徹子の部屋 2014.05.19

赤、ピンク、オレンジの3色の花が山を鮮やかに染めています。
このあたりのツツジは、いっせいに咲き誇ることから、「一目百万本」といわれ、たくさんの登山客はしばし足を止めて一面のツツジの花を眺めています。
今週半ばまでが見ごろだと言うことです。
(黒柳)皆様これはドラマではございません。
今日のお客様のお父様とお母様のたぶん新婚時代の…。
本当に昭和そのものです。
佐野史郎さん今日のお客様です。
よろしくお願いいたします。
よくいらしてくださいました。
本当にドラマで大活躍でいらっしゃるんですけども。
本当に昭和っていう感じしますねお父様…。
昭和29年ですからね僕がまだ生まれる前。
ちょっと前ぐらいなるほど。
何といっても今日のお客様は舞台でもご活躍だったんですが冬彦さんで一世を風靡なさいました方でまたついこの間野際陽子さんがいらっしゃいまして野際陽子さんはあなたのお母様の役をなさってまたあの方も色々あったんですけどそのお母さんの役から自立なすったような方でいらっしゃいますがついこの間いらっしゃってあなたのお噂をなさいましてあなたとキスしたってお話をちょっといいですかご覧になっていただいて。
ちょっとこんなお話です。
そんなシーンがありましたね。
「なんだかドラマで佐野史郎さんとキスする役やったんだって?」「そうなんですよ」「その冬彦さんの翌年ですかね」「あっそんな前?」「ええ」「『誰にも言えない』っていうドラマだったかしら」「私はえーっと…山咲千里さんのお母さんで佐野さんは婿だったんです」「それで会社の社長だったんです。
偉い社長だったの」「それでやっぱり変な人で…」「うん」「縁の下に潜ったりなんかする変な人だったんですよね」「なんだかいきなりお義母さん…とか何とか言って来てそれでキスする…」「一応覚悟はしてたんですけれども何しろそれまで随分長い間私生活でもそういうことをしておりませんので…」「えー…そうかどうしようかなと思ったけどでも社長だし義理の母だし」「そう」「そうねえ小娘みたいにイヤンイヤンなんて言えないでしょ?」「だからちゃんとあの…何?そんなものっていう顔してなきゃなんないんですよ」「ここへグーッと来ましたからえっ?どうしようと思いながらもいやここで慌てちゃ役柄としては困るからしょうがない。
もう…なすがままにして目なんか開けたりして。
で見たらここ二重あごになってて嫌だなと思いながら…」「自分のこと?」「フフフ…。
思いながら」「あれはもう何年ぶりのあの…本当にキスで」「それでなんか係の者が言ってましたけどそれ以来してないんですって?」「あれが最後ですね」「久しぶりに…あれが最後ですよ」何の話をして…。
野際さんっていう方も面白い方ですけどもね。
でもあなた方も実生活でもしばらくしてなかったんでって仰ったのがすごいおかしくて。
そんなこと黙ってりゃいいのに。
でもまあね一応あの方正直な方でいらっしゃるので。
素敵な方です本当に。
本当本当。
一緒に旅したりもなさったことあるんですって?個人的に。
番組でも一緒だったりしましたし…。
山口智子さんなんかもご一緒に。
『ダブル・キッチン』っていうドラマをやってた時にねみんなでハワイにロケの撮影があって撮影ない時にはみんなプライベートでっていうか一緒に遊んだりしてましたね。
一緒にお風呂に入ったりっていうか随分そんなところまで割と家族のようになったんですって?そうですねやっぱり家族の感じ…ずっとお会いしてなくてもねやはりものすごく親しいっていうか親戚っていうかそんな感じがありますね。
そうねあれだけね。
ああいう濃い時間を過ごした…密度の濃いドラマを一緒にやってた仲間っていうのはちょっと違いますね。
面白いですね俳優の仕事ってね。
普通の一般の生活の中にはないものですね。
フィクションではあるんだけどやっぱり生身ですから情も移りますしね。
妻であったとかね恋人であったとか母であったとかってそういう人はやっぱりそういう感じでねあるようなとこがきっとあるんだと思いますよね。
それにしても最初に見せていただいたあなたのお父様とお母様の新婚の当時のお写真ですかね。
あれはまあ…本当に昭和!そうですね。
ちゃぶ台っていうんですかねああいうのね。
そうですね。
僕は山梨で生まれたんですけどその山梨の新婚時代ですね。
父は写真が趣味だったものですから自分でこれはセルフタイマーで撮って自分で現像をして焼き付けもしてたっていうことで。
そういうアルバムが…いっぱい残ってて。
お母様可愛いわね。
ちょっとお笑いになったりしてね。
二十歳か21ぐらいじゃないですかね。
若いですね。
このすぐ後にあなたお生まれになったんですって?そうですね翌年。
でもあれですよねお父様すごい勢いでセルフタイマーにしてあそこにたどりついてお座りになった…。
っていうことでしょうね。
生活感がね…紅茶飲んでますね。
紅茶なんですかお紅茶。
ちょっとハイカラな…。
ちょっとハイカラな感じでね。
あなたのおうちはお父様こうやってお撮りになるんですけども代々皆さん写真好き…。
そうなんですよね。
前回お邪魔した時も写真の話させていただいたと思うんですけど。
祖母と父が割と立て続けに2000年に亡くなりましてね。
押し入れの中から大量のアルバムが出てきて…写真が。
今日見せていただくのは最初は…明治。
明治42年ですね。
島根県の松江ですってね。
真ん中にいらっしゃる方が…。
代々お医者様のおうちですってね。
そうですね初代で…。
初代の方古希のお祝いの…。
この方。
ねえ奇麗な方で。
右側が奥様でしょうかね。
マチさんって仰って。
左側が…僕はちっちゃい時ちらっと記憶にありますがキンおばあさん…ひいおばあさんですね。
ひいおばあ様?左側のね。
はい。
それから次のお写真になりますと。
これが…お洋服がね入ってきて。
三代目?そうですね。
父がまだ中学生とか…。
先ほどのひいおばあちゃんって言ってたのが真ん中に。
みんなねちゃんとお洋服着て可愛いですよね。
必ずそういう記念写真を玄関先で撮ってましたね。
今でもそうなんですけど。
あの背の高い方がおじい様だったんですよね。
自分たちで言うのもあれですけど非常にモダンなおじいちゃんで。
そういう感じがしますよね。
シルクハットかぶってステッキ突いてちょびヒゲ生やしてっていうそういうおじいちゃんでしたね。
それでもうあなたが右側が暗いですけど…あなたが。
昭和42年ぐらいじゃないですかね。
この直後ぐらいに祖父は亡くなってしまいましたね。
真ん中にいらしたおじい様。
新婚だったお父様とお母様いらしてであなたの弟さんもいらしておばあ様いらしてね。
妹さんいらして。
あとおばがおりますが。
みんなねきちっと同じところで撮ってらっしゃるっていうのがなんかいいなと思うんです。
お父様もお医者様でいらしたんですってね。
はいそうですね。
代々皆さん。
そして写真が好き?はい。
母方のほうも出雲大社で写真館をやっているものでだからまあ…子供の頃から写真が身近にあったんですよね。
おうちで現像もなすったりしてたんですって?だからそんなに写真が好きとか意識してなかったんですけど当たり前のようにあったんですね。
これは母の喜寿のお祝いの時だったかな。
あなたですかね?前のほうの左から2番目に座ってらっしゃる方が。
はい。
お母様真ん中の方?お奇麗な…。
だいぶ新婚の時とは…。
そりゃそうですよね。
新婚の右に座ってらした方が真ん中の方ってことになるわけですよね?そうですね。
月日経ちますねやっぱりね。
時はゆくゆくですよ。
そうですねなるほど。
お父様は写真がお好きでご自分が撮ってらっしゃるところを鏡に映して写真撮ってらっしゃる何かがありますね。
これは写真が好きな人は必ずこれやるんじゃないですかね?どんなカメラかってこともそこでね。
あっそうですね。
そういう何使ってたかってのもね。
どういうカメラで撮ってたかっていうのをはっきり。
出雲大社で写真館やってらっしゃるっていうとお客様がいらっしゃって皆さん…。
母方ですからそんなに…。
でも夏休みとか2週間ぐらいは預けられてずーっと写真館の職人さんたちが修正してる姿とかねフィルムがずーっと流れてたり洗浄してたり現像液のにおいやそういう…写真館の裏の姿っていうのをよーく覚えてるし体に染みついているので…。
そういう役はおやりになったことないです?ありますあります。
そういう時もすごい手慣れたものでしょそうすると。
やっぱり思い入れがあるんですね写真館のあるじとか。
医者の役も比較的多いほうだとは思うんですけど。
でも写真館のご主人というのは…。
お父様はとてもあなたの写真をたくさんお撮りになってどんなに可愛がってたかとか全部キャプション付けてわかるようにねこの前ちょっと…。
最初の子供だからじゃないですか?それちょっとあるのかな。
可愛い!あなたですねこれ。
可愛いのねお着物着てね。
お母様とこれねお父様お撮りになったからこんなにおっぱいのとこなんかね。
うまく編集して…。
すっごい本当。
それで全部そこにお父様お書きになった…あれが。
「起床間もなく」とかね「ご機嫌良く」とかね。
いわゆる6×6の…正方形のフレームなんですけど…昔の。
それをハガキのフィルターを作って倍撮れるようにその…。
なるほど。
普通だと真四角のね1枚の写真なんですけどそれをフィルターを作って2回撮って枚数が稼げるようなそんな…。
当時としてはねやっぱり大事にしなきゃみたいなね。
でも随分丁寧にねこれご覧になると本当に面白いでしょ?なんかね。
なんとなく映画のサイズになってるのが不思議な感じがするんですよね。
本当にね。
随分たくさんありますよね。
そのたんびに全部下にキャプションがあるのがねすごいなと思います。
いやー…本当に感謝感謝ですねこれはね。
普通ないですものねこういうのね。
そうですかね?ないですよ。
私なんか全然…特に戦争中疎開する時に持っていけなかった写真とかいっぱいありますのでほとんど私写真ないですね。
東京はね空襲があって。
そうです。
松江はやっぱり…出雲山陰のほうは逃れてましたしだからもう…。
可愛い。
大きくなりましたね随分ね赤ちゃんの時から比べると。
あんなふうに…。
お幸せね。
あれでずーっとあるわけでしょ大きくなるまで。
そうですね。
そんなふうに撮っといてくださったっていうのはうらやましいかぎりだと思いますよ。
だってあの頃の写真ちょっと貸してくださいとかっていう仕事ってあるじゃありませんか。
その時すぐぱっと出るでしょう。
出ますね。
私なんか小さい時の写真って2枚か3枚。
それでもね母が必死で疎開に持ってったのぐらいがありますけどもほとんどね…。
撮ったはずなんですけど。
でもそれだけにその1枚2枚がものすごく大切ですね。
だからいつも同じになっちゃうんですよ。
それしかなくてね。
それでもあっただけよかったと思いますよね。
口で説明されなくてもあれをぱっと見せられると何も言えなくなっちゃいますね。
そうですね。
ちゃんと愛情をかけてくれたっていうことが本当にわかるとちょっと違いますよね。
特に年取って…重ねてくればくるほど余計にその思いが…。
お母様お奇麗だったこともありお父様お母様を撮っていらっしゃるのが多いんです。
それもちょっとご覧いただいてよろしいでしょうか。
これねこんなふうに奇麗にねお母様が。
そうね新婚ですからね。
そうですよね。
若々しい。
ただインターンで山梨に行ってて他に何にもね窓から見れるように畑の中の何かもう…一軒家で。
お母さんお風呂に入ってらしたのもありましたもんね。
寝てらっしゃるとこなんかもね。
これ母親にまた怒られちゃうんじゃないかな?大丈夫かな?でも大丈夫じゃない?お父様きっとお母様のことね奇麗だからってモデルに事欠かない…事欠かないって変ですけどね。
写真が好きだからってこともあったでしょうけどね。
あるでしょうけどねあんなふうにたくさんあってね。
なかなかね写真機があってもさ奥さんのことあんなふうに撮んないでしょ普通ね。
うちはあんなにないですね。
ねっそうでしょう。
ですからお父様やっぱりお母様のこと好きだった。
お好きでいらっしゃるんですよきっとね。
今は本当にデジタルカメラになってみんなね毎日サクサク撮れますけど昔はやっぱり一枚一枚が貴重でしたからそれだけに思いも強かったんじゃないですかね。
でもそうやっておうちで現像なすったりっていうんですから随分ねきっと…。
そうですね。
僕もかすかに覚えてますよ。
押し入れの中に入って現像液にフィルム浸してカラカラカラ…回して僕も楽しいもんだから一緒に手伝って回してたの覚えてますね。
お酢のにおいか何かしててねちょっとそういう感じですよね。
そうですね。
それでなんかねこうやってだんだんだんだん写真がね浮き上がってくるみたいなね。
はい。
懐かしいですよそういうことの一つ一つがね。
そういう子供の頃の幼い頃の記憶や体で…忘れちゃってたことを急にふっと思い出してきてね。
それであらためてこういう俳優の仕事を始めて毎日レンズの前に立ってるわけですから。
まあ写真の仕事といえば写真の仕事で。
被写体ではあるけれども。
そうですよね。
やっぱり父亡くなってから余計に写真っていうものに対する思いが強くなって自分でもあらためて気がつかないうちに好きで自分でも撮ってたんだって…。
私ちょっと覚えてなかったんですけどこの前こちらに来てくださった時に私のことを写真に撮ってくだすってたのあなたがね。
確か前回は6年ぐらい前ですかね。
で私の写真が…。
さっきねちょっと見せていただいたんですけどこれ私。
可愛いのよすごく。
6年前だそうですけどもうこのセットになってますね。
今はデジタルカメラでも撮りますけどその当時はやっぱりフィルムにこだわっていてこれも白黒フィルムで撮ってますね。
でもすごく可愛く撮れている…。
可愛いですねあらっ。
可愛いですよね。
本当こんなのね私全然知らなかったのさっきまで。
そうですか?これうちで取ってあって…『徹子の部屋』で取ってあってね。
佐野さんが撮ってくだすったんですよって。
収録終わった後にねせっかくカメラ持ってきてるからと思ってね。
こんな素敵な被写体を逃す手はないと。
ありがとうございます。
全然知らなかったのでびっくりいたしましたけどもそうなんです。
でも本当にあんなふうに…6年前なんですけど少しは変わってるんでしょうけどもぱっと見た時ねこの同じ場所に座ってるんで…。
そうですねスタジオも変わらないですもんね。
もしかしたら毎回いらっしゃるたんびに撮っていただくと何年後何年後でね。
そうか。
最初からやっときゃよかったな。
最初にお邪魔したのはだからたぶん冬彦の時ですよね。
そう冬彦さんの時です。
22年前か。
そうそう…もう22年前ですか。
あれねこの間ちょっとテレビでやってたんだけどなんだか本当にあなたは不気味な息子でしたね。
お母さんはお母さんであなたをすごく…なんか慰めたりなんかして。
いや本当に僕が気持ち悪いとかっていうふうに皆さん…。
それは確かにそういう…気持ち悪いですけど。
でもお母さんも相当なもんですよあれ。
お母さんね野際さんね。
そうそうそうそう。
でも野際さんもあれでああいう種類のお母さんっていうものがあるっていうのを…。
今までのお母さんとは違うっていうね。
そうですね。
奇麗で知的な感じがあってクールな感じのお母さんっていうね。
だけどああいう…。
意地悪な役やっても野際さんって可愛らしいので得ですよね。
本当本当。
本当ね。
ただ気持ち悪かったり怖かったりじゃないですもんね。
相当変ですけどね。
相当変…。
この間見ててなるほどこれはおかしいのだったんだななんて思ったんですけどね。
懐かしい。
小泉八雲…松江ですからそりゃそうでしょお好き…。
そうなんですよね。
松江は小泉八雲…ヘルンさんっていうんですけども。
ラフカディオ・ハーンが本名でラフカジオ・ヘルンって明治時代は言ってたみたい…。
みんながそう呼んだんでしょうね…。
松江の人はヘルンさんヘルンさんって呼ぶんですけど。
松江ゆかりの文人として松江の人みんな愛してますから。
10年近く前からですかね。
松江市の主催で小泉八雲の朗読を…。
僕が色んな作品を…。
彼が書いたもの。
構成して怪談があったりちょっとコミカルな童話があったりあとは哲学的なエッセーがあったりそういうものを組み合わせて大体1時間20分ぐらいの朗読台本を書いて同級生の山本恭司っていうロックギタリストとクラスメートなもんですから一緒に2人で毎年定期的にやってるんです。
今年は7月にラフカディオ・ハーンの…小泉八雲の生まれ故郷のギリシャのレフカダという島で…。
何ていう?レフカダ。
それからコルフっていう島でなんとギリシャで朗読をするという。
すごいですね。
そのユニットですね。
日本語で。
ただ日本語で字幕なので果たしてどういうふうに伝わるのか今からちょっと半分不安ではあるんですけれども。
私ラフカディオ・ハーンのうち行った時に日本のうちですけどどこにもお庭があってね小さいお庭でもあってね。
いいですよね。
実際にその庭の様子を描いている文章なんかを読みますとね実際にまだ残ってるのでちょっと自分でもイマジネーションが…。
昔話じゃなくて今のこととして話ができるんですよね。
それもなんか古いものが残されていくっていうのは後世の者にとってはね本当にありがたいことだなって思ってます。
でも松江が空襲がなかったっていうことは本当にラッキーでしたよね。
ああいうものが随分残ってるのでね。
そうですね大きいですね。
あなたがお撮りになったあれ宍道湖ですか?あそこの写真。
これ僕撮ったんです。
これはね資生堂の会長さんでもいらっしゃいました福原信三という偉大な写真の方がいらっしゃるんですがあとそれに憧れたというか地元の…植田正治さんとか必ず同じこのポジションから松江の大橋を撮るんで僕もだから憧れて撮ったりしましたけど。
でも僕が撮るとちょっと暗くなってましたね。
なんだかやっぱダークサイドな部分が…。
心の闇が出ちゃう…。
でもいい写真じゃありませんか。
これも宍道湖畔でシルエットで撮ったりしたんですけどね。
まあ好きなんですね。
好きなのねいい写真ですよね。
ありがとうございます。
木の形やなんかがよくわかって。
周りに子供がいっぱいいたんですけどねなんか仲間に入れなくてあんなことして…可愛い。
可愛い。
そういうことがありました。
それでまああんなに…美青年っていうんですかね?岡田君って。
岡田将生君。
『宇宙兄弟』の時もびっくりしたんですけど今度もこういうチラシみたいの見てあんまりハンサムで驚いて。
こんな奇麗な顔があるのかなと思いましたけどね。
『オー!ファーザー』という映画で。
ご一緒?息子役で岡田将生君が。
それに4人お父さんがいるという変わった話なんですけれども。
なぜ?っていうちょっとコミカルだけれども…。
あなたもお父さんの1人なんですか?僕もお父さんで。
大学教授の役で出ておりますが岡田君はやっぱり二枚目ですよ。
サスペンスコメディーだそうでちょっと見てみましょうかしらねVTRです。
(由紀夫)
これは俺のオヤジ
この人は俺のオヤジ
これも俺のオヤジ
そしてこれが俺のオヤジ
そうウザいことに俺にはオヤジが4人もいる
(多恵子)「えー!」
(由紀夫)「俺わかったんだよ」「変なマネすればすぐにお前を撃つ」「由紀夫!」
(由紀夫)「俺どうなるんですか?」
(由紀夫)「助けてくれオヤジ!」
(鷹)「オヤジが4人もいて息子一人守れなかったんじゃシャレになんねえだろ」
(悟)「明日朝10時半に迎えに行く。
待ってろよ」岡田君はもう本当に二枚目ですけれども全然自分に二枚目の自覚がないんですよね。
そこがすごいんですよ。
だから余計奇麗に見えるんでしょうねきっとね。
普通の…普段はね本当に普通でニュートラルで。
そうですってね。
ええ楽しいです。
彼と一緒にいると。
彼どんな話してるの?本当に親のような世代なのでどういうふうに映画の世界でねこんな仕事しててどうだったとかね。
今回の仕事はどうだったろうかとね…割と真面目に話してますかね。
彼ももうお酒飲んでいい年ですかね?それはそうです。
そうですかね。
高校生の役やってますけど25だったかな撮影する時。
でも本当にね世の中にはハンサムな人がいるもんだなと思って。
でもよくお見えになるってことは…親っていうことだと血をひいている?ハンサムな人もいればこういう人もいるということで。
ご家族の写真たくさん見せていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
本当にね楽しかったです。
佐野史郎さんでした。
続いては『おしゃべりクッキング』です。
おいしいものです!おしゃべりクッキングでございます2014/05/19(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋[解][字]

〜大女優とキス&家族の写真〜佐野史郎さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
映画にドラマと活躍し続ける俳優の佐野史郎さんがゲスト。
◇番組内容
佐野さんと言えば、22年前ドラマで演じたマザコンキャラ「冬彦さん」の印象が今も鮮烈。その母親役だった野際陽子さんとは、当時共演が続いた事もあり今でも家族のような感覚なのだという。そんな野際さんが番組に出演した際、佐野さんにまつわるある仰天エピソードを告白…その映像を見た佐野さんの反応は?
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32723(0x7FD3)
TransportStreamID:32723(0x7FD3)
ServiceID:2072(0×0818)
EventID:59764(0xE974)