EPISODE49 雄介

とうとう最終話。サブタイトルは一人の人間の名前を表していてシンプルです。
三ヶ月後から始まります。
未確認――特にクウガの写真を食い入るように見つめる一条さん。
事件が解決しても晴れやかな表情とは言いがたい。
警察の面々も、見始めると終わらない、つい見てしまうと語る。
「もし五代さんじゃない人が四号だったらどうなってたんだろう。五代さんじゃなかったら最後まで戦えなかったかもって」
「そうだね。いつも笑顔で頑張れる五代さんだったから。最後の最後まで」
最後の戦いでは仮面を失い涙を見せた……。皆を最後まで安心させた五代の頑張りに脱帽です。
「何でだよっていうくらいいい奴だったもんな」
ここで松倉本部長からのお言葉が。
五代ほどの男はそういないが、君達も本当によく頑張ってくれた、それは誇りにしていいと語る。
「それにしても、彼は今どこで何をしてるんだろうな」
某曲の某歌詞を連想しました。
まさに五代のためにあるような部分です。空の続く場所で笑顔でいてほしい。

長野に帰る一条さんは榎田さんに挨拶する。さゆる君の蹴ったサッカーボールを胸で受け、軽く蹴り返す。
サッカーも上手いのか?
榎田さんいわく、ホットケーキを焼いたりして明日はディズニーランドに行くとのこと。決戦前の五代との会話が活かされています。
ジャンも明日行くと言っていたということは、もしかして?
普通の時の五代と一条さんの顔を見てみたかったと語る彼女に、心から同意しました。
事件が終わってから関係を絶たないでほしい。これからは関わらないとか考えずに。

一条さんは椿のもとを訪れる。
凄まじき戦士になった五代の体はさらに変わっているはず。それでも皆の笑顔のために戦った。
「未確認達が自分たちの笑顔のためだけにあんなことをしたおかげで、あいつは自分の笑顔を削らなきゃいけなくなった」
五代が冒険に出かけたのも、笑顔を失った自分の姿を見せたくなかったからでしょう。自分の苦しみや悲しみを見せれば周囲の人々は心を痛め、笑顔をなくしてしまうから。
それでも救いがないわけじゃない。
椿は蝶野からの手紙を出して見せる。
ナイフも入っていた。他人のことなんてどうでもいいと思っていた頃の自分との決別の証です。
「他人のことなんて考えない方が楽かもしれない。だが、そんな奴らがいたから五代はああなった。……なあ、五代は今笑顔でいると思うか?」
青空が好きで、見てると笑顔になれる気がしたと語る五代の最初の技は「笑顔」。
クウガ=空我という言葉に込められた意味がわかる気がします。

みのりのところでは、園児から四号がどこに行ったのか、やっぱりいい奴だったのか訊かれる。
「四号はホントはいちゃいけないって先生は思ってるの。四号なんかいなくてもいい世の中が一番いいと思うんだ」
勇者、英雄の活躍は格好よく胸躍りますが、本当は彼らが戦わなくても済むような世界がいいんですよね。
サブタイトルも「空我」から「雄介」となり、戦士が去る代わりに人間、五代雄介が戻ってきたのではないかと思います。

桜子さんのもとへ行くと、解読の結果が明かされる。
ゴウラムは、クウガが凄まじき戦士になったら悪用されないため砂になるはずだった。
だが、そうならなかった。
幻影で見た凄まじき戦士は黒眼だったが、五代がなったのは赤い眼の戦士だった。
憎しみでしかなれないはずの凄まじき戦士に優しさを持ったままなれたのは、伝説を塗り替えたという証。
ここで歌詞とつながるのか。
「今度は私たちが頑張らなきゃ。すごく大変だけど、心の力で」
英雄一人に任せず、犠牲にさせず、各々が頑張るという姿勢が好ましい。
「五代君、絶対笑顔を取り戻して帰ってきますよね」
「五代は信じていますからね。世界中の皆の笑顔を」


一条さんが締めたところでようやく五代の姿がはっきりと映されます。
遠い外国の地の砂浜でぼんやりしているとケンカしかけている子供達を発見し、ジャグリングで彼らを笑顔にして自分も笑ってみせる。
ただ、初期のようにひたすら明るい笑顔ではなくどこか曇っています。
五代について語る場面では、一歩間違えれば主人公を肯定し持ち上げるうすら寒さが漂うところでした。
そういったものを感じさせないのは、背負う物の重さ、手にした力やそれを振るった代償、守るために自身の存在を捨てる覚悟などが描かれてきたから。
特に最終決戦で。
力で決着をつけるのは間違っていると信じる主人公も、結局は力でしか相手を止めることはできなかった。
自分の唱えてきた信念を自分の手で否定する様に泣いていた。
他者に認められても、自分の価値観を自分で否定することになったのだから過剰とは感じないのかもしれない。
ダイの大冒険の主人公に関してもそう思いました。

また、最初の予定では五代は死ぬ結末だったと聞いたことがあります。
皆を守るためとはいえ、暴力を振るい命を奪った罰を受けるべきだという理由で。ダイの大冒険でもそういう印象を受けたんですよね。敵を滅ぼした事実や力の代償を彼一人が背負って消えていったようでやりきれなさを覚えました。
彼がいる場所の青空の綺麗さもあり、この世にはいないように思えてきます。
強引に解釈すれば
・五代はダグバと相打ち
・決戦の前に皆に残した「冒険に出る」という言葉を尊重し、一条さんも話を合わせる
と考えることも可能です。
さすがに救いがないので生存エンドになったようですが。

五代のその後が気になります。
人間と同じ速度で年をとるという保証すらない。
古代のクウガは封印の礎となり、現代まで生き続けてきたのですから。
グロンギを封印するのではなく倒したならば、アマダムが判断して普通に年をとっていくといいなあ。
一条さんや桜子さん、みのりがこの世から去っていくのを見送るのは……。
ずっと変わらない容姿だと怪しまれるので世界を冒険“せざるを得ない”ですし。
仮に笑顔を失っていなかったとしても、一旦仲間の前から去ったかもしれません。
「最後の未確認生命体」として危険視され、また未確認が現れた時のためにも警察等から監視される可能性がある。一条さんの性格を考えると身分や立場が危うくなっても反対し、どうしようもないならば自分が引き受けようとするでしょう。どれほど自身の内心を裏切っていても。
マスコミは四号の正体を探ろうとするでしょうし、もし普通の人間だったと知られたら厄介なことになる。
「今明かされる四号の真実!」や「四号の素顔に迫る!」といった見出しが乱舞するかもしれない。
五代本人は上手く切り抜けるとしても桜子さんやみのり達が心配です。押しかけられて質問責めにされたら大変だ。
五代に何か落ち度、過去の傷などがあればそれを大きく取り上げて批判し、特に欠点らしい欠点のない青年だとわかると過剰に英雄視した内容になりかねない。生物兵器扱いしたり散々バッシングしたことはなかったかのように掌を返して。
民間人に戦わせるなんて非道だと合同捜査本部の面々が嫌というほど噛みしめてきたことをほじくり返したり、一条さんの行動を責めたり。一条さんは五代に関しての批判だと流せそうになく、真正面から受け止めて辛い思いをしそうです。
四号も未確認の一員だからと憎む人や、もっと早く来てほしかった、何で助けてくれなかったんだと訴える人もいそうだ。
うーん、やっぱりほとぼりが冷めるまでは海外で冒険していた方がいいのか。
彼の掴んだ平穏が、守った人々の手によって脅かされるかもしれないというのはやりきれない。
そう考えると一条さんの表情も「笑顔を失った五代」に対してだけではなく、「無事でないことをにおわせて追及の手を伸ばさせないようにする」と解釈できるかもしれない。

それでも後味がいいのは終わり方がよかったから。
グロンギの脅威という試練に打ち勝っただけでなく、人間がグロンギに近づいているという繰り返し提示された可能性(=敵の提示した問い)に、そうならないよう皆で頑張るという答えを出している。
「めでたしめでたし」で片づけられない結末を裏切るような、問題点をスルーしたやけに前向きな締めくくり方ではない。
幾つものテーマがあり、無視されたり棚上げにされたままではない。
キャラの苦悩や克服、活躍などがさほど偏らずに描かれた。
・古代のクウガとグロンギの戦い
・「愛憎」ラスト後の五代と一条さん
・「空我」から「雄介」までの五代と一条さん
・バルバの生死
・椿と桜子さんの関係の進展
・五代雄介の帰還、仲間との再会
などなど色々見たかったエピソードはありますが、きちんとまとまっていました。
一番見たいのは最後です。
五代が笑顔を取り戻して一条さんも心から笑えるのだと思います。
子供達の喧嘩を止め、彼らに笑顔を取り戻させて彼自身も笑えたので、「大丈夫!」だと信じたい。
最初は固い表情だった一条さんが次第に笑うようになり、最終話でも辛そうとはいえ笑みを浮かべることができたので。
主人公が消えたままで、守ったものを目にすることも出来ないなんて納得しきれない。
彼が守り抜いた笑顔を、今度は皆からわけてもらう番ではないでしょうか。

完成度が高く、非常に面白かったです。
見てよかったと心から思える作品でした。

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