先日堀江貴文さんゲスト出演のナイナイアンサーという番組を見ました。
この日のお題は「「ホリエモンはなぜ嫌われる?」」というもの。
 
自称辛口評論家の方々に前半は凝り固まった価値観でぼこぼこにされる日本のイジメの縮図のような内容に嫌気が差しました。
特にヤンキー評論家?が「お前はやってることがでたらめだ」と言い「いやどこがでたらめなんですか」と堀江さんが返すと「そういうのがダメなんだ」とか「本気で喧嘩できる相手がいないからでたらめなんだ」とかなんだかまぁ、評論家って自分の固定概念にそぐわない事を大声でわめく簡単なお仕事なんだなぁという印象。


 あとは番組スタッフ総出で「お金のために何でそんなに働くんだ」というムードが気色悪かったです。
何度堀江さんがお金はただのツールであるということを訴えても番組を構成する彼らがお金に取り付かれているため「お金が」「お金が」という風にしか話せない。彼らにとってはお金そのものがアイデンティティなんでしょう。
なんだか一人壇上に立たされ批判されてる堀江さんが大変そうだなーと思うよりも周りの出演者のその価値観がただただ哀れだな、と思いました。

 さて、そんな前半部分とは変わり後半、今度は堀江さんと親交深い人達からのズバリな堀江像。
茂木健一郎さん「他人の事が理解できないんだろうね」
勝間和代さん「人の心が分からないから、嫉妬が理解できない」
※一応念押しで、彼らは親交深いからこその堀江像を話しているだけです。

 また堀江さん自身も過去に、大学の先輩に人の気持ちが分からないからダメなんだと言われたのに対して「人の気持ちなんて分かるわけないだろ!」と言い放ったエピソードは度々耳にしていました。 堀江さんが理解されない理由というのは、その他人の事を考えていない、という部分であったと。

 そんな堀江さんについて心理カウンセラーの心屋仁之助は、家庭で寂しかったからじゃないかと。 堀江さんの家は共働きで家に帰っても誰も居ない日が多く、おじいちゃんおばあちゃんの方が普通に話せる仲だったそうです。 つまり堀江さんは寂しい過去の自分に戻りたくなくて、その心の穴を埋めるために勉強して、東京に憧れて、起業して、働いて、必死になっている、と。
そんなこと初めて言われた、と堀江さん。 これは意外でした。 そういえば堀江さんは過去を振り返ることよりも今や未来のためにエネルギー使いたい人だったと考えると、あながち意外ではないのかも。

 そこからまさかのお母さんからの手紙。 内容は要約すると「昔からちゃんと一緒に居てあげられなくてごめんね、褒めて上げられなくてごめんね、どんなにあなたがテレビで批判されててもあなたが一生懸命ずっと努力してること、お母さん知ってたよ。」というような内容でした。
堀江さん号泣。 自分はそこは受け継いだな、と。「刑務所に居る時に後悔した、ヘタクソなんですよ、他人の事を褒めるのが。 部下をもっと褒めてやればよかった」と。

そんなこんなで堀江さんは一度過去に向き合う事、故郷に帰ることで嫌われるホリエモンから脱却できるのではないか、というお話でありました。



というわけで色々と思うところがありました。

■番組のお金お金お金のムードの正体

 芸能人という環境そのものが、博打すぎるため、マネーゲームの中で彼らは生きていかざるを得なかった。 それ故にお金に対してとかく敏感なんだろうなと思いました。 企業と違って、世の中に明確に何かを提供して、それが役に立っている実感、というよりも見世物としてのキャラを作り上げてきたからこそなのだろうとも思いました。 その背景には血反吐を吐くような期間を各々が経験しているというのもあるのでしょう。 そう理解した上で、嫉妬も怒りも無く、ただ、哀れだな、と思いました。

■堀江さんの過去を通して自分を重ねた

 私は前述した通り、かなり捻じ曲がった家庭で育ったので親の愛とかも分かりませんでした。 機械のような子ども時代を辿っていました。 ただただ愛に飢えていたように思います。 私はコンプレックスの塊で、その発散をゲームをしたり絵を描いたりして過ごしていました。 そんな私とは対照的に、堀江さんは、自分の足でどんどん外に踏み出していた。 でも、もしかしたら感じていた寂しさや、それによって理解できない他人の気持ちに関してなどは、似通った育ち方をしたのかな、と思いました。 それ故に私は知り始めた当時から堀江さんに惹かれていたのかもしれません。

■コンプレックスを力に転換させる

 堀江さんは寂しさのコンプレックスを全て前向きに力に変えているのだなと思いました。 だったら私も過去に抱えたこのどうしようもない悲しさや悔しさ寂しさをバネにしよう、と前向きになれました。 きっかけはもっと前からありましたが。

■自分が不幸だと思う人ほど自己理解

 真面目系クズとは愛着障害につながる、愛着障害とは過去の親のなんらかの歪んだ愛情表現により、子どもが著しい自発性・自尊心の欠如に陥ったり、躁鬱病のような感情のムラが出来たりする、というのは何度か紹介してきましたが、結局原因を突き止めた先にあるのは親との対話であるのだなと改めて思いました。 私は今年の夏に一度父親と話、ケリをつけました。 それ以前まではずっと逃げていました。 逃げることで心を無理やり安定させていました。 だけど、腹の底から対話してみたら、親への気持ちが晴れるのと同時に、私自身のしがらみも消えました。 納得する話し合いが出来た、とかじゃなくて「言えない」と自分自身で作っていた防衛ラインを飛び越えてみた。 その工程が大事であると感じました。 親を通して自分を理解したのでした。

■子は親を写す鏡 他人は自分を写す鏡

 誰に対しても信用してない人は他人にも信用されることはありませんから、お金やモノや名誉で信用を得ようとします。 でも、決して本当の信用は得られない。 その寂しさを紛らわすために、更に他人の信用をモノで得ようとする。 それはもしかしたら過去の親との関係が、そうだったのかもしれません。

というわけで、紆余曲折しましたが今のあなたがあるのはやっぱり親の影響がデカいと思いますので、人との間柄でうまくいかないことがあり、それに悩むようでしたら、他人ではなく自分をとにかく見つめ、理解することに尽きるんだな、と思いました。

いやホント。