建て替えを決めてから、家づくりにはどれくらい時間をかけられましたか?
実はメチャクチャ時間をかけたんですよ。50歳を目前にして、子供たちが手を離れ、このまま家も離れてから建てるべきか。それともこの子らがいる間に、家に子供達がいた思い出を残して終の住処とするか。ものすごく妻と話し合ったんです。夫婦二人で、二人のための家をこうしようああしようと色々考えて、それで結局2年くらいかかりましたね。
家づくりのスイッチはどの時点で入ったのですか?
そもそものきっかけは、近所の住宅展示場へ行って、たまたまそこで、あるメーカーのモデルホームに入ったんですね。そこは床が白いタイルの家だったんですよ。
うちの家の南側は道があって、そのまま斜面なもんですから、ものすごく開けているんですよね。で、南側の斜面を利用して視界の開けた家を作りたいなあと思った。
以前の家は小さな部屋がいくつもある間取りだったんですけれど、うちのライフスタイルからいくと使い勝手が悪い。そのモデルホームは広いリビングと、それと一緒になったダイニングキッチン。これがひとつの部屋みたいになっている。それを見て、「あ、こんな家が建てたい」って思って、そこから一気にスタートしました。
住宅展示場はその後も利用されたんですか?
ほんとにもう、住宅展示場は行き倒しましたね(笑)。休みの日になったら、夫婦で展示場に行くと言う感じで。ちょうどその頃は、いまの月ー金じゃなく、土曜日の番組をやってたもんですから、平日の休みが多かったんですよね。だから、比較的空いている平日にゆっくり行けたのがよかったですね。
近くの奈良の住宅展示場を隅から隅まで見尽くしてしまった後は、ホームページで見て、このハウスメーカーのこの家が見たいって思ったら、大阪の千里はもちろん、りんくうも行ったし、神戸も、京都も行きました。もう色んなモデルホームを見倒して、それで結局、設計っていうか、プランを作っていただいたのが2社さんだったんですよ。
でも、最初のプランでは費用は目が飛び出るくらいの金額だった(笑)。
そこからプランを練り直していく時に、あるメーカーの営業でものすごく気に入った方がいて、彼にもう1回お願いしたいと思ったんです。ところがその人が異動で別の地域に行ってしまって、僕らは「彼でやって欲しい」と、強くお願いしたんですけれども、エリアが変わると担当はできなくなるということだったので、じゃあこれは縁がなかったのかなということで諦めました。
その一方で、別のメーカーの設計の人が実は僕の同級生だということがわかりまして、その彼とぶっちゃけ、家を建てる建てないは抜きにして一度話をしたんです。すると彼は僕の前回のプランのことも踏まえて、それなら構造材を変えれば安くなるよと教えてくれました。僕はモデルホームを見て、勝手な先入観でものすごく高級なイメージを持っていたんですね。でも、プランに応じた構造や工夫でコストを抑える方法があることを示してくれた。
こんな風にほんとに紆余曲折があった訳ですが、その間、展示場にはほんとに足繁く通いましたよ。千里のモデルホームなんかはもう、何回も通いました(笑)。
たとえば床のテラコッタタイルの素材が気に入ったので、「これはどうだろうかとか」と。階段も、うちはリビング階段にしているんですけれども、いくつかあるモデルホームの中から「あんな感じがいい」っていうのを見つけたら、メーカーの方に「どこそこの会場のあの階段」って言えば、ああ、あれですねってすぐにわかってもらえる。タイルも品番から何から全部調べてきてくれるんで、そういう風に話が早く進むのでね。
僕たちはそういう風にして、モデルホームを活用していったんですね。
●生年月日:1960年4月14日 ●入社年:1984年 ●出身地:奈良県生駒郡
●好きな音楽:南こうせつさんは、中学時代からずっとファン。アナウンサーになったおかげで会うこともできた。
何度聴いても涙ぐんでしまう曲がたくさんある。コンサートではいつも一人で涙している(笑)
●担当番組:[テレビ]おはよう朝日です・土曜日です/ワイドABCDE〜す/一志相伝(ナレーション)〜放送中
[ラジオ]ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です〜放送中