EPISODE48 空我

「空我」と書いてクウガ。
漢字二字の法則が最大限に発揮された回だと思います。

おやっさんや奈々と穏やかな一時を過ごす五代。
これから他の人のところも回ってそのまま冒険に行くという彼を心配し、奈々は食ってかかる。
「何でこんな時に行くんですか!?」
「ホントにごめんね。でも俺、クウガだから」
飛び出すように出ていったのは、これ以上いると奈々から引きとめられそうだったためかも知れない。
「今度こそ零号を倒す」と最後に五代が告げたことでようやくおやっさんと奈々は四号の正体に気づいたらしい。
五代が去った後どんな会話が交わされたのか知りたかった。

アジトに乗り込んだ一条さんとバルバが再び相まみえる。
銃を突きつけ、発見した文書を手に持ちながら問い詰める。
究極の闇とは何か。書かれていることと関係があるのか。
険しい表情の一条さんと違い、バルバはどこまでも落ち着いている。
「リントも我々と等しくなる」
「お前達と我々は違う! お前達がいなければ――!」
「だがお前は、リントを狩るリントの戦士のはずだ」

バルバが幾度も一条さんと対峙し、命を奪わなかった理由が何となくわかる気がします。
なおも答えろとつめよるが、バルバに突き飛ばされる。
建物から出た相手を追い、降りしきる雨の中を走り、彼女を撃つ。
背後から二発。振り返ったところに残りの弾丸を撃ち尽くす。
相手が人間の女性の姿であっても躊躇わず撃った彼は、非情と思えるほどに覚悟を決めている。
口から血を流しながらバルバは微笑み、何事かを言い残して海へ落ちる。
彼女の退場の仕方は余韻があって好きです。ダグバと同じく、底を見せることなく舞台から去ったキャラクターでした。
彼女は最後に
「気に入った。お前とはまた会いたいものだ」
と告げたらしいです。
生死をぼかしているため劇場版等があれば登場したのでしょうか?
一条さんとの再会が見たかった。
怪人と人間の双方を見守る観察者にも、怪人を死に追いやる審判にも見える不思議なキャラクターでした。

五代はみのりのもとを訪れ、園児達と語り合う。
「この雨だって絶対止むよ。そしたら青空になる。今だってこの雨を降らせている雲の向こうには、どこまでも青空が広がってるんだ」
今回のサブタイトルや最終話の彼の向かった先、エンディング曲の歌詞を合わせて考えると味が出てきます。
彼は「青空」になって皆を笑顔にしようとしたのか。

最後に五代は桜子さんのもとへ向かう。
バイクの音を聞きつけてたまらずに飛び出した桜子さんですが、五代の前に立った時には笑顔を見せます。相手を苦しませないように、いろいろなものを呑みこんで。五代と同じですね。
かつて身を案じるがゆえに戦うことに反対した彼女ですが、悩みながらも答えを出し、五代を支えてきた。
凄まじき戦士になることも、ダグバを倒した後冒険に行くことも察していた。
五代の親友であり、理解者だと感じさせます。
聖なる泉を涸らさないよう、太陽を闇に葬らないよう伝えていく桜子さんと、大人しく頷く五代。本当はもっと言いたいことがあったのでしょうが、ゆっくり別れを告げる時間もない。
「行ってらっしゃい!」
「行ってきます」
「頑張ってね!」
「頑張る。じゃあね!」
そして五代は去ってしまった。
桜子さんは雨に濡れるのもかまわず、追いつけるはずはないのに走る。とうとう笑顔を崩し、後姿を見送る彼女が切ない。
彼の前で笑顔を保っていた心意気が胸に刺さる。
ポツリと呟いた、五代には聞こえていない台詞で桜子さんのヒロインぶりが爆発しました。
「窓の鍵……開けとくから」
今まで男前な面の目立っていた彼女にグッときました。
やばい。可愛い。こらえてこらえて最後の最後で本音を漏らすとは、やられた。
こんなヒロインを待たせるなんて……五代め。
ただいまという言葉を聞くことはなかったのが残念です。

長野の松本市に到着した五代は周囲の惨状に息を呑む。
ダグバに焼かれ、命ある者はいなくなっていました。
「あそこで待ってるよ。思い出の、あの場所でね」
そう告げたダグバは姿を消す。
ダグバが始まりの場所で戦おうと言い出すのは意外でした。
合流した一条さんも惨状に動揺しますが、五代に呼びかけて、二人で九郎ヶ岳へ。
一条さんの方がトライチェイサーに乗っているのが因果を感じさせます。
中途半端はしないという五代の覚悟を知り、戦うことを認め、「五代雄介、俺についてこい」と告げてマシンを渡した時のことが思い出されます。

変身する前に五代は重要なことを伝える。
「ベルトの傷、やっぱまだ治ってませんでした。だから……狙う時はここをお願いします」
自分の腹部を軽く叩き、もしもの時は殺してくれと頼む。
一条さんならばできてしまう。中途半端はしない、が信条ですから。
悲しい信頼を見せないでくれ。
「や、もちろん、万が一、俺が究極の闇をもたらす存在になっちゃったら、ですけどね」
EPISODE5の「何かあったら私が射殺します」という台詞を思い出しました。
一条さんならば絶対に止める。そして、ここまで深い絆を築いた相手の命を奪った事実や意識を背負って生きていくでしょう。
腹部を撃たれ命を落とすことになっても、人間の姿に戻ったら五代は微笑んで死んでいくんだろうな。
一条さんの心の重荷を減らすため。そして究極の闇をもたらさずに済んだことに安心して。

ここで一条さんの名台詞が。
「こんな寄り道はさせたくなかった」
常に明るい笑みを浮かべていた青年が笑顔を削り、暴力による解決を嫌っていた男が憎しみに燃えながら一方的に敵を攻撃してズタズタにした姿などを見れば、こう言いたくもなるだろう。
今までも、これからも、戦わせたくなかったと思うのだろうな。
「君には、冒険だけしていてほしかった」
五代が最後まで敵を殴る感触に慣れることがなかったのと同じく、一条さんも五代が戦う状況に慣れることはなかった。
それどころか、五代が戦えば戦うほど、強くなればなるほど、責任を感じたんじゃないかと思います。
自分がベルトを渡したことできっかけを与え、「中途半端に関わるな」と告げたせいでかえって戦う決意を固めさせたようなものですから。五代が強くなり、体が変わっていく様も近くで見続けてきた。
しかし、いったん関わる事を認めてからは、戦ってほしくないという気持ちはギリギリまで出さなかった。
理由を改めて考えてみました。
・グロンギに対抗するには五代は欠かせない存在
これが最大の理由でしょう。彼がいなければ被害は膨れ上がる。警察だけで解決できるならばそうしたかっただろうが、五代が必要だった。
・言っても止められないとわかっている
自分と似ていると実感していますから、いたずらに不安を煽るより一刻も早く事件を解決すべきだと判断したのでしょう。巻き込んでしまった自分こそ頑張るべきと考えてひたすら突っ走ってきたのではなかろうか。
・つまり五代に決意させた以上、止めるのではなく少しでも力になることが務めだと考えた
替われるものならば替わりたかったでしょうが、できなかった。
・五代に余計な気を遣わせまいとした
途中で言われても五代は明るく振舞うだけでしょうから、身を案じるにとどめていた。

最初は警察官として見ていたのでしょうが、次第に一人の人間として五代の人となりに惹かれていったように思える。
特に「冒険だけしていてほしかった」というのは、民間人だからではなく五代の夢を知ったからこそ出た言葉だと思います。
「本来守るべき対象に戦わせているのだから力を尽くす」から「五代の力になりたい」という決意へ。
「民間人を巻き込んでしまった」から「暴力を嫌う青年を引きずり込み、苦しませた」という悔いへ。
どちらの想いもあるにせよ、後者の割合が大きくなっていったと思います。
最後の最後まできて、二人きりになってようやく本音を漏らしたと思うと……不器用だ。
多くの人々を救うために五代を犠牲にしてしまったと感じているかもしれない。一条さんの性格を考えると、自分が身を捧げるのは当然の義務だと割り切っているでしょうが、五代は元々ただの冒険家ですから。

「ここまで君を付き合わせてしまって……」
悔いや申し訳なさをにじませる一条さんに対し、五代の答えは――
「ありがとうございました」
笑顔とともに言われ、予想外の台詞に驚く一条さん。
「俺、良かったと思ってます。だって、一条さんと会えたから」
「五代……」

普段飄々としていて多くの相手と良好な関係を築ける五代には、広く浅く付き合うイメージがありました。
だからこそ、一条さんが特別な存在だと感じさせる台詞に心を打たれました。
激闘を重ねて何度も死にかけて、自分で心臓を止めてまで力を手に入れて、今まさに自分の存在を捨てる覚悟で戦おうとしている状況で、もしかすると自分の命を絶つかもしれない相手に送るのが「感謝」ですか。
心の底からそう思っていると確信できる。
戦いが辛く悲しかったのは紛れもない事実ですが、いろんな人々、特に一条さんと出会えたことに深く感謝しているのも確かなのでしょう。
こんなことを言われては何も言えなくなってしまう。
一条さんはかえって辛そうな表情をしています。五代と出会えてよかったと思っていても、素直に表現できないだろうな。
もしクウガになったのが五代でなかったら。
五代と一条さんが出会っていなければ。
おそらくダグバと戦うことすらできなかった。

ふと一条さんがアマダムに選ばれなかった理由を考えてみました。
心清く体健やかな戦士であるのはどちらも同じ。最後まで戦い抜く意志の強さもある。
しかし、五代が春の穏やかな日差しとすると、一条さんは目を焼く鮮烈な光というイメージの違いがあります。
バルバへの攻撃など、五代より戦いや敵を倒す行為に近いところにある。これは一条さんが冷酷だというのではなく、刑事としての意識が高いため。
また、優しくないなどということは決してないが、五代でないと黒い眼になってしまった可能性が高い。
最大の理由として、「五代にとっての一条さん」のような相棒がいないまま戦いぬくのは厳しい。
責任感の強さや己への厳しさゆえに凄まじき戦士になってしまいそうです。
やはり優しさを持ち続けた五代でなければダグバは倒せない。
拳を振るう感触に慣れなかった彼だからこそ、心を失わず、最強の力を使って戦えたというのは残酷です。心を保ったままだとその分苦しむことになるのですから。

最後のサムズアップに一条さんも応える。
「じゃあ……見ててください。俺の、変身」
二話と対応する台詞。
覚悟を決めてからの最初の変身と、最後の変身がここでつながった。
燃え盛る炎の中で力強く言い放たれたものと、白い雪の中で静かに告げたもの。
そのどちらも重いです。
最初の台詞は中途半端に関わるなと言われ、少女の涙で戦いを決意した。
最後は巻き込んでしまったと悔やむ相手に感謝してから告げる。
対照性が効いている。

頷いた一条さんの前で五代は凄まじき戦士へと変貌する。
アルティメットが格好良すぎる。究極の名に相応しい風格があります。
一話だけの登場がもったいないとも、限られているからこそいっそう格好よく見えるとも思う。
作中では発火能力と殴り合いが主でしたが、調べてみると怖ろしい性能が備わっていました。
パンチ力80tやキック力100tといった単純なスペックの高さに加え、各フォームの武器を使用可能。しかも、各フォームの性能を遥かに上回る。攻撃力はライジングマイティ、防御力はライジングタイタン、知覚はライジングペガサス、跳躍力はライジングドラゴン以上? ……化物すぎる。
各部にある棘は伸縮自在で攻撃とともに伸び、高い封印エネルギーを放出して敵を切断。同じ能力を持つダグバ相手には効かなかったものの、超自然発火能力は周囲の物質の原子・分子を操ることで物質をプラズマ化し標的を体内から発火させるようです。こんな凶悪な技を、特別な手順や集中を必要とするわけでもなく普通に使える。
他にも能力が設定されていたらしいです。
五代が究極の闇になったら一条さんが止めるはずですが、どうすれば……王道な展開ならば五代が一瞬自我を取り戻し体を押さえこんだ隙にベルトを破壊するのが一番可能性が高そうです。

ここから先の戦いは一条さんでも踏み込めない。
わずかに一条さんを振り返るも、何も言わないまま走り出すクウガ。
この間が絶妙。
雪の中待ち受けるダグバはクウガの姿を見、嬉しそうに微笑む。
「なれたんだね。究極の力を、持つ者に」
彼の姿が王者を思わせる荘厳なものへ変わる。
ダグバもまた格好いい。
クウガと対になる存在だと感じさせます。
人間体も変身した姿も白と黒で対極。
壊す者と守る者。
自分の笑顔のために他者を傷つける男と、他者の笑顔のために自分が傷つくことも厭わない男。
ダグバが浮かべる笑みはいかにも残忍、冷酷な微笑ではなく、温かく優しい。
残酷さにおいて純粋と言える存在で、五代も純粋な部分がありますから、似通っていたのではないかと思います。
「笑顔」がポイントとなるのはまさに五代と同じ。
ダグバと凄まじき戦士の関係について考えると、なったかもしれないもう一人の雄介の姿と思えてくる。

ゆっくりと歩み寄り、手をかざすと互いの体が燃え上がる。
普通ならば文字通り「必殺」技になる超自然発火能力も、同じ力を持つ者が相手では決定打にはならない。
他の技や武器を使用してもおそらく結果は同じでしょう。
だとすれば、決着をつける方法は一つしかない。
駆けより、殴りつける。
両者とも血を流しながら殴り合う。

腹部の石を壊され呻き声を漏らすダグバだが戦いをやめない。クウガの石も壊され、五代は苦痛の声を上げる。
変身が解けて人間の姿になっても、拳も顔も服も地面も血に染めてひたすら殴り合う。
ダグバは笑いながら。五代は泣きながら。
最強の力を持っている時に余裕のある悪役は大勢いる。しかし、力の源を攻撃され命を落とすほどの傷を負い、最強の力を失ってもなお笑える悪役はそういない。
眩しい笑顔、満ち足りた気持ちで絶命したと確信できるラスボスも簡単には浮かばない。
彼にとっては自分の命が失われることよりクウガと力をぶつけ合うことの方が遥かに重要で、最高に楽しい時間だった。
皮肉なことに、皆を笑顔にするため戦ってきた五代は最後に最大の敵をも笑顔にさせた。

どんなに辛くても皆を励ます表情を崩さなかった五代が、涙をこぼし顔をゆがめながら殴り続ける。
「怪人をクウガの形態で攻撃する」のではなく、「人間の姿をした若者を生身の拳で殴り殺す」のはいっそう辛いだろう。
涙と血でぐしゃぐしゃになっている顔が悲しい。
おそらく、戦っている間、仮面の下では、泣いていた。最初からではなかったにしても、途中から顔をゆがめて涙を流していた。
仮面ライダークウガの「仮面」の意味がここにきて明かされた。
戦いの後に笑っていたのも、皆の笑顔を守ることができたという安堵にくわえ、安心させるためという目的があったのでしょう。人間の姿に戻っても笑顔という仮面をかぶっていたと言えるかもしれません。
痛みや苦しみ、悲しみを仮面に隠し人々のために戦う者……それを仮面ライダーと呼ぶのかもしれない。
一条さんは五代の痛みや仮面の下の表情まで知っていたんだろうな。
思えば、一条さんが涙するシーンはありませんでした。
もしあるとすればどんな状況なのか……。
「空我」ラストで五代のもとに駆け寄った時でしょうか。

「愛憎」の時もそうですが、ヒーローの振るう力や拳は正義の一言で済ませられるのか、と思いました。
ダイの大冒険終盤で、大魔王を圧倒的な力でぶちのめす際に涙を流したダイを連想しました。
絆の力では解決できず、相手の主張を肯定する形でしか止められない。
皆の未来を守るという立派な理由(それこそ正義と呼べる)で戦っているにも関わらず、本人は辛そうだった。
「これが正義の力だ」で片づけられるならば五代もダイも涙を流しながら攻撃することはなかったと思います。
力についての考えがバランスがとれているため、ダイも五代も私にとっては大変好ましい主人公です。

最後は二人とも倒れ、倒れ伏す五代の姿を見た一条さんが絶叫する。
一条さんとの会話も、ダグバとの戦いも、本当に短い時間なのに強烈に印象に残る話でした。

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