「林原家」に何が起きていたのか

林原健元社長が同族経営を総括する(上)

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2014年5月19日(月)

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突然の経営破綻から3年。沈黙の時を経て、林原健元社長が『林原家〜同族経営への警鐘』を上梓した。日本経済新聞の「私の履歴書」にも登場した同族企業の雄は、なぜ倒産しなければならなかったのか。元カリスマ経営者が、経営破綻を招いた同族経営の死角を語る。(聞き手は北方雅人)

林原は20年以上にわたって粉飾決算を続けていましたが、林原さんはその事実を知らなかったそうですね。そもそも会社の経営状態をどの程度把握していたのですか。

林原:経理は、弟で専務だった林原靖が担当していました。後から知ったのですが、弟は社員に対して「儲からない」とよく口にしていたらしい。例えば毎月、部課長クラスを集めて「全社連絡会」という名のミーティングを開いていました。そこでの弟の話は「儲からない」「利益が出ない」「経営者になったつもりで頑張ってくれないか」という言葉が決まり文句で、社員によれば「儲かった」という話は一度も出たことがないという。

林原健(はやしばら・けん)
1942年(昭和17年)岡山市生まれ。61年、慶應大学在学中に父の死去に伴い、林原の4代目社長に就任。林原を研究開発型の世界的な食品素材、医薬品素材メーカーに育て上げる。2011年、会社更生法の適用を申請し、辞任(写真:菊池一郎)

 けれど一方で、社長の私は研究費をいくらでも使えと指示するし、新しいメセナ事業は始めるわけで、社員は困惑していたはずです。「専務は儲からないと言うけれど、土地の含み資産があるから結局のところお金はあるんだろう」と納得していたのかもしれない。

 それは私自身も同じでした。バブルが崩壊してから「資金繰りが楽ではない」ということは弟から何度か聞いた覚えがあります。しかしトレハロースをはじめ、市場で圧倒的なシェアを持つ商品はいくつもある。地価が下がったとはいえ、父の代からの膨大な不動産があり、資産価値は1000億円は下らないだろう。それに弟は、私が頼めば研究費をすぐに出してくれた。以前に比べて楽ではないかもしれないが、資金は回っており、借り入れ分の資産の裏付けもある。私はそう信じて疑わなかった。

財務のことはほとんど社内で話題にならない

林原の社内では、会社の財務状況を共有する場はなかったのですか。

林原:林原では年末に、グループ全社を集めた経営方針会議を開催していました。グループ各社の役員幹部が集まり、2、3日かけて1年の業務報告と翌年の目標、戦略を発表する。実務全般を弟に任せていた私は、この会議に出席していませんでした。出席していた役員の話によると、この経営方針会議の前に林原本社の役員だけが集められ、経理担当役員から決算内容の説明を受けるようになったそうです。

 「林原の売り上げは〇〇億円で、昨年度より〇億円増えました」

 「トレハロース事業は〇億円の利益が出ました」

 大体、このような感じだったらしい。報告といってもこの程度で、PL(損益計算書)やBS(貸借対照表)の資料を配るようなことはない。誰かが借入額を質問しても「あまり儲かっていないけれど、大丈夫ですよ。心配要りません」と詳しく答えなかったという。


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