語学学習は3000万人のデータで毎週進化する。ルイス・フォン・アーン氏来日インタビュー
12億人に社会貢献をさせることはできるか。不可能に見えますが、これをやってのけた男がいます。彼の名はルイス・フォン・アーン(Luis Von Ahn)。インターネット上のスパムを防止するシステム「CAPCHA(キャプチャ)」を開発した人物としても知られ、後にクラウドソーシングの概念を取り入れた「reCAPCHA(リキャプチャ)」を発明し、Google社に売却した人物でもあります。米国で「天才」とも呼ばれる彼が今注目する分野は「語学学習」です。彼が開発した語学学習アプリ「Duolingo(デュオリンゴ)」は、昨年のApple社が選ぶ「年間ベストアプリ賞」にも選ばれました。
今回、ライフハッカー[日本版]は、アーン氏の来日に合わせインタビューをする機会を得ました。彼が語ってくれたは、クラウドソーシングが秘める可能性から、語学に注目した理由、プロジェクトに残された今後の課題まで。彼の情熱に胸が熱くなること間違いなしです。
あなたも既に彼のプロジェクトに貢献していた
インターネットをしていて、下のような歪んだ文字や数字を見たことはないでしょうか? 入力を求められるものの、読みにくくて煩わしいと感じることもよくありますよね。
このシステムは「CAPCHA(キャプチャ)」と呼ばれ、インターネット上のスパムを防止するセキュリティシステムです。要するに、ユーザーが人間かどうかを判別するシステムで、例えばオンライン投票でボットに大量投票させるのを防いだり、不正アカウントの大量作成を防いだりするといった用途に使われています。
「reCAPCHA(リキャプチャ)も同じ用途に使われているのですが、一番の違いは、ユーザーがタイプした文字情報を本のデジタル化に活かしている点です。システムに使われる歪んだ文字自体もコンピュータがOCR(光学文字認識)で読み込めなかったものを選んで抽出しています。つまり、読みにくい文字の入力をするのと同時に、本のデジタル化という社会貢献もできてしまう、一石二鳥のアイデアなのです。
これまで「reCAPCHA」を使った人は12億人もいます。1人にとっては、たった数文字のデジタル化ですが、12億人が恊働すれば膨大な量のデジタル化が短時間で達成できます。しかも、この作業にコストは一切発生していません。
クラウドソーシングを語学学習に応用
アーン氏が次に目を付けたのは、語学学習でした。2012年に語学学習サービス「Duolingo(デュオリンゴ)」を立ち上げ、現在は世界中でユーザーが増えています。先日、日本語版のiOSアプリがリリースされました。
「Duolingo」で語学を学ぶのにユーザーは利用料を支払う必要はありません。収益のモデルは以下のようになります。
- 翻訳ニーズをもった企業がDuolingoに翻訳を依頼する。
- 企業は、翻訳したい文章を文字データとしてDuolingoに提供。
- Duolingoはその文字データを、コンテンツとして語学学習サービスで使用。
- ユーザーが語学学習を通して翻訳した文章を企業が購入する。
実際、Duolingoは昨年、CNNなどのニュースメディアと記事の翻訳をする契約を交わしました。
ユーザーにとってはコストをかけずに語学学習ができて、企業にとっては安価な翻訳を依頼できるといったメリットがあります。
こう聞くと完璧なアイデアのように聞こえますが、アーン氏は「今のDuolingoがあるのは、常に細かい改善を重ねてきたからだ」と言います。
「思い込み」を疑うことで、新しいアイデアが生まれる
── そもそも、ReCAPCHAの開発において、クラウドソーシングを導入しようと思ったきっかけは何ですか?
アーン氏:CAPCHAの開発後、このシステムはほとんどすべてのウェブサイトで使われるほど普及しました。そこで、CAPCHAがどれくらい使われているか調べたところ、1日で2億回も使われていることがわかったのです。入力にかかる時間を計算してみると、私たちは非常に長い時間を無駄にしていると気づきました。「この時間を何か役に立つことに使えないか」と思ったのがきっかけです。当時は何をしたらいいかわからなかったのですが、「文書のデジタル化」に使う、というアイデアにたどり着きました。文書のデジタル化とCAPCHAはとても相性がいいので、このアイデアを思い付いたのはある意味自然な流れでした。
── そのような大きな気づき、発想力をどうやって思い付くのですか?発想力を鍛えるために個人的にしていることはありますか?
アーン氏:毎週日曜日に1時間だけですが、考える時間を作るようにしています。日常生活の中で、私たちは「これはこうで当然だ」と思っていることがたくさんあります。それ自体は仕方のないことなのですが、「思い込んでいて見えていないこと」もたくさんあります。そんな思い込みをリスト化する時間です。最近はDuolingoのことばかりを考えています。ほとんどの場合、役に立たないアイデアばかりですけどね。でも稀に、いいアイデアを思い付きます。
── 例えば、最近どんなことを思い付きましたか?
アーン氏:Duolingoに関することですが、語学学習の初期段階に会話レッスンを導入しようとしています。一般的に、語学を学び始めたばかりの初心者は会話なんてできないと思われていますよね。でも私は、初心者でも会話はうまくなる、と考えています。
── それは実際の音声による会話ですか?
アーン氏:音声の会話も導入しますが、まずはチャット(テキストメッセージ)のような形になります。これは2〜3ヶ月以内に導入する予定です。
── 書籍のデジタル化から始まり、ウェブ上で書かれているすべての言葉を翻訳することを目標にされていますね。地球規模の問題解決に取り組む原動力は何ですか?
アーン氏:私にとって、プロジェクトの大きさが強いモチベーションになっています。例えば、ReCAPCHAはこれまで12億人もの人々に使ってもらいました。ここまでスケールが大きいプロジェクトは他に存在しないでしょう。私は、小さいスケールのプロジェクトにあまり興味がありません。小さいプロジェクトに意味がないと言っているわけではなく、私にとっては大きなプロジェクトこそがおもしろいプロジェクトなのです。実際、ReCAPCHA以降、物事をよりグローバルに考えるようになりました。でも、まだ不十分だと思っています。TED talkでも話しましたが、人類がこれまで行った偉大なプロジェクト(ピラミッドの建設、パナマ運河の開通、月面着陸など)は10万人の人々が協調した結果です。1億人が協調すれば、もっと偉大なことができるでしょう。
語学はもっともニーズが高く、人々の生活に大きな影響を与える学問
── CAPCHA、ReCHAPCHAの後に、Duolingoという語学の分野に注目された理由は何ですか? 翻訳ビジネスを一番先に始めた理由は?
アーン氏:いくつか理由があります。まず、スケールの大きさです。語学を学ぶ人は世界で約10億人もいて、本当に多くの人が学んでいます。また、語学は学校を卒業した後で学ばれている分野でもあります。例えば、社会人になってから英語を勉強する人はたくさんいますが、社会人になってから数学を勉強する人なんていませんよね。なので、語学は本当に多くの人が学びたがっている分野だと思いました。また、語学を学んでいる人は、良い仕事を得るためとか、昇進するためといった目的を持って勉強しています。語学に注目することで、このような人々を助けることになるでしょう。
── ReCHAPCHA、Duolingoといったクラウドソーシングにおいて、もっとも重要なことは何だと考えていますか?
アーン氏:参加する人の多さです。参加する人が多ければ、それだけ社会に与える影響も大きくなります。ReCAPCHAでは、人々に文字を入力してもらうのに工夫は必要ありませんでした。入力しないとログインできないので、入力するしかなかったからです。Duolingoの場合、語学をするのに最適な場所だと人々を説得する必要が出てきます。Duolingoには現時点で約3000万人のユーザーがいますが、今のDuolingoがあるのはこれまでにさまざまな改善を重ねたからです。
Duolingoで重視するのはゲームのような楽しさ
── 他の語学学習と比べて、Duolingoの強みは何だと思いますか?
アーン氏:まず、ほとんどのユーザーはデスクトップ版のDuolingoではなく、アプリ版のDuolingoを使っています。その理由は、好きな時間にいつでも勉強ができて便利だから、というのもありますが、ゲーム性が高いからでもあります。Duolingoはゲーム的な要素を多く取り入れていて、ユーザーにアンケートを取ってみると、Duolingoで学ぶ理由としてもっとも多かったのは「楽しいから」という回答でした。
外国語学習において、「言いたいことがだいたい伝わるレベル」まで到達するのに最低でも200時間の学習時間が必要だと考えています。私たちの課題は、どうやって200時間もユーザーにモチベーションを保ってもらうかということです。この点、学校で授業を受けるなら、比較的簡単だと思いますが、1人で勉強するアプリの場合、これは非常に難しい課題です。Duolingoでゲーム的な要素をたくさん取り入れているのは、学習者に継続してモチベーションを持ってもらうためです。
── Duolingoに取り入れたゲーム要素でモチベーションを保つのにもっとも効果的だったのはどの要素ですか?
アーン氏:Duolingoでは、「ライフ」という要素を入れています。間違った回答をするとライフがどんどん減っていくのですが、この要素を消してみるテストをしたところ、アプリのゲーム性は著しく低下することがわかりました。モチベーションを保つ上で、この要素は非常に重要だということです。もう1つは、学習内容をアンロックする要素です。アプリを初めて開くと、学習できる内容は少ししかありません。学習を進めれば進めるほど、新しい学習内容が選択できるようになります。同じようにテストしたところ、この要素もアプリを楽しくするのに重要な要素だとわかりました。
他には、レッスンで良いスコアを出すと、アプリ内で「リンゴット」と呼ばれる仮想通貨を稼ぐことができます。リンゴットはアプリ内でしか使えないのですが、おもしろい使い方ができて、例えば「英語で女の子を口説く」といった特別なレッスンを購入できます。勇気がないと言えないようなフレーズばかりですが、とてもおもしろいものばかりです。
学校の語学教育よりうまく教えられる
── 日本では、受験英語に代表されるような暗記教育への批判が根強いです。リスニングやスピーキングといった、もっと実践的な英語を教育すべきという声も大きいのですが、そのことについてどうお考えでしょうか?
アーン氏:これはDuolingoを世界展開する上で気づいたことなのですが、読解力に偏重した語学教育は日本だけに見られる現象ではないようです。中国や東欧といった他の国でも一般的に見られます。スピーキングといった実践的な語学教育において、Duolingoは学校教育よりうまく教えられると思っています。一般的に、授業でスピーキングの練習をする機会はあまりありません。学び始めの初級学習者の場合は特に、です。ただ、私は初級学習者でもスピーキングの練習をしたほうが語学は上達すると考えています。
── 一般的な日本人の心理として、Duolingoの文章が企業の翻訳に使われていると思うと「しっかり訳さないといけない」と気負ってしまう可能性があると思います。どのような心構えで英語学習を進めたら良いと思いますか? 何かアドバイスがあればお願いします。
アーン氏:初心者の回答文はリアルな翻訳文に使われないので安心してください。使われるのは初心者以上のユーザーが訳した文章で、1つの文章を翻訳したい場合は、同じ文章を訳す人がたくさんいるので、質の高い翻訳文だけを選べます。この際、良い翻訳文をユーザー投票によって選んでもらう方式を採用しています。
── Duolingoに残されている今後の目標や課題はありますか?
アーン氏:Duolingo認定の資格テストを作ろうとしています。語学を勉強する人は、資格の取得を目標にしている人も多いですよね。Duolingoのユーザーでも、そのような人は多いです。ただ、そのような資格を取るのにコストがかかりすぎるのが問題です。例えば、英語の標準化テストである「TOEFL」を1回受けるには200ドル(約2万円)もかかります。日本は経済的に豊かな国なのでまだ良いですが、平均月収が2万円の国では受けること自体がバカバカしいですよね。Duolingoのテストを作ることによって、このような世界的な格差も是正していきたいと思っています。先日ベータ版を発表したばかりですが、Duolingoのテストを受けるのに必要なコストは20ドル程度で、アプリ上で受けられるようにする予定です。
私は頻繁にミスをしますよ
── 天才と呼ばれていることについてどう思っていますか?
アーン氏:一部のメディアが私を天才と呼んでいるのは知っていますが、気にしないようにしています。数年前にアメリカで「Genius Grant」と呼ばれる名誉ある賞を受け取って以来、何かミスをする度に私をからかう人もいました。実際のところ、私は頻繁にミスをしますよ。とにかく、天才という呼び名を意識することはなくなりましたね。
── 小さい時はどんな子どもでしたか?
アーン氏:幸せな子どもでした。私が8歳の頃、両親がキャンディー工場を経営していて、週末になるといつもそこで遊んでいました。工場では機械を分解したり、壊したりしていました。キャンディーを食べていたわけではないですよ(笑)。
また、同じ頃に両親がコンピュータを買ってくれました。といっても、ゲームがしたかっただけなのですが。
── 2012年のTEDトークで、Duolingoの他にも進めているプロジェクトがあると言及されていましたが、Duolingoの次に検討しているプロジェクトはありますか? また、クラウドソーシングを使っていつか解決したいと思っている問題はありますか?
アーン氏:今取り組んでいるのはDuolingoだけですが、Duolingoを使って新しい分野を教えるかもしれません。現在、Duolingoで教えているのは語学だけですが、とてもうまくいっているので、語学以外の分野を教えることも検討しています。
── 2012年のTEDトークで、「すべてのウェブをメジャー言語に翻訳する」と意気込みを語っていましたが、その目標の進捗はいかがですか?
アーン氏:その目標も達成したいと思っていますが、まずはDuolingo上で1億から1億5000万人のユーザーを集めたいと思っています。1億人が学ぶ教育サービスはこれまで存在していません。これは、大きな意味がある目標だと思っています。
語学学習はデータを使って常に進化する
── 日本のユーザーに対して、伝えたいメッセージはありますか?
アーン氏:Duolingoの最大の特徴は、学習体験が時間と共に進化していくことです。その理由はデータがあるからです。Duolingoでは現在、全世界で3000万人のユーザーがいます。彼らの学習状況に関するデータを見れば、何を頻繁に間違えているか、どの文法が理解しにくいのか、といったことがわかります。また、A-Bテストと呼ばれる改善も頻繁に行っています。これは例えば、日本人の英語学習者を2つのグループに分けて、一方には名詞の複数形を先に勉強させ、もう一方には形容詞を先に勉強させ、学習効果を調べるようなテストのことです。学習効果の高かった方法があれば、他のユーザーにも適用します。ユーザー数が多く、このようなテストを頻繁に実施できるので、Duolingoのアプリは文字通り毎週改善されています。先日、日本語版のアプリがリリースされたばかりなので、このようなテストも始まったばかりですが、半年もすれば現在の2倍は改善されると確信しています。こう断言できる理由は、過去に他言語版をすでにリリースしていて、その改善状況を見ているからです。日本のみなさん、ぜひ語学学習にDuolingoを使ってください。
「語学は難しくて、お金と時間もかかる上、楽しくない」。Duolingoは、そんなイメージを根本的に変えてくれるかもしれません。Duolingoの今後に期待です。
Duolingo|iTunes App Store
(文・聞き手・撮影:大嶋拓人)
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