認知症のあるお年寄りが毎年およそ1万人、行方不明になっている。警察による身元照会の体制に穴がないか点検するとともに、地域住民によって行方不明を防ぐ実践を積み重ねる必要がある。

 自力で帰宅できなくなった認知症の人が、報道をきっかけに家族と再会するケースが相次いでいる。ひとりは行方不明になって7年近くが経っていた。

 東京都内に自宅があるこの女性は群馬県で保護され、身元不明のまま介護施設で暮らしていた。家族が捜索願を出していたが、保護した警察が女性の衣服に書いてあった名前を誤って入力したため、行方不明者を名前で検索するシステムでは見つけられなかった。

 認知症の人は、自分の名前や住所を言えない場合がある。本人の顔写真など多様な情報が登録できるようシステムを改めるべきだ。住まいから遠く離れた場所で保護される可能性を前提に、全国レベルの情報共有を強化して欲しい。

 私たち住民も、認知症の人に目を配っていこう。

 徘徊(はいかい)が疑われるようなお年寄りがいたら、声をかける。所在がわからなくなったら、行政や福祉施設、地元ラジオ局や交通事業者、住民らに情報を流し、早い段階で見つける。そんな取り組みがすでに始まっており、福岡県大牟田市では10年の蓄積がある。

 大都市では、地域の人間関係が薄くても人の目は多い。ツイッターなどソーシャルメディアの活用で、行方不明者の情報を広く共有すれば、早期発見につながりやすい。

 「身内が認知症」という情報が他人に知られることに抵抗を感じる人も、まだ多いだろう。

 しかし、できるだけ早く見つけられれば事故に遭遇するリスクは減る。徘徊中にJR東海の列車にはねられた事故では、列車遅延などに対する家族への損害賠償請求を裁判所が認めた。

 身元不明のまま保護が長期間に及んだ場合、生活費を誰が負担するのかという問題も表面化している。

 もちろん、行方不明の防止を優先するあまり、認知症の人を閉じ込めるのは厳禁だ。本人の歩きたいという自然な欲求を押さえつければ、症状が悪化する恐れが高い。

 65歳以上で、認知症の人は推計462万人。今後も増えていくのは確実だ。認知症の人の自由を尊重しつつ、行方不明を防ぐ手立てを講じる。いつかは認知症になるかもしれない「我が身」のためでもある。