東京レター
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【社会】白寿が担ぐ三社祭 歴史700年「祭りは人生そのもの」2014年5月19日 07時06分
浅草神社(東京都台東区)の三社祭が最終日の十八日、勇壮な宮出しと宮入りでフィナーレを迎えた。国内外から大勢が訪れた伝統行事の指揮を執ったのは、数えで九十九歳、白寿を迎えた鈴木秋雄さんだ。氏子団体「浅草神社奉賛会」の会長で筆頭総代を務め、「祭りは自分の人生そのもの」と今年も現役として神輿(みこし)を担いだ。 (丹治早智子) 「どいて、どいて。会長が担ぐぞ!」。十八日夕方、氏子町会の一つの千二西町会に緊張が走った。若者に守られ、鈴木さんが宮神輿の担ぎ棒の下に滑り込む。「オイサ、オイサ」。もみくちゃになりながら担ぎ終え「すーっとした」と満面の笑みを見せた。 三社祭は宮神輿の御霊(みたま)入れも含め四日間。華やかな表舞台の裏でもさまざまな神事がある。この日早朝の宮出しでは神輿の進行の遅れに誰よりも気をもんだ。足袋のまま玄関に下り、担ぎ手に注意を飛ばした。高齢でもお飾りの会長ではない。「担げなくなったら引退」と、毎朝、足を後ろにけり上げるトレーニングを欠かさない。 千葉県の馬来田(まくた)村(現・木更津市)で七人兄弟の末っ子に生まれた。江東区の材木店で奉公後、十九歳で、のちに婿養子に入る浅草の材木店へ入った。 戦争中はパプアニューギニアのラバウルで右足に大けがをし、ケロイド状の傷が残った。復員し、焼け野原にバラックを建てて店を再興、浅草に根を張った。一九四八年、戦争で中断していた三社祭が復活。担ぎ手が少なく、鈴木さんは夜通し担いで歩いた。「まさか自分が仕切るようになるとは思わなかった」と笑う。 町会長を三十年務め、九六年に総代に。戦後初めて修理に出した宮神輿の引取(ひきとり)式を任され、前夜は緊張で眠れなかった。「生粋の浅草っ子じゃないからこそ人一倍、神社に奉仕を」。初心は今も心に刻む。 三社祭は近年、神聖な神輿に乗る者が後を絶たず、再三の警告にもかかわらず二〇〇六年には人の重みで担ぎ棒が折れる事故が起きた。神社と奉賛会は〇八年、宮出し中止を決断した。 三社祭は起源の「舟祭」から数えると七百年超の歴史がある。「続けていく人たちのため、今すべきことをやらなければ」。決断は正しかったと信じる。 大勢が心を一つにして初めて、神輿はきれいに担ぎ上がる。親子の絆、人々のつながり。理想とする祭りの原点は、そこにある。 (東京新聞) PR情報
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