パネ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━ッ!!!!
なんなんだこの「体験」は・・・
すごいものを見た。いや、聴いた・・・ちがう、「触った」と言うべきだろうか。「100%」ってなかなか無いけど、多種多様なこの世界の渦の中で、孤独する僕らに数少ない共通項「死」。なのに、
「死ぬとどうなるの。」
そのことは誰も知らない。感じることさえ、いまやこの国で "誰かの死" は病院の白い壁に隠され、生き物を殺して食べる行為はパッケージされ、遠ざけられ、数字の「4」すら忌み嫌われる。みんな死ぬ、みんな死ぬというのに。
糸井重里 (1948年 66歳) が発案
日本を代表する詩人 谷川俊太郎 (1931年 83歳) が一夜で書き上げ
漫画家 松本大洋 (1967年 47歳) が二年の歳月をかけて描いたのが
この死と生の絵本『かないくん』
文も絵も装丁も配色も、すべてが美しく、余白は言葉を持ち、日本最高峰の作り手が、細部にわたってこだわりぬいたそのストーリーは「ほぼ日刊イトイ新聞」に詳しいのでここでは書かない。でも、Webマガジン「ほぼ日」でも、実際の「絵本」でさえ、表現しきれないものがある
それは「原画の力」だ
天才・松本大洋の絵筆が放つ「光と空白」を僕らに感じさせてくれる『かないくん展』が糸井重里によって公開された。それは、単なる原画展を超え、随所に無意識な「死」を感じさせる意匠が施された、まさに「臨死体験」だった
しかも展示会といえば撮影ができないものと思っていたのに、まさかの「ぜんぶ撮ってOK」おもむろに僕はカメラを取り出す
エントランスからすでに "はじまって" いた
天井に設置された青い光は、松本大洋と谷川俊太郎の作品に共通する、青空にある「漠然とした死の予感」を感じさせるものなのか、それとも、死そのものの色なのだろうか
空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通つてきた明るさは
もはや空へは帰つてゆかない
谷川俊太郎 - 空の青さをみつめていると
照らされた光に射す
影もなく
それは永遠に
どこまでも続き…
松本大洋 - 何も始まらなかった一日の終わりに
エントランスを抜けると、そこには・・・
いきなり自ら死んでみせる糸井重里
「ようこそ、かないくん展へ。」
来場した僕たちへ、糸井重里のメッセージが「声」で流される。まるでふざけているかのように「地声」と「裏声」で語られるそのメッセージは、単なる冗談ではないはずだ
「裏声」の持つ違和感、奇妙な力は、ビートルズや、ビョーク、レディオヘッド、目玉の親父がそうであるように、心に "異界" を感じさせる。つまりあの世だ。
歴史的に歌の発生の多くが「宗教」と関係しているように、原始の人類にとって裏声とは
① 愛する人の死に際して「泣き叫ぶ声」が死者の告知となっていた
② シャーマンの憑依現象はトランス状態により声帯に過度な緊張が加えられた
③ 話し声と異なる音質のために「異界の声」とされ、死者を招くと恐れられていた
④ 遠くまで届くために山岳地方で使われ、神の世界へメッセージを届けるために使われた
その後、中央集権国家の誕生と共に、治世の目的で時の権力者がシャーマン(巫女) を排除していった結果、世界各地の民謡から「裏声」は邪道とされるようになり、我が国では、西南諸島の奄美群島に残る民謡、津軽の「ホーハイ節」、海外ではカントリーミュージックの一部や、ネイティブアメリカンのスー族「バウワウ」の歌などにわずかに残されることとなった。原始の母系社会(女性の声→裏声) から男系社会へ変遷していった史実も無関係ではない
① 愛する人の死に際して「泣き叫ぶ声」が死者の告知となっていた
② シャーマンの憑依現象はトランス状態により声帯に過度な緊張が加えられた
③ 話し声と異なる音質のために「異界の声」とされ、死者を招くと恐れられていた
④ 遠くまで届くために山岳地方で使われ、神の世界へメッセージを届けるために使われた
その後、中央集権国家の誕生と共に、治世の目的で時の権力者がシャーマン(巫女) を排除していった結果、世界各地の民謡から「裏声」は邪道とされるようになり、我が国では、西南諸島の奄美群島に残る民謡、津軽の「ホーハイ節」、海外ではカントリーミュージックの一部や、ネイティブアメリカンのスー族「バウワウ」の歌などにわずかに残されることとなった。原始の母系社会(女性の声→裏声) から男系社会へ変遷していった史実も無関係ではない
恐るべし、糸井重里
でもなんか、得も言われぬ寂しい気分になるからやめてよ糸井さん・・・
次に僕らを出迎えるのは
全体の80%の力を使っています
表紙、しにものぐるいでした
そう語る、松本大洋の下絵を拡大したもの。そして、谷川俊太郎による、2篇の死の詩
振り返るとそこには
「死ぬとどうなるの。」
この絵本の主題をインタビューしたこどもや大人たちの答えが、壁一面に、言葉や絵、映像として紹介されている
この記事を書きながら、特に印象的だったものを拾い上げていたんだけど、それを年代順に並べてみたらさらに興味深い死の存在感を感じた。フォントじゃ伝わらない膨大な情報量が、こっちへ流れ込んでくる
しんだらおはかにはいる
しんだらちがたれていたい
しんだらみんなにあいにいく
死んだら「血が流れている自分」を見せて、みんなを驚かせたい6歳。お墓に入ることはわかっていても「まだ会える」
この年代には『死』がなんなのかわからないんだろうな
そういえば僕も小さいころ、ちょうどこんな年の頃、血が流れるっていう "特別なこと" に憧れた記憶を思い出す
か つ ら wwwww
ってwwww おい、7歳、なんだかよくわからないけど、なんだかすごい深い気がしてきたぞ
死は命に覆いかぶさっている黒いもの? 生命力に例えられる "髪" が消えた、死は "つるん" とした感触? 心理学的な象徴や民族学的な意味と共通したりしそう
しかし、なぜ "おじさん" なんだと、おじさんたちは考えてしまうであろう
・・・うん。俺もすごく会いたい人がいるよ (T T)
字が絵みたいで、いいね7歳。詩のように、心を打つ
まぁそうだよな8歳。すごく良い答えだと思う
ゾンビかわいいねぇ ٩( ˊᗜˋ)و
この8歳も。
死は「びっくり箱」みたいな感じなんだろうな。むかし遊んで怪我をしたときに、みんなに傷を見せびらかしていたことを思い出す。膝の血と、少しの膿み。ちょっとした "なかみ"
「生きる」が溢れたからだのなかに潜む「死」の匂い。太陽の光の下で、暗い穴を覗きこむようなドキドキ
死ぬことよりも、保健室の消毒液のほうが恐ろしかった
キッパリと、清々しいほど潔く。10歳になると、だんだんわかってくる "その向こう" にある漠然とした不安を・・・
(;゚Д゚) うわあぁぁあ し、思春期よ
たった一年でここまで変化するか?!「死んだあとも自由でいられる」という意味なのか「死んでもいいでしょ。好きにさせてよ」なのか、そんなダブルミーニングに思春期の凄みを感じる
ここから打って変わって65歳。死の「ケガレ」を、笑いは「ハレ」で吹き飛ばす
最初こどもの絵かと思った
68歳かぁ。すてきだなぁ
夜空に点在する儚い美しさを想う。星になる。星は先に逝った人たちか、それとも自分自身の「一縷の願い」が小さな光なのか
73歳になると "同じ時代を生きた人々" が次々に去る日常へ。短いコメントだけど、書体から膨大な情報量がこっちに流れ込んでくる
「歳を重ねた」「生き抜いてきた」ということに、僕らは敬意を持つべきだ
78歳。 悟りのような、祈りのような。
「還る」という感覚が、この年代の人々にどんな風に感じられるのだろう・・・
たとえば僕らがいま "死に直面する" のと違ったものなのかな。それとも "その時"は 万人に同じものを与えるのだろうか。下にちらっと見えている8歳とハンパなく対照的だねw「ゾンビ」不自然すぎワロタwww
いろんな人の「死」に対する想いと言葉に聞き入っていると、次第に、僕の心に死の触覚が降ってくる。それは不思議と柔らかく、わずかに暖かいような気さえする変な感覚だった
さらに奥へ進んでいくと
《 松本大洋のラフスケッチ展示 》
展示物と反対にある壁には「主人公」。さらにそのずっと先で・・・
「かないくん」が向かい合っている
主人公からかないくんまで続く「あいだ」にある、この "道" には「構成案」として描かれたラフスケッチがずらっとならんでいる。完成版に至るまで部分的に枝分かれし、変わらなかったもの、まったく変わってしまったもの、何パターンもつくられたそうだ

松本大洋ってこんな字を書くんだなぁ 初めて見た・・・スタッフとやりとりする生の文字の声。ファンとしてはたまらんスケッチが盛りだくさんでシビれる
この下の絵が、松本大洋っぽくていいんだよ。残念ながら本編では採用されなかったけど、これが描き上げられて、彩色されたものをすごく見てみたい
"道" の最後の壁では、今度、「私」と「かないくん」が向き合う。「私」がなんなのかは言わないでおく。さらに物語は「完成」へと進んでいく
《 未使用の原画展示 》
使われなかった下絵と原画が僕らを迎える。松本大洋が「これは使用しない」と踏ん切りをつけるために、破られた原画が何枚かある
絵師の "感情" が物体となって目の前に存在する瞬間だ
( °Д°) ウツクシイ…
いにしえの日本画を見ているような荘厳な気持ちになる。僕の写真のスキルがすべてを伝えられず歯がゆいが、本物ははるかに美しいということを念頭に入れて、この後の写真を見てもらいたい
使われなかった原画なのに、こうして3枚ならべられるとひとつづきに見える
少しずつ違う色で描かれ、描かれていない空白が、まさに生と死と、その間にあるものを感じさせてゾクゾクする
そして完成へ・・・
《 『かないくん』原画展示 》
完成版に使われた下絵と原画。冒頭にも紹介した「全体の80%の力を使った表紙」の実物が展示されている。二重になっているのは、本の帯を考慮してレイアウトしなおしたからだそうだ
このマフラーの赤がすごくいいんだ
この絵本では「死の白」と「赤い命」が印象的
『かないくん』では、どこにその2つの色が使われているのかに着目すると、松本大洋がこだわった絵の深い意味を知ることができる
もっとたくさんの原画が、印刷には実現できない光を放って展示されているんだけど、撮影すべて許可な企画とはいえ、全部紹介すると「物語と絵の素晴らしさ」が僕の稚拙な写真で伝わってしまうのであえて見せない
この辺で僕は ( ゚д゚)ハッ! と気づいた
ラフスケッチ > 未使用原画 > 完成した原画 と、展示物作品は次第に「生きて」行くのに対して、『かないくん展』自体のコンセプトは少しずつ「死に向かって」いるではないか
やはりか・・・
順路の先で、死が口を開けて
僕を飲み込もうと待ち構えている
"道" へ逝く
自分の「影」が、進めば進むほど、3つに離れていってしまう。幽体が離脱していくような不思議な感覚におちいる
そこを抜けると「ありがとう」の言葉
松本大洋が谷川俊太郎に贈ったものではあるけれど、いつか肉体から魂が離れて行く時に「僕は "ありがとう" と想うのだろうか」とかそんなことを考える
左は「まっ暗い」部屋
谷川俊太郎の朗読が響く。臨死体験の過程に、ヒトは「まず視覚は機能を停止し、聴覚は最後の方まで残る」と言われているけれど、目を閉じて谷川俊太郎の声に耳を傾けていると、ヒシヒシと死の気配が僕を取り囲んでいく。靴を脱いで横になることができるので、ここで暫し "休息" する
なにかを吹っ切るように暗い部屋から出ると
幽体となった「僕」がいる
窓のような3つのモニターに見慣れた姿形が、ゆらりとオーバーラップしている
中央の胴体部分
「あたま」「からだ」「あし」は分断され、向こう側で、かないくんがこっちを見ている
ここで、絵本の主人公ではなく、「僕」と「かないくん」がはじめて会う
オッス、かないくん。なんかちょっとキミこわいよ
進んでいくと
「かないくん」がいた
あの教室の机と椅子もある
死のトンネルをくぐったあと
あなたは何を想うのだろう
今度はみんなが自分の想いを刻む番だ
ぼくもそうありたい。そのために生きている
その先は・・・
極楽浄土の色彩に、グッズが並べられている。"食べ物" があるのも、それを意図したものなのかな
松本大洋直筆のサインが入る、『かないくん』表紙の原画の忠実な再現を試みた限定300枚の複製画
そろそろこの旅も最後となるようだ
僕にはまだやることがある。でも、
もはや僕の目には「非常口」のグラフィックでさえ
そんな風に見えてしまう
言い知れぬ安らぎがからだを包んでいる。心地よい寂しさの余韻に、呆然と渋谷の街を帰路についていると、ビルの隙間の曇り空に、やけに光る大きな雲が
まるで「死」のようにこっちを見ていた
『かないくん展』公式サイト
『かないくん』公式サイト