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僕が何も出来なくても、居なくなっても、周りはちゃんと動くという当たり前の事実を実感すること

photo by malias

昨日の日記

 家の中を片付けたり、iTunesを整理したり、本を読んだり、寝ていたり。今週末には何も予定を入れてない。そろそろ美容院にいくべきだけど億劫だ。風邪やら休日出勤やらネット活動やらが尾を引いている。でも、それで良いんだろうとも思う。僕が何も出来なくても、居なくなっても、周りはちゃんと動くという当たり前の事実を実感すると、最近は寂しさよりも、安心感を感じる。

 もちろん、そうじゃない範囲もあるのだろうけど、今となっては少ない。扶養家族がいるわけでもないし、親も今のところはそこそこ健康だ。仕事を急にやめたらある程度は迷惑が掛かるだろうけど、実際にはなんとでもなる。そもそも僕自身が殆んど引き継ぎなしでやってきたわけだしね。そんなに寄与できてない他の諸々も同じだ。別に不治の病に侵されているわけでもないのに、そんな事を思う日もある。

 『連帯保証による罪悪感搾取で駆動していた「10年泥」も終わったので会社員を卒業しようと思ったけれど、「生き甲斐搾取」を求めて次の10年を続ける - 太陽がまぶしかったから』でも書いたのだけど、どうにも僕は「罪悪感」を抱く事が多い傾向にあって、本来的には「(´・ω・`)知らんがな」で済むことであっても、それで済ませられない事が多かった。だから特にネット上においては、「基本的にデタッチメント」である旨を明示しないとやっていられないという判断があった。

 色々な感情を抱く事もあるけれど、結果として良い方向にいかないなら、その場の感情のみを優先すべきではないのだろう。内田樹は『態度が悪くてすみません ――内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)』において「むしゃくしゃ」して殺人を犯す人は、その場の「不快」の解消と、その後の逮捕・勾留・裁判・服役などの「不快」が全く割にあわないという文脈が読めてないといった事を書いている。『別人問題による「その後の私」への疎外で週次レビューが破綻するから対策する - 太陽がまぶしかったから』にも似ている。

 これは極端で分かりやすい例だけど、大抵のことはそういう話だ。実際的な不利益が出る場合には最初から運営会社や司法に頼るべきで、自治をしようとするほど実質的な被害はさらに大きくなるのに、外部からは相対論に落とされてしまう。ちゃんと動かすためにも、僕が何もしない方が良い事もある。そこに「罪悪感の解消」なんて個人的な理由があるならなおさらだ。

お言葉

 同じ狙いの行動が、当事者以外を含めたこの人からはどう見えるのかというのはある。どのような立場に立つのであれ、明確な事実の判断が付かない事を根拠にすれば、結果として本当にそうしなきゃいけない時に困る事になる可能性が高い。

 例えば『美味しんぼ』でまともな食育の話を描いてもまともに聞かれないだろうし、オーソライズされた原発の問題を描いたとしても色眼鏡が外せない。それは現状肯定で黙っていろという意味ではなくて、ゴールを効率的に見据えたいと思う時こそ明確な部分を積み上げて見せていく必要がある。その上で、ゴールが合っているかの確認も必要なのだろう。

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