絓秀実の新著を読む

 絓秀実氏から新著『天皇制の隠語』を送っていただいた。去年の『子午線』2号に部分的に載せた論文「天皇制の隠語 日本資本主義論争」を中心として、最近発表した論争的な文章を集めた重厚な本である。そのすべてをまだ読んだわけではないが、絓氏が今や現代日本のほとんど唯一の知的に「良心的」な批評家であることを改めて実感させる刺激に満ちた本であることは間違いないだろう。特に後半の時事的文章は相変わらず冴えまくっている。しかしただ礼賛するだけの社交辞令的な態度ほど絓氏に対してふさわしくない態度はないと思うので、この機会に私なりに批評を試みてみたい。
 この本の中心は、最初に置かれた長篇論文「天皇制の隠語 日本資本主義論争」である。その主旨は小林秀雄に始まる近代日本批評の文脈を、「日本資本主義論争」という観点から読み直し、解釈し直すということにある。「日本資本主義論争」とは、一九三〇年代に、日本のマルクス主義者たちの間で、日本の資本主義の性格をめぐって「講座派」と「労農派」の間でたたかわされた論争である。それは、明治維新が絶対王政的天皇制の確立だったのかブルジョワ革命だったのかという天皇制の位置づけをめぐる論争だったが、小林は「私小説」を「封建主義文学」という「講座派」的用語で定義し、それを過去のものとして葬った上で、「社会化した私」を表現する新しい小説を展望することで文壇的覇権を握った。しかしそれは結局「封建主義文学」としての近代日本文学の延命と天皇制への帰依に帰着するしかなかった。これに対して、小林グループの一員と見なされて来た中村光夫は、小林のように「私小説」を終わったものと見なさず、現に生きている恐るべき敵として、「講座派」的な観点に徹底して立ちつつ厳しい批判を展開し、そのことで天皇制に対しても批判的でありえた。
 小林秀雄に対する中村光夫の優位という視点は、以前からの絓氏の持論であるが(蓮實重彦の影響かどうかは知らない)、それが「日本資本主義論争」という文脈から読み直されることで、文学にとどまらない壮大な思想史的・批評史的見取り図が繰り広げられる。私はその細部を批評できる知識はないが、説得的に読める部分は多い。ただ一つ気になったのは、次の文章である。「そして、このような文学観=歴史観に対するひそかな、しかしラディカルな批判を遂行したのが、「私小説論」の文学史観を共有していたかに見えた中村光夫にほかならなかった。中村にとって、私小説は亡びてなどいなかったからである」。
 私がつまづくのは「ひそかな」という言葉に対してである。中村は小林をラディカルに批判していた。ただし「ひそかに」。。。ここですべてが内緒話になってしまう。中村の小林への批判は「ひそかに」行われるシャドウ・ボクシングであり、小林自身は全く気がつくことのない批判であるということなのか。しかしそのような秘密、「隠語」においてしか語れない批判に何の意味があるのか。
 絓氏は、中村史観をパラフレーズしつつ、二葉亭や逍遙にはあった文学への懐疑を花袋の『蒲団』は払拭することで文学を天皇制の統制下に置いたとする。そして3.11以後に多くの文学者が書こうとした「鎮魂文学」はそれを受け継ぐものであることにおいて、『蒲団』のように「単に下らないものでしかなかった」と述べる。だがそれらの「鎮魂文学」は確かに「単に下らないもの」だったかもしれないが、それが「『蒲団』のごとく」だったかどうかは議論の余地があるだろう。少なくとも「鎮魂文学」を書いた作家たちには全く心当たりがないだろうし、従ってそのように言われても何も傷つかないだろう。小林に中村の批判が届かないように、「鎮魂文学」の作家たちに絓氏の批判は届かない気がする。「鎮魂文学」の作家たち(具体的に想定されているのはたとえば高橋源一郎やいとうせいこう?)は、たぶん自分を花袋よりは漱石や二葉亭といった「近代文学を懐疑した特権的な人々」に結びつける自意識を持っているだろう。その自意識を破壊する論理を絓氏は提示していない。高橋らと花袋とのつながりは高橋ら自身には実感できない「ひそか」なものでしかありえない。
 私が疑問に思うのは、そもそもなぜ小林が『蒲団』を私小説の起源とし、それを中村が継承して定説化したのかということである。これは自明の前提ではない。今となっては動かし難く見えるが、私小説の起源は『春』でも『別れたる妻に送る手紙』でも、候補はいろいろあったはずだ。数ある初期の私小説の中で『蒲団』が象徴的代表として政治的に選ばれた過程は、それ自体一つの重要な研究対象になるだろう。絓氏はかつて『「帝国」の文学』という名著(天皇制を批判するかに見えて屈服にしかなっていない『不敬文学論序説』が文庫化されて、こちらが文庫化されないのは、当たり前と言えばそうなのかもしれないが、不当なことである)を書いているが、そこでは自然主義文学はもっと複数的に丁寧に扱われていたように思う。今回の『蒲団』の「もの」性への言及は、それに比べると単純化され過ぎている。特に『「帝国」の文学』にはあった漱石についての批判的目配りが、この論文から欠落しているように見えるのが気になった。
 絓氏の論の根本的問題は、それが「天皇制」への批判ではあっても「天皇」への批判ではないということにある。といいうよりむしろ「天皇」を括弧に入れることにより「天皇制」への批判が可能になっているという構造がそこにあるように感じられる。絓氏は『1968年』で中野重治の『村の家』を日本ロマン派とのつながりにおいて見事に読解しているが、そこに記された「無としての故郷が、同時に、還元しがたい硬いフェティッシュな「もの」であることによって、本源的な故郷喪失者は「帰郷」を繰り返すのである」という指摘を使うなら、「天皇」とはそのような「還元しがたい硬いフェティッシュな「もの」」であり、「天皇制」とは、その「天皇」=「もの」に繰り返し「帰郷」しては突き放される「本源的な故郷喪失者」たちが作り出す制度であるだろう。
 たとえば中村光夫にとって小林秀雄(あるいはフランスの市民文学)はそのような「天皇」であり、そしてこの「天皇」に向けて繰り返し「帰郷」することで中村の「文学史」は作り上げられ「天皇制」として機能した。そのように解釈した方が私には納得できる。確かに中村は「天皇制」=近代日本文学を批判したかもしれないが、その批判はむしろ「天皇」によって生命を吹き込まれているのであり、そのことにおいて相対化される。中村が『蒲団』にこだわったのは『蒲団』が硬い「もの」だったからではなく、「もの」に付着した「汚れ」だったからではないか。『蒲団』のラストで主人公が顔を埋めて女の移り香を嗅いで泣くのは汚れた蒲団だった。ここにはフェティシズムがあるようでいて実はない。花袋は谷崎潤一郎ではない。似ているように見えながら、花袋の汚れは、フェティシズムの対象にならず、むしろフェティシズムを脅かしてしまう。『蒲団』批判者たちとは、自然主義という汚れを掻き落とすことでフェティッシュな「もの」(本来的な文学)に到達できると信じ、落としても落としても落ちない汚れを神経症的(=フェティシズム的)にこそぎ続ける「本源的な故郷喪失者」たちである。中村の『蒲団』批判は、「もの」から汚れを拭い落とし、「もの」を本来的な清らかさにおいて輝かせ、硬さを取り戻させるフェティッシュな欲望に貫かれているのではないか。
 この欲望は絓氏自身の批評の原動力であるのかもしれないとも思う。絓氏はジャンクなものに敏感だが、それはゴミが好きなのではなくゴミ掃除をするのが好きなのだ。そう考えると絓氏と中村光夫は確かに重なる。そして絓氏にとって、中村にとっての小林秀雄に当たる存在(の少なくとも一人)はやはり柄谷行人なのかと、本書を読んで改めて感じさせられた。柄谷の『日本近代文学の起源』は、絓氏によれば中村の「講座派」的近代文学史観を「労農派」的視点から批判するものであるとされるが、それが小林の「私小説論」を乗り越えているかについては、私は絓氏と見方が違う。絓氏は、柄谷が日本近代文学の「世界同時性」を主張することで、日本近代文学の「封建主義文学」性を主張した「私小説論」の枠組を批判したと見るが、小林においても、現在の日本文学は「世界同時性」を獲得しつつあると診断されているように見え(「社会化した私」)、結論の方向性は同じに見える。小林が漱石・鴎外について「彼らの抜群の教養は、恐らくわが国の自然主義小説の不具を洞察していた」と書いたことを敷衍する形で、柄谷は『起源』において漱石を近代文学の懐疑者として位置づける。
 『「帝国」の文学』で絓氏は、「否定されるべき「蒲団」という作品自体が日本近代文学のなかの「汚れ」であり「染み」なのだが、そのことを平野や中村のように一方的にネガティヴに捉えてはなるまい」と書いていたが、「天皇制の隠語 日本資本主義論争」では、「中村の「蒲団」への問いは、どうしてかくもくだらない作品が近代の日本文学を決定してしまったのかということ」であるとされて、かなり一方的にネガティヴな『蒲団』評価に変ってしまった。私にはこれは認識の後退に見える。いずれにしても「天皇制」は「くだらない」ものであるには違いないだろう。だが「天皇」を「くだらない」と言うことはたぶん絓氏にはできない。柄谷や漱石を「くだらない」とは言えないように。
 私は『アンチ漱石』で「天皇制」と同時に「天皇」を批判したかった。それは必ずしもうまく行かなかったが、根本的な方向性は間違っていなかったと思っている。そして「天皇」批判の必要性は、現在も変ってはいない。
 
 
 
 


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プロフィール

Author:大杉重男
批評家。著書に『小説家の起源-徳田秋声論』『アンチ漱石-固有名批判』

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