可能性の収縮 (8)
Eugene Wigner and John von Neumann
「ウィグナーの友人」とよばれる思考実験があります。
それは、「シュレーディンガーの猫」の変形です。
すなわち、「ラジウム鉱石→ガイガーカウンター→ハンマー→毒ガスビン→猫→覗き窓→観測者」を、「ラジウム鉱石→ガイガーカウンター→ランプ→友人→電話→ウィグナー」に置き換えたものです。
実験は次のように行います――ガイガーカウンターがα粒子を検出した瞬間にランプが点灯するように設定しておき、実験室内の友人が実験室外のウィグナーに、時刻t1〜時刻t2間において最初にランプが点灯した時刻を、事後報告(電話)する。
時刻txにおいて最初のランプ点灯を確認した友人の立場(ここでは実存主義的様相解釈の立場とする)からいえば、「すでに時刻txにおいてランプ点灯という歴史的事実が生起したのだから、ランプ点灯事象(時刻:tx,場所:ランプ)を頂点とする未来光円錐の内側にいるウィグナーは、時刻txのランプ点灯という歴史的事実を私と共有しているに違いない。」と主張するでしょう。なぜなら、相対論的因果律から、友人のその主張に反する事態は絶対に起こらないと断言できるからです。
ところが、ウィグナーの立場(ノイマン・ウィグナー流のコペンハーゲン解釈の立場)からいえば、「たとえ私がその未来光円錐の内側に入っていたとしても、過去の時刻txのランプは点灯と非点灯との重ね合わせ状態であり、それに対応して、友人の状態も異なる意識をもった無数の状態の重ね合わせだったに違いない。」と主張するでしょう。
しかし、ランプ点灯事象を頂点とする未来光円錐の内側にいるウィグナーにとって、時刻txのランプの点灯は彼の歴史世界における歴史的事実のはずです。それなのになぜウィグナーは、歴史的事実や友人の意識の同一性と矛盾する解釈を表明したのでしょうか。
その理由は、ウィグナーが物理学=力学というパラダイムを守りたかったからではないかと私は考えています。ウィグナーは、力学で記述できない波束の収縮を物理世界から意識世界へと追いやることによって、物理学=力学というパラダイムを守ろうとしたのだと思います。
力学的パラダイムの維持という動機にもとづいて表明された解釈は、ノイマン・ウィグナー流のコペンハーゲン解釈だけではありません。エヴェレットの多世界解釈やボームの実在論的解釈も同じ穴の狢だといえます。そして、それらの解釈が観測問題の主要な解釈として認知されているという事実こそ、大多数の人々がいまだに力学的パラダイムの真っ只中にいることを物語っています。
(つづく)
- 2014.05.14 Wednesday
- TimeCommunication
- 10:16
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- by TimeComm