
父に連れられ大人に交じって山岳スキーを思いっ切り楽しんだ
そういうものあるなしじゃ全然…。
その後もスキーに打ち込み…
大学進学後も競技を続けた三浦の目標はオリンピックで世界のトップに立つことだった
しかし
県のアルペンの選手の出場の枠。
これが4人あったのに2人しか出さないと。
僕は出る方に入ってましたけど。
でもせっかくだったら4人全部出してほしいと。
あとの2人をと。
そういう…申し込んだの。
スキー連盟の方針に異議を申し立てた三浦は競技選手としての資格を剥奪されてしまう
(三浦)しばらく落ち込んだっていうよりも…。
…という時期ありましたけども。
何より大切なものを奪われてしまった三浦
しかし彼はこう思ったという
目標を定めた三浦は直滑降でスピードを競うキロメーターランセと呼ばれる世界大会に参加することを決意
三浦は空気抵抗の少ない滑りを追究するため当時の防衛庁で戦闘機などの風洞実験室を借りてまで研究を重ねた
そして…
31歳のときイタリアで開催されたキロメーターランセに日本人として初参戦
これが実際に三浦が滑った映像
転倒しながらも170キロ以上の世界新記録を樹立
国際的…
彼の胸にはすぐに次の目標が芽生えていた
(三浦)スキーの自分自身のね技術を使って…。
そこで当時の三浦が目標にしたのは…
これまで三浦の冒険を記録してきたカメラマン
大滝は当時をこう語る
まあ若いときはね…。
青森では…。
そういう言われ方してて。
当時にすればね。
スキー場のように整備されていない富士山の急斜面を直滑降で下るなど前代未聞
滑ることができたとしてもどうやって止まるのか
これを可能にするため三浦は世界で誰もやったことのない方法を取る
それは…
(あけみ)今日から始めませんか?もっとやさしいカラダの洗い方!「ビオレu泡で出てくる!ボディウォッシュ」ついに出ました!
(母)はいどうぞ。
ちょうだいちょうだい。
するする〜。
(子どもの笑い声)気持ちいいね。
ほらっ。
このふんわり泡を手のひらにのせて家族みんなの素肌に。
手のひら洗いをもっとやさしく。
「泡で出てくる!ボディウォッシュ」・「弱酸性ビオレ」「アジエンス」
(すみれ)知ってる?新しい「アジエンス」は美容液シャンプー。
そう。
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いつもどおり洗うだけでオリエンタル美容成分が浸透
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ずっと触ってたい!
三浦が挑んだ前代未聞の挑戦
富士山直滑降
40度もの急斜面
滑ることができたとしてもどうやって止まるのか
この挑戦を可能にするため三浦がたどりついた方法
それが…
ブレーキにパラシュートを使う
今では多くのスキーヤーが実践しているこの方法は単なる思い付きではなかった
(大滝)ただそれは非常に緻密に計算した中でね急にそれ始めたわけじゃないですからね。
撮影に行きましたけど…。
まあ面白いことやってました。
170キロで直滑降で滑っておきながら転倒してすぐ起き上がって万歳してるっていう。
確かに。
不死身ですよね。
お尻の皮ちょっと擦りむけましたけどその程度で済んで。
何か三浦さんの話聞いてると「ちょっとお尻の皮擦りむいたけどね」みたいなその話と俺らが見てる映像のギャップがあり過ぎるんですよね。
ホントそうですね。
でもあれですねお子さんのときに病気になってお父さんが蔵王に連れていってくれるっていうのを楽しみに病気を治したみたいに何か目標でも楽しみでもその先にやりたいことがあれば人間の治癒能力って上がるんですね。
ものすごい上がりましたね。
でもスキーでオリンピックにっていう夢が絶たれたときっていうのはどういう心境になられました?さすがにショック…。
でも今考えればあのときもしオリンピック行ったとしても大した成績…入賞もできなかったですからね。
それよりもじゃスキーをあるいは山。
両方ね通じて世界の誰もやったことないことやれるんじゃないかと。
ということから…。
ですから東京へ出てきてもう10年ぐらいは運動具屋さんの自転車に荷物付けてセールスやったりそれから日本アルプスの山小屋。
立山ですけどね。
ここへ入って山小屋の荷物担ぎやったりと。
でも何かねどん底の貧乏暮らしやってても何か面白いんですよね。
俺には将来面白いことありそうだと。
わくわく生きてましてね。
へぇ〜。
今の奥さまとご結婚されたのも…。
あっもう学生時代から同棲状態だったもんですから。
でも冒険家になりたいっていう人と結婚しようっていうのは奥さんもかなりの冒険ですよね。
確かに。
いやもっとすごいですよ家内の方はね。
安定した暮らしを捨てて訳の分かんない人生の旅に出ようったらもう一言も文句言わずついてきましたから。
へぇ〜。
東京へ来てでしばらく新宿のどっか洋装店でね一生懸命お針子やったり。
もうそのころすでに娘が恵美里が生まれてましたからね。
もう家族の大冒険もスタートですよね。
ホントですね。
どうします?そうやって旦那さんが子供生まれたばっかりで俺これから冒険家になるって仕事辞めたら。
止めます。
駄目って。
いやでも普通はやっぱり安定した暮らしを…。
よかったですねこういう女じゃなくてね。
すいません。
エベレストの滑走で世界を驚嘆させた三浦
三浦のチャレンジはそれ以外にも
若いころは…
すごいヘリコプターにぶら下がって。
えっ?俺『007』の映画見てやってみたかったんです。
あっそうなんですか?で滑り始めて。
うわっ。
さっきのは蔵王でこれ八甲田なんですね。
八甲田。
これ何されてるんですか?これは立山の頂上で安全祈願と称して裸踊りをやってます。
こんなバカなことばかりしょっちゅうやってる。
小島よしおがたくさんいる。
山肌を滑走し向かう先にはバスが
これ横に30mぐらい飛ばないとバスの上飛び越えれないもんですから。
すごい。
えっ…。
まあこんなことばかりやって喜んでました。
鳥肌立ちました私。
すごい。
でも映像見てるとホントにやりたいことを楽しんでるっていうか。
確かに。
僕らは一切やりたいと思わないけどホントにやりたくてやってるなっていうのは。
だってヘリコプターから降りてくるのも『007』を見て。
映画見てね。
うん。
あれやっぱりスキーでやろうという。
今なら禁止ですよ当然ね。
そうですよね。
でもそこでこれ危ないかもしれない死んじゃうかもしれないって思いは常にあるでしょうけどそれはどうやって克服していくんですか?まあでも基本的にはこれができたら死んでもいいと思ってやってますからね。
死ぬのが怖くないっていうのは嘘かもしらんけども気にならなかったですね。
はあでもパン一でご祈祷もされてるわけですから。
そうそうそうそう。
あれは海パン姿なのには何の意味が?いや別にただ立山のてっぺんでああいう裸踊りをみんなでやろうということでやっただけです。
「そんなの関係ねえ」のルーツをみんなで…。
確かに。
富士山直滑降というとてつもない挑戦を成し遂げた三浦が次に定めた目標は…
世界七大陸全ての最高峰からのスキー滑降
富士山挑戦の2カ月後にはオーストラリア大陸最高峰を制覇
37歳のときにはアジア大陸そして世界の最高峰エベレスト
8,000m地点からの滑降を果たした
1983年には南極大陸の最高峰に挑んだ
これはそのとき撮影された映像
滑り出しは順調だった
だが
(天野)うわっ!ミートソース!こりゃまた手洗いだ〜。
(江角)手洗いいらない。
さすがにそれは…。
「ウルトラアタックNeo」のちょい塗り!ちょい塗り?いつもの量でひどい汚れに直にちょい!襟の汚れにもちょちょ〜い!あとは残りを入れるだけ。
それでおしまい!?アブラ汚れに強いウルトラアニオンで一気にクラッシュ。
手洗いなしでもスピードコースでまっ白!キャップ一杯で全部落ちてる!「ウルトラアタックNeo」ちょちょいのちょい塗り!たくさん使える超特大つめかえも!
(一同)・「俺たちジェル派」
(要)・「ねっとろりん」
(安全カミソリ派)・「とろとろねっとろりん」・「とろとろりん」
(電気シェーバー派)・「とろとろとろとろりん」・「ねっとりジェルでするする剃れて」・「するするりん」・「するするりん」・「するするりん」・「するするりん」・「つるつるりんつるつるりん」・「つるつるりん」・「つるつるりん」
(一同)・「シェービングジェルは『サクセス』」・「多枚刃用ジェルそして」・「ウェット剃りシェーバー専用ジェル新登場」
(一同)・「シェービングジェルは…」「サクセス」
七大陸最高峰制覇のため南極大陸ヴィンソン・マシフからの滑降に挑戦した三浦
滑り出しは順調だった
だが
突如異変に襲われる
ツツツーときてこう見てたら…。
カメラを一瞬こう動かしたんですよね。
滑り始めて数十秒後
雪面が割れ始めた
雪崩だ
三浦の体は雪の波にのみ込まれていく
絶体絶命
しかし雪煙が徐々に消えていくとそこには…
三浦の姿があった
(三浦)これはもう助かるわけないと。
でも助かるわけないけどこんなものすごいねある意味では…。
これで助かったら…。
すごいぜいたくだぜいたくだと思ってるうちに気を失って気が付いたら雪崩のもれにっていいますかね一番上に。
九死に一生を得ながらその後七大陸の最高峰全ての滑走を達成
53歳にして大きな目標を果たした三浦は…
というような感じしました。
これが当時の三浦の姿
(三浦)当然体重はどんどん増える。
体脂肪は40を超えると。
不摂生がたたった結果65歳になった三浦の体は悲鳴を上げ始めた
糖尿病そして狭心症を発症
治療を繰り返し日常生活を送ることはできるようになったが体は以前のものとは違っていた
ある日三浦はリハビリを兼ねて標高500mほどの山に登ろうとした
だが
(三浦)ハァハァ…。
(男性)あっこんにちは。
思うように脚が運べない
もはや冒険家生命は風前の灯
そのころ…
世間の注目を集めていた
さらにスキーの楽しさを教えてくれた父敬三は90歳を過ぎてもなお世界の名峰を滑り続けていた
マスコミも僕は置いてかれて親父と豪太にね集中してるわけね。
う〜ん。
何となく寂しいなという気持ちもあるわけですよ。
父親と息子
この2人の存在が冒険家として目標を見失っていた三浦に再び火を付けた
ということがまたテーマになってきたわけです。
500mの山登れなかった65歳のね狭心症糖尿病を抱えたじいさんがこれから…。
父の姿を子供たちは
お父さんの頭の中にマイナスなことが入ってもプラスになって変換されて。
(恵美里)プラスになって出てくる。
出てくるからね。
プラス変換機ですよ。
(豪太)例えばですよ不整脈をずっと持っていて…。
どうしようもない状況ですよね。
シシャパンマっていう山を登ってるんですけど「ゼーゼーハーハー」言ってるんですよね。
僕は見るに堪えなくなってきて「お父さんもうそろそろ不整脈もあるし下りようか」って言ったら「大丈夫だ豪太絶好調の不整脈だ」そういうふうになっちゃうんですよ。
まあそうですね人生いろんなことやる。
特に…。
僕の場合は例えば…。
65歳にして掲げた5年後のエベレスト登頂
体に不安を抱えながら目標を成し遂げた裏には…
三浦のエベレストに向けての挑戦が始まった
まずは登れなかった500m級の山をクリア
その次は800m級の山と徐々に高度を上げていった
町中では重い荷物を背負い歩く
初めは3kg足らずだった重りを少しずつ増やし最終的には30kg以上を身に着け歩く
今できることだけを無理せずに積み重ねた
そして5年後
一つ一つ積み重ねた結果三浦はエベレストにいた
心臓に病を抱えながら当時の最高年齢を5歳も上回る70歳でのエベレスト登頂
恵美里にもお母さんにもおじいちゃんにも応援してくれた皆さんにホントに着いたぞということで伝えてくれ。
夢が…夢がやっぱりやれば達成実現するものだと分かった。
地球上で一番高い所へ来ました。
さらに5年後の75歳のときにもエベレストに挑戦
70代で2度の登頂は史上初のことだった
(三浦)ようやく着いたぞ。
そして昨年世界最年長となる80歳でのエベレスト登頂が
(三浦)日本中の皆さんにもありがとう。
おかげさまでとうとう地球のてっぺんに着きましたと言ってください。
三浦は今も
多忙な日々の合間を縫い…
次の目標に向かって準備を始めている
できることから少しずつ
そうですね基本的には今…。
ヒマラヤの8,000m峰チョ・オユー
4年後その頂上からのスキー滑降に挑むという
三浦雄一郎の挑戦を支えてきた担当医の家坂
医師の立場を超えてこう太鼓判を押す
…っていうことは変わらず。
何というのか…。
イェーイ。
三浦さんの生き方にも憧れを感じるけど三浦さんのご家族にもすごく憧れを感じますね。
親孝行な子供たちがいるんだなと。
そう思いますね。
やっぱ夢を見る力を与えてくれる人っていう。
そうだと思うんですよね。
人に与えてるつもりはないけどね。
自分が好きなこと一生懸命やってる。
何をやってるっていうんじゃなくて三浦さんの生き方とか考え方っていうのは誰にでももしかしたら応用できるんじゃないのかなとは思いますよね。
プラスの思想の製造機っていわれてたぐらいの三浦さんがああやって自堕落な生活をしてしまった時期があるんですね。
もうやることないなというねせいぜいやるのは下手なゴルフやったり温泉に行こうとか。
ただ食べる飲むはね全然変わらないわけですね。
あっという間に身長164なのにもう体重が90kgぐらいになって。
で狭心症だわ糖尿病。
腎臓もこのまま2〜3年したら…。
それどころか余命宣言されたんですよ。
「もう3年持たないぞ」と。
俺もこのまま3年で死んじゃつまんないと。
じゃ死んだ気でやったらエベレスト登れるんじゃないかと。
だから65から決心して5年置きにエベレストを3回やってましたけど。
また5年というのは便利なんですよ。
最初の2年ぐらい遊べるんですよ。
のんびり色々。
後の2年がだんだん切羽詰まってくるとやっぱりやろうと。
頑張ろうと。
その繰り返しですね。
私たちも夢とか目標を持って生きないといけないなって思いましたね。
今日。
そんな大げさで目標とか何とかいうとあれですけど「温泉行ってみたいな」とかね「何かしてみたいな」何か行動することじゃないですかね。
あと俺今日ホッとしたのは5年計画でやると最初の2年はちょっと遊んでもいいじゃないとか。
そこにグッときたりするっていう。
これがいいんですよまた。
のんびり遊べる。
どうでしたか?ちょっともうあっけにとられちゃいましたけどね。
何だろう…私たちの考える楽しみ方とかそういうのを超えてますよね。
ホントの冒険家っていうのはホントに人生を楽しむ天才ですよね。
よく女性が理想のタイプは「夢を持ってる人が好き」なんて言うけどそんなん甘いよね。
やっぱ三浦さんみたいにね娘さんがおっしゃってたけど夢を見るっていうことを教えてあげるっていう。
ただあなた一人が夢見てどうするんですかみたいな。
三浦さんみたいにもっとその方法をね。
でもその方法って意外とすごい単純なことでね。
とにかく楽しくやるってことなんだね。
2014/05/18(日) 21:00〜21:54
関西テレビ1
ワンダフルライフ[字]【ゲスト 三浦雄一郎】

今回はプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎。昨年、80歳でエベレスト登頂に成功。富士山からの直滑降、雪崩から奇跡の生還、なぜ三浦は挑戦し続けるのか?

詳細情報
番組内容
 第5回目のゲストはプロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さん(81)。今夜は“誰もやっていないことをやる”三浦の冒険人生に迫る。
 1932年、青森県で生まれた三浦は、営林局に勤めながら山岳スキーヤーだった父・敬三の影響を受け、小学校2年生からスキーを始める。しかし、幼いころから病弱だった三浦は小学校4年生の時、結核性肋膜炎で長期入院を余儀なくされる。「大好きなスキーができない…」落ち込む彼を
番組内容2
前向きにしたのは、父の「良くなったら蔵王の山岳スキーに連れて行く」の一言だった…。病に打ち勝った彼は、ますますスキーに打ち込み五輪を目指す。しかし、協会と対立したことにより五輪の夢を断たれた三浦は、すぐに冒険家としての新たな目標を見つけ出す。それは「キロメーターランセ」というスキーの直滑降でスピードを競う競技だった。番組では、三浦がなんと170キロ以上を出して世界新記録を達成した映像を入手!
番組内容3
驚愕のスピードにスタジオのリリー・フランキーと山岸舞彩は息を飲む。その後も富士山直滑降、エベレスト大滑降など次々に挑戦を続けた三浦だが、52歳で目標を失う…。長いブランクを経て三浦が思いついた夢…それが世界最高齢でのエベレスト登頂だった。
 番組ではそんなバイタリティーにあふれる三浦の日常にカメラが密着!片足1.7キロのシューズを履いて日本中を歩き、ステーキは1キロをペロリ、その若さの秘密に迫る!
出演者
【MC】
リリー・フランキー 
山岸舞彩 

【ゲスト】
三浦雄一郎(プロスキーヤー・冒険家)
スタッフ
【編成企画】
田中孝明(フジテレビ編成部) 

【プロデューサー】
柴田裕正(イースト・エンタテインメント) 

【総合演出】
大橋圭史(イースト・エンタテインメント) 

【テーマ曲】
竹内まりや「静かな伝説(レジェンド)」(ワーナーミュージック・ジャパン) 

【制作】
フジテレビ 

【制作著作】
イースト・エンタテインメント

ジャンル :
バラエティ – その他
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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