元大関・魁傑、放駒前理事長が死去
2014年5月18日21時32分 スポーツ報知
大相撲の元大関・魁傑で、放駒親方として一昨年まで日本相撲協会理事長を務めた西森輝門(にしもり・てるゆき)氏が18日午後に急死した。66歳だった。山口県出身。
関係者によると、東京近郊のゴルフ練習場で気分が悪くなって救急車で運ばれ、都内の病院で午後3時21分に死亡が確認された。死因は不明。
日大柔道部を経て、1966年秋場所で花籠部屋から初土俵を踏んだ。「休場は試合放棄」の名言を残した12年余りの現役時代は一度も休場をせず、誠実な土俵態度から「クリーン魁傑」と呼ばれた。幕内優勝は2度。75年春場所で大関に昇進し、一度は転落したが77年春場所で返り咲いた。
79年初場所限りで引退し、放駒部屋を興して横綱・大乃国らを育てた。2006年から相撲協会理事となり、審判部長や巡業部長を歴任した後、10年8月に野球賭博問題の余波を受けて急きょ、理事長に就任。11年2月に発覚した八百長問題で事態の収拾に尽力し、年寄名跡の問題など公益財団法人認定に向けた組織改革の議論を進めた。
一昨年1月に理事長を退き、昨年2月に協会を定年退職した。
北の湖・日本相撲協会理事長「努力の人だった。大関に2回上がったのは頭が下がる。優勝決定戦で負けた思い出もある。元気だと思っていただけに残念だ」
芝田山親方(元横綱・大乃国)「言葉がない。体調が悪いとかも聞いていなかった。気持ち的にも整理がつかない。偉大な師匠でした。ただ、今はそういうコメントよりも何も…。原因は何もわからない。ゴルフ(の練習)に行っていたのだから、俺より健康だったと思う」